嫌いになったままだから!
婚約者であるリュートが、学園入学と同時に決めた門限を初めて破ったアリス。
それは中庭でリュートが最近常に一緒にいるミリア=ハンスとマジでキスする5秒前を目撃した事への反骨精神から起こした行動なのだが、
何故かそれがリュートに即バレしていた。
玄関ホールで腕を組んで立つリュートから目を逸らし、アリスは侍女のユナに小声で訊ねた。
「コソコソ…どうしてリュートが我が家に居るのっ?ユナ、あなたが知らせたのっ……?」
「コソコソ…そんなとんでもないっ!そんな恐ろしい事を、ワタシもこの邸の者も誰もしませんよっ……」
「コソコソ…恐ろしい?リュートは厳しいけど優しいでしょう?」
「コソコソ…そりゃ使用人にだって理不尽に怒る方でも虐げる方でもないですけれど、あの方を優しいと表現するのはお嬢様だけでございますよっ……」
「コソコソ…そうなの?「もういいか?」
ユナとのコソコソ話を遮るリュートの声が響いた。
アリスはリュートに視線を戻す。
彼はいつもと変わらず腕を組んでアリスを見ている。
実に堂々と、少しの後ろめたさも感じていない様子で。
ーー浮気しておいてっ!
アリスの心に沸々と怒りが込み上げてきた。
アリスはツンとしてリュートに言う。
「あら、この頃とっってもお忙しいウィルソン公爵令息様ではございませんか。一体どうされたのです?このような時間にこのような場所においでになられて」
「……アリス」
「なんですか?ウィルソン公爵令息」
「なんだよその呼び方は。それにどうして門限を破った?我が国は治安は良いとはいえ、日が暮れればそれだけ危険指数は上がるんだぞ」
「……どうして帰宅が遅くなった事がすぐに分かりましたの?」
「玄関のドアに使い魔を仕掛けてある。定刻までにアリスがドアから邸に入らないと自動的に俺の所に使い魔が知らせに来るようにしているんだ」
「「「えっ?」」」
どこからともなく邸の者達の声が聞こえる。
しかしアリスが反応を示したのは別の事であった。
「え!すごい!リュート、使い魔を召喚出来るようになったの?子どもの頃からの目標だったじゃない!」
「ああ。使い魔使役資格も一級を取得したぞ」
それを聞き、アリスは目をキラキラさせて自分の事のように喜んだ。
「いつの間にっ?おめでとう!でもとっても難しい試験なんでしょう?」
「アリスがバナナベイクドチーズケーキにハマって、毎日ワンホールをペロッと平らげているうちに」
「ふふ。今でもハマっているわよって、あ、しまった……!普通にお話をしてしまったわ!わたし、もうウィルソン公爵令息とはお話したくありませんの」
再び取って付けた様にアリスがまたツンとした。
わざわざ背を向けて拒絶の意思も示す。
「……ほう?それはまたどうして?アリスを怒らせるような事を何かしたかな」
悪びれもなく言うリュートに、アリスはカチンときた。
「まっ!しらばっくれるんじゃねぇですわよっ!わたし、見たんですからっ……!」
「また学園で変な言葉を覚えたな。それで?何を見たんだ?」
「口にするのも恥ずかしい事をですわっ……!」
その時の光景を思い出し、怒りと悲しみがアリスの心に蘇る。
その様子を見てリュートはそれまでとは違う、アリスに対してしか出さない穏やかな声で彼女の名を呼んだ。
「アリス……何を見たんだ?」
俯くアリスの視界にリュートの靴のつま先が入った。
すぐ側でリュートが立っている。
アリスはがばりと顔を上げた。
そして言ってやる!と言わんばかりの勢いでリュートに向けて告げた。
「あなたの浮気現場をバッチリ見たんだからっ!わたし以外の人とあんな事をするなんてっ!リュートのバカっ!浮気者!大っ嫌い!!」
一世一代、渾身の大声でアリスはリュートに悪態を吐いてやった。
なのに当のリュートは要領を得ない顔をアリスに向ける。
「浮気?何の事だ?」
「とぼけるのっ?言い逃れなんて見苦しいわよっ、中庭でミリア=ハンスとっ…キ…キ、キキキ……」
「キ?」
「キスする直前だったのを見たんだからっーー!!」
アリスの声がサットン侯爵家の玄関ホールに響き渡った。
二人のただならぬ雰囲気に恐れを成した使用人たちはいつの間にか姿を消している。
アリスとリュート、二人だけの空間に沈黙が広がる。
いつもそんなに大きな声を出す事がないアリスはそれだけで息切れをした。
しかしリュートはなんでもない様子で答えた。
「ああ、アレを見たのか。アレは違う。ミリア=ハンスの目を見てたんだ」
「そ、そんな無茶苦茶な言い訳を信じると思っているのっ?あんなに顔を近づけてっ……こうやって、こうやって両手で顔に触れてっ……」
アリスは中庭でリュートがミリアにしていた様に彼の頬を両手で包んだ。
目に悔し涙を溜めながら。
だけど次の瞬間、リュートはアリスの眦から溢れそうになっていた涙を唇で掬い取った。
「っ☆*◇△□£♨︎#……!?」
アリスが驚き過ぎて声にならない声を出す。
「詳しい訳は今は言えないが、アレはキスをしようとしていた訳でも浮気でもなんでもない。俺がキスをしたいと思うのは今も昔もアリス、お前だけだ」
「ウソっ!!」
「嘘じゃない」
「だって今までそんな事一度も言われた事ないしっ、態度だってわたしと違ってドライでクールだったもの!」
「あのなぁ、この世の中でお前と同じテンションで愛情表現できる人間の方が圧倒的に少ないと思うぞ?」
「じゃあどうしてこの頃ミリア様とばかり一緒にいるのっ?中庭でどうしてミリア様の目を見ていたのっ?それを話してくれるまでは絶対に信じないわっ」
「それを話したら俺は誓約魔法で舌が灼かれてしまうんだよ」
「え?誓約魔法……?リュートが?だ、誰と交わしたのっ……?」
「まぁ俺が仕える相手なんて一人しか居ないだろ?」
そう言われ、アリスの脳裏にある人物のしたり顔が浮かんだ。
「お、王太子殿下……?」
「………」
リュートは答えない。これも誓約に抵触するのだろうか。
だけど無言が肯定と受け取れる。
「とにかく、これから暫くあるお方の身辺が騒がしくなる。アリスはただ楽しくケーキを食って待っててくれたらいいから」
「人をそんなケーキさえ食べていればご機嫌な人間みたいに言わないで欲しいわ」
「でも確かにご機嫌になるだろう?飲食代はウィルソン公爵家に請求書を回していい。ジョンズ伯爵令嬢の分も俺が出すよ」
「……わたしが納得いく理由を知る事が出来るまではリュートの言う事は聞かない……」
呟くように告げたアリスにリュートは言い聞かせるように名を呼んだ。
「アリス……」
「知らない!だってわたしの中ではまだ何も解決はしていないものっ……だからリュートの事も嫌いになったままなのっ!」
「……嫌い?……誰が?誰を?」
「わたしが!リュートの事を!」
「……反抗期?」
「違うものっ!」
こうして結局はアリスは何も言わない(言えない)リュートへの反骨精神を胸に、
ありのままの姿を見せる学園生活の続行を決意したのだった。
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じつはリュートさん、
アリスの「嫌い」宣言に後からじわじわと抉られていたりして……