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実胡は駆け寄り、俺に抱きついた。予想だにしていなかった行動に面食らい、動けない。
実胡の綺麗な細い髪の毛が、ひゅうというひと凪に揺れる。小さな雨粒に濡れたそれは、潰されそうなくらい暗い空のなかで、いっとう美しく輝いて、異質に見えた。
俺なんかよりもずっと熱い彼女の体温が、生々しく体に伝わってくる。
実胡は背が小さくて、彼女の表情は隠れて俺から見えない。
「私ね、あなたに、ずっと」
彼女の喉が、体すら、小刻みに震えていた。
泣いて、いるのだろうか。
俺は、俺に縋り震えている彼女を、どうにか温めたいと思った。
あの時の俺に、その力は無かった。俺は彼女を守ろうとした。でも、あの時の俺には力が無かった。
でも、今は違う。ずっと言葉を交わしたかった実胡が、目の前にいる。手が届く。あまつさえ、俺に助けを求めているのだ。
俺は、無意識の握りこぶしを緩め、ゆっくりと、実胡の腰にぎこちなく両手を回そうとして、
「死んでほしいって思ってた」
ドス、と、衝撃が走った。
自分よろけたことに気付くのに、数秒要した。
何が起きた、何が起きた?
目を見開く。
自身の左腹部が熱いことに気が付いた。
思わず腹部に手をやる。
何かに触れる。
下を見た。
俺の腹には、果物ナイフが深く突き刺さっていた。
「実・・・胡・・・・?」
俺は腹部の焼けるような熱さに耐えながら、実胡を見る。
実胡は、こちらを見てにたにた笑っていた。興奮を抑えきれないと言ったようで、顔は紅潮して、息を漏らし、全ての指がまばらに動き、全身は小刻みに震え、片方の口角だけを歪に上げて笑っていた。
俺の知っている実胡とはまるで結びつかなくて、恐怖に喉が引き攣った。
実胡はおもむろに俺の腹部に手を伸ばし、躊躇いもなくナイフを引き抜いた。
遠く、誰かの悲鳴が聞こえた。
鮮血が飛び散って、実胡のやわいスカートを汚すのが見えた。
熱い、熱い熱い熱い、あついあついあついあつい。
目の前に砂嵐のようなノイズが走る。眩暈がする。顔が熱い。鼓動が煩い。俺は立つことさえままならず、地面に倒れこむ。ドサリという音が他人事のようにすら感じられた。
鼓動のばくばくという音が大きすぎて、心臓ごと血とともに漏れ出てしまうのではないかとさえ思えた。
強烈な眠気に似た感覚に襲われ、目を開けていられない。誰かの声が聞こえる。
野次馬だろうか。
野次馬でもいい。
誰か、俺を助けて。
誰でもいい。誰か。
・・・誰かって、誰?
―――誰の顔も、浮かばなかった!
「ああ、おれって」
俺の人生がこうなったのに、
「からっぽだ」
きっかけなんて、あったのかなあ。
消えゆく意識の中、耳をつんざくような高笑いが、とうに感覚のない俺の体を強烈に駆け巡った。
「これで、全部元通り」
閲覧ありがとうございます。
初投稿です。至らぬ点もあるかと存じますが温かく見守っていただけると幸いです。




