能無しな牧羊犬と、それに応えた羊。
煙のようだね。
君の毛並みを見て思います。
あるいは綿雲か何かなのかとも。君は生まれついての羊で、そのふわふわとした髪を自慢にしていた。僕がそっとそれを見ていることに気付くと、振り向いてポーズをとって、かきあげた髪の毛の向こうで少し蠱惑的に笑ってみせたりした。その後、僕と君が我慢できずに噴き出すのはほとんど同時だ。
僕らはじゃれついていた。
君が羊だというのなら、僕は羊の魅力にまいってしまった能無しの牧羊犬だろう。牧羊犬としての仕事も忘れて、君だけに構っている。君が柵から飛び出せば、うっとりとそれを見つめ、君が目の前を通り過ぎれば、その尻尾を追う。その羊毛に顔をうずめられたら、どんなにか幸せだろう。そんなことを考えてばかりいるのだ。牧羊犬にもし飼い主がいたとしたら、きっと僕はあまりに役に立たないから、遠くにいる身寄りのないお年寄りにペットとして引き取ってもらうか、殺されて食卓のソーセージにされてしまうに違いない。そのくらい僕は君のことが好きだ。
その君が、急に髪を切った。
切ったなんてもんじゃない。
剃ったといった方が正しい。
君は、すっかり頭をまぁるく刈ってしまって、まるでバスケット選手みたいだった。タンクトップを着て、すっと窓際に座っている姿などを見ると、まさにそう。僕は君の視線の先に、バスケットのゴールがあるんじゃないかと錯覚してしまう。君は、そこへいかにスリーポイントを決めるのか見定めている背の高い選手のようだ。
「どうしたの」
僕が訊いても、君は答えない。
君の部屋は、さして前来た時と変わりないように見えた。ここに来たのは数日ぶりだ。本当は毎日でも来たいのだけど、君はなかなか電話でうんと言ってくれない。だから数日おきになる。機嫌が悪い時は、アポイントメントをとるのに二週間以上かかることも。君は気まぐれで――いや、気まぐれではないだろう。意志が強いのだ。会いたい時と会いたくない時がはっきりしていて、海に削られることのない断崖の岩壁のようだ。いくらこちらがどうこういっても、微動だにしない。ただ、静かに何かを見つめている。
「似合わないかな」
君は、実にゆっくりと僕を見る。
その面差しは、絵に描きたくなるほど綺麗だ。それだけで、似合わないかな、なんて質問自体が意味をなくしてしまう。実際、すごく似合っていた。ほっそりとした体、骨ばった肩と、筋が浮いた首筋、そのラインをすうっと下からなぞるように視線を上げると、そこに君の少し照れたような表情と、綺麗に剃りあげられた頭部がある。
「似合っているよ。すごく似合っている」
「だったら、よかったんだけど」
君が話題を変えてしまう前に、僕は、でもどうして? と改めて訊く。
君は、すっと無表情になった。どんな顔で言ったものか悩んでいるみたいに。
僕は顔を伏せなければならなかった。もしかして怒らせたのかもしれないと思ったから。
「O・ヘンリーの短編みたいだねって自分で思っている」
「O・ヘンリー?」
「読んだことある?」
「学生時代にだけれど」
「男が妻のために時計を売るお話があるでしょう」
「……。どうだったかな」
「本当に読んだの?」
「読んだよ」
「それで妻は髪を売るって話」
僕は君の顔を見上げた。綺麗な頭部。困ったような顔の君。
ああ、それでわかった。
君が恥じらっていること。その言葉の意味。ちょっとした後悔と誇らしさ。それをまず僕にさらす喜び。単純な、単純な、僕を驚かせたということへの満足感。
とんだ悪戯者だね。僕の方こそ照れてしまう。そして、少し残念に思う。その気持ちは嬉しいけれど、僕は君の髪がとても好きだったんだよ。でも、だから不思議な気分だ。
「変かな」
「ううん、全然。高く売れたの?」
「すごく高くね」
「それで僕は何をもらえるの」
「すごい高いセーター。今日届く予定なの」
僕はそれを、君が、君の羊毛で編んでくれたものだと思うことにした。
僕のための羊が、能無しな牧羊犬にくれた贈り物なのだと。