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第50話 ヴィバルディ・冬のソネット

 ――俺達の事、騒がしいだって、失礼しちゃうな。(ぶーっ)

 ――ホントウ ノ コトデショ。

 ――どうします? サプライズやめましょうか。

 ――だってせっかく来たのに。

 ――そうですよ、シェフに特注で、ご馳走十二人分作ってもらったんですよ。

 ――ご飯まだぁー。

 ――モウチョット マテ。 ポップコーン デモ、タベテナ。

 ――あんまり音は立てないでね。



 ◇



 食事の後、久しぶりにバイオリンを弾いた。

 私の好みは、ワーグナー・バッハなど独のものだが、母さんはなぜか17世紀のイタリアン・バロックの音楽家、ヴィバルディの四季の冬が好きだった。特に第二楽章の、暖かく優しい暖炉の光景のメロディが。


 暖炉の前の安楽椅子に座る、死んだ父そっくりのマイクロフト。その側に母さんが笑って座っているような気がした。子供の頃のクリスマスの夜のように。


 結婚を機に、バイオリンを捨てた母さんが、一度だけ弾いてくれたあの曲。

 あの時、私の身体中の全ての細胞が開いて、全身で母さんの奏でる音を吸い込んだ。あの時の母さんが私には音楽の女神ミューズに見えたのだ。


 冬・第一楽章アレグロ・ノン・モルト


   “寒さで震える雪の中

   厳しく忌まわしい冬の風

   しっかりと踏みしめながら走る

   厳しい寒さで歯がカチカチとなる“


 そして第二楽章ラルゴ。

 ゆっくりしたテンポの、暖かく安らかな子守唄のようなメロディ。


   “暖炉の前で過ごす安らかな日々

   外では大雪が降っている“


 再び厳しい冬の情景、第三楽章アレグロ。


   “氷の上をゆっくり慎重に歩く

   つまずいて倒れないように

   突然滑って倒れ込んだ

   すぐに立ち上がり 氷が割れないかと先を急いだ

   家の中を寒い北風が通り抜ける

   扉はしっかりとしまっているのに

   これが冬だ――

   それでもなお 冬ならではの楽しみがある“


 私の演奏はマイクロフトの拍手で終わった。


「やっぱりお前は母さん似だ。お前に弾いてもらえてストラディヴァリウスも幸せだな」


「ありがとう。物には頓着しない方だが、これだけは大事にしてるよ(*注1)。定期的に修理にも出してる」


 19世紀に入り、17〜18世紀に使われたガット弦は、金属弦に変った。ストラディバリウスも、バスパーは強度の大きいものに交換。駒のデザインも変更され、ネックも適時交換される。だから、定期的な補修が必須だった。


「でもこれをもらった時は、驚いたな。いくら生前贈与(*注2)だと言っても、まさか家も土地も全部売っちゃうとは思わなかった」


「俺たちの育った家を勝手に売ってすまなかったな。領地の管理と運営なんて、めんどくさくて、俺には荷が重すぎた。早く大学に戻りたかったし、その方が手っ取り早かったんだ」


「別にいいよ、相続したのは兄さんなんだ。自分のものを好きにして悪いことがあるものか。いつかは子供時代は終わる。

 あのあとすぐ寄宿学校に入ったし、あの家が残っていたって、色々思い出して、辛いだけだったと思うしね。帰って気持ちの切り返えができてよかったよ。


 ただ、毎年六月に母さんと一緒に庭常(エルダーフラワー)の花で作った、コーディアルを口にできないのは、ちょっと寂しかったな。たくさん作って炭酸で解いて、夏中飲んでたのに」


「あれは、ホームズ(*注2)家の夏の味だったな」


「花は朝一番に積まないと、香りが逃げちゃうから、母さんと一緒に早起きして白い小さな花を沢山詰んだ。花の茎は青臭くなるから、入れないように気をつけてね。

 沸騰したたっぷりのシロップに、必ず剥いたレモンの皮と、レモンの実の白皮をなるべく取って入れる。一晩置くと出来上がり」


「仕上げの色付けに、ピンクの薔薇の花びらを少々入れるんだ」


「兄さん、詳しいね。あの手伝いは私の仕事だったのに」


「当たり前だ。寄宿学校に入る前は、俺が母さんを手伝ってたんだ。お前は寝てて知らなかっただけさ。シャロは、ゼリーが好きだったが、俺はシロップをアイスクリームにかけたのも好きだった」


「ふふん。マイク兄ちゃん、今“俺”って言った。昔さあ、寄宿学校から帰ったら、“僕”って言ってたのが、急に“俺”に変わってて、あの時は訳が分からず焦ったよ」


「俺もあの頃、子供時代が終わったんだよ。シャロだって、今“マイク兄ちゃん”って言ったぞ。何年振りかな、そんなふうに呼ばれたの。あのころ、お前エクボの可愛い金髪ブロンドの(*注3)ちび助だった。大きくなって髪色は濃くなったけどな」


 昔々……今は遠い記憶の底にから湧き上がる、終わってしまった幸せな時間。


 テーブルの上のストラディバリウス。

 バイオリニストになる夢を諦めた母さんは、一度もこれを弾く事はなかった。


「期待されてたのに、バイオリニストにならなくて、母さん怒ってるかな……」


「気にするな。母さんいつも言ってたろう。『人間は、“思ってたのと違う”ってびっくりするために生きてるのよ』って」


「だから、世界は辛くて、厳しくて、楽しくて、美しい――懐かしいな。母さんの口癖だ」



 *******

(*注1)ホームズさんは物に頓着しません。タバコはペルシャスリッパの中、返事を出してない手紙は暖炉棚のど真ん中にジャックナイフで止めてある。薬品や事件の記念品がバター入れから出てくるほど。ゴミ屋敷ですね。(ワトソン君、気の毒)

 なのに、ストラディヴァリウスだけは、ちゃんとお手入れしてケースに入れ、下宿の居間の隅に大事に置いていました。マイクロフトが一度だけベイカー街に来た時、それを見てほっとした事でしょう。


(*注2)ホームズは地名。この地方の地主さんの家だったんでしょう。


(*注3)シャーロックと言う男性名は「輝く髪」の意味で、金髪ブロンドの人につけられます。ホームズさんが、ハリポタのドラコ頭なのはなんか違うので、大人になったら茶色く濃くなったことにしました。子供の頃は男も女も色が薄く、大人になると男性ホルモンは肌を黒くし、女性ホルモンは肌を白くします。男性の髪色は濃くなる傾向にあり、女性は赤毛が金髪ブロンドに変わることがよくあります。

 ただ、聖典には、ホームズさんの髪や目の色については何も記載がありません。

マイクロフトの瞳は薄い灰色と記載されています。薄い灰色(銀)の対として薄い茶色(金)にしました。髪も目も茶色です。(まずかったかな?)


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