きみとぼく
4話完結予定です。
1週間に一話ずつあげていけたらと考えています。
長い長い眠りのあと。
それより以前の日々は遠い忘却の彼方に溶け去ってしまい、もはや思い出すこともできなくなってしまったある日、僕はゆっくりと目を覚ました。
ファインダー越しに写しだされたのは、見慣れぬ風景と、まだ生まれたばかりの泣き顔の君の姿。
君を僕の中に写し込んだあの瞬間に、僕は、ああこれからずっと君と一緒にいられるんだ、とそう考えて。
嬉しくて苦しいような、切なくて泣きだしたいような。
そんな気持ちになったんだった。
古ぼけて閑散とした店先の、忘れ去られたような一角。
そこに放り出されるように積み上げられていた故障カメラの一つ。
それがつまり僕だった、とパパがやさしく語りかける。
パパはそのころ、決して一般人向けとは言えない中古カメラの店で、無造作に投げ売られているカメラを購入し、あれこれ弄り倒すことを趣味にしていた。
もちろん、あちこちに不具合を生じさせ、そのまま使用するのは難しいからとの理由でジャンク品扱いされていたカメラを元通りにするようなこと、専門家ですら難しいのにパパごときの腕で到底できるはずもない。
パパが嬉々として行っていたのは、せいぜい分解して清掃する程度。
専門の工具とメモを片手に、どこの動作がおかしいのか、原因は何か、それを確認するにはどうしたらよいか、どうすれば状態を回復できるのか、手順を考え、カメラに向き合う。
メーカーや機種によって、必要な工具も、作業工程も全然違っていて、パパは参考書を片手に、うんうん唸りながら、ああでもないこうでもない、と頭を捻った。
軍艦部を外した先にある、巻き上げ部やシャッターユニットの美しさ。
使い古され汚れや傷の目立つボディを磨き、綺麗に塗装し終えたときの満足感。
カビが生えたりやほこりの混入したレンズを綺麗に洗浄し、光にすかした時の爽快さ。
いくら頭を捻っても、ほとんどのカメラは備品が足りなかったり、致命的な破損が起きていたりしたことが原因で、壊れたまま元通りに動き出すことがなかった。
でもパパは、それでも構わなかった。
職人の手によって編み出された複雑な仕組みの片鱗を覗けたこと。
カメラに起きていた問題に自分の力で向き合い、自分の考えのいくつかについて正しさを確認できたこと。
往年の美しさを取り戻したカメラの姿を、自分の手に取ってしみじみと眺めることができた喜び。
それだけで、パパは大きな幸せを得ることができた。
だけど、そんなふうに、たくさんのカメラを分解しては組み立てることを繰り返していたある日、まかりまちがって、ふと元の機能を取り戻してしまったカメラがいたのだという。
有名なメーカーのそのカメラは、画面を覗いたときのファインダーの汚さやシャッターの不具合などが原因で、ジャンク品として扱われていた。
パパはそれらの原因なっていた備品を除去、交換し、スクリーンを清掃。
シャッターユニットについても同じように清掃し、ところどころついていた汚れを綺麗に拭い去ると、見た目も動作も問題なく、普通のカメラとして使えるようになった。
パパは喜び、面白がって、そのカメラで写真を撮った。
もちろん撮った後は簡単な自宅でできる現像キッドなども購入して、写真として焼きつけてみたりもしたらしい。
自分で構図を決め、画を撮り、フィルムから現像し、きちんと整理して保管する。
最初の頃はその行為に夢中になり、カメラを分解することも忘れて、来る日も来る日もそればかり繰り返していた。
けれど、どれほど試してみても、元々独力しか学習してこなかった才能が、急激に伸びるはずもなく。
いつまで経っても代わり映えしないカメラの腕に、パパは飽き、次第にカメラに触れる頻度も減って、いつしかその存在すら忘れ去る。
そうしてそのカメラは長い間、部屋の片隅にひっそりと飾られる、記念品にも似た、ただのオブジェとなり果てた。
忘れ去られたカメラはそのままに、それでも時は流れていく。
それから幾年かの時を過ぎ、パパはママと出会った。
甘い恋人時代を経て、お互いを理解するために喧嘩を繰り返す時期を少しばかり過ごしたあと、それでも互いの相手にはお互いしかいないことを確信し、二人は結婚をしたらしい。
幸せな二人には、それを彩るさらなる祝福が。
それは小さな奇跡。
二人を言祝ぎ、二人を繋ぐ命が生まれる。
君がママのおなかの中から出てくることを、すごく楽しみにしていたんだと、優しい声でパパは言った。
いつ君に出会えるか、とそわそわして、君がいつこの世界に現れるのか、ずっと期待しながら待っていた。
調子に乗って口にしてしまったことを恥ずかしがりながら、それでもパパは、ゆりかごで包まれ眠る君に届くよう、小さな声で囁き続ける。
君が生まれたのはある冬の日。
めったに雪が降らないこの地方にも、その日は珍しく雪が降り積もり、辺りを白で埋め尽くしていた。
ママはその日、すでに病院にいた。
君が初めての子供だったママは、万が一のことを考え、早めに病院への入院を希望していて、一人家の中に残されたパパだけが、窓から雪景色を眺め、ため息をついていた。
忘れ去られていたはずのカメラを手に取ったのは、単に落ち着かず、手持ちぶさただったからだ。
昔ながらのごつごつとした無骨なそのカメラを撫でていると、パパは心が少しだけ癒される気がした。
カメラには何年間も入れっぱなしになったままのフィルムが残されていて、たぶんもう写らないかもしれないな、と思いながら、何の気なしに雪景色をパシャパシャと撮る。
シャッターの降りる音が鳴るたびに、少しずつ不安が薄れていくような気がして、気を紛らわすために始めたことだった。
けれどいつしか手段と目的は逆転し、いかに良いアングルの写真をとるか、そのことに熱中してしまう。
そして病院から連絡が入ったのは、そんなときのこと。
お産が始まったとの連絡を受け、パパはカメラを持ったまま、急いで病院に走った。
けれど、あわてて駆けつけたパパをあざ笑うように、連絡を受けてからも、君が生まれるまでにすごく長い時間がかかった。
病院内は暖かかったけど、緊張から冷たい空気が吸いたくなって、パパはしばしば外に出て、生まれる君について考えた。
不安に襲われるパパのそばにあったのは、手放すことを忘れて、握りしめたままのカメラ。
金属でできていたカメラは外の空気に触れるとすぐに冷たくなってしまうはずだけど、パパはそのカメラから暖かい熱を感じた。
カメラに触れていると安心できた。
彼が戦友、もしくは、祈るような時を二人で過ごす仲間。
そして夜明け過ぎ、日の光があたりを満たし始めた朝、君の泣き声があたりに響きわたる。
聞かされていたとおりの女の子。
五体満足で健康そうに大声で泣き示す君。
この感動を切り取りたくなって、パパは夢中でカメラのシャッターを押す。
そしてそれが、僕が君と共に在ることが決まった日。
僕が君のものになった日だった。
愛しい君へ。
僕は君だけのものでありたかったし、ずっと君の傍にいることを誇れる僕でありたかった。
でもそうだね。
あのころだって十分ポンコツだった僕だもの。
そんなことは、無理な話だ。