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ヒロインのいる世界で  作者: Stork
第一章
2/3

血道

支配者は空。

空には、血と硝煙と燃料の匂いが混ざり合い、溶け合っている。

そこでは、透き通る蒼色のキャンパスに、細切れの肉と黒煙を上げ墜ちていく、無骨な鉄鳥が彩りを加えていた。


「くっ……」


雲を突き抜け、一機の紅色の複葉機が蒼空を駆け抜ける。

そのすぐ後に、群青色の複葉機三機が続いていく。

空は今、無力な一人の少年飛行士を飲み込もうとしていた。


「三機だなんて、反則、だろ……!!」


右に急旋回。

世界が横向きになり、紅色の翼が鈍く翻る。

それを三機の群青色の複葉機は、必死に逃げ惑う小鳥を嘲笑うかのごとく、難なく紅色の翼に追いついていった。


(やられる、のか?)


必死に機を操る少年は、眼下に広がる大海原を見て思う。機を撃墜され、落下傘で脱出できたとしても下が海なのだ。母艦が沈んだ今、恐らくは拾ってはもらえないだろう。

少年はただひたすら味方のいる陸地へと向かっている。それが唯一自分が生き残れる方法であった。尻に食らいつく三機の群青色の敵機に墜とされれば、空の塵となり、少年は死ぬ。


(死ぬのか、僕は?)


操縦桿を握り直す。

剥き出しのエンジンが、苦しそうにうねりを上げる。

それは悲鳴であり、限界高度を意味していた。


(敵は?)


後ろを振り返る。

三機の群青色の翼は、相も変わらずピタリと少年の後ろにくっついていた。

機を左右に振って、射線を確保されないようにする。

これを何度も繰り返して持ちこたえてはいるが、そろそろ限界のようだった。


「ハァ、ハァ……」


体が重い。

ペダルを踏む足の感覚は、とうになくなっている。

いっそ楽になりたい。

体の力を抜いて、楽に飛びたい。

だが少年の拙い願いは、現実が許さない。

気を抜けば、待つのは死だけだ。


今、僕は生きたいと思う。


少年は、薄れゆく意識の中で、そんなことを思う。


死にたくて、死にたくて、どうしようもなかった。


だけど、今は、生きたいと、生きていたいと思った。


生への執着。


生きているという実感。


死を前にして、高まる高揚感。


生きている。


生きている。


生きていると、感じられる。



“世界は矛盾だらけだ”



白濁の意識は、何処からか言葉をもたらす。



“狂ってると思う?”



少年は気づいた。



そうだ、これはいつしかの…誰だかは忘れたけど、誰かが言ってた言葉だ。



(誰の?)



分からないな。



知らないんじゃない、分からないんだ。



そう、言葉では言い表せない、頭の中で響くあれなんだ。



理解はしている。



それがなんなのかも知っている。



ただ、何と言えばいいか、分からないんだ。



例えば、こんな時みたいに……。



バリバリ、空の声が、裂けた。



甲高い声音が、空色の空間を切り裂いていく。



群青色の敵機が放つ、機銃弾だった。



「殺すのか、この僕を?」



操縦桿を手前にぐっと引き寄せた。



世界が反転し、太陽が陰る。



そのまま機体を水平に立て直した時だ、上面に、一機の群青色の複葉機が、冷たく少年を見下ろしていた。



“ようこそ、狂気に満ちた、大いなる空へ――”



声が、聞こえた。



男なのか、女なのか、ただ声が、僕には聞こえた。



“そしてさようなら、まだ見ぬ、大いなる空の彼方へ――”



霞むような意識に、この声だけははっきりと聞こえた。



低く、突き放すような、そんな声。



(空は、僕を見捨てるのか?)



操縦席には前方にちょこんとある風防だけ、中は吹きっさらしだ。



焦げ臭い空気が少年の頬を撫で、後ろへと流れていく。



「まだだ」



群青色の複葉機が、少年を上から静かに睨んでいる。



逃げられない。



少年の運命は決まっている。



避けられない運命。



「まだなんだ……」



群青色の複葉機のパイロットが笑っているように見えた。



「まだ僕は、生きているんだ!!」


爆音。


灼熱の熱波が少年の心を焦がした。



なにが起こったのか、理解できなかった。



群青色の複葉機が、膨張し、目の前で爆ぜたのだ。



「え?」



群青色の複葉機だった部品が、少年の赤色の複葉機をノックする。



「……え?」



声帯から発せられる言語が、少年が生きていることを確かなものにした。

下から二回の爆音、空は、少年を選んだようだった。

周囲を見渡して、少年はそれを見た。



「飛竜……」



全く、敵わないな。



少年は可笑しくなって、笑った。



幾ら空を飛行機が埋めようとも、飛竜は空の支配者が誰なのか思い知らせる。



左に軟旋回して、滞空する飛竜を斜めに眺めやる。



雲の上に佇む、黒い飛竜。



誇り高き、ベゴニア飛竜騎士団。



それも、皇帝近衛飛竜騎士団の紋章をつけたマントを、竜騎士が羽織っていた。



少年が乗る赤色の複葉機の胴体には、傾いた十字架が描かれていた。



“傾いた十字架”



飛行士は“騎士落ち”と呼ばれている。



飛行機が空の主役になった今でも、飛行士は劣各の印を押されるのだ。



少年は己の無力を思い知らされる。

鋭い牙、甲冑からエメラルドに光る眼光が覗き、鱗にあわせ鎌首を覆っている。



さらに、四足の鋭い鉤爪、ゆらゆらと尻尾が振れていた。



羽ばたく翼は雲を吹き上げ、波打つは白雲の絹の如く優しく、神々しいまでのその威光の上に、僕を眺める竜騎士の双眸があった。



(生きてる?)



そう言っているような気がした。



この時初めて、少年は空を飛んでいることに気づいた。



飛ぶことは空気を吸うことと同じだとか、そんな自惚れたことじゃない。



情けないが、見とれていたんだと、分かった。



「生きてる」



生を実感できる。



そのことが、



なんとも、



少年を苛立たせた。



一際大きな風が吹き荒れる。



視線の先に、飛竜が翼を広げ去っていく姿が映っていた。



「……生きている――」



少年は今日の運命に、絶望した。


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