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社会現象ー冷笑について

掲載日:2026/04/29

今朝友達に「二次元オタクのお前が現実逃避って言葉使うなよ。ブーメラン強すぎる」

とラインで言われた。そして僕はこの言葉を言う他称冷笑系ぼっちの幼馴染の友達、ひいては社会現象である冷笑そのものに対して思考をした。以下のすべての文章は僕が辿り着いた冷笑系と高校生という二つのキーワードへの評論の結果である。


あなたは、どんなに正しく客観的にオタク文化の良さを冷笑系に伝えても分かってもらえない経験をしたことはないだろうか?

僕はさっきの幼馴染で経験しているのだが、これには仕方のない理由がある。

その理由とは、「知識量の決定的な違い」である。


知識のあるオタクはそのコンテンツに対して正しい論理でそのコンテンツの良さを伝えることができる。

しかし知識のない冷笑系はそのコンテンツをさらさら知るつもりは無いのだから、冷笑系がその場で見るところは話の内容ではなく「必死に良さを語るオタク」という構図だ。


どれだけ正しさを語っても冷笑系が最後に言う無敵の言葉はこれである。


「そうか、オタクはこう言うふうに自己肯定をして搾取されてるんだな。」


これに正論で勝つことはできない。じゃあどうするか。


そもそもオタク側の行為が間違っていたのである。良さを真剣に語ってはいけないのである。


どういうことか。冷笑系はそのコンテンツの良さを真剣に知ろうとしているわけでいない。ただ馬鹿にしたいのだ。


そして無知である。冷笑系はそのコンテンツに対して。つまり初めから馬鹿にするつもりでしか無いのだ。


僕は考える。


無知の人はその物事を簡単に単純化でき、そして簡単に馬鹿にできる、と。


「音楽って別に聞いても頭良くなるわけでないし聞く意味ある?」

「アニメって幼稚だからどうせ見るなら実写映画の方が良くない?そっちの方が金かかっててちゃんとしてるし」

「オタクはやっぱりキモいな。握手会のアイドル泣きそうな顔してるし害悪害悪っと。」

「カフェ巡りが趣味とか承認欲求の成れの果てだろ。絶対こんな女と付き合いたくない。」


以上のようなことを思ったことはないだろうか?

どれもその対象に対して無知であるせいで簡単に単純化し簡単に馬鹿にした実例である。


もし無知でない人間だったら


「音楽は聞いてるだけで勇気もらえるし好きな音楽があるとそれを聴くだけでなんとか1日を生きられる。自分で作曲もしてるけど学んでも全然分からないことばかりだしできる人は尊敬する。」

「アニメって手間は最高にかかっているし、その道をずっと進んできた人たちが作ってるから面白いに決まってるじゃないか。ストーリが幼稚って日常系作品はよく言われるけど、アクションだらけの方が幼稚だと思う。それにアクションシーンなくても飽きずに見れるようにするのはめっちゃ大変なんだからな。自分で作ったらわかると思うけど。」

「まじで都合の悪い偶然取れたショットを本気にしている人が多すぎて悲しい。普通に顔も覚えられてるし普通に楽しく話すし。アイドルも自分のことが大好きな人と話しているわけで、たとえ身なりがきつくても認めてくれている人がいるのだからそこまでな訳ではないと思うが。」

「カフェ巡りはこの店はどんな店だろうとか、今日はどんな服装で行こうかとか、色んな味の開拓ができるし普通に楽しい。ネットで共有しているのは承認欲求というより活動記録であって、自分の活動を後で確認できるから。そして感想とかもらえたら楽しいし。」


これが正しいわけでも唯一解でもないと思うが、それでもそれを好きなオタクと無知の冷笑系では見ているものが違う。それが体感できたのであれば嬉しい。


要するに単純化できてしまうからこそ冷笑系は生まれるし自分の論理が正しいと思ってしまう。だから熱弁する人を見ると、「こんな熱中してて馬鹿らしい。そんな意味のないことに熱中せずにもっと正しいことしろよ。とかメリットある行動をしろよ。」という言葉が出てしまうのだ。


知識量の差が受け取り方の差になることが僕の言いたいことだ。


そして高校生はこれらが顕著に見られる。

小学生よりかは未来が見える周りが見える。

中学生よりかは論理的に思考できる。故に自分が正しいと思いがちになる。

そして「案外、社会って単純なんだな。」という言葉を盲信しがちになる。

そして実は高校生というのは知識量が社会経験のある社会人に比べて圧倒的に少ない。


だから単純化して馬鹿にするという行動が発生しやすい。


じゃあ単純化しない人間はどういう人間か。


それはその物事を好きな人間である。アニメ好きがアニメを単純に見ることはできない。どうしても限定販売のCDを思い出したり神回や自分でかいた二次創作の内容を思い出してしまう。自分の価値観を大きく変えたKeyや興奮して思わず舌を噛んでしまうようなアクションシーンのあるアニメなどを思い出して。


好きになることが単純化を防ぐ最も簡単なことである。


そして単純化して馬鹿にせずとも有意義さをそれに感じることができなくなる人々はそれを好きになることが難しくなる。単純だと自分で悟ったものに時間を使いたくないからだ。


だから好きになれなくなる。単純化を無意識に続ける。そしていずれ冷笑系になる。


その系譜は案外簡単なものである。


だから僕は言いたい。


好きになるという感情が持てないこと、それは別にそれが駄目なことでも良くないことでもない。


人間として自然な過程で生まれる自然な現象だ。


最初から詳しい人などいない。みんなはじめは無知だ。


だから高校生になって、もしくはある程度ろんりてきになって、自分の中の限られた情報でその物事を批評できるようになっても、一度足を沈ませてほしい。


難しいなら一度、親の好きなものを聞いてみれば良い。


好きになるのは時々、カルトや政治、危険なこともある。


でも僕は好きになって今が楽しい。


安全な好きを見つけてほどほどに楽しむのがいいだろう。健闘を祈る。


2026年 4月29日 午後18時27分


黒背景クローバーs


霧雨巡録社サークル主



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