一話 始まりは金沢。幸せのハントンライス ②
もしかして、あの子だろうか、と正直思う子はいる。でも、さすがにない。すごい似てはいるけれど、そんな都合のいいことあるわけがない。記憶ないけど私あまり人の顔に興味ないから……よく弟は美形と言われるけど、それすらよくわからない。顔なんか、見分けられればいいと思っているし。
「いや、なんでもない。咲良。って、クシュ」
もちろん三月だから、まだ少し肌寒い。雪もまばらに降っているし当然だろう。
「とりあえず、着替えて」
「いや、その」
何か言いたげな玉城。目が泳いで、どこか頼りなげに視線を逸らす。
「後ろ向いているから」
私は玉城に接近する。なのに、逃げ惑う玉城。何故。それを見てスタッフが目を逸らす。なんだか変な雰囲気。
「お前も着替えろ! 全部透けている!」
「え!」
「誰か! 何か咲良に服を!」
私が少し恥じらいながら後ろを向いて黒いTシャツを借りている間に、玉城は別の紺色の着物に着替えた。予備も着物なのか。着慣れている感じがする。まるでTシャツを着るかのように自然に、彼は着物を着て私を見ている。
「着替えました。ありがとうございます」
「お前本当人の目気にしなさすぎだろ」
はあ、と玉城のため息が聞こえる。耳が少し赤い気がする。ほっぺたも桃色だ。私も少し照れている。今日、どんなブラジャーだっけ……考えないでおこう。
「それより、咲良。お前はなんであんなとこで絵を描いていたんだ」
「そこに綺麗なものがあったから」
「まあ、それに異論はないが。金沢駅周辺は見るものが多い。咲良が描いていた鼓門以外にも米林雄一氏の作品「微宇音・微宙オン・微界音」だとか、キャッチーで可愛いやかんのオブジェもある。何より、買い物スポットも多い。一ヶ所で色々なものがまとめて買えるぞ」
凄い饒舌だ。普段は淡々としているのに物凄いマシンガンになって大人びた印象が一気に消え失せる。まるで玉城が年相応どころか、かなり幼い子供のように見える。
「まるで金沢の宣伝部長見たいね」
目をキラキラさせて、子供みたい。後で見てみようかな、と思うぐらいの熱意を込めて語るから、本気で好きなんだなと伝わる。
「俺はそのつもりだ、せっかく金沢に生まれ、モデルになれるようなルックスに生まれて、注目を浴びたんだ。できるだけ金沢を宣伝したいと思うのは普通だろう」
「坊っちゃまは金沢が大好きなんですよ。それはもう、ウザいぐらいに」
「爺」
「あ、さっきの方。画材の整理ありがとうございました」
さっきのお爺さんが画材を持ってワゴンにやってくる。
「顔彩使ってでも、どうしても金沢の風景を描きたくて」
「なんだそれは」
玉城が首を傾げる。ああ。普通の人は知らないのか。
「固形水彩みたいなものです。和風な水彩絵の具って感じの画材」
「通行人の多いところはやめとけ。写真を撮るとか工夫しろ」
腕を組んで呆れ顔の玉城。確かに言えている。あそこはまさに金沢駅に向かう人が通る場所だ。
「その場にしかない空気もあるのでつい、冷静に考えれば全くもってその通り」
私は猛烈に反省する。すごく色んな人の邪魔だったよね。
「気持ちはわかるが。何度来ても、毎日通っても同じ日の金沢はないからな」
しっとりとした口調で玉城は言った、爺もうんうんと頷く。夜行バスを乗ってきたため、あまり金沢の風景は見てないのだけど、それでも金沢の情景は綺麗だと聞く。歴史もあるし、自然もあるし、加賀も能登も、どちらも魅力的で海も山もある。いろんな要素のものがバランスよくあって、どれも平均点以上と何かで見た。でも私は今、一文無しだ。
ぐううう、とお腹が鳴る。お腹と背中がくっつきそうな感じ。そう言えば、夜行バスにこっそり乗るために家を出る前に、夕飯を食べたっきりだ。画材を詰めて、あの子が私の家に来る前にって思ったら、料理なんかできなくて、そもそもお金もないし小銭握りしめて買ったコンビニの味気のないパン。むしろ、味、涙味。
「お、お腹すいた」
「咲良、お前まさか何も食べてないのか?」
「色々あって、家を飛び出してきてバタバタしていて食べてなくて」
多分、仕事をするなり絵を描けばどうにかなるだろうし、そもそも出会ったばかりの玉城に頼るべき事柄ではないと思う。親戚とかならまだわかるけれど、彼はまだ若い他人の男の子だ。
「事情は言えないのか」
「ちょっと、今は」
出会ってあの子の命の関わるような話なんか早々には重すぎる。引かれるに決まっているし、なんか、何を頼まれても大体の人が断りにくい。あの事件も、胡散臭いし。
「さっきのお礼に、せめて食事を食べていかないか」
「いいの?」
それぐらいなら、と思い私は頷く。
「スタッフ、すまない。俺の日常の撮影は後日で」
「はい、私達も桃井さんに助けてもらったので文句はないですよ、ありがとうございます」
スタッフらしき男性が頭を私に下げた。
「いえ、こちらこそ急に割って入ってすみません」
「そう言えば桃井さん、玉城君、東京でも見たことないですか? 人気のモデルなんですが」
「私雑誌もテレビも見ないんですよ」
大体絵を描いて過ごしてきたし、モチーフ探しに散歩する方が有意義に感じられたから。それか、あの子のそばにいるのが普通だったから。
「有名人気モデルなんですよ。愛想ないんで、テレビはインタビューとCMぐらいしか出ないんですけどね」
「そうなんですか。すごいですね」
いわゆる芸能人って事だ。まあ、一般人には見えないビジュアルだから、当然って気はする。凄い華がある子だから。いるだけで名画級の価値があるとは思うし。
「華道の家元の息子さんで、お母様は外国人の元パリコレモデルさんなんだよ」
「スタッフ! マネージャー、スタッフの口を止めて」
「いいじゃないか、玉城。お前の自慢ぐらい」
やり過ぎだったかな、と自分でも思うけど、止められなかったし。あれはさすがに個人の権利を無視し過ぎだ。自己中すぎる。好きを盾に相手の自由を奪うのは自己愛だ。むしろ暴力だ。愛情じゃない。
そして、結果玉城の提案で、撮影は後回しになった。すごく申し訳ない感じだ。本当私は考えが浅いから。昔からノリと勢いで動きすぎるとは言われてきた。それが絵の世界では才能と言われてきたけれど、実生活では足枷にもなってきた。
そしてまた、お腹がダメ押しするようにぐうううう、と鳴る。
「早く帰るぞ。爺、家のものに何か温かい料理を頼んでおいてくれ」
「わかりましたぞ。坊っちゃま」
敬礼をする爺。可愛い。
「咲良。何か好きなものは? 爺はなんでも作れるぞ」
フフン、と得意げな玉城は、嬉しそうに言った。爺も嬉しそうに胸を張る。その好意は今は素直にありがたい。
「食べさせてもらえれば全てがありがたいよ。感謝だよ」
本当に、その善意だけでもありがたい。でも、これからどこで夜を明かせばいいのだろうか。宿無しは正直苦痛だ。
「じゃあ、なるべく用意がすぐできるものにする。家はここから近いから、我慢しろよな」
強い口調で玉城は言う、少しキリッとした顔は、やっぱ本当にモデルなんだなって思うぐらい引き締まって見えた。
「うん。わかったよ。ありがとう、玉城」
「ん……」
口をモニョモニョして、玉城は居心地悪そうにする。
もしかして、照れてる? 露骨に目を逸らす玉城に私は微笑んだ。