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第51話 母の思い出

 ――えー、あれホームズさんのお母さんの言葉だったんだぁ。

 ――いい言葉ね、真理だわ。予定通りの人生じゃ生きてる意味ないもの。

 ――でも、おとぎ話はいつでも予定調和のハッピーエンドですよ?

 ――それはおとぎ話だからよ、現実は厳しいの。運と努力のサイコロ振りよ。

 ――悪い目が出ないといいですね。

 ――パリパリ……。

 ――もっと静かに食べて。



 ◇



 こうやっていると昔に戻ったような気がする。懐かしい子供の頃のクリスマス。

 クリスマスのユール・ロックが燃えて、焼いた栗が弾ける。窓の外は雪。

 クリスマスツリーの下にはプレゼントの箱。小さな私が、その年覚えたバイオリンの新曲を披露し、吊るした寄生木の実の下で、父と母がキスをしていた(*注)


 寄生木の実を一つ、キスを一つ。愛し合う者たちの幸せのクリスマス。

 小さな息子の目には二人はとても幸せそうに見えたのだ。でも……


 ビバルディのバイオリン合奏曲・四季には十四行詩(ソネット)がついている。

 母さんは冬の詩が好きだった、なぜ冬だったのか?季節は四つあるのに。


   “寒さで震える雪の中 

   厳しく忌まわしい冬の風

   しっかりと踏みしめながら走る 

   寒さで歯がカチカチとなる”



 父さんは母さんのやることをなんでも許してたし、私も次男で気楽な身だから、好き勝手させてもらってた。父さんの怒った顔なんて見たことがなかったし、母さんが、私に家庭教師をつけてバイオリンを習わせた時も何も言わなかった。

 だからクリスマスプレゼントに、『ストラディヴァリウスをほしい』といった時、あんなに怒るなんて思わなかった。

 背が伸びて子供用のバイオリンが小さくなったから新しいのが欲しかった。

 ストラディヴァリウスの名前を出したのは、子供心にどうせなら良いバイオリンか欲しいと思っただけだったのだ。

 父さんはすごく怒って『二度と私の前でストラディヴァリウスの名を出すな』と怒鳴った。母さんと父さんの結婚前のいきさつと、ストラディバリウスの値段を知って驚いたのはその後だった。



 兄さんは、母さんが、結婚は冬だと言っていたと教えてくれた。

 母さんは結婚で一流のバイオリニストになると言う夢を、諦めさせられた。女だから捨てさせられたのだと言って、泣いていたそうだ。母さんが優しく貞淑にみえたのは、夢を捨てて何もかも諦めて父さんに従っているから、そう見えただけなのだと。



   “家の中を寒い北風が、通り抜ける。扉はしっかり閉まっているのに”



 母さんは、結婚前はかなり有名なバイオリニストで、一生バイオリンを弾いてパガニーニ(*注2)みたいに演奏会を開きながら、世界中を飛び回るのが夢だった。

 結婚に縛られたくなくて、求婚者への断りの文句が『私に、ストラデイバリウスをプレゼントしてくださったらお受けしますわ』だった。あれは最低でも20,000£(約二億円)はする。そういえば、大抵の男は諦めるからだ。


 田舎者だった父さんは、演奏会で見た母さんに一目惚れして、その日のうちにプロポーズ。ストラディバリウスが何かも知らずに「必ず手に入れます、だから結婚してください」それから血眼になって探したけど、名器の中の名器。値段もすごいが、持ってる人はまず手放なさないから、手に入れられなかった。


 結局母さんは父さんと結婚した。母さんを行き遅れにしたくなかった両親が、無理やり結婚を決めてしまったのだ。あの時代、親の決めた結婚に、女性は逆らえなかった。ストラディバリウスは母さんの手に入らず、母さんは、それ以来バイオリンを引かなくなった。『女にだって意地はあるのよ』と言って。


 それで母さんの夢はおしまい。結婚が、母さんを冬に閉じ込め、その心を凍り付かせ、全てを諦めさせた。私たち兄弟の幼い頃の幸せは、冬に耐える母さんの諦めの上に成り立っていた。そうして事件が起きた。

 

 私は十一歳。寄宿学校に入る直前で、兄さんが大学に入って初めての夏の休暇で帰った年。私が「凧の浮力と空気抵抗」の本を見つけて、その実験のため二人で凧揚げをしていた時だった。


 あの庭常(エルダーフラワー)の木の下で、バイオリン教師のドミトリーに母さんが抱きついていた。満面の笑みを浮かべて。あんな嬉しそうな母さんの顔を見たことがなかった。


 それ以前にも、庭の隅で2人でひそひそと話していたのを、私は何度か見ていたから、なんとも思わず、母さんに声をかけようとした。


 でもその時、私の目と口を塞いで兄さんが言った。

「口を開くな。お前は、なにも見なかった、いいな?」

 初めて聞く、低くて怖い声。兄さんの歯がカチカチと鳴っていたのを覚えている。



 やがて、母さんが嫁入り道具を全て売り払い、借金までしていたのが発覚した。

 兄さんが大学に帰る夏休みの終わりの日、父は私の目の前で母を銃で撃ち殺し、同じ銃で自分を撃って死んだ。バイオリン教師のドミトリーは逃げてしまった。


 兄は財産整理のため、大学を休学し、私はバイオリンを捨てて寄宿学校に入ったのだ。


 *******

(*注1)寄生木の下のキス。クリスマスに、寄生木の下にいる女の子はキスを拒めない。恋人同士が宿木の下でキスをすると、祝福が受けられる。宿木は悪いものから子供を守る魔除けになるともいわれ、ヨーロッパでは永遠の象徴とされた。


(*注2)ニコロ・パガニーニ。イタリアのバイオリニスト、作曲家。鐘のロンド(ラ・カンパネラ)が有名。バイオリンの名手としてヨーロッパ中で名声を獲得した。驚異的なテクニックの持ち主で、そのバイオリン演奏のあまりのうまさに「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡して手に入れたものだ」と噂された。浅黒い肌で目つきが鋭く、痩せていたのも悪魔伝説に拍車をかけた。


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