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其は聖譚曲にして狂想曲  作者: 犬野ミケ
物種 二章
8/9

二話

「う、あ……」


 手足がビクリと跳ね、手が布団を引っ掻き、足がシーツを蹴る。目覚めだ。

 真っ白い布団、真っ白いシーツ。真っ白いカーテン、真っ白い天井、真っ白い壁、エトセトラエトセトラ……。おそらくは、常駐している人が服の上から羽織っているものも白いはず。

 つまり、ここは保健室って事。


「兄貴! 起きたのかよ! なんだよ、起きるなら起きるって事前に言ってくれ。びっくりして心臓が止まるかと思ったぜ」


 無茶を言うね、縁。

 そう言おうとするけれど、声が酷く掠れて変ながらがら声しか出ない。それでも「うー」とか「あー」とかどうにかして発声しようと頑張っていたら、その様子から俺の声が上手く出ない事を察したのか、縁が堪えきれずに吹き出す。人が必死になっているのに、笑うなんて失礼だ。一応ここは保健室だから大きな笑声は立てないものの、クツクツと肩が上下に揺れている。むかつくー。

 非難の意をたっぷりとこめて、縁を睨み付ける。見せてやる、兄の威厳という奴を。でも縁は腹を抱えて笑っていて、こっちを見る様子は一向に無い。えー、意味ないじゃん。

 あー、その、なんだ。そんなに笑われると、凄く恥ずかしくなってくる。縁に背を向けて、鼻先まで布団を被る。少し暑いけど、赤い顔を隠す為だったら我慢できるし!


「ああ、ごめん。ごめんってば、兄貴。頼むから、そんなにムクれるなよ」


 縁の大きな手が、布団から出ている俺の髪をクシャクシャ掻き回し始める。俺とは正反対の、頼り甲斐のある手だ。小学生の頃はまだ俺の方が大きくて、小さくて泣き虫だった縁を連れ回していたというのに。今では、まるで逆。

 声はまだ笑いを含んでいるけれど謝っているんだし、まぁいいかなぁ。大体、俺も徹底抗戦する気は無い。少しだけ顔を動かして背後の縁を見る。

 プニュ。


「引っ掛かったー! うはぁ、意外と成功するもんなんだな、これ」


 縁の人差し指の先が、俺の頬に刺さっている。朝、俺が高階にやった奴だった。まさか、俺がやられるとは。

 再び肩を震わせて笑う縁に、何度もプニプニとつつかれる。

 首から上が熱くなるのを感じた。気温のせいもあるけど、主に羞恥心で。


「ば、かぁ!」


 布団の中から片足を跳ね上げて、縁の腕に叩き込む。

 怒鳴った声は掠れてるし、余計に喉が痛くなるし。むしろ、恥ずかしくなるだけだった。ほら、縁が笑いすぎてしゃっくりみたいな声を出している。

 ひっどいなぁ。


「おいおい。そう落としてやるなよ、縁君。兄ちゃんが恥ずかしがってるから。可哀想に」


 おお、俺の心の代弁者が! 『恥ずかしがってるから』は余計だけど。本当の事だけに、悔しいんだよ。

 ん、待てよ。つーか、誰だ、俺の心の代弁者。何故、俺と縁の会話に混ざって来るんだ?

 固まっていると、俺の寝ているベッドを囲んでいたカーテンが少々乱暴に引かれる。蛍光灯の光が入ってきて、眩しい。思わず、目を何度も瞬かせた。


「はいはーい。頼りになるおじちゃん、登場!」


 ブイ! と目の前にピースサインを突き付けられる。おわ、ちょっと、近すぎてピントが合わないんですけど。

 右手の甲で、うざったらしいピースサインを払う。やっと、ピースサインの向こうの顔にピントが合った。

 オールバックにした髪は、明るい茶色に脱色しようとしたのか中途半端に斑で不快な色。ここからでもタバコの臭いが漂ってきて、彼がヘビースモーカーだという事が分かる。学校というこの施設内には存在するはずのない四十代男性がここにいる。ソイツは俺に弾かれた手で、無精髭の生える顎を擦った。


「わざわざお前を迎えに来てやったんだ、環少年よ。はい、感謝!」

「ワーイ、ミヤオさん、サイコー。アイシテルー」

「ふふん、もっと誉めても良いよ」


 おいおい、わざと棒読みで言ったのに、全く答えてる様子がない。とってもウザいね。

 宮尾友則。俺と縁の住む家の隣に住んでいる男だ。この年にして、未だに独身。本人の談によるとバツイチらしいが、それが本当の事なのかどうかは不明だ。

 っていうかそもそも、何でおっさんが俺を迎えに来るのか。


「俺が頼んだんだ」


 胸を張るおっさんの腹に裏拳を叩き込んだ縁が、申し訳無さそうに頭を掻く。


「いつもならチャリの後ろに乗っけていけるんだけどな。今日は雨だったから、チャリじゃないだろ? だからメールしてみたら、マジで来た」

「そんな来て欲しくなかったみたいな言い方、しなーいの!」


 延ばし棒を入れる辺りが、果てしなくウザい。

 縁も同じ事を感じたのか、再びおっさんに攻撃を加える。今度は首元への回し蹴りだった。惚れ惚れするくらい綺麗にヒット。すっげー。

 おっさんも、流石に今回のは痛そうだった。


「暴力反対だよ。もう、酷いなぁ」

「よし、兄貴。そろそろ行こうぜ」

「無視!?」


 縁が俺の分の荷物まで持ってくれる。あぁ、良い弟わ持ったものだ。お兄ちゃんは今、凄く感動しています。

 縁に手を借りて、ベッドから床へと足を下ろす。オッケー、自分の足で立てるね。

 カーテンを捲って先に保健室を出る縁の広い背中に続く。俺の後ろにはおっさん。何か、おっさんを後ろに回すって嫌だな。何かされそうで怖い。


「なぁなぁ」


 ほら、思った通りだ。後ろからちょいちょいと指っつつかれた。

 この程度なら無視しても良いよな。


「なぁ――――――()()()()()()()()()()()?」


 ズクリ、ズクリ、ズクリ。

 ズクリ、と心臓に刺さるよう。刺さったそれは、心臓が上手く鼓動を打つには酷く邪魔で、しかも痛みが増していく。

 頭痛、目眩。世界が揺れて、とてもじゃないけれど立ってなんていられない。おっさんの言葉が合言葉だったかのように膝から力が抜き取られ、廊下に座り込んでしまう。


「兄貴っ!?」


 すぐ傍にいるはずの縁の叫び声が、とても遠くに感じられて。

 その上から別の声が被さる。雑音混じりだったけど、すぐに分かる。あぁ、これはさっきも弓道部で倒れた時に聞いた声だ。

 気を失う直前に、聞いた声だ。


『目覚めてしまえば、楽なものを』


 訳が分かんない。


『早く』


 しつこい。


『早く』


 しつこいっ!

 目の前が白くスパーク。回っていた世界が、逆回り。

 白いだけだった視界がゆっくりと、だがしっかりと輪郭を取り始める。

 あの声はもう、聞こえない。


「兄貴!」


 眼前のモノにピントが合った。縁の取り乱した顔だった。

 肩をがっしりと両手で掴まれて、大声で呼ばれて、反射的にギクッと体を揺らしてしまう。

 そんな俺を見て、縁が脱力したように息を吐く。


「もう、何だよ。まだ具合悪いんなら、そう言ってくれよ。めっちゃビビった」

「ごめんなー」


 にへー、と笑うと、脳天チョップで怒られた。人の心配を笑うんじゃないとか、たぶん、そんな意味で怒られたんだと思う。ごめんとしか言えない俺。いっつも縁に迷惑をかけている。

 表情筋を動かすと、笑顔とも困り顔ともつかないような表情が出来た。人から見れば微妙すぎて嫌になるんじゃないかな。そんな顔で黙っていると、縁が投げ捨ててある荷物を指差して威高に言う。


「おい、おっさん。おっさんはそれ持て」

「はいよー。縁君はどうするの?」


 おっさんの素直な返事と問い。

 それに対して縁は、俺に背中を向けてしゃがみこむ。


「ん。ほら、兄貴」


 おんぶ。

 …………。

 俺、小学生扱い!?

 せめて肩を貸してくれるぐらいに留めておいて欲しかったんだけど。その選択肢は無いのかな。

 おっさんも納得したように頷いている。いや、納得すんじゃないよ。


「兄貴」


 急かされて、渋々ながらも縁の首に両腕を回す。

 縁が俺の膝の裏を持って立ち上がった。そりゃあもう、軽々と。

 うわぁ、ショック。超ショック。兄としての威厳が欠片も見当たらない。弟におんぶされる兄の図。嫌ぁ。

 というか、一人の男としてこれはどうかと思う。


「ふふぅん。兄弟が逆転したみたいだね」

「ド畜生……」


 おっさんにも言われちまった。何か、すっごいムカつくんだけど。

 俺の悪態に、縁が笑う。腕を回した首や肩、密着した背中から笑った時の振動が伝わってきて、面白くて俺も笑う。

 二人で笑う。体を捩ろうにもおぶられている為に出来なくて、それがおかしくてもっと笑った。

 おっさんが変なものを見るような目を向けてくる。アンタだけは、そんな顔をする資格は無いね。

 もう少しこのままでいられたらいいのに。

 ふと、そんな事を思った。



      *      *      *



 おっさんに家の前で車から降ろして貰って、玄関に立つ。おっさんが運んだ荷物は足下に置いてある。残念ながら俺はまだ(よすが)におんぶされている状態だ。非常に、残念ながら。

 玄関の扉は鍵がかかっていて、俺をおぶった(よすが)は両手が塞がっていて開ける事が難しい。必然的に、俺がやることになる。


「うー……俺の(かばん)……」

「兄貴、俺の尻ポケット」


 言われて、体を(よじ)って(よすが)の尻ポケットに手を突っ込む。(はた)から見れば、超カッコ悪い図なんだろうな。

 その変な体勢でポケット中を探っていると、あったあった。冷たくて硬い感触。鍵についた凹凸(おうとつ)が指の腹を(こす)る。


「これだな」


 手の平にひんやりとするそれを握り込んで引き抜く。


「お?」


 ずるり、と鍵と一緒に何かが引き出された。目の前まで掲げてみると、鍵に付いてきたそれがふらりふらりと揺れる。

 キーホルダーだ。それにしても(よすが)が鍵にキーホルダーを付けるなんて、珍しい。(よすが)はあまりキーホルダーを付けたがらない。お土産やプレゼントとして貰えば受け取るが、それを実際に使用しているのは見た事がない。勿論(もちろん)、携帯も素っ裸でストラップは一切付いていない。

 理由は知らないが、きっと(よすが)には(よすが)の事情があるのだろう。俺がそれを追及する事はない。

 (ただ)、このようにキーホルダーを付ける事を嫌っている節がある(よすが)が、家の鍵にキーホルダーを付けている事には、酷く引っ掛かりを感じる。


「これ……?」

「ん? あぁ」


 俺がそれを見つめ続けていることに気付いた(よすが)が少しだけ表情を強張らせる。すぐに前を向いて俺の視線からその顔を隠したが、俺を支える手の緊張は隠し通せない。この兄に秘密事とは、(よすが)もなかなかやるようになったものだ。


「珍しいな、(よすが)がキーホルダーをつけてるなんて」

「俺がつけたんじゃない。勝手につけられたんだよ」


 あっという間に否定された。

 キーホルダーをよく目を凝らして見てみる。

 小さいチャームが二つ、セットになったキーホルダーだった。一つは黄色のギザギザ、これは雷だろうな。もう一つは、小さい頃に絵本で見た……。


「つち? 一寸法師?」


 打出の小槌? まさか。一寸法師の話において、雷は関係無い。じゃあ、トンカチ? まったくもって意味不明。なんだよ、何をモチーフにしたキーホルダーなんだ? 関係無い2つのチャームを組み合わせただけでした、なんてオチだったら殴るぞ。勿論(もちろん)(よすが)ではなくて、このキーホルダーを(よすが)の家鍵につけたヤツを。


「むー……こんなの、誰に(もら)ったんだ?」

「俺もよく知らね。アホっぽい女子からだったぜ」

「ナンパかよ」


 返事の代わりに、(よすが)は軽く肩を(すく)めた。照れ隠しなのか、それとも本当にナンパじゃないのか。どちらなのかは分からないが「アホ」と突き放すような物言いから予想すると、この鍵を縁に返したら直ぐにでもキーホルダーを外すだろう。もしかしたら、捨ててしまうかもしれない。


「どーでもいーから、早く鍵を開けてくれ」

「りょーかい」


 鍵の先端を鍵穴に差し込み、回す。シャコン、と小気味良い音がして開いた。解錠という役目を果たした鍵は、(よすが)の胸ポケットへと落とす。それから更に腕を伸ばして、取手を引っ張る。(わず)かに開いた扉の隙間に、(よすが)が革靴の先端を差し込む。う~ん、息ぴったり。


「よっこいしょ」


 (よすが)が俺を玄関の上がり口に降ろし、外に置きっ放しだった荷物を持ってきた。

 それも玄関に置いた後、再び俺に手を貸そうとするのを(さえぎ)る。


「ありがと。でも自分で立てる」

「そうか?」

「そうだよ」


 自信を込めて言ってはみるものの、やはりさっきの学校での前例がある。

 (よすが)はそれを心配しているのか、俺の分まで鞄を持って、部屋まで付いてきてくれた。まるっきり病人扱いだ。(ただ)の貧血って診断だったのに。

 まぁ、俺は今まで病気という病気にかかった事がなく、風邪を(こじ)らせる事も少なかったから、気を失って倒れるなんて只事(ただごと)ではないのだろう。

 父さんと母さんが帰ってきたら、どんな反応を見せるのだろうか。大体の予想は出来る気がするが。


「うあー疲れたー」


 部屋に入ってすぐ、ベッドに倒れ込む。


「ホントに今日は散々な一日だったよ」

「あともう少し、その散々な目は続くと思うぜ」


 俺もそんな気がする。

 そう、問題は母さんだ。

 もう(すで)に学校から連絡が届いている事だろう。今頃は大騒ぎで御乱心(ごらんしん)中に違いない。スポーツドリンクや、あらゆる種類の薬を買い込んでいる可能性がある。それも、持ちきれない程、大量に。

 そして、いつも通り父さんが巻き込まれるのだろう。可哀想(かわいそう)な父さん。そして俺。


「気が重い……」

「寝るんなら、制服ぐらいちゃんと脱がなきゃ駄目だからな」


 そのまま布団に潜り込もうとしていたら、(よすが)に注意された。鋭い。

 めんどくさいけど、そのまま寝たら(よすが)に怒られそうな雰囲気(ふんいき)なので、仕様(しょう)がないからもそもそと脱ぐ。

 脱いだものを適当に床に放っておいたら、(よすが)が拾ってハンガーにかけてくれた。母さんよりもよっぽど母親らしい。

 これでもう文句は言われないだろう。パジャマを着るのも面倒なので、パンツ一丁で布団に入る。

 部屋のカーテンを閉めていた(よすが)と目が会った。その目に、心配の色がちらりと(のぞ)く。それだけじゃなく、何かを恐れているような心情らしきものも。


「おやすみ」


 声をかけると、(よすが)はゆっくりとまばたきをした。(まぶた)の裏に焼き付いた何かを、(ぬぐ)い去るかのように。


「あぁ、おやすみ兄貴」


 布団に入った途端に急に襲ってきた睡魔に逆らう事無く、瞳を閉じた。


「いい夢を」


 その言葉は眠りに入る俺の世界に、ポツリと一つ、何かを落とした。

 方向性が見えない話になってしまいました。。

 泣けてくる

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