三話
二時間目終了後の休み時間、縁は何をするでもなく、ただ窓の外をぼぅっと眺めていた。窓側の席で良かった、と薄ぼんやり考えながら、頬杖を安定した形に突き直す。
「なーぁ、縁! 僕の話をちゃんと聞いてた!?」
「え? あぁ悪い、もっかい言ってくれ」
慌てて頬杖を解き頼むと、上木秋成は「しょうがないなぁ」と一言呟き、人差し指を立てる。
この通り気のよい男である為、縁は親友として気に入っている。
兄ほどではないにせよ小柄で細いその体は、敏捷そうな印象を受ける。同じような体つきでも、環の方はまったくの運動音痴なのだが。
「今日な、転校生が来る予定だったらしい」
その一文だけを伝えて、上木はそのまま口を閉ざしてしまった。もっと長話になるのかと思い密かに身構えていた縁は、思わず口を阿呆のように開ける。
そういえば、縁の隣に一つだけ空席が出来ていた。そこが転校生の席らしい。席は出席番号順だから、転校生は男で、苗字はア行の終わりかカ行の始め辺りだろう。
「……んで、どうしてこんな時季に? もうすぐ夏だってのに、中途半端すぎんだろ」
「知らない」
「親の都合だよ」
縁と上木の会話に、もう一人、混ざってくる。縁はなおも、質問を続けた。
「どんな奴なんだよ?」
「知らない」
「優しい美少年かな」
縁はなおも質問を続ける。
「名前は?」
「知らない」
「海部斎」
縁は両腕で自分の頭を抱えてる。
何故、三人目は転校生についての情報をすらすらと述べる事ができたのか。答えは明白だった。
縁は、腕の隙間から三人目の男を伺う。やはりと言うべきか、目が合ってしまった。仕方無しに腕を下ろして、正面に立つ『彼』と向き合う。椅子に座っている縁と立っている『彼』とでは、『彼』の方が高い為、自然と縁が見上げる形になる。
「よう、転校生」
「その呼び方は嫌いだよ。斎って呼ばせてあげても、良いんだよ?」
そういって笑ったのは、物腰だけは柔らかい優男だった。胴が細くて足は長く、均整の取れた体つきをしている。顔は女性的と評しても良い造作であり、声も美しい。物語などを読み聞かせられると、あっという間に眠りに落ちてしまいそうだった。女子が斎の存在に気付き、騒めき始める。
斎はそれを意に介さず、容姿に似合う優雅な仕草で右手を縁に向けて差し出してきた。
「ちょっとしたゴタゴタのせいで遅刻しちゃったけど、お隣同士これから宜しく頼むよ、相沢縁クン?」
ちょっと、という部分を殊更、強調して言われた。しかし、遅刻というならば兄のクラスに凄まじい遅刻魔がいると聞いた事があるので、それほど恥じる事でもないと縁は思う。
そのままこちらも右手を出すのは何だか癪だったので、左手を出す。怒るかと見ていたが、斎は少し肩を竦めただけで、左手を出して縁の手を握った。軽く往なされたような気がして、縁はむかっ腹が立ってきた。
「……こちらこそ。だけどアンタ、自分で自分の事を美少年って言うのはどうかと思うぜ」
「え? そうかなぁ? 僕、何か間違った事を言ったかなぁ」
ふわりと斎が首を傾げて見せる。
一方の縁は、未だに斎の人となりを測りきれずにいた。
* * *
「むぃ~、おっひっさぁ。ありり? 何で皆、こんなに静かなの?」
「……おはよぅ……」
一時間目終了後の休み時間、漸くというかなんというか、問題児と遅刻魔の登場だった。二人が、というか主に問題児の方が教室の扉をぶち破って中に入ってきた時に、クラス内が水を打ったように静まり返ったのは、無理もない事だと思うけど。扉に嵌め込まれていたガラスが盛大に割れ散った。誰もそれを被らなかったから良いけど、後片付けが大変そう。
俺は思うけど。
俺はそう思うけど、堂々と遅刻してきたこの二人は、そんな殊勝な事は少したりとも考えていないのだろう。寧ろ、何故こんなに静かになってしまっているのかが、不思議で不思議でしょうがない様子だった。
「んん、挨拶の仕方がいけなかったのか。扉を壊して『おっひっさー』はなかなか良いと思ったのに」
「……眠い……」
原因に気付いた事は、ム○ゴロウさん風に頭を撫で回して褒めてやりたいけど、扉を壊そうと思い付いちゃう時点で、何かいろいろ終わっている気がする。小学校と言わず、幼稚園からやり直した方が良いんじゃないかな。無闇矢鱈に物を壊しちゃ、いけません。決まりの時間に遅れちゃ、いけません。めっ! また生徒指導室に呼ばれても知らないし。……しまった、これに関しては、俺も人の事は言えない。
っていうか、二人の会話が全然、噛み合ってないし。肩を組んでいる割には、息が合っていない。
「んじゃ、『おふぃさー』はどうかな?」
それは役人だ。
もう訳が解らない。喋れば喋るほど、場が冷えていくのに気付いて。お願いだから。
思わず、溜息が出る。その音が大きかったのかな、そんな俺の姿を問題児の方が見つける。見つかっちゃった!
「よっほーい、タマちゃーん。おふぃさー! ハグして、ハグ。ハグー。元気してた?」
「……この通り」
アイム、タイアード。私は疲れています。日本語読みの発音の悪いボロクソ英語だけどね。
折角テンションが上がりかけていたのに、また下がってきてしまった。九割方、この二人のせいだね。もしかしたら、下がっているんじゃなくて、コイツ等に吸いとられているのかもしれない。
女の子がお気に入りの縫いぐるみにするように、問題児の方が俺の事をぎゅう、と抱き締めてくる。コイツは何かとスキンシップを取りたがるけ、ど…ちょ……くるし、……首がしまっ………!
背中を叩いたり、机を叩いたりして「ギブギブ」と繰り返すと、漸く離してくれた。空気って、こんなにおいしかったっけ。
今回は素直にすぐに離してくれたから、ご褒美代わりにちょっとした嘘を。
「元気かもしれないよ……」
「それは重畳! 僕の方はずっと暇だったよ」
そりゃ、そうだろうね。五週間の停学なんて、というか停学そのものを経験した事はないけれど、きっと恐ろしく暇であるに違いない。
コイツがあの問題児、生野永見。髪をダークブラウンに染めてはいるけれど、よく漫画で出てくるツンケンした不良像とは全く違う。髪を黒く戻して眼鏡をかけて喋らずに大人しくしていれば、優等生にも見えるだろうと思えるくらい、整った顔立ちをしている。しているのに、中身がこれだから、あまり女子が近寄ってこない。男子も近寄らないけど。つまりは、男女共に避けられているのだ。勿体無いよね。
身長は俺より十センチ高いぐらい。高くもなく、低くもなく、丁度良い。髪は、女の子でいうボブを少し短くしたくらい。機嫌が良ければ始終ニコニコしているけど、何か一つでも自分の気に入らない事があると、それを壊して一からやり直そうと躍起になる。しかも、見た目にそぐわず空手や合気道んかを習っていたというから、並大抵の人では押さえきれなくて苦労する。一度熱されたら、中々冷めてくれないのが厄介だ。これだけ言えば唯の熱血なのだろうがそんな人畜無害な物じゃなく、自分や自分に関わる事を中心として考えているから、問題児な訳。所謂、自己チュー。何人か病院送りにすれば停学にもなろうというもの。
「っていうかね、来る途中でつるちゃんと会ってさ! 仲良くここまで来たって訳ね。羨ましい?」
「いや……全然」
一気に疲れそうだから、羨ましくなんかある訳がない。もしそうだったら、確実にエムの烙印を押されて終わり。常人ならば、体も精神もボロボロになってしまったって可笑しくない。って、あれ? じゃあ、そんなアイツ等とつるんでいる俺は、エムなのか? 冗談じゃない。
賢明なクラスメイト達は、俺達と一定の距離を置いて近づいてこようとしない。司までもである。アノヤロウ、俺を見捨てやがった。なんかこの状況、俺まで変人扱いされちゃってない? 心外だ。
「……タマちゃん、タマちゃん」
遅刻魔、井上千鶴が俺の肩をパフパフと叩く。っていうか、お前までタマちゃん言うな。猫みたいで、気に食わない……と前に縁に愚痴ったところ「今時、タマなんて猫、いるのかよ」と一蹴されてしまった。むぅ、例えいなかったとしても、テレビ番組の影響って大きいじゃん。ポチ=犬、タマ=猫っていうイメージが付きまとってしまう。
「タマちゃん…………ツンデレ」
言うに事欠いて、それか! 『反抗期』だとか、他に言い方もあるだろうに! そうしたら『俺はお前の子供じゃない』『俺だって、こんな子を育てた覚えはない』なんて、ベタだけど無難な会話を進める事ができたのに!
どうしてここで、それをチョイスしちゃうのかなぁ。俺、ちょっと悲しいよ。
「ツンデレ……」
「…………」
…………。
……まだ言うか、この遅刻魔ときたら。
眠そうな半開きの目。少し長い前髪が顔の前に垂れていて、おねむさんオーラを周囲に振り撒いている。着ているブレザーは少し大きなサイズなのか、指先がギリギリ覗く程度しか出ていない。人差し指と中指と薬指の先だけが覗いていて、俗に言う萌え袖の男バージョンってトコだ。
そんな袖で眠そうに目を擦っているのを見ると、保護欲が誘われて、ついつい何でもしてやりたくなる。父性本能だよね。
それだけでも一風変わっている奴だから、制服の着方だって、勿論、変。本人はわざとやっている訳ではないので、『着こなし』という言葉は合わない。どうやら千鶴は一人ではネクタイが結べないらしく、何故かリボン結びにしている。ネクタイは本来、リボン結びをするための物ではないから、どうにも整っていないリボン。左右の輪の大きさも、太さも違う。そのため、千鶴の格好は奇妙を通り越して、珍妙になってしまっている。なれれば不思議でもない……はず。いや、ごめん、嘘。強がってた。めちゃくちゃ気になるよ。
それをちゃんと直してあげるのも俺の役割で……って、お袋じゃないんだから。手招きをすると、足元が見えているのか不安になるフワフワした足取りでよってきた。コイツなら、知らないうちに線路に落ちてキャー! ぐらいの事が起きたっておかしくない。
「今日は何時に起きたんだ?」
「ん~……ふぁ、俺?」
お前以外に誰がいるのか。あ、永見か。
千鶴が首を傾げて考え込む。かーわーいーいー!
でも、ちょっとネクタイが結びづらいかな。
「九時ぐらい……」
バリバリ一時間目の途中っすね、千鶴君。家が近いからと言って、安心しては駄目なんだよ?
俺だって本当は、家でもっとゴロゴロしていたいよ! ……あ、本音が出ちゃった。
千鶴の家は学校から歩いて五分足らずとかなり近いため、どうせすぐ着くだろうと、油断しまくっているのだ。というか、油断しすぎだってば。
「はい、出来た」
「…………」
礼もなしか、まったく。ネクタイぐらい、自分で結べるようになりなさい。
……あれ?
寝ちゃってるよ、この子!? 立ったまま寝ちゃってるよ! 器用だね、としか感想が出てこない。どれだけ眠いんだよ、千鶴。千鶴の家での生活がもの凄く気になる。
「あはっ、つるちゃん、寝ちゃってる~。うふふ、どこまでやったら起きるか、試してみようよ」
永見がそんな様子の千鶴を見て、早速、悪戯を始める。つついてみたり、くすぐってみたり……コラ、脱がすのだけは、止めなさい。
誰か俺に、心休まる時間を頂戴。
* * *
一日の全ての苦痛、つまりは授業から解放された、素晴らしきこの放課後。あぁ、素晴らしきかな! 帰宅部の永見と千鶴はここにはいないよ!
一方の俺は、今、部室に向かっているという訳。ははは、「え? 相沢? 無所属っぽいよね」だなんて、誰が言い出したのか。俺はちゃんと部活に入ってるし、それなりの成績だって残してる! しかも、分類上は運動部。どうだ、完璧だろう。とは言うものの、自他共に認める運動音痴の俺が、司のようなサッカー部や縁のようなバスケ部といったように、ハードな競技に参加できる訳がない。だって、バテて死んじゃうもん。
俺が所属しているのは、弓道部。集中力を鍛えてコツを掴めば、誰だって良い線までは行く。アーチェリー程の力も要らない。だから、俺にぴったりだと思わない?
弓道は、それなりに場所をとる。まったくの屋外でやるスポーツでもなく、精々雨を凌げる程度の屋根と、的を並べる塀が必要。なので、校舎とは別棟に弓道部の活動場所はある。つまりは一旦、校舎から出なくちゃいけないんだよね。位置としては柔道部が活動していり格技場に近いんだけど、部室まで行く手間がまるで違う。ぶっちゃけちゃえば、面倒くさい。
顧問は、俺の担任でもある先生で……あぁ、あれだ。向こうからおっとりとしたペースで歩いてくる、あの人。
因幡素兎。古事記でみた事がありそうな名前の彼は、なぜこんな平凡な学校に勤めているのか疑問に思う、秀才。一応、日本史の担当ではあるのだが、国語も数学も並み以上にさらりとできる。異才の中の偉才、奇才の中の鬼才。頭が良くて、更に言うならば顔も悪くない。最強すぎるじゃないか! あぁ、いや、運動の方は知らないけど。さらりとこなしてしまいそうな気もするが、あの通りおっとりしてるからなぁ……運動神経以前の問題で、開始のホイッスルとかピストルの音に気づかず、ほわほわと笑っているかもしれない。
「あ、相沢くーん。ちょーど良いとこで発見。いやー、良かった良かった。今、僕はとっても安心しているよ、うん。これ、本当だよ?」
こんな人だから。
長くもなく短くもない黒髪はさっぱりとしていて、世代性別構わず好印象を与える。女性的な面立ちと柔らかい性格は、女生徒達に大人気でね。先生のなかではダントツだろう。よく、他クラスの女子から「二年三組、羨ましい!」と言われるが、男の俺にはちょっと共感し辛い。でもまぁ、悪くはないんだろうな。縁から担任の話を聞いていると、特にそう思う。
とは言え、流石に因幡ファンクラブはやりすぎだと思うけど…そんな物、漫画の中だけの話だと思っていた。
「えぇっとね、実は今日ね、一年の新入部員が来ててー」
「こんな時期に?」
「そうそー、こんな時期な。転校生らしくってねぇ。前の学校でも弓道やってたっていうから、腕前の方は問題ないだろうけど」
まだ夏休みにも入ってないこの中途半端な時期に、転校だなんて。きっと、深い深い家庭の事情かあるに違いない。まだ会った事もないけれと、ちょっと同情してみたり。一年か……縁と同じ学年だ。
で、その子が、どうかしたのかな。
「うん、実はこれから先生達は会議があるんだー。四時からだから……あれ、もう始まってるかも」
一体、何やってるの、この先生は!? マイペースすぎる……遅刻ポワポワキャラは千鶴一人で十分だから、是非とも大人しくしていて欲しいものだ。こんな職員室から離れたところで、のんびりと歩いている余裕などないだろうに。
『呼び出しを、します。因幡先生、因幡先生。至急、職員室までお越し下さい』
ほら、放送で呼び出されちゃってる。キーンコーンカーンという鐘を模した電子音がやけに大きく響いているような気がして、軽く身を震わせる。怒りに満ちている先生方の姿が目に見えるぞ。
だというのに、やっぱりポジティブでマイペースな因幡先生は、口先で「大変だー」と言って笑うだけだった。本当にそう思っているのかどうかは別として「大変だ」という単語を口にするだけでめ、千鶴よりマシかな。先生はおっとりしているだけであって、千鶴のように、枯れかけた植物並みのだらしなさはないから。
さて、それは置いておいて。
「で、俺に何の用ですか?」
「あぁ、そうそう。あのね、僕の代わりに、その一年生の面倒を見ていて欲しいんだよね」
大体、予想はついていた。丁度良かったという台詞と、新入部員の話を出された事から、推して知るべしだろう。これで分からなかったのなら、本当に唯の馬鹿だ。つまり、俺はバカジャナーイ。
と言われても、ちょっと不安。家庭の深い事情があったとしたら、影響を受けてその子も暗い子になっていないとは限らない訳で。俺に扱いきれるかどうかが、心配だ。
「心配しなくても良いと思うよ」
あれ? この人って読心術もたしなんでいるんだっけ?
「そう、心配いらないよ、あの子はねー。じゃ、会議が終わったら来るからー」
そう言って、スキップで去っていく。妙にご機嫌だ。やっぱり部員が増えると、嬉しいもんなのかな。スキップするぐらいなら、走れば良いのに。
まぁ、良いか。けれは俺じゃなくて、あの人の問題だ。俺の気にするところではない。
弓道部棟の扉を開ける。木造建築で引き戸だったりして、何気に拘りが入れられている。玄関でちゃんと靴を脱ぎ、横の靴箱に揃えて入れる。ついでに、先にあった二足の靴も揃えておく。そうさ、俺はA型なんだ。
廊下の床が冷たくて気持ち良い。廊下に入ってすぐにある扉を開けると、ズラリと並んだスチール製のロッカー。つまり、この部屋は更衣室。あまり広くないから部員全員が入ったらぎゅうぎゅうだけど、今は俺一人。手早く練習用の質素な袴に着替えて、my弓を手に取る。あぁ、何と言う語呂の悪さ。矢は練習場に置いてあるから、問題なし。怪我予防のテーピングをして、弓の状態を確認。準備完了、と。
更衣室を出て、廊下を見渡す。どうやら、新入部員の一年生は、練習場にいるらしい。
更衣室の扉の、更に奥にある扉を開ける。こちらもやはり引き戸、そしてここが練習場だ、あぅ!
「ぁう、うゎ……びっくりした」
たまにある事だよね。こっちが扉を開けたら向こう側にも人がいて、危うくごっつんこしそうになるって事。
部活が始まるのは四時半で、今は四時を過ぎたところ。結構ギリギリに来る人が多いから、この時間にすでにいるという事は『あの人か、それとも因幡先生の言っていた『新入部員』か。
「おや……すみません。僕とした事が、気を抜きすぎていました」
「いやいや、俺の方こそ悪かったよ」
あぁ、どうやら後者のよう。姿は見ていなくても、声だけでも、口調だけでも、ふらついた体を支えてくれた手だけでも、そちらと断ずる事ができる。だって、前者の人はこんな良い人じゃないし。
視線を上に上げてみる。清純そうな顔をした、美少年だった。清純そうな割りに、微笑を湛えた瞳と唇は何か黒いものを秘めていて、相反するそれが混ざりあい一つの魅力となっている。すっげ、素直に感動できる。美しい顔の造作は中性的……いや、少し女性寄りかな。その点では、因幡先生と同じタイプ。こちらは、台詞を聞く限りしっかり者のようだけど。
美少年は細く滑らかな指先を顎の下に添える。
「小さい。となると、貴方が相沢先輩ですか? お話は伺っています。僕は海部斎っていうんです。女の子みたいな名前でしょう?」
「……うん、相沢環だよ。よろしくね」
女の子っぽいのは、名前だけじゃないけどね。っていうか、小さいって何だ。となると、って事は他の人からそう聞いたんだな?
非の打ち所がない完璧すぎる笑顔に注意しようにも出来なくて、ただ歯切れの悪い返事をしてしまった。
そう言えば、見ると美少年もとい海部君はもうすでに、袴に履き替えている。サイズも合っているようだし、問題ない。
「小さくて可愛らしい顔をしているのだと、聞きましたよ」
「……誰に」
いや、そんな事は聞かなくても決まってるし!
おそらくは二人だろう。一人目は、因幡先生。世話代理役の俺を外見で判断できるようにと、海部君に伝えておいたのだろう。少々、使った言葉に問題があるようだが。
そして、もう一人は……そう、もう一人は。
「私に決まっているじゃないか? なぁ、カン?」
俺の名前を音読みして『カン』と呼ぶ人は、一人しかいない。
すこし低めの、よく通る声、ハキハキした喋り方。凛々しい顔立ちに、袴姿がとても様になっている。
そして、この時間に来ている、数少ない部員でもある。
「軍葉、先輩……」
「なんだ? そんな生気のない顔をして。貧血か? 鉄を舐めろ、鉄を」
そこは「ほうれん草を食べろ」と言って欲しいものだ。
軍葉紫音先輩。顎下ですっきりと切りそろえられた黒髪。前髪には、瑞々しい林檎を象ったピン留めが付いていて、可愛らしい。白い肌に、切れ長の瞳。唇だけがふっくらと赤い。日本人形のように整ったその容姿に、袴姿は反則だと思う。そちらの方が印象に残りすぎて、制服姿の先輩がもう見られない。
俺よりも一歳上の先輩、って言ったって、現時点の俺は二年生だから、在学中の先輩は一歳上の人達しかいない。そりゃ、留年してるとしたら、話は別だけど。
海部君が『にっこり』と表現すべき表情を向けてくる。
「そういえば僕、一年一組に入ったんですよ」
「へぇ、一組。じゃあ、縁と同じクラス?」
「はい、やっぱり、兄弟だったんですね」
はぁ、苗字で判断したって事ね。なるほど。
しかも、口ぶりから察するに、意外と仲が良いのかもしれない。縁は、こういう裏の見えない人物は苦手だったはずだけど。海部君だけ例外って事?
それにしても、縁と同じクラスとは。
「縁をよろしくね。アイツ、ああ見えて良い奴だから」
「そうですね。それに、面白いですし」
『仲が良い』という言葉を訂正するとしよう。もしかしたら、縁が海部君に弄ばれてるだけかもしれない。
俺も人のことは言えないけど、縁は呆れる程に馬鹿正直で人を疑うのが苦手だから。だから、裏があり、更にその裏について読めない人は避けている。
クスクスと不気味にも取れる笑い声を立てる海部君を、軍葉先輩が力任せにぐいぐい押しのけ、俺の顔に自分の吐息がかかるくらいに近づけてくる。本気で近い。
「カンよ、少しばかり疲れたような顔をしているな。私には感じ取れるぞ」
感じ取れるんですか。
いや、そんな超能力者みたいな言い方しなくてもいいのに。本人は何も疑問を抱いていないのだろうか。たぶん、抱いてないだろうなぁ……。
もし俺がそんな疲れたような顔をしているとしたら、それは貴女のせいでもあるんですよ。いや、問題児と遅刻魔もそうだけど。
それから――――――
「おや、具合が悪かったんですか? 先輩、保健室まで送りましょうか?」
それから、海部君も原因なのかもしれない。飄々としていて何となく、人柄が読めない。
縁ほどではないにしても、俺もこういう奴は苦手だから。何をされるか、解ったものじゃないから。
例えば、夢に出てくるあの人のように――――――
「――――――……ッ!?」
ズチャリ、と。内部で。グチャリ、と。誰かが、笑ったような気がした。
「あ、ちょっと、先輩?」
「おい!? カン! やっぱりお前、体調が……!」
膝が自重を支えきれずに崩れる。おい、ちゃんと働こうよ。おいってば。
左肩が痛い。誰かが中途半端に掴んでいるんだ。たぶん、軍葉先輩だね。
普段はクールに構えているのに、叫んじゃって。キャラがぶれちゃうよ。
このまま左腕を捻じ切っちゃえば、歪みは消えて無くなってくれるかな。
額に冷たい感触。海部君が手を当ててくれている。ひんやりとしている。
気持ち良い。
でも、気持ち悪い。
海部君に反応して、腹中で飲み下しきれなかった何かが飛び跳ねている。
大丈夫。
大丈夫だから。
こういう時は笑って何でもないよ、と言うのが一番だから。実行しよう。
永見のように。
あるいは笑わなくても良い。平気そうな顔を作って、立ち上がれば良い。
エルナのように。
あれ? 俺は今、何でコイツ等を思い出したんだ? 何故、コイツ等を。
心地悪い。
でも、心地良い。
腹の中の何かが、一層強く跳ねた。不快ではない、不快ではないんだよ。
“早く、目覚めよ”
誰かが、笑った。
ブラックアウト。
鴉さんからいただいたキャラを、ちょっと存在だけ仄めかしてみたり。はやく本人について、書きたいです。
今回は弟なので、主人公との差をつける為に三人称にしました。書きやすーい!!
まだまだ一人称への挑戦は続きます。誰かコツを教えて……