毒リンゴは絶対拒否します!白雪姫に転生したのに全力で死亡フラグを避けていたら、なぜか隣国のハンサムな王子に溺愛されてしまいました。
転生したら白雪姫だった件と、最速で立つ死亡フラグ
私、アーリャという名前の娘には、前世の記憶がある。
前世の私は、しがない日本のOLだった。毎日、上司の機嫌を取り、残業に次ぐ残業で疲弊しきっていた。最後に覚えているのは、徹夜明けに立ち寄ったコンビニで、ふと手に取った『世界童話全集』の白雪姫のページだった。
「白雪姫ねえ。どう考えても理不尽な理由で殺されかける、不運な主人公だわ」
そう思った次の瞬間、私は生後間もない赤ん坊になっていた。
「ああ、アーリャ。なんて可愛らしい、私の愛しい娘よ」
私を抱きしめる女性の声は優しかったけれど、すぐにその声は途絶え、私の周囲には冷たい空気が流れるようになった。
物心ついた頃、私は全てを理解した。
この世界は、私が前世で読んだあの「白雪姫」の童話の世界。そして私は、その主人公である。本名もそのまま「アーリャ」だった。
私の実の母である先代の王妃は、私を産んだ直後に亡くなった。そして二年後、父である国王は再婚した。相手は、この国一の美貌を持つというムスカ公爵令嬢。そう、私の継母だ。
これが、すべての悲劇の始まりだと、私は幼いながらにも悟っていた。
私は五歳の頃から、継母ムスカ王妃の存在を恐れていた。この王妃は、その名に違わず驚くほど美しかった。黒檀の髪、雪のような肌、そして血のように赤い唇。完璧すぎて近寄りがたい、まるで絵画から抜け出たような美貌。
そして、ムスカ王妃の寝室には、あの恐ろしい道具があった。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのはだーれ?」
ムスカ王妃の質問に、壁にかかった大きな魔法の鏡は、いつも同じ答えを返す。
「それはもちろん、ムスカ王妃様、あなた様でございます」
私は、王妃が魔法の鏡に尋ねる言葉を、震えながら聞いていた。この儀式こそ、あの物語のすべてのトリガーだ。
(まだ大丈夫、まだセーフ。私が幼いから、ムスカ様が一番美しい。でも、いつか鏡が私を指名する日が来る……その時こそ、私の死亡フラグが立つ!)
白雪姫の物語における死亡フラグとは、たった一つ。
『継母の美しさを凌駕すること』
これだけなのだ。美しく生まれた罪で、嫉妬に狂った継母に殺されかけるなんて、理不尽で恐ろしい運命だ。
私は、どうにかしてそのフラグを折ろうと試みた。
まず、目立たないように、地味な色の服ばかりを選んで着た。ドレスはいつも灰色か地味な水色。フリルやレースは最小限に抑えた。髪も、黒檀のような輝きを持つ自分の髪を、地味な三つ編みにしたり、時には帽子で隠したりした。
「アーリャ。なぜそんなに地味な格好ばかりするのです?王女なのですから、もっと華やかなものを着なさい」
ムスカ王妃は、私の地味な格好を不満そうに見ていた。しかし、その顔にはどこか満足の色が浮かんでいた。
(よし、この調子。地味であれば、ムスカ様の美しさは霞まない。これでしばらくは安泰だわ)
しかし、自然の摂理というものは、恐ろしいものだった。
時はあっという間に流れ、私は一四歳の春を迎えた。
遺伝子というものは強烈だ。父は優しく威厳のある国王だったが、亡くなった実母は、その名に「雪」を持つ国から来た、息をのむほど美しい女性だったと聞いている。
私は、どれだけ地味な布で身を包もうとも、その美しさを隠し通せなくなっていた。
肌は雪のように白く透き通り、頬はバラ色に染まる。黒檀の髪は、光を吸い込むような深い色を放ち、瞳は澄んだ青空の色。その姿は、まるで夜明け前の光を宿した彫像のようだと、城の衛兵たちの間で密かに噂されるようになっていたらしい。
そして、運命の十五歳の誕生日まであと一ヶ月に迫った、ある夜。
私は自室で、明日のスケジュールを確認していた。その時、微かな音とともに、ムスカ王妃の寝室から、あの質問が聞こえてきた。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのはだーれ?」
(ドキドキドキ……お願い、ムスカ様、ムスカ様って言って!)
私は祈るように耳を澄ませた。
魔法の鏡は、いつも通り重々しい声で答えを始めた。
「ムスカ王妃様、あなた様は誠に美しゅうございます」
(よしっ!今回もセーフ!)
私は安堵の息を漏らしたが、鏡の次の言葉で、背筋が凍りついた。
「しかしながら、この世で一番美しいのは、もはやあなた様ではございません」
「な……なんですって?」
王妃の静かで、しかし底冷えのするような声が響いた。
「それは、アーリャ姫様でございます」
(来たわ。ついに来た!最速で死亡フラグが立ったわ!)
私は自分の部屋で、布団を被りながら叫んだ。
「まだ十五歳にもなっていないのに、なんでここでフラグを立てるのよ、鏡!空気読め!」
その夜、私は一睡もできなかった。
翌朝、私はムスカ王妃に呼ばれ、応接室へと向かった。
応接室の豪華なソファに腰掛ける王妃は、昨夜の激情を微塵も感じさせない、完璧な微笑みを浮かべていた。だが、その瞳の奥には、凍りついた湖のような底知れない冷たさが潜んでいるのを、私は見逃さなかった。
「アーリャ。大きくなりましたね」
「ムスカお義母様。お呼びでございましょうか」
私は優雅にカーテシー(お辞儀)をし、完璧な王女としての振る舞いを崩さない。ここで怯えてはいけない。怯えは、継母の嫉妬心をさらに刺激するだけだ。
「ええ。あなた、最近、少し大人びてきたでしょう?その、なんて言えばいいのかしら……」
この王妃は、私の顔を値踏みするように見つめ、一言一言、選びながら話した。
「そう、美しくなりすぎたのよ」
王妃の言葉は、私にとっての死刑宣告だった。
「その美しさは、私を脅かすものだわ。この国で一番美しくあるべきは、この私、ムスカ王妃よ!」
継母は立ち上がり、私の髪を、まるで宝石を扱うかのように、しかし力強く掴んだ。
「アーリャ。今すぐこの城を出なさい。さもなければ……」
王妃の言葉は最後まで続かなかったが、その意図は明白だった。殺される。
(さあ、どうする、私!古典的な毒殺か?それとも狩人による暗殺か?とにかく、ここで怯えて「はい、わかりました」と城を出たら、狩人フラグ一直線だわ!)
私は考える。この物語では、姫が城を追放され、森で彷徨っているところに狩人が来て、慈悲で逃がされる、という流れだ。つまり、追放フラグと刺客フラグはセットで、しかも能動的な回避策がないと、流れに乗ってしまう。
「……ムスカお義母様!」
私は意を決し、次のフラグ回避のための、最初の賭けに出た。
「お義母様こそ、この世で誰にも真似できない、唯一無二の美しさをお持ちでございます!魔法の鏡は、ただの古い道具でございます。人の心の美しさがわからない、愚かな道具なのです!」
私は、ムスカ王妃の掴んでいる自分の髪を、そっと振りほどいた。
「お義母様のその深い黒髪。漆黒の夜空を思わせる、神秘的な輝き。その雪のような肌は、ただ白いだけではございません。内側から輝く、ダイヤモンドのような光沢がございます。あの鏡は、きっとただの青い光を『美しさ』と勘違いしているに違いありません!」
王妃は、私の突然の反撃とも取れる行動に、目を丸くした。
「……アーリャ、何を言っているの?」
「お義母様。お願いです!私を、お側に置いてください!この城で、誰よりも、お義母様を『美の象徴』として崇拝する存在として、お仕えさせてください!」
私は、継母の足元に跪き、まるで熱狂的な信者のようにムスカ王妃を見上げた。
(そうよ、これが「誉め殺し作戦」!嫉妬の対象ではなく、「美の崇拝者」になれば、殺す理由がなくなるはず!そして、この崇拝者がいなくなると、誰も私を褒めてくれない、という危機感を生むはず!)
彼女は、私の熱烈な崇拝の眼差しに、一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。しかし、その顔はすぐに、冷酷な王妃の表情へと戻る。
「……面白いことを言うわね、アーリャ。良いでしょう。私を崇拝する?ならば、毎日私を褒めなさい。鏡が私を一番だと再び認めるまで、毎日、毎日よ。ただし、少しでも私の美を疑うような言葉を口にしたら……わかっているわね?」
ムスカ王妃の瞳が、血のように赤く光った気がした。
「かしこまりました。お義母様!」
私は、最高の笑顔で応えた。
誉め殺し作戦、失敗。そして最悪の刺客フラグ到来
私の命がけの「誉め殺し作戦」が始まって、三日が経過した。
作戦の目標は一つ。継母ムスカ王妃の承認欲求と美への執着を満たし、私に対する殺意を「崇拝者への満足感」へとすり替えること。
私は、毎朝、ムスカ王妃の朝食の席に出向き、その日の美しさを完璧なレトリックで讃えた。
「お義母様。本日のそのドレスは、まるで朝焼けの空を切り取ったようでございます。しかし、その輝きはドレスにあらず、その下で輝く、お義母様の皮膚から放たれる内なる光でございます!」
「ふむ……。内なる光、ね」
ムスカ王妃は、朝食のコーヒーを優雅に飲みながら、一見、満足そうに頷いた。
別の日には、王妃の身だしなみを褒めちぎる。
「昨夜、お義母様がつけていらした宝石は、まるで夜空の星々を砕いたようでした。しかし、その星々の輝きさえ、お義母様の瞳の奥に宿る、銀河のような深淵な美しさには敵いません!」
「銀河……。言葉の選び方は悪くないわね、アーリャ」
私の言葉は、文学的で、ロマンチックで、そして完全に大げさな「誉め殺し」だった。ムスカ王妃は最初、戸惑っていたが、次第にその言葉を期待するようになった。
(作戦成功!私の美しさは、ムスカ様にとって『鏡が認めなかった時も、唯一、私を崇拝し続けてくれる純粋な信者』によって証明される、という形に変わってきたわ!)
私はそう確信していた。この調子で、ムスカ王妃の嫉妬の矛先が私に向かないよう、美への熱烈な賞賛という栄養を与え続ければ、毒リンゴフラグまで時間稼ぎができるはずだ。
しかし、私の誤算は、ムスカ王妃の嫉妬の炎の強さだった。
魔法の鏡は、毎日、ムスカ王妃に真実を告げていた。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのはだーれ?」
「それは、アーリャ姫様でございます」
ムスカ王妃は、私の崇拝の言葉を聞くたびに、一瞬は満たされた。だが、鏡のこの一言で、その満足感は一瞬で消え去り、嫉妬の炎はさらに激しく燃え上がった。
(アーリャの言葉は素晴らしい。私の美をよく理解している。だが、所詮は私を脅かす存在の言葉。その言葉の美しささえ、アーリャ自身の美しさによって霞んで見える!)
ムスカ王妃にとって、私の存在自体が、生きる屈辱になっていたのだ。
そして、誉め殺し作戦から一週間後。
ムスカ王妃は、朝食の席で突然、冷たい声で宣言した。
「アーリャ。あなたの崇拝は、もう聞き飽きました」
「お義母様?」
「あなたのその口から出る、偽りの讃美は、私の美しさへの冒涜よ。あなたは私を崇拝しているのではない。私を、自分より劣った存在だと見下しているのよ。そうでしょう?」
私は、王妃の鋭い視線に射抜かれ、背筋が凍った。
「滅相もございません、お義母様!私は心から……」
「黙りなさい!」
ムスカ王妃は、テーブルを叩き、静かに怒りを爆発させた。その声は低く、恐怖を感じさせるものだった。
「もうあなたの顔を見るのも嫌だわ。あなたは今日から、この城の一番奥の、北の塔に閉じ込めておきます。二度と私の前に姿を現さないで」
(うわぁ、失敗!誉め殺し作戦は、火に油を注いだだけだった!そして、幽閉フラグが立ってしまった!)
しかし、幽閉は、古典的な「追放フラグ」への道筋に過ぎない。私はまだ冷静だった。
「かしこまりました、お義母様。ですが、私はお義母様の崇拝者でございます。せめて、城の安全な場所で、お義母様の美を思い浮かべて過ごさせていただけるだけで、この上ない幸せでございます」
私は最後まで王妃を讃え、北の塔へと連行された。
北の塔の部屋は、寒々として、窓には鉄格子が嵌められていた。まさに囚人だ。
(まずい、まずいわ。幽閉されたら、ムスカ様は安心する。安心した途端、次のステップは確実に『殺害』だわ!)
私は、幽閉されてから、城内での継母の動向を、食事を持ってくる侍女から聞き出すことに集中した。
侍女は、ムスカ王妃の恐ろしさに怯えているため、口が重かったが、私は「自分は王妃の美しさを理解する唯一の人間だ」という芝居を打ち、侍女に「王妃の機嫌を取るための情報」という名目で、城の様子を聞き出した。
そして、幽閉から三日目の夜。
私は、侍女が震える声で話す、恐ろしい情報を聞きつけた。
「アーリャ姫様……。昨日、ムスカ王妃様が、衛兵隊長を、夜遅くに寝室にお呼びになっていました」
衛兵隊長。この国の狩人の役割を担う、剣の達人だ。
(来たわ!「狩人の刺客」フラグ!物語の通り、ムスカ様は私を殺す命令を下したのよ!)
侍女は、さらに震えながら耳打ちした。
「王妃様は、衛兵隊長に、なにやら小さな木箱を見せていました……。そして、『アーリャの、その中身を持ってこい』と……」
「その中身」とは、私の「心臓」に違いない。衛兵隊長は、私を森に連れ出し、殺して、その心臓を箱に入れて王妃に献上するのだ。
(計画、完全に発動。これはもう、待ったなしだわ!)
私は、ここで衛兵隊長を待っていては、元の物語の悲劇的な運命を辿るだけだと悟った。衛兵隊長は、童話では優しい心を持つ人物として描かれているが、この現実の世界で、彼の心に慈悲がある保証はない。もし彼が冷酷な忠臣だったら?私は間違いなく殺される。
(運命は、自分で切り開くしかないわ!)
私は、すぐに脱出の計画を立て始めた。
まず鉄格子のある窓から逃げるのは不可能だ。残された道は、重い木の扉と、その外にある螺旋階段だけ。
(衛兵隊長が来るのは、おそらく、城が寝静まった深夜。それまでに、準備を整えないと!)
私は、侍女が食事を運んできた際にそっと隠していた、小さなナイフと、地味な色のフード付きマントを取り出した。
(城を脱出したら、行く先は森。ムスカ王妃の追手から逃れるには、人の手の及ばない、あの暗い森の奥へ逃げ込むしかないわ)
私は、自ら森へ逃げ込むことで、物語の「狩人に連れ出されて逃がされる」という流れ自体を破壊しようと考えた。衛兵隊長が私を探しに来た時には、もう私がいない、という状況を作り出せば、彼は任務を遂行できない。
(衛兵隊長は私の心臓の代わりに、きっと動物の心臓を持って帰るはず。ムスカ王妃はそれに騙され、私が死んだと思って油断する。その間に、私は森で潜伏する!)
私は、決死の覚悟を固めた。
深夜、城の時計が二時を告げた。侍女が持ってきた硬いパンを、ナイフで削り、扉の錠前の隙間に差し込む。私は前世の記憶で見た、泥棒映画の知識を総動員して、細工を施した。
ガチャリ、と、小さな音を立てて、錠前が外れた。
(やった!)
私はフードを深く被り、暗闇の中,螺旋階段を降り始めた。
衛兵たちの巡回経路と時間を把握し、物音一つ立てずに進む。私の肌は雪のように白いが、その動きはまるで夜を歩く影のように静かだった。
城の裏口にたどり着いた私は、外の冷たい空気を感じながら、脱出用の小さなドアに手をかけた。
「……もう、戻れない」
元の物語の白雪姫は、純粋で無垢な被害者だった。だが、この私は、運命に抗う、逃亡者だ。
私は小さなドアを開け、一歩、外の世界へと踏み出した。
背後で、衛兵隊長(狩人)が、私の部屋の扉を開ける音が聞こえた気がした。
(ごめんなさい、衛兵隊長さん。あなたの良心に期待するより、私のサバイバル能力に期待するわ!)
私は走り出した。目指すは、城の背後に広がる、深く暗い「恐怖の森」だ。
こうして、私は、白雪姫の物語における最も恐ろしい死亡フラグの一つ、「狩人に殺される」という運命を、自力で回避したのだった。だが、私の逃亡生活は、今、始まったばかりだった。
決死のフラグ回避!アーリャ姫、城を脱走し森へ
城の石畳から、森の湿った土を踏みしめる。
私は、フードを深く被り、ひたすらに走った。冷たい夜の空気が肺に染みる。振り返ることはできない。もし衛兵隊長に見つかれば、容赦なく城に連れ戻されるか、あるいはその場で任務を遂行されるかもしれない。
(これでいいのよ。これで、狩人フラグは回避した!衛兵隊長は、私がいないのを知って、きっとパニックになっているはずだわ。仕方なく、森で狩った鹿か猪の心臓でも持って帰って、ムスカ王妃を欺いてくれることを祈るしかない!)
私の読み通り、衛兵隊長は私の部屋が空っぽなのを見て、文字通り冷や汗をかいていたらしい。
「姫様……!なんということだ!王妃様の命令を前に、自ら城を…」
隊長は、私に慈悲をかけるつもりでいたようだ。しかし、王妃の命令を違えるわけにはいかない。
(姫様は、私の良心を知って、逃げてくださったのか?いや、まさか。とにかく、王妃様には『任務は完了した』と報告せねばならない。さもなければ、姫様への追求は永遠に続くだろう)
衛兵隊長は、私が逃げ込んだのとは反対方向の森へ向かい、一頭の若い猪を狩り、その心臓を木箱に入れて王妃に献上した。
ムスカ王妃は、木箱の中身を確認すると、満足げに笑った。
「ふふふ。これで、この世で一番美しいのは、私、ムスカ王妃よ!鏡よ、鏡!」
鏡は再び、ムスカを世界一美しいと宣言し、王妃は束の間の歓喜に浸った。私の「刺客フラグ」は、私の自力脱出と衛兵隊長の機転によって、完全に折られたのだった。
一方、森の奥深く。
私は、夜が明け、太陽が木々の隙間から差し込むのを確認して、ようやく足を止めた。
ここは、人の手がほとんど入っていない「恐怖の森」と呼ばれている場所だ。昼間でも薄暗く、背の高い木々が空を覆い尽くしている。
(さて、ここからが本当のサバイバルよ。白雪姫は七人のこびとに出会って助けられたけど、私は自力で生き残らなきゃならない)
私は、前世で見たサバイバル番組や、キャンプの知識を総動員した。
まず、安全な水場の確保。そして、食料。
「毒キノコと山菜の見分け方、動物の足跡……。ああ、前世でサバイバルゲームの知識だけは豊富だったのが唯一の救いだわ!」
私は、森の知識と野生の勘を頼りに、水場を見つけ、持ってきた小さな鍋で水を煮沸した。火をおこすには、ナイフと石を使った。
(王女の私が、まさかこんなことになろうとはね。でも、生きていれば、いつか必ずこの理不尽な運命を打ち破れるはず!)
最初の二日間は、過酷だった。
食料は、城から持ってきた硬いパンだけ。森の果物には毒があるかもしれない。私は、安全性を確信できるもの以外は口にしなかった。
しかし、三日目。私は、森の奥深く、苔むした岩場の中に、不自然に整備された小道を発見した。
(この道……誰かが住んでいる証拠だわ!)
私は警戒しながら、小道を進んだ。小道の先には、童話で読んだ通り、木で作られた、小さくて可愛らしい家が立っていた。
(七人のこびとの家よ!間違いない!)
私は、この家こそが、自分の次の潜伏先になる、と直感した。
「よし、こびとさんたち、ごめんなさい。一時的に居候させてもらうわ。もちろん、彼らが帰ってきたら、家事全般を完璧にこなして、感謝の気持ちを示すわよ!」
私は、童話の通り、勝手に家に上がり込むことを決めた。これが、物語の展開に乗る、唯一の安全な道だった。
家の中は、小さな家具が七つずつ並んでいた。散らかってはいるものの、生活の匂いがする。
私は、家の中を隅々まで掃除し、七つの小さなベッドを整え、持ってきたパンと、森で見つけた安全な木の実を分け、夕食の準備を始めた。
掃除を終え、夕暮れ時。私は、彼らが帰ってくるのを待っていた。
(こびとさんたち、早く帰ってきてくれないかな。これで、毒リンゴフラグまで、しばらくは安全に過ごせるはず……)
その時、家の外から、馬の蹄の音と、複数の人の声が聞こえてきた。
「隊長。本当にこの森の奥に、王妃が言っていた怪しい隠れ家があるのでしょうか?」
「ああ。ムスカ王妃は、森の奥深くに、秘密の猟師小屋があると言っていた。最近、王妃への献上物である珍しい毛皮が頻繁に運び込まれているらしい。その密猟者の小屋を探し出せ!」
(え?何よ、こびとさんたちじゃない!衛兵?それも、ムスカ王妃の手先!?)
私は慌てて、身を隠す場所を探した。この家に住んでいるのは、どうやらこびとではないらしい。
私が隠れたのは、大きな暖炉の裏の、物置スペースだった。
ドアが乱暴に開けられ、数人の騎士が土足で家に踏み込んできた。
「なんだこの家は?やけに小さい家具ばかりだな」
「しかも、掃除が行き届いているぞ。密猟者にしては几帳面すぎる」
騎士たちが、家の中を物色し始めた。私は息を殺して、彼らの会話に耳を澄ませた。
その時、騎士たちとは違う、一人の男性の声が聞こえてきた。
「どうやら、空き家のようですね。隊長、もう一つの情報源、隣国の王子がこの森を通る、という情報を確認しましょう。もしかしたら、その王子が、我々の王妃が探している『あの娘』を知っているかもしれません」
(隣国の王子?『あの娘』って、私のこと!?どうしてここで、隣国の王子が関わってくるのよ!)
私は動揺した。童話にはない展開だ。
騎士たちは諦めて、家を出て行ったが、その直後、一人の人物が、家の前に残った。
私は、暖炉の隙間から、その人物をそっと覗き見た。
彼は、豪華な装飾の乗馬服に身を包み、堂々とした立ち姿だった。光沢のある栗色の髪は風になびき、精悍な顔立ちには、まるで彫刻のように整った美しさがあった。童話で、白雪姫を救う「王子様」のイメージをそのまま具現化したような、完璧な「ハンサム」だった。
(あの人が、隣国の王子様……?)
彼が、衛兵たちとは別行動で、この家の前で立ち止まっているのはなぜだろうか。
ハンサム王子は、私が綺麗に掃除した家の中を、窓からじっと見つめていた。
そして、ふっと、優しく微笑んだ。
「これは、なんと健気で気高い娘の仕業だろうか」
(え?健気?単に居候するために、家事をしただけなんだけど?)
ハンサム王子は、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「私の運命の人はこの方以外にありえない。こんな森の奥で、不遇にもめげず、家を整える。なんと純粋な愛と勇気の象徴だ」
彼は、私の状況を、完全に誤解していた。
ハンサム王子は、窓辺にそっと、一輪の白いバラを置いた。
「必ず探し出す。私の愛しい、アーリャ姫」
そう言って、ハンサム王子は馬に乗り、森の奥へと走り去った。
(ちょっと待って!今の、私の名前を呼んだ?なんで私のことを知っているのよ?しかも、『愛しい』って、異常なほどの溺愛フラグじゃない!)
私は暖炉の裏から飛び出した。窓辺に置かれた白いバラを掴む。
フラグ回避に奔走していたはずの私は、気づけば、元の物語とは全く違う、新たな「溺愛」という名のフラグを、隣国のハンサム王子によって、強制的に立てられてしまったのだった。
「恋愛フラグなんて、今はどうでもいいのに!」
私は頭を抱え、七人のこびとではない、隣国のハンサム王子という、新たな運命の歯車が回り始めたのを感じた。
「七人」の正体と、過保護な共生生活
私は、暖炉の裏から飛び出し、窓辺に置かれた白いバラを握りしめた。
「恋愛フラグなんて、今はどうでもいいのに!」
私の死亡フラグ回避大作戦は、完全に予想外の方向へ舵を切ってしまった。隣国のハンサム王子――オーリオン王子(と勝手に名付けよう)――に、私が「健気で気高い娘」だと勘違いされたのだ。
私が必死で隠したかったのは「美貌」であり「存在」そのものなのに、王子は私の家事能力に惚れ込んだらしい。これほど理不尽な話があるだろうか。
(とにかく、この家に住んでいるのが「七人のこびと」じゃなくて、王妃の手先や密猟者でないことは確認できた。でも、衛兵が「猟師小屋」だと言っていたわ。本当の住人は誰なのよ!)
私が混乱していると、家の外から、大声とともに、七つの足音が近づいてきた。
「おい、今日の収穫は少なかったな!」
「文句言うな、ボル。明日はもっと奥へ行くぞ!」
ドアが開き、七人の男たちが、どやどやと家の中に入ってきた。彼らは「こびと」というには大柄で、年齢もバラバラだ。全員が森で働く粗野な格好をしているが、目が肥えている私から見ても、その肉体は鍛えられており、ただの木こりではないことがわかる。
男たちは、家の中を見て、一斉に固まった。
「な、なんだこれは……!」
家の中は、私が完璧に掃除したせいで、ピカピカに磨き上げられ、温かい木の実のスープの匂いが漂っている。そして、彼らが座るべき七つの椅子には、すべて布が敷かれていた。
「誰だ!侵入者か!」
一番大柄な男が、持っていた斧を構えた。
(まずい!ここで逃げたら、間違いなく追いかけられる!)
私は、逃げ出すよりも、この場を収める方が生存率が高いと判断し、堂々と姿を現した。私はすぐにフードを深く被り直し、顔に木炭を擦り付けて、地味な汚れを装った。
「あの……ごめんなさい!私は、旅の途中で道に迷った者です」
私は、精一杯、か弱く、しかし芯のある声を出した。
「勝手に家に上がり込み、勝手に掃除と夕食の準備をしてしまいました。どうか、お許しください!」
七人の男たちは、私の姿を見て、さらに困惑した。彼らの目には、フードを被り、顔が汚れているせいで、私の「美しさ」はほとんど認識されていないようだ。
「女……?こんな森の奥に?旅人だと?」
「待て。掃除と夕食?」
彼らは、私が準備したテーブルに近づき、スープの匂いを嗅いだ。
「う、美味そうじゃないか……」
「しかも、こんなに綺麗にされたのは、何年ぶりだ?」
大柄な男ボル(彼らがそう呼んでいた)が、私に向かって厳しく尋ねた。
「お前は何者だ。なぜ、こんなことをした?」
私は、用意していたストーリーを話した。
「私は、しがない村の娘です。故郷が、悪辣な領主のせいで滅び、逃げ出してきました。行くあてがなく、この家を見つけました。せめて、住居を使わせてもらう代わりに、感謝の気持ちを表そうと……」
ここで、私は少し涙を滲ませる演技を加えた。
「どうか、お願いです。追っ手から逃れる間、ほんの少しの間でいい。ここで働かせてください。私は、掃除も料理も、どんな家事でも完璧にこなします!迷惑はかけません!」
男たちは、顔を見合わせた。
「おい、こんな綺麗な飯を食えるなら、いいんじゃないか?」
「ああ、どうせ俺たちの飯はいつも焼いただけの肉だ。たまにはこういうのも悪くない」
ボルは、渋々といった表情で、斧を下ろした。
「いいだろう。だが、俺たちにはルールがある。『七兄弟』の秘密を絶対に外に漏らすな。俺たちは、森の奥で、世捨て人として静かに暮らしたいんだ」
「七兄弟?」
「ああ。俺たちがこの家の住人だ。ボル、ノーム、ゴルド、ダガー、ラスティ、スリーピー、そしてリーダーのグラントだ」
(七人いる!しかも、どこかこびとを彷彿とさせる名前!)
私は内心でガッツポーズをした。彼らが「七人のこびと」の代替役であることに間違いはない。これで、毒リンゴフラグまでの安全な潜伏場所を確保できたのだ。
「ありがとうございます、グラント様!私はアーリャと申します。今日から、皆様のために精一杯働かせていただきます!」
私は深々と頭を下げた。彼らが私を王女だと知るはずがない。私はただの「健気な村の娘」なのだから。
こうして、私の森でのサバイバル生活は、七人の男たちに囲まれた、奇妙な共同生活へと移行した。
毎日が忙しかったが、充実していた。
「アーリャ!今日のシチューは最高だ!こんな美味い飯は、親の胎内にいる時から食ってねえぞ!」
「ラスティ、言葉が下品だぞ。だが、本当に美味い。アーリャ、お前は天性の料理人だ!」
七兄弟は、私の作る料理や、行き届いた掃除に心底感動していた。彼らの素朴な褒め言葉は、ムスカ王妃への空虚な賛美よりも、ずっと私を癒やした。
(よし、この生活パターンでいけば、次のフラグは「毒リンゴ」まで来ない!この七兄弟の過保護っぷりが、きっと私の身を守ってくれる!)
しかし、この平穏な日々に、暗い影を落とす存在がいた。
それは、窓辺に置かれる「白いバラ」の数。
一日に一本。それが、毎日、欠かさず置かれていた。それは、隣国のオーリオン王子が、私がこの小屋にいると確信し、毎朝、私への愛の印として置いているものだった。
「おい、アーリャ。このバラ、どうしたんだ?誰かの贈り物か?」
「え?あ、これは、ただの野生のバラです。森の妖精が置いていったのかもしれません」
私は誤魔化したが、グラントは訝しげに私を見ていた。
(まずい。このままバラが増え続けたら、七兄弟に怪しまれる。そして、オーリオン王子も、この家から私が現れるのを、待ち伏せ始めるかもしれない!)
私は、七兄弟の目を盗んで、バラを全て暖炉で燃やした。
私のサバイバルは、今や「嫉妬深い継母からの逃亡」だけでなく、「熱烈で勘違いした王子からの逃亡」という、二つの難題を抱えることになったのだ。
過剰な勘違いと、迫る王子の捜索隊
七兄弟の家での生活は、表面的には平穏そのものだった。私は、ひたすら地味に、汚く、目立たないように振る舞うことに努めた。
(私の目標は『美しくないこと』!ムスカ王妃から見て、私が生きていることさえ問題なのに、さらに美しさに磨きがかかっているなんて思われたら、即座に毒リンゴが飛んでくるわ!)
私は顔に木炭を塗り、髪はボサボサのまま、常にフードを深く被った。七兄弟は、私の「不幸な境遇」を信じきっており、私を「純粋で健気な娘」だと過剰に保護してくれた。
「アーリャ。外には出るな。森には熊も出るし、何より、お前の追っ手が来るかもしれない」
「ありがとうございます、グラント様。私も、皆様の重荷にならないよう、家事に専念します」
私の完璧な家事のおかげで、七兄弟は私を「森の天使」と呼び、溺愛してくれた。
(これで、七人のこびとによる「一時的な安全確保」フラグは、完全に成立したわ。あとは、いかに王妃と、この勘違い王子から身を隠し通すか!)
しかし、オーリオン王子の行動は、私の予想を遥かに超えて過激だった。
ある日の夕方。七兄弟が仕事から帰ってきたとき、彼らは興奮気味に私に話した。
「アーリャ、今日の森はすごかったぞ!」
「見たか?あの騎士団の数!まるで戦争でも始まるかと思ったぜ!」
私は心臓が跳ね上がった。
「き、騎士団?何事があったのですか?」
「隣国の王子様の捜索隊らしい。あの、ハンサムな坊主だ」
ノームが、口の周りについたシチューを拭いながら言った。
「それがな。王子様、森のあちこちに、こんなものを貼り付けてるんだ」
ボルが取り出したのは、一枚の美しいポスターだった。そこには、私の顔ではない、しかし私の特徴を極端に美化し、夢見るような女性の肖像画が描かれていた。
そして、その下には、大々的にこう書かれていた。
「我が運命の淑女へ捧ぐ。清らかな心を持つ、森の奥深くで健気に働く、真の美の象徴を探しています。――オーリオン王子」
(ああああああ!勘違いが過剰すぎる!そして、このポスターのせいで、私の美貌が、ムスカ王妃の嫉妬心を刺激する『噂』として拡散されるじゃない!)
私はポスターを見て、卒倒しそうになった。
「この王妃様!自分の顔を『真の美の象徴』と自称するのは、やめてください!それは私の命を縮めるだけです!」
「どうした、アーリャ?顔色が悪いぞ。まさか、お前の故郷の領主の追っ手か?」
グラントは心配そうに言った。
「い、いえ。ただ、こんな大々的な捜索隊が出ていると知って、怖くなっただけです……。私のせいで、皆様にご迷惑をかけるわけには……」
「バカ言え!心配するな、アーリャ。俺たちがいる限り、誰もこの家には近づけないさ」
七兄弟は、私の「健気さ」と「無力さ」をさらに確信し、小屋への警備を厳重にした。
(彼らの過保護さはありがたいけど、オーリオン王子、本当にやめて!あんたが私を探せば探すほど、私の存在が王妃の耳に入る危険性が増すのよ!)
翌日、オーリオン王子は、ついに七兄弟の家の近くまでやってきた。
「この小屋の近くだと確信している!私は、この場所から立ち去る前に、彼女の清らかな姿を一目見たいのだ!」
王子と騎士たちの声が、森の中に響き渡る。私は、小屋の中で震えていた。
「アーリャ、隠れていろ!絶対に出てくるな!」
グラントは、私を物置スペースに押し込み、ドアを閉めた。
七兄弟は、王子たちに向かって、敵意をむき出しにした。
「ここは俺たちの狩猟区だ!立ち入り禁止だ!」
「何の用だ、王子様。静かに暮らしている俺たちを邪魔するな!」
オーリオン王子は、七兄弟の荒々しい態度に動じず、優雅に馬から降りた。
「あなた方が、この小屋の住人ですね。私は、あなた方の小屋で、清らかな心を持つ、一人の美しい女性が暮らしていると聞いています」
「あ?女なんかいねえよ!いるのは俺たち七人だけだ!」
「そうだ!女は足手まといだ!」
七兄弟は、私を守るために、必死で嘘をついた。
しかし、オーリオン王子は、彼らの言葉を完全に誤解していた。
「なんと……!あなた方は、彼女の清らかさを守るために、あえてその存在を否定しているのですね!素晴らしい友情だ!しかし、私の愛は本物です。どうか、彼女に、この贈り物だけでも!」
王子は、七兄弟に向かって、豪華絢爛なレースと宝石で飾られた、純白のドレスが入った大きな箱を差し出した。
「これを彼女に着てほしい。これこそ、私の愛の証であり、彼女の無垢な美しさに相応しいと信じている!」
(やめて!そのドレスは、私の「地味にして目立たない」作戦を完全に打ち砕く凶器よ!)
七兄弟は、高価なドレスを困惑しながら受け取った。オーリオン王子は満足げに微笑み、再び馬に乗って去って行った。
「王子様、本当に優しい方ですね。彼が探している女性は、きっと素敵な方でしょう」
私は、物置スペースの隙間から、その豪華すぎるドレスを眺めながら、全身の力が抜けるのを感じた。
「ち、違うのよ!あれは私への毒よ!私を殺すための、派手さという名の毒よ!」
私は、あのドレスを着たら、鏡の認識が私を「最も美しい」と確定し、ムスカ王妃の嫉妬の炎が、瞬く間に燃え上がることを知っていた。
(あのドレスは、絶対に着ちゃダメ!これは、私の美しさを再燃させる、危険な「美化フラグ」だわ!)
私は、七兄弟に悟られないよう、すぐにそのドレスを小屋の地下深くに隠した。オーリオン王子の過剰なまでの勘違いと溺愛は、私の「生存」にとって、新たな、そして最も厄介な脅威となっていたのだった。
鏡の再点火と、最初の毒物回避
オーリオン王子による過剰な捜索と、豪華なドレスの贈り物は、私の平穏な生活を根底から揺るがした。私はドレスを隠した後も、不安でいっぱいだった。
(私の目標は『美しくないこと』!ムスカ王妃から見て、私が生きていることさえ問題なのに、さらに美しさに磨きがかかっているなんて思われたら、即座に毒リンゴが飛んでくるわ!)
私は、七兄弟の家で、ひどい予感に苛まれていた。
そして、その予感は的中する。
数日後。私が一人で留守番をしていると、小屋のドアがノックされた。
「ごめんください。この辺りで、行商をしている者ですが……」
私は、フードと煤で汚れた顔をそのままに、ドアを少しだけ開けた。
そこに立っていたのは、見慣れない、しわだらけの老婆だった。その老婆の顔は、あまりにも醜く、不気味な笑みを浮かべている。
(来た!毒殺イベントのトリガー役!)
私は、心の中で警報を鳴らした。この老婆こそ、ムスカ王妃が変装した姿に違いない。童話では、老婆に変装して毒リンゴを売りに来るのだ。
「どなたかのお連れ様でしょうか?」
「おや、かわいそうに。こんなに地味で貧しい身なり。森の木こりたちに酷使されているようだね」
老婆は、私の地味な姿を見て、内心で安堵したことだろう。しかし、その地味さこそ、私が必死で守っている命綱なのだ。
「私は、旅の行商人です。あなたのような可哀想な娘に、特別に良いものを分けてあげましょう」
老婆が取り出したのは、美しい象牙と宝石で飾られた、櫛だった。
「この櫛で髪を梳かせば、あなたの美しさは、たちまち蘇るでしょう。さあ、遠慮せずに、試しにご覧なさい」
(毒櫛フラグ!毒リンゴの前に来る、古典的な刺客アイテムの一つよ!)
私はすぐに察した。この櫛には、触れるだけで意識を失い、死に至るほどの強力な毒が仕込まれているに違いない。
私は、笑顔を崩さずに、老婆の申し出を断った。
「ありがとうございます、おばあ様。ですが、私は、この煤だらけの髪を梳かすことなど、恐れ多いです。この櫛は、おばあ様のような美しい方にこそ相応しい。私にはもったいなくて、使えません」
私は、老婆の手から櫛を受け取らず、深々と頭を下げた。
「それよりも、おばあ様。少し休んでいかれませんか?今、温かい木の実のスープができていますよ」
私の予期せぬ行動に、老婆(王妃)は戸惑った。
(な、なぜだ。この娘は、美しくなる道具に飛びつくはずなのに!なぜこの地味な娘が、私を褒める?)
「い、いいえ。結構です。さあ、早くこの櫛を試すがいい!」
王妃は焦り、私に櫛を押し付けようとした。
その時、家の奥から、グラントの重々しい声が響いた。
「アーリャ!誰だ!誰を家に上げている!」
グラントが、森での仕事を終えて、予期せぬタイミングで帰ってきたのだ。
(助かった!)
老婆は、グラントの巨大な体躯を見て、明らかに怯えた。七兄弟に正体を知られるわけにはいかない。
「こ、これは失礼。私は通りすがりの行商人です。また、いつか……」
老婆は慌てて櫛を懐にしまい、逃げるように森の中へと消えていった。
「危ないぞ、アーリャ!知らない人間を簡単に家に入れるなと言っただろう!」
グラントは私を叱ったが、私は心の中で安堵のため息をついていた。
「ごめんなさい、グラント様。でも、あの人が、あまりにも可哀想に見えて……」
私は、一つ目の毒物フラグを、自分の警戒心と、七兄弟の存在という最強の盾によって、無事に回避したのだった。しかし、私は知っている。王妃の嫉妬は、一度では終わらないのだ。次は、きっと毒リンゴが来る。そして、それは、私の「死」を決定づける、最大のフラグになるだろう。
城での出来事
一方、城では。ムスカ王妃は、私が死んだと信じ、束の間の安寧を得ていた。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのはだーれ?」
「それはもちろん、ムスカ王妃様、あなた様でございます」
王妃は、毎日その答えを聞き、歓喜していた。しかし、その歓喜は長く続かなかった。
隣国のオーリオン王子による「真の美の象徴」を求める大々的な捜索は、ついには王城の耳にも入る、無視できない噂となっていた。人々は、その「健気で清らかな娘」の存在を、口々に噂し始めたのだ。
「聞いたか?隣国の王子様が探している娘は、この世の誰よりも純粋で美しいらしいぞ」
「名前も知らないのに、王子様は愛のポエムまで作っているそうだ」
この噂が、魔法の鏡の判断を狂わせ始めた。
ある朝、ムスカ王妃がいつもの質問をすると、鏡は重々しい声で答えた。
「ムスカ王妃様、あなた様は誠に美しゅうございます」
そこで言葉が止まる。王妃は苛立った。
「続きを言いなさい!私こそが一番美しいのでしょう!?」
「しかし……今、この世界で最も『愛』と『憧憬』を集めている女性は、森の奥深くにおります。隣国のオーリオン王子が、全精力を懸けて捜索している、その『清らかなる淑女』こそが、美しさの象徴となりつつあります」
(なんですって!?)
ムスカ王妃は、激怒した。嫉妬の炎が、彼女の冷静さを焼き尽くした。
「アーリャは死んだはず!衛兵隊長が心臓を献上したではないか!」
王妃は、すぐに衛兵隊長を呼びつけたが、彼は「確かに猪の心臓を献上しました。姫は森に逃げ込み、獣に喰われたものと……」と、必死に言い訳をするしかなかった。
「嘘よ!私のアーリャが生きている!あの娘の存在が、私の美を再び脅かしている!衛兵隊長、今すぐ森へ戻り、あの小屋を探し出し、あの娘を完全に始末しなさい!」
ムスカ王妃の怒りは、前回とは比べ物にならないほど激しかった。
(いよいよ来たわ。本格的な毒殺フラグよ!)
毒リンゴの計略と、最大の誤算
毒櫛での失敗から数日後、森には冷たい雨が降っていた。私は不安で胸が締め付けられそうだった。
(次は、間違いなく「毒リンゴ」よ。櫛は失敗したから、次は最も確実な手段で来るはず。警戒心を緩めたら終わりだわ)
七兄弟は雨の中、狩りに出かけていた。グラントから「絶対に誰にも扉を開けるな」と厳命されていたが、私の警戒心は最高潮に達していた。
その時、小屋のドアがノックされた。
「ごめんよ、そこのお嬢さん。森で道に迷ったおばあさんなんだ。あまりに寒くて、水を一口、分けてもらえないかね?」
外に立っていたのは、前回とは違う老婆だった。前回が薄汚れた行商人なら、今回は親切そうな村の老婆の風貌だ。顔の皺は深く、いかにも人の良さそうな、優しい目をしていた。
(このパターンも知っているわ。二度目は、より巧妙な偽装で来る!騙されない!)
私は、ドアを閉じたまま、警戒して応じた。
「おばあ様。申し訳ございません。この家は主人の留守中で、私の一存ではお助けできません。お急ぎであれば、すぐに森を抜けて、麓の村へ向かわれた方がよろしいかと」
「まあ、冷たいねぇ。たった一杯の水で、命が助かるかもしれないのに」
老婆は、か細い声で私を責めた。その声には、前回のような焦りはなく、純粋な哀願が滲んでいる。
(うまいわね、ムスカ王妃。同情を誘うとは!)
しかし、私は情に流されるわけにはいかない。私の命がかかっているのだ。
「お気持ちは分かりますが、お引き取りください」
私が固辞すると、老婆は悲しそうにため息をつき、そして、懐から真っ赤なリンゴを取り出した。
そのリンゴは、まるで生きているかのように艶やかに輝いていた。半分は鮮やかな赤、もう半分は妖しいほどの深い毒の色を秘めているように見えた。
「そうかい。それじゃあ、このリンゴを一つ、お土産に置いていこう。これを食べれば、どんな疲れも吹き飛ぶよ」
「い、いりません!」
私が強く拒絶すると、老婆は微笑み、最も恐ろしい手を打ってきた。
「そんなに疑り深い子だねぇ。まあ、無理もない。行商人には悪いのもいるからね。でも、これは見てごらん」
老婆は持っていたナイフで、リンゴを綺麗に二つに切った。
「片方は毒だと疑うのだろう?だったら、おばあさんが毒のない方を食べるよ。さあ」
老婆は、毒がないと見せかけた、鮮やかな赤い半分のリンゴを、躊躇なく一口食べた。
「ほら、見てごらん。美味しいよ。おばあさんは元気いっぱいだ」
(え……?食べた?まさか、この王妃の変装は、毒が効かない体になっているの?それとも、毒が効かないのは私の方の半分だけ……?)
私は混乱した。童話の知識では、王妃が食べる側は「毒のない方」だった。つまり、私が受け取る残りの半分は、確実に「毒」だ。
「さあ、お嬢ちゃんも。この地味で、苦労している君に、少しでも元気を出してもらいたいんだ。この毒のない半分を、おばあさんからのお恵みとして受け取りなさい」
老婆は、私に毒入りの半分のリンゴを差し出した。
私は、知っていた。このリンゴを食べれば、私は死ぬ。
しかし、なぜか、体が動かない。王妃の演技は完璧だった。目の前で、老婆が「毒のない方」を食べてみせたという事実が、私の理性を麻痺させた。
(いや、ダメよ!これは罠だわ!でも……もし、この老婆が本当にただの村人だったら?私が彼女の善意を拒絶し続けて、彼女が本当に森で倒れてしまったら……)
「衛兵隊長」の心臓偽装といい、「誉め殺し」作戦の失敗といい、この世界は童話のロジックだけでは動かない。私は、目の前の哀願を拒絶し続けることに、罪悪感を覚え始めていた。
そして、私の生存本能が、一瞬、麻痺した。
「……わかりました。おばあ様」
私は、意を決して、老婆の手からリンゴを受け取った。
「ありがとうね、心優しいお嬢ちゃん」
老婆は満足げな、そしてどこか歪んだ笑みを浮かべた。
私は、毒リンゴを、最も小さい、端の部分を一口だけ、かじった。
その瞬間、世界はねじ曲がった。
口の中に広がったのは、甘い蜜ではなく、全身の細胞を焼き尽くすかのような、強烈な痺れと苦痛。
「ぐっ……!」
私は、意識を保てなかった。
小屋の冷たい床に、私は、毒リンゴの残骸とともに、力なく崩れ落ちた。
老婆は、変装が剥がれ、ムスカ王妃の冷酷な素顔に戻った。
「ふふふ……!ついに、やったわ!鏡よ、鏡!今度こそ、この世で一番美しいのは、この私、ムスカ王妃よ!」
王妃は高笑いし、嵐の中、森の奥へと走り去った。
私は、最速で死亡フラグを回避し続けてきたにも関わらず、最大の古典的フラグである「毒リンゴ」によって、その命を絶たれてしまったのだった。
(くそ……!わかってたのに……!人の善意を装うトリックに……まさか、私が……!)
私の意識は、暗闇の底へと沈んでいった。
七兄弟の慟哭と、狩人の追跡者
森の冷たい雨は、容赦なく降り続いていた。
七兄弟が小屋に戻ってきた時、彼らは信じられない光景を目にした。
アーリャが、暖炉の前で冷たくなっていた。その傍らには、一口かじられた真っ赤なリンゴが転がっている。
「アーリャ!おい、しっかりしろ!アーリャ!」
グラントは、彼女の体を抱き上げ、必死に呼びかけるが、アーリャは反応しない。肌は雪のように白く、すでに血の気は失われていた。
「毒だ……!誰かが、アーリャを……!」
ノームが転がったリンゴを見て、絶叫した。他の兄弟たちも、怒りと悲しみで顔を歪ませた。彼らの「森の天使」が、誰かの悪意によって奪われたのだ。
ボルが、地面に残された足跡と、乱暴に閉められたドアの様子から、侵入者がいたことを確認した。
「逃げたぞ!犯人は遠くへは行ってない!追いかけるぞ、グラント!」
「待て」
グラントは静かに言った。その声は、かつてないほど重く、深い悲しみを秘めていた。
「犯人は、遠くへは逃げない。この毒物を持ち込むことができるのは、一人しかいない」
七兄弟は、全員がムスカ王妃の嫉妬を知っていたわけではない。しかし、グラントは、アーリャが常に城からの追っ手に怯えていたことを知っていた。
「くそっ……!なぜだ!なぜ、あんなに地味で、純粋な娘を狙うんだ!」
彼らは、王女としてのアーリャではなく、ただの「健気な村の娘」としてのアーリャを愛していた。その純粋さが、あまりにも理不尽な理由で消されたことに、七兄弟は慟哭した。
「俺たちの天使を、こんな森の土の中には埋められない」
グラントは、アーリャを抱きかかえたまま、決意を固めた。
「彼女の美しさは、永遠に光の下にあるべきだ。俺たちが、彼女のための棺を作る」
彼らは、持てる限りの最高の技術で、巨大なクリスタルのようなガラスを加工し、アーリャのために透明な棺を作った。彼女の遺体を安置し、その棺を小屋の中央に置いた。アーリャは、まるで眠っているかのように、その中に横たわっていた。
(この棺こそが、オーリオン王子に見つけられるための「サイン」になる!このフラグは、絶対に必要だ!)
私が生前考えていた通り、七兄弟は、童話の通り「ガラスの棺」フラグを立ててしまった。
その夜遅く。嵐が収まりかけた頃。
小屋の外から、馬の蹄の音と、鎧の音が近づいてきた。
衛兵隊長、すなわち狩人だ。ムスカ王妃の命令を受け、アーリャを「完全に始末する」ためにやって来たのだ。
衛兵隊長は、小屋のドアを開け、中の光景を見て、愕然とした。
七人の荒くれ者たちが、ガラスの棺を囲み、悲しみに打ちひしがれている。そして、棺の中には、雪のように白い、比類なき美しさを持つ女性が横たわっていた。
「あ、アーリャ姫……!まさか、本当に……」
「貴様か!」
グラントは、衛兵隊長を見るなり、怒りを爆発させた。
「貴様は、あの悪女の刺客だろう!前の毒櫛の行商人も、そしてこの毒リンゴも、貴様の仕業か!」
衛兵隊長は、すぐに状況を理解した。王妃は、自分ではなく、変装して直接姫を殺害したのだ。そして、自分は、その死を確実にするための「追跡者」として送り込まれた。
「待ってください!私は……私は王妃の命令でここへ来ましたが、私が姫様を殺めたわけでは!」
「黙れ!鎧を着た犬め!お前たちの主人は、この世で最も尊い命を奪ったのだ!」
七兄弟は、一斉に斧やナイフを構え、衛兵隊長に襲いかかった。衛兵隊長は剣の達人だったが、七人同時に襲いかかってくる荒々しい攻撃を捌ききれない。
「私は姫様を追放した時、良心で助けようとした!信じてください!」
衛兵隊長は、叫んだが、七兄弟の怒りの前では、その言葉は届かない。激しい戦闘の末、衛兵隊長は深手を負い、撤退を余儀なくされた。彼は、姫の遺体を見ることも、王妃に報告することもできず、ただ森の中へと消えていった。
七兄弟は、小屋の周りの警備を、さらに厳重にした。
「もう二度と、誰もアーリャに近づけさせない!この棺こそ、俺たちの誇りだ!」
彼らは、アーリャの棺を、夜通し守り続けた。
王子のキスと、運命の誤作動
嵐が去り、森に光が差し込み始めた頃。オーリオン王子は、疲弊しきった騎士団を率いて、七兄弟の小屋にたどり着いた。
彼は、毎日欠かさずバラを置いていた場所だ。こここそが、自分の「運命の淑女」がいる場所だと確信していた。
しかし、小屋の窓から見えた光景は、オーリオン王子の想像を絶するものだった。
七人の男たちに囲まれた、荘厳なガラスの棺。そしてその中に眠る、雪のように白い、非の打ち所のない女性。
「……ああ、神よ」
オーリオン王子は、言葉を失った。
「私が探し求めた『清らかなる淑女』!こんなにも純粋で、美しい方が、なぜ……」
王子は、七兄弟に向かって、敬意をもって近づいた。
「あなた方こそ、彼女の純粋さを守り続けていた守護者たちですね。私は隣国のオーリオンです。どうか、この愛しい方の棺を、私に近づけさせてはもらえないでしょうか」
七兄弟は、最初は警戒したが、オーリオン王子が、かつて彼らに豪華なドレスを贈った、あの熱烈な求婚者だと気づいた。彼らは、この王子がアーリャを愛していたことを理解し、渋々ながらも、棺に近づくことを許可した。
「王子様。彼女は、毒によって眠らされました。悪意ある者に……」
グラントが、声を詰まらせながら説明した。
オーリオン王子は、ガラスの棺に手を当て、涙を流した。
「なんと悲劇的な運命だ。しかし、これほど無垢な魂を、神が見捨てるはずがない」
王子は、棺の蓋を開けさせ、アーリャの冷たい手にキスをした。
「愛しい淑女よ。あなたの純粋さは、私の心を焼き尽くします。どうか、私のこの愛の証を受け取ってください」
そして、彼は、アーリャの唇に、そっと、キスを落とした。
(来た!王子様のキスフラグ!さあ、目を覚ますのよ、私!)
アーリャの意識は、毒によって深い闇に沈んでいたが、キスの瞬間、微かな感覚が蘇った。しかし、童話のように、奇跡的に目覚めることはなかった。
王子は悲しみに耐えながら、アーリャの体を抱き上げ、棺から外に出そうとした。
「私が、この方を故国へ連れ帰り、弔います。そして、私の一生の間に、彼女を殺めた悪意ある者を必ず見つけ出し、償わせます」
王子がアーリャの体を抱きかかえて歩き出した、その時だった。
七兄弟が、棺を抱きかかえる王子を援護しようと、彼の馬の側まで誘導しようとした。その際に、アーリャの体が大きく揺さぶられた。
ゴトッ!
アーリャの喉の奥から、何かが詰まっていたような感覚とともに、硬いものが飛び出した。それは、一口かじられた、毒リンゴの破片だった。
そして、その瞬間、アーリャの全身に、再び熱が戻ってきた。
「んんっ……!」
アーリャは、ゆっくりと目を開けた。
「目が……覚めた……!?」
七兄弟は、歓喜のあまり、大声を上げた。オーリオン王子は、抱きかかえた腕の中で彼女が目覚めたことに、感極まった。
「ああ、神よ!私の愛が、この奇跡を起こした!私の愛しい淑女よ!」
王子は、アーリャを抱きしめ、喜びのキスを再びしようとした。
その時、アーリャは、完全に意識を取り戻した。目の前にいるのは、勝手に自分を「運命の人」と決めつけ、豪華なドレスを送りつけ、そして、今、勝手にキスまでしてきた、隣国のハンサム王子だ。
「……何、してるの、この人」
アーリャは、毒の苦しみと、死の淵から蘇った怒りを、すべてこの王子に向けた。
「ちょっと待ちなさい、オーリオン王子!勝手に人を抱きしめて、勝手にキスするなんて、セクハラよ!そして何より、私のサバイバル計画をメチャクチャにしないで!」
アーリャの口から飛び出たのは、童話のような感謝の言葉ではなく、現代的な「セクハラ」という、誰も予想しなかった言葉だった。
オーリオン王子と七兄弟は、全員、あまりの衝撃に、時が止まったかのように固まった。
(あ……言っちゃった!)
毒から目覚めたアーリャの意識は、すでに「物語の枠」から完全に外れていた。こうして、アーリャの運命は、「王子様の愛のキス」という古典的な結末を、最悪の形で裏切る方向に進み始めたのだった。
セクハラ発言の波紋と、王子の新たな勘違い
毒リンゴの破片を吐き出し、死の淵から生還したアーリャは、目の前にいるオーリオン王子に、反射的に現代の言葉を浴びせてしまった。
「ちょっと待ちなさい、オーリオン王子!勝手に人を抱きしめて、勝手にキスするなんて、セクハラよ!そして何より、私のサバイバル計画をメチャクチャにしないで!」
小屋の中は、静寂に包まれた。七兄弟は目を丸くし、オーリオン王子は、抱きかかえたままのアーリャを、まるで世界で最も理解できない謎を見るかのように見つめていた。
「せく……はら?しぇくはらとは、なんですか、愛しい淑女よ」
王子は、真剣な顔で尋ねた。その顔には、怒りや戸惑いよりも、ただ純粋な「理解したい」という感情が浮かんでいた。
(しまった!中世ヨーロッパっぽい世界観で、変な横文字を口走ってしまった!)
アーリャはすぐに頭を切り替えた。
「その言葉は、私の故郷の方言です!意味は、『心を許していない相手に、乱暴な振る舞いをすること』です!」
アーリャは、王子の胸から身を離し、床に降り立った。体にはまだ毒の影響が残っているが、目覚めたことで、体中の力が戻ってきたのを感じた。
「オーリオン王子。あなたは私のことを知らないはず。それなのに、ポスターを作り、豪華なドレスを送りつけ、そして今、私が意識を失っている間に、同意もなくキスをする。これは、私の心を著しく乱す、乱暴な行為でございます!」
王子は、顔を赤らめた後、ハッとした表情になった。そして、膝をつき、アーリャの手を握った。
「ああ、愛しい淑女よ!私はなんと愚かだったのでしょう!あなたは、清らかさゆえに、私の愛が『乱暴』に感じられたのですね!しかし、その抗議の言葉こそが、あなたの純粋さの証!」
(なんでそうなるのよ!)
アーリャは、王子のポジティブすぎる解釈に、頭を抱えたくなった。
グラントが、口を挟んだ。
「王子様。アーリャは、あの悪辣な王妃から命を狙われています。今は、愛の言葉よりも、彼女の安全が第一です」
「その通りです!」アーリャはグラントの言葉に同意し、王子に迫った。「王妃は私が死んだと思って、次にどんな手を打ってくるかわかりません。私は、この城にも、あなたの国にも戻りません!私は自由でなければ、また殺される!」
「自由、ですって?」
王子は立ち上がり、アーリャを熱い眼差しで見つめた。
「あなたこそ、この世で最も自由な愛の象徴だ!わかりました、アーリャ。あなたが城へ戻ることを拒否するなら、私はあなたを無理には連れ戻しません」
(よし、話が通じた!)
アーリャは安堵したが、王子の次の言葉で、再び絶望した。
「しかし、私の愛の炎は、あなたを一人にはさせません。もしあなたが私の国へ来ないなら、私が、あなたのいる場所に、私の国を創りましょう!」
(いや、勝手に国を創らないで!)
「愛しい淑女よ。あなたの命は、私の命より重い。どうか、私の隣国が持つ、最も安全な『隠し砦』で、私の愛に守られて過ごしてください。それが、あなたへの最大の贖罪です!」
王子は、アーリャの意向を「城の理不尽な束縛からの解放」と誤解し、今度は「愛と安全を提供する騎士」としての役割を、勝手に自分に課したのだった。
アーリャは、思わずため息をついた。
(王子の溺愛フラグが、本格的な「過保護フラグ」へと進化してしまったわ。でも、ムスカ王妃の追っ手から逃れるには、彼の力と、彼の国の安全な場所が必要……)
アーリャは、渋々ながらも、王子の提案を受け入れるしかないと悟った。
「……わかりました。あなたの『隠し砦』とやらに、案内してください。ただし、私に勝手に触れないこと!そして、私が『美しくない』ことを尊重すること!それが条件です!」
「承知しました、愛しいアーリャ!あなたの清らかな魂を守り抜くことを、ここに誓います!」
オーリオン王子は、熱烈なキスを、アーリャの手の甲に落とそうとしたが、アーリャが素早く手を引っ込めたため、王子は自分の手の甲にキスをする羽目になった。
こうして、アーリャの「逃亡生活」は、オーリオン王子と七兄弟という、二重の過保護に囲まれた、新たな旅へと移行することになったのだった。
ムスカ王妃の狂気と、隣国への旅立ち
アーリャが毒リンゴを吐き出し、生還したという事実は、誰にも知られていない。しかし、ムスカ王妃の城では、魔法の鏡が、アーリャの生存を告げる。
ムスカ王妃は、アーリャの死を確信し、朝からご満悦で鏡の前に立っていた。
「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのはだーれ?」
王妃の顔には、この上ない自信が満ち溢れていた。今度こそ、鏡は自分の名前を永遠に告げるはずだ。
鏡は、重々しい声で答えた。
「ムスカ王妃様、あなた様は誠に美しゅうございます」
そこで、鏡は一拍おいた。王妃の顔から、笑みが消えた。
「しかしながら、この世で一番美しいのは、もはやあなた様ではございません」
「な……なんですって!」
王妃は、鏡を叩き割る勢いで、鏡に顔を近づけた。
「嘘を言うな!アーリャは死んだ!この私が、毒を盛ったのだ!」
「姫様は、死の淵から生還されました。運命の歯車が、毒を吐き出させたのです。今、姫様は、隣国のオーリオン王子の庇護の下、新たな旅路についております」
「オーリオン王子……!」
王妃は、隣国の王子の名を初めて口にした。その名には、嫉妬と、そして言いようのない恐怖が入り混じっていた。
「あの娘は、私を、この国の美の頂点から引きずり下ろす災厄だ!なぜ死なない!なぜ、運命はあの娘を助ける!」
王妃の怒りは、単なる嫉妬を超え、狂気に近いものになっていた。彼女は、鏡の前で崩れ落ち、そして、ゆっくりと顔を上げた。
「衛兵隊長を呼べ!今度は、毒や刺客ではない……!この私自身が、この国の魔女としての本領を発揮する番だ。アーリャを、二度と目覚めさせない、永遠の呪いをかけてやる!」
ムスカ王妃は、自らの魔術を駆使し、アーリャを追う、より強力で残忍な計画を練り始めた。
一方、アーリャとオーリオン王子、そして七兄弟の一行は、隣国領内の「隠し砦」を目指して、旅を始めていた。
アーリャは、オーリオン王子の隣国の衛兵が用意した、簡素な馬車に乗っていた。豪華なドレスは拒否し、以前と同じく地味な布を身に纏い、顔にも煤をつけている。
七兄弟は、全員がアーリャの護衛として同行していた。
「アーリャ!何か食べたいものはあるか?この森は、珍しい木の実が豊富だ!」
「ラスティ様、ありがとうございます。でも、今は緊張で食欲がありません。それより、衛兵の目が届かない場所がないか、確認してください」
グラントは、馬車の窓の外から、アーリャに声をかけた。
「安心しろ、アーリャ。この俺たちが、悪意ある者からお前を守る。俺たちの命に代えてもな!」
七兄弟の過保護は、城での生活から解放されたアーリャにとって、時に重荷だったが、今の彼女の命綱でもあった。
そして、最大の過保護は、オーリオン王子だった。
オーリオン王子は、馬車の隣を、愛馬に乗って常に並走していた。そして、四六時中、アーリャに愛の言葉を囁く。
「愛しい淑女よ。あなたが、私に『乱暴な振る舞いはするな』と命じたあの言葉。あれは、私の愛を試す、清らかなる試練なのですね!私は、あなたのその試練に、全身全霊で耐え抜きます!」
「王子!試練なんかじゃないです!普通にやめてください!」
「ああ!なんと可愛らしい抗議の言葉!その言葉さえ、私の心に愛の炎を注ぎ込む!」
アーリャは、王子の過剰なまでの勘違いと溺愛に、心底疲れていた。
(私は、美しさを隠したいのに、この王子は私の存在そのものを、隣国中に広めようとしている。ムスカ王妃に知られるのは時間の問題だわ!)
アーリャの予感は正しかった。
オーリオン王子が、道中にある隣国の小さな村に立ち寄った際、彼は、アーリャの「清らかさ」を讃える詩を、村人に配り始めた。
「聞いてください、我が愛しい民よ!この世に、真の美しさを持つ淑女が現れました!彼女は、森の奥深くで、健気に暮らし……」
(やめて!その詩が、ムスカ王妃の追っ手の道しるべになるわ!)
アーリャの絶叫も空しく、オーリオン王子の溺愛は止まらない。
旅路は、ムスカ王妃の魔の手から逃れるためのものだったはずが、オーリオン王子の愛の熱狂から逃れるための、新たな苦難の道となっていた。
影の追跡者と、アーリャの逆転策
アーリャ、オーリオン王子、そして七兄弟の一行は、隣国領内の山岳地帯へと入っていた。目的地である「隠し砦」まで、あとわずかの距離だ。
しかし、ムスカ王妃の魔の手は、すでに彼らに迫っていた。
王妃は、アーリャの生存を知り、衛兵隊長に代わる、プロの暗殺者チームを雇い入れていた。彼らは、王子の撒き散らした「愛の詩」と、七兄弟の足跡を頼りに、一行を追跡していた。
七兄弟の一人、ゴルドが、道の脇に、不自然に折れた小枝と、かすかな匂いを感じ取った。
「グラント!待て!追手がいる。獣ではない。人間の足跡だ」
グラントはすぐに馬車を止めた。
「衛兵隊長か?」
「いや、違う。この匂いは、あの王妃の城の香水じゃない。もっと、鉄臭い……プロの匂いだ」
オーリオン王子は、武装した騎士たちに、すぐに防御陣を敷くよう指示を出した。
「愛しいアーリャ!恐れることはありません!このオーリオンが、あなたを、いかなる邪悪な手からもお守りします!」
王子は剣を抜き、アーリャの馬車の前に躍り出た。彼の顔は真剣そのものだが、アーリャには、どこかヒーロー気取りに見えた。
(来たわ。プロの暗殺者フラグ!ここで王子と七兄弟に全てを任せていては、無駄な犠牲が出る!)
アーリャは、馬車から静かに降りた。顔の煤を、さらに濃く塗りつける。
「皆さん、落ち着いてください。私も、戦います!」
「何を言っているんだ、アーリャ!君は下がっていろ!」ボルが叫んだ。
その時、森の木々の陰から、黒い装束を纏った五人の暗殺者が姿を現した。彼らの手に持つ剣は、月の光を浴びて、妖しい輝きを放っている。
「目標を確認。アーリャ姫。ムスカ王妃の命令により、永久なる眠りにつかせる」
暗殺者たちは、一切の会話もなく、一気に王子と七兄弟の護衛陣に襲いかかった。
オーリオン王子は勇猛果敢に戦ったが、プロの暗殺者チームの連携は完璧だった。王子の一行は、すぐに劣勢に立たされた。七兄弟も奮闘するが、相手の動きは俊敏すぎる。
(このままじゃ、全滅よ!王子も七兄弟も、みんな死んでしまう!)
アーリャは、必死に頭を回転させた。前世の知識を活かすしかない。
「グラント様!ラスティ様!右の暗殺者の足元に、石を投げてください!泥の場所を狙うのよ!」
「は?何を言ってるんだ!」
アーリャの指示は突拍子もなかったが、グラントは彼女の生存本能を信じ、言われた通りに、泥の溜まった地面に大きな石を投げつけた。
暗殺者は、俊敏な動きで石を避けようとしたが、泥によってバランスを崩した。その一瞬の隙を突き、ボルが渾身の一撃を暗殺者の脇腹に叩き込んだ。
「王子!あなたが今、戦っている暗殺者!彼の動きは、あなたへの『嫉妬』から来るものよ!あなたは、彼が憧れていた女性を奪った!彼の動きは、感情に支配されている!」
「なに……!?」
オーリオン王子は、アーリャの的外れのような、しかしどこか鋭い言葉に驚いた。彼は、アーリャが何を言っているのか理解できなかったが、「愛しい淑女の言葉」だと信じ、その暗殺者に対し、あえて感情的な言葉を投げかけた。
「貴様のような卑しい者に、彼女の清らかな愛は理解できない!」
この言葉は、暗殺者を逆上させた。怒りで動きが鈍った瞬間、王子は暗殺者の剣を弾き飛ばし、組み伏せた。
(よし!私が指示を出して、彼らが動くなら、この戦いは逆転できる!)
アーリャは、戦いの流れを読み、適切な場所へ適切な指示を出し続けた。それは、戦術というよりも、状況判断と心理戦だった。
「ノーム様!馬車の幌を切り裂き、暗殺者の視界を遮って!彼らは視覚に頼りすぎている!」
「スリーピー様!木の枝の上から、暗殺者に泥をかけなさい!視界を奪うのよ!」
アーリャの指示は、一見すると無茶苦茶だったが、暗殺者たちのプロの動きを、最も原始的な方法で妨害し続けた。
そして、ついに暗殺者チームは撤退した。彼らは、こんな素人集団に敗北したことが信じられない、という表情を浮かべながら、森の奥へと消えていった。
オーリオン王子と七兄弟は、全員が血と泥にまみれていたが、誰も重傷を負うことはなかった。
「アーリャ!なんという、驚くべき戦術だ!」
オーリオン王子は、興奮してアーリャの手を握った。
「まさか、あなたが『愛の心理戦』で暗殺者を打ち破るなんて!やはりあなたは、私にとって、最高のパートナーだ!」
(愛の心理戦じゃなくて、ただのサバイバル戦術よ!)
アーリャは、毒から生還したことで、自分の命だけでなく、周りの人々の命まで守るという、新たな「主人公」としての役割を、自ら背負ってしまったのだった。彼女の過酷な逃亡生活は、今、命がけの戦場へと変わろうとしていた。
隠し砦への到着と、最後の美の呪い
暗殺者チームを撃退してから数日後、アーリャ一行はついに隣国の山岳地帯に隠された「隠し砦」に到着した。
この砦は、隣国の王族が非常時に避難するために作られた、文字通り鉄壁の要塞だった。城壁は高く、周囲は深い谷に囲まれており、侵入は不可能に近い。
「ご覧なさい、愛しいアーリャ!ここなら、いかなる悪意もあなたには届きません!」
オーリオン王子は誇らしげに胸を張った。彼の手には、アーリャの「清らかな抗議」を書き記した詩集が握られている。
(ようやくたどり着いた……!これで、ムスカ王妃の物理的な攻撃は一旦回避できるはず。ここなら、毒を塗った櫛もリンゴも、プロの暗殺者も入れない)
七兄弟は、疲労困憊していたが、アーリャの安全に安堵し、砦の警備配置についた。彼らは、アーリャの指示が的確だったことを理解し、彼女を「我らが戦術家」として全面的に信頼するようになっていた。
アーリャは、砦の中で与えられた個室に入り、顔の煤を洗い落とした。
「これで、しばらくは安全ね……」
彼女は、素顔がムスカ王妃の鏡に映ることを避けるため、煤を薄く塗るだけに留めた。
その夜。
砦の警備は完璧で、王子と七兄弟が交代でアーリャの部屋の前を見張っていた。しかし、ムスカ王妃は、もはや人間的な手段を使っていなかった。
王妃は、自らの魔術で「霧」に変身し、城壁のわずかな隙間、鍵穴、換気口から、ゆっくりと砦の内部へと浸入していた。
彼女の狂気は、アーリャを物理的に殺すことではなく、「アーリャを世界一美しい存在として認めさせる」という、物語の根本原理そのものを強制することへと変貌していた。
王妃は、アーリャの個室の扉の前で、再び人間(老婆の姿)に戻った。衛兵たちは、彼女が透明な霧から現れたことに気づき、一斉に武器を構えたが、王妃の魔力は彼らを一瞬にして眠らせた。
(今度こそ、逃さない。あの娘は、己の美しさを認めず、純粋ぶることで、私を弄んでいるのだ。ならば、強制的に認めさせてやる!)
王妃は静かに扉を開け、寝台で浅い眠りについているアーリャを見つめた。
アーリャは、何かの気配を感じて、ゆっくりと目を開けた。目の前には、前回毒リンゴを渡してきた、冷酷なムスカ王妃が立っていた。
「ムスカ王妃……!どうして、ここに……」
「ふふふ……私の魔術は、こんな小さな要塞ごときに阻まれないわ、アーリャ」
王妃は、手に何も持っていなかった。毒物ではない。今回の王妃の目的は、別のものだった。
「これで最後よ、アーリャ。私は、あなたを殺さない。あなたの『美しさ』を、あなた自身に、そして世界に認めさせてやる」
王妃は、懐から小さな、しかし強烈な光を放つ宝石を取り出した。それは、彼女が魔術で作り上げた「真実の鏡」の破片だった。
「これに、あなたの顔を映しなさい。そして、私に告げるのよ。『私が、この世で一番美しい』と」
王妃の視線は、熱狂的で、狂気に満ちていた。
「もし、あなたがそれを拒否し、醜い姿を装い続けるなら……この宝石は、あなたの『純粋な魂』を閉じ込め、永遠に抜け殻にしてしまうだろう」
アーリャは、ついにこの世界の「美の呪い」が、物理的な攻撃から精神的な攻撃へとシフトしたことを悟った。
(最悪のパターンだわ。これは、『美しさを認めない』という私の最後のサバイバル手段そのものを封じる呪いだ!ここで『私は美しくありません』と言えば、魂を抜かれる。ここで『私は美しいです』と言えば、王妃の勝利となり、呪いが完成する……!)
アーリャは、寝台の上で身を固くした。彼女に残された時間は、わずかだった。王妃の最後の、そして最も恐ろしい攻撃が、今、始まったのだ。
美の呪いを打ち破る、論理の反論
ムスカ王妃の最後の攻撃、それは「美しさの承認」を強制する、精神的な呪いだった。
王妃は、手にした「真実の鏡の破片」をアーリャの顔に近づけた。鏡の破片は、アーリャの顔を、ありのまま、しかし呪いによって異常なほど魅力的に映し出した。
「さあ、アーリャ。観念しなさい!あなたは、醜さなどではないこの世で最も輝く存在だ!私に告げるのよ!『私が、この世で一番美しい』と!」
アーリャの頭の中で、前世の論理回路がフル回転した。
(ダメだ。ここで「美しい」と認めれば、王妃の「世界一の美女」という呪いの連鎖に組み込まれてしまう。そうなれば、王妃の嫉妬の対象から逃れられない。でも、「醜い」と否定すれば、魂を抜かれる……!)
アーリャは、王妃の呪いのロジックそのものを破壊するしかないと判断した。
「王妃様」
アーリャは、静かに、しかし毅然とした声で言った。
「私は、あなた様の命令には従えません」
王妃は、目を細めた。
「まだ抵抗するつもりか!この期に及んで、卑しい振る舞いを!」
「卑しいのではありません。論理的な反論です」
アーリャは、一歩も引かず、王妃を見つめた。
「王妃様は、『私が世界一美しい』という言葉が聞きたいのですよね?ですが、それは客観的な事実ではあり得ません」
「なんだと?」
「『美しさ』とは、個人の主観であり、嗜好です。王妃様が私を美しいと思われても、七兄弟は私を『健気』だと慕ってくれますし、オーリオン王子は私を『清らか』だと愛してくれます」
アーリャは、言葉を続けた。
「つまり、『誰にとって一番美しいか』という主観的な問いに、『誰にとっても一番美しい』という客観的な答えは、存在しないのです。王妃様の『真実の鏡』さえ、『この世界で』という限定的なコミュニティの中でしか機能しない、時代遅れの基準です」
王妃は、アーリャの言葉が理解できなかった。彼女の頭の中は、「美」と「順位」という絶対的な概念で構築されていたからだ。
「何を、何を言っている!詭弁を弄するな!その宝石に映る自分の顔を見なさい!」
「見ますよ」
アーリャは、鏡の破片を自ら掴み、顔に近づけた。鏡に映る自分の顔は、確かに、この世界ではトップクラスの容姿だった。
「私は、自分のこの顔が、人々の目に『美しい』と映ることは理解しています。しかし、その『美しさ』は、私という人間の一部に過ぎません。私の価値は、その『美しさの順位』によって決定されるわけではないのです」
アーリャは、強く言い切った。
「私が、私という存在の価値を決定するのは、この美しさではなく、『生き抜く意志』です!王妃様が、私を殺そうと、呪おうと、私の生存本能は、順位付けや、他人の評価ごときには、屈しません!」
アーリャの言葉は、「美の絶対性」を信じてきたムスカ王妃の精神に、直接的な打撃を与えた。王妃の魔術は、「美しさの順位」という大前提に基づいていたため、その前提を否定されたことで、魔力のコントロールを失い始めた。
「嘘だ……!私が、世界一……!順位が、絶対のはずだ……!」
王妃は、錯乱し始めた。彼女の魔力は暴走し、握っていた「真実の鏡の破片」が、王妃自身の顔に向かって、その魔力を放出した。
ズン!
強烈な光が王妃を包み込んだ。彼女が求めた「美の絶対性」は、その呪いの暴走によって、王妃自身に跳ね返ったのだ。
その瞬間、扉の外で待機していたオーリオン王子と七兄弟が、異変を感じて扉を破った。
彼らが見たのは、床にうずくまり、醜い老婆の姿に戻ったムスカ王妃と、その隣で毅然と立っているアーリャだった。
「アーリャ!無事か!」
「オーリオン王子、七兄弟の皆様。ご心配おかけしました。この王妃は……もう、害にはなりません」
ムスカ王妃は、鏡の破片を抱きしめながら、呻き続けた。
「醜い……!私が、一番醜い……!この世の全ての醜さが、私に……!」
彼女は、自らの呪いに囚われ、永遠に「一番醜い存在」として、自らの城へ連れ戻されることになった。
清らかなるサバイバーと、新たな世界
ムスカ王妃の脅威は去った。彼女は、自らの魔術によって精神を破壊され、美の競争から完全に脱落した。
アーリャの命を狙う理由がなくなり、物語はついにクライマックスを迎えた。
翌日、隠し砦の広間。
オーリオン王子は、全身を整え、最もロマンチックな演出でアーリャの前に跪いた。七兄弟も見守っている。
「愛しいアーリャ。あなたは、真の騎士のように、悪意と呪いを打ち破った。あなたは、私の国を、そして私の心を救った。どうか、私の妃となってください。そして、私の隣で、この世界を清らかな愛で満たしてください!」
王子は、真摯な眼差しで、アーリャを見つめた。
(さて、ここが最後のフラグ処理の場ね。ここで結婚すれば、『お姫様』に戻って、また何か面倒なことに巻き込まれる……!)
アーリャは、優しく、しかし明確に首を横に振った。
「オーリオン王子。お気持ちは心から感謝いたします。ですが、私はあなたの妃にはなれません」
王子はショックを受けた。七兄弟も驚きの声を上げた。
「なぜ……なぜですか!私の愛は、あなたを死から蘇らせた、真実の愛のはず!」
「あなたのキスで目が覚めたのではありません。毒リンゴの破片を吐き出したからです」
アーリャは、事実を淡々と告げた。そして、王子に、真実の提案をした。
「私は、あなたにとって『清らかな淑女』ではないかもしれません。ですが、私は、あなたの国にとって、そして私の故国にとって、非常に有用な『サバイバル戦略家』です」
アーリャは、この世界の根本的な問題を指摘した。
「王妃の嫉妬、暗殺者の侵入、毒物の蔓延。あなたの国も、私の故国も、危機管理が甘すぎます。私は、未来の知識と、徹底した危機回避能力を持っています。私を妃にするのではなく、私にあなたの国の『安全保障顧問』としての役割を与えてください」
「安全保障……顧問?」
王子は、初めて聞く言葉に戸惑った。
「はい。私は、国境の警備強化、食料の安全管理、そして何より、悪意ある者(特に美貌に執着する女性)への対応マニュアルを作成します。これが、私がこの世界で生き残るための、最も安全な道なのです」
王子は、しばらく沈黙した後、笑い出した。
「ああ、アーリャ!なんという、驚くべき発想だ!あなたのその実用主義的な視点こそ、世界で最も清らかで、美しい頭脳だ!」
(結局、また『美しい』って言われたわ……)
王子は、妃の座は諦めたが、アーリャの提案を熱烈に受け入れた。
こうしてアーリャは、故国に戻ることなく、隣国のオーリオン王子の庇護の下、「王室専属・危機回避戦略顧問」という、前例のない地位に就いた。
七兄弟も、引き続きアーリャの警護隊長兼、現場監査官として雇用された。彼らは、アーリャの指示に従い、国境の警備を強化し、砦の地下に大規模な食料貯蔵庫を建設した。
ムスカ王妃は、最終的に「美しい者が住まう場所」を忌み嫌うようになり、城の最も醜い地下牢に自ら閉じこもった。
アーリャは、豪華なドレスを着ることも、化粧をすることもなかったが、地味な煤を顔に塗る必要はなくなった。彼女の価値は、その容姿ではなく、その『生存戦略』によって、完全に確立されたからだ。
オーリオン王子は、毎日、アーリャの執務室を訪れ、「愛しい戦術家よ」「清らかなる論理の女神よ」と愛を囁き続けたが、アーリャの許可なく彼女に触れることは二度としなかった。
アーリャは、時々、窓の外の青空を見上げながら、心の中でつぶやく。
(おとぎ話のヒロインにはなれなかったけど、誰も死ななかったし、王妃の嫉妬からも逃げ切れた。そして、安定した公務員の地位を手に入れたわ)
アーリャのハッピーエンドは、王子様との結婚ではなく、「二度目の人生を、自らの戦略で生き抜く自由」を手に入れたことだった。
そして、彼女の心の中のツッコミは、今日も続く。
(しかし、この王子、いつになったら私のことを『ただの頭のいい人』として見てくれるのかしら。あと、今日も私の書類の横に、勝手に愛のポエムを置くのやめてほしいわ)
こんな感じの意味不明な物語書いています。
良ければ他のも読みにきてください。 https://mypage.syosetu.com/2202054/




