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如月堂の天罰  作者: 眇
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第七話 支倉 禄郎 (九十九 濘山)

サブタイトルの「禄郎」という名前。

『相棒』の浅倉禄郎からとりました。

『王様のレストラン』の原田禄郎からでしょ、と思われた方がいらっしゃいましたら謹んでお詫び申し上げます。

ごめんなさい。許してください。



「一九三二年にヨナルデ・ミルコが製作した置時計『Poseidone』の装飾のカメオに使われているモチーフは?」

「えーっと、イルカ?」

「正解。」

一色華と会う約束をしていたこの日、六花は薬袋と共に電車に揺られていた。

ここ最近薬袋は「修行の一環だよ」と言って六花に時計にまつわる一問一答をするようになった。

今のところの彼女の正答率は八割強といったところだった。


六花は吊り革を握る手を左から右へと持ち変えて車内を見回した。

土曜日の午後三時、意外にも客数は少ない。車窓の向こうのモチーフはイルカではなくずっとビルである。


「そういえば持ってないの?」

「免許?」

「うん。」

「持ってるよ。でも車を持ってない。」

六花はそれとなく薬袋の方を見た。思えば六花が如月堂の外で薬袋を見るのはこの日が初めてであった。

白いシャツに薄手の黒いコート、ボトムスも黒。格好こそ一応は余所行きの服装だが、今日も彼は変わらず片眼鏡(モノクル)を掛けている。

他愛ない会話もそろそろ底を尽きてきたように六花は感じた。そこで彼女は少し話題を変えてみることにした。

「それにしてもあれだけ早い段階で華さんが共犯(・・)だと推理できるなんてまるで刑事みたい。」

六花のこの言葉に薬袋はフッと声を漏らした。笑ったようにもため息をついたようにも見えた。

「何?」

「いや。喜志森六花さんらしくない言い回しだなと思って、」

「なんでフルネームで言うの。さては今回の件で私が読みを外したことまだ馬鹿にしてるの?」

「わかる?」

「サイテー。」

「悪かったよ。ただ、」

「ただ?」

薬袋は自分たちが降りる駅が近づいたのを確認してから六花の方を見て言った。

「僕の推理が正しければ、君はもう一つ読みを外してる。」


最寄駅からは割と歩いた。

見渡す限り家しかない。車窓から見えたあのビル群は幻だったのだろうかと二人は思った。

蛇のように畝った緩やかな坂道が続いていたり等間隔に常緑樹が植えられていたりと六花の住む街とどこか作りが似ている。

しかし決して同じとは言えなかった。建っている家の一軒あたりの規模がまるで違う。


薬袋は隣でキョロキョロしながら歩く六花を見た。

ネイビーとアクアブルーのワンピースと青いブーツ、肩に掛けた手提げかばんからはチラリとあのスケッチブックが見えた。

「ロサンゼルスみたい。」

「六花ちゃん、行ったことあるの?」

「ない。」

「いやないんかい。」

「ないよ。仕事となればあちこち出向くくせにいざ家族でどこかに行くとなると国内しか候補にあげないもん、父も……」

薬袋は片眼鏡のフレームの縁を軽く撫でた。

「その様子じゃ母親とはほとんど連絡取ってないみたいだね。アントウェルペンだっけ?」

「どうして知ってるの?」

「僕は物知りだからね。で、連絡は?電話くらいはしてるの?」

「そこの角を曲がったら華さんの家みたいだよ。」

六花は薬袋と並行して歩くのを止めてスタスタと曲がり角まで行った。

薬袋はもう一度片眼鏡の同じ部分を撫でた。

さすがに無神経であっただろうか。以前に彼女の名字を当ててみせた時とは明らかに違う、詮索されたことに対する拒絶と嫌悪。

「難しいね。」彼は早足で彼女を追いかけた。


「てっきりインバネスコート着てくるかと思った。」ニコニコしながら一色華は言った。

「インバ…コートって何?」

「シャーロック・ホームズが着てるアレ。」薬袋は六花にそう耳打ちしてから華に言った。

「当初は着させて訪問するつもりだったのですが、パイプが見当たりませんでしたもので。」

「あら、それなら仕方がないわね。さぁどうぞ。」

靴を脱いでスリッパに履き替えた薬袋に六花は自分が持っていた深緑の手提げをわざとらしく突き出した。

「持っといて、ワトソン。」

その様子を見て一色華はただクスクスと笑った。


ホームズとワトソンは呆気に取られた。

外観通りのその広さにも驚いたが、何よりその中身(・・)に二人は魅了された。

家具をはじめ調度品に一切の隙も圧迫もない。白とオレンジを基調とした内装は決して派手ではないのに眩さがある。

まるで全ての部屋そのものが彼女の思想を具現化しているようであった。

南側一面が庭へと出られるフランス窓になっていて今は仄かに西日が差している。

六花はフランス窓の反対側、北側のスライド書棚の方を見た。

書棚いっぱいの本。ビジネス書の類かと思い近づいて見ると驚いた。どうやら並べられているのはどれも図鑑のようであった。


「ホテル王者の専務らしからぬ家でしょう。」

木彫りのローテーブルの上にティーカップを置きながら一色華は言った。 

「いえいえ。むしろ華さんらしいお家だと思いますよ。」

勧められるままソファに腰掛けた薬袋が応えた。 

六花は薬袋の隣にちょこんと座ると一色華に尋ねた。

「あの、健さんと綾葉さんはその後どうなりましたか?」

「ご存知じゃないの?あのタイムマシンがあればサクッと見られるんじゃ?」

「生憎それほど二月乱天時計(アレ)は使い勝手の良い代物ではありません。サクッとは見られません。」と薬袋。

「結婚されるそうですよ。」

優しい声で華は言った。二人への祝福の気持ちが滲み出ているように六花には聞こえた。

「健さん、お父様を三日三晩かけて説得されたそうですよ。近いうちに綾葉さんの地元の方で式を挙げる予定だとか。」

「それは良かったですね。」

「ええ。馬鹿な親達による悪習とはいえ二人には本当に迷惑をかけてしまったわ。健さんね、私やお二人も結婚式に招待したいって言ってくれたんです。ご都合よろしければ一緒に行ってくれます?」

「もちろん。ね、六花ちゃん。」

「はい。是非行きたいです。」


そこからの世間話はさほど長くなかった。

六花と薬袋のティーカップの中の紅茶が無くなる頃合いを見計らっていたのか、一色華は「そうだ」と手を叩いた。

「報酬の方をお渡ししなければいけませんでしたね、健さんの依頼分も合わせて三百万。」

そう言い立ち上がろうとした華を薬袋は「いえ」と手で制した。

「その前に答え合わせしておきたいことが一つあります。私はそのためにもここへお邪魔したんです。」

「何でしょう?」

薬袋はほんの一瞬だけ六花の方をチラッと見てから華に言った。

「僕の推理が正しければ、貴女は本物の『夢花の時計』もお持ちですね。」

「えっ」


言われた華よりも先に反応したのは薬袋の隣に座る六花であった。

「え、だってあの時もそうだし今だって着けてるのは『酔花の時計』だし、私の皮肉だって通じてなかったのに。」

「通じてないふりをしていただけだと思うよ。その点で君は読みを外していた。」

六花は華の方を見た。華は自分の腕に絡まるその造花を指でなぞった。

「別に嘘をつこうと思ったわけじゃないんですよ。ただ話を合わせただけ。」

「そうだと思います。わざわざ隠し立てする理由もありませんからね。」

「夢花の方を着けてないのも単に高価な時計だからです。万が一にも壊れたり盗まれたりしてしまったりしたら困るでしょ。」

「それは違うと思っています。」

「は?」

薬袋の片眼鏡が白く反射で光る。

「正確にいえば、『破損や盗難を防ぐため』とは別にもう一つ理由があったのではないかと思っているんです。」

「理由?理由って?」

「二つの腕時計は華さんにとって一種の暗示だったのではないかと僕は思っています。」

一色華は答えない。答えないまま手元の酔花に優しく視線を落としている。

しばらくして彼女はその視線を真っ直ぐに薬袋の方へ向けた。

「何でもお見通しなのね。夢花が収納(しま)われているのがどこかも既に見当がついてるんでしょ?」

「どこなの?」思わず六花は口を挟んだ。

薬袋は一色華から視線を外さずに言った。

「向かって一番右の書棚の上から二段目のところ。そこだけ植物図鑑が横向きに平積みされてるだろう。」

六花は再度書棚の前に行った。確かにそこが彼の言った通りになっている。

薬袋の「よろしいですか?」という問いに華は穏やかな声で「ええ。」と返した。


六花はそれを手に取ってみて少し驚いた。

その平積みされた植物図鑑は平積みされた植物図鑑ではなくそう装われた一つの箱だった。

持ち上げてみるとその箱の重厚さがさらに伝わってくる。“箱”というよりも“ケース”という呼称の方が適しているのかもしれないと六花は考えた。

ケースを両手で慎重に抱えながら六花が元いたソファの位置まで戻ってきた。

彼女の動きに合わせるようにして薬袋と華はティーカップをどかしてテーブルの上にスペースを作った。

重厚かつ芸術的なケースがそのスペースにそっと置かれた。

すると一色華は突如として立ち上がると「少し待ってて」と奥に続く部屋へと一度消えていった。


戻ってきた彼女はアタッシュケースと小さな鍵を一つ持っていた。

アタッシュケースの中身は見るまでもなかった。

「小切手か振り込みの方が良かったかしら?カードや電子決済は対応していないでしょう?」

「本当はすぐにでも導入したいんですがね。もちろんこの形(・・・)でも問題はありませんよ。」

苦笑いを含みながらも薬袋はそう言った。

「それと、はい。」

華は小さな鍵を六花に手渡した。六花は受け取った鍵をケースの鍵穴に差し込んだ。

ケースは重く、しかしそれでいて滑らかに開いた。

そこには夢花の時計のみがあった。ケースに光が入り込むと同時にそのフォルムは輝きだした。深い眠りから覚めたかのようである。

「はい、これ。」

薬袋はどこからともなく鑑定用の白手袋を六花に差し出した。

「ありがとう。」

夢花の時計のその美しさは取り出すとさらに圧倒的なものとなった。

光沢を帯びた太めのバンド部分の中に無数の白が咲き誇っている。

六花はもちろんのこと、薬袋までもが一つの腕時計をあらゆる角度から観察し感嘆した。

驚いたことに使われているのは白いこの花一種類だけである。

殊に時計に関しては目の肥えているはずの二人でさえ、単一のモチーフで作られた夢花を見るのは初めてであった。

「ハナキリンの花ですね。」

「ええ。そのベルトに収まるように品種改良されたものだから実際よりも小ぶりの花なの。」

六花はずっと時計の方にやっていた目線を外した。今の華の説明はまるでここにいない誰かと話しているような口ぶりである。


「ねぇモノクル、さっきの“暗示”ってどういう意味?」

ようやく六花は薬袋にこの問いを投げかけた。

「そのままの意味さ。」と答えて薬袋は続けた。

「僕らや鳥藤健さんと会う時、一色誠三の娘としてや一色グループ専務として振る舞う時に着けている酔花は〈造り物であしらわれた偽物〉。本物のハナキリンの白には遠く及ばない。そしてそれを身に着けている自分もまた、本当の姿を人前で見せてはいない。」

「たかが暗示です。」

「おっしゃる通り。しかしその暗示によって僕の思う貴女の人物像は少し変わったんですよ。」

「どういうことでしょう?」

「いつだったか、六花ちゃんが貴女に対して『どうしてそこまで犠牲になれるのか?』と聞いたのを覚えていますか?」

「覚えています。」

「貴女はその理由はっきりとは答えませんでした。今回の縁談における貴女の行動の一切、僕が考えるにその動機は健さんや綾葉さんへの同情などではない。」

一色華はそのままの優しい声で静かに言った。

「いいえ。二人の助けになりたいという気持ちも多少はありましたよ。」

「多少?」

六花にはどうにも二人の会話についてゆけない部分がある。

「貴女の一番の動機は父親である一色誠三氏ですね。私たち複数の第三者が見ている前で彼に自分の主張を受け入れさせる。そうすることでご自身の立場を確立させることこそが貴女の動機だった。違いますか?」

「貴方、本当にただの時計屋さん?」華が尋ねた。

「タイムマシン使った商売してるんです。その時点で『ただの時計屋さん』ではなくなってますよ。」

今モノクルは華をはぐらかしたのだと六花は感じた。


華が話し出すまでには少しの間が生じた。

「その夢花の時計、死んだ母から貰ったものなんです。」

フランス窓から差す光の色がいつしか変わっていた。

「母は私を愛すると同時に尊重もしてくれました。『臍の緒(へそのお)が切れたその瞬間から別々の生き物なんだから』って。対して父は私を愛しこそしても尊重はしていません。“器物愛”に近いです。なぜだかわかりますか?」

「元々そういう人間だからなんじゃないですか。」

六花は吐き捨てるように答えた。

薬袋は思わず小さく咳き込んだ。

「そうね、きっとそれもあるわね。でもね、もっとハッキリとした理由がある。実の子じゃないからなの。私は母と母のセカンドパートナーとの間の子です。」

二人は黙るしかなかった。華はそのまま話を続けた。

「それこそ当時にはない価値観だったのかもしれないけれど、確かに母には心も身体も許せる男性がもう一人いたそうです。父もその事実を認めているんです(実際のところはどうか知りもませんが)。認めているんですが…やはり、実子である兄と同じようには私を見ることはできないようです。」

華は両の目尻に涙を溜めていた。

しかし六花にはこの時の華の気持ちを理解できる気がどうしてもしなかった。

「だからこそ思ったの。父の身勝手から自立するためには母と同じようにならなければいけないと。母と同じ思想を以てすれば私は本当に私になれるって。」

「その頃ですね、鳥藤家具との縁談の話が持ち込まれたのは。」

華はコクリと頷いた。

「程なくして綾葉さんと健さんの関係を知った時は正直千載一遇のチャンスだと思いました。」

薬袋は落ち着いた声で言った。

「貴女の父親がそうであったように『配偶者のセカンドパートナーを受け入れた存在』に貴女がなる。自分の意に反して娘が縁談を蹴るのは嫌だ。しかしこのまま縁談がまとまってしまえば娘とかつての自分とが重なってしまう。貴女という傀儡を失うか、貴女という傀儡を手元に置いておくことで自身の傷を抉るか。プライドの高い一色誠三氏にとってはどちらも相応に苦痛でしょうね。それが貴女なりの父親に対する反抗、いや復讐と言ってもいい。」

「その通りです。だからね、あの時に六花ちゃんが私を叱りつけてきた時は、私すごく嬉しかったの。いいアシストだったわ。入口の側で父が立ち聞きしてるのには気が付いてたから。」

そう言うと華は深く息を吐きながらソファの背もたれに体重を預けた。六花にわかったのはとてつもないその達成感であった。


「あげるわ、あなたに。」

一色華の急な発言に六花はつい反応が遅れた。

「何をですか?」

「もちろんこの二つ。」

華は夢花の時計を入れたケースを指差した後に自らの着けている酔花の時計を外してケースの隣に置いた。

「ダメですよ。形見なんでしょ。」

「形見としての存在意義は十分に果たしてもらったわ。それに母が同じシチュエーションに立たされたらきっとこうすると思うから。」

父親への反発心が母親への偶像視にそのまま影響しているのだと六花は感じた。

私は違っている。泉への抗いの念は全て時計や絵にぶつけてきた。啓斗ではキャパ不足であることを幼心に理解していたからだ。

「夢の華と六つの花とじゃあ、そりゃ違うか。」六花はボソッと呟いた。

その呟きが聞こえたのか聞こえなかったのか、薬袋は六花に言った。

「いいじゃん。貰えば?」

「軽く言うのね。」

「六花ちゃん、今現在の酔花の時計の市場価格はいくら?」

ここでやるのか一問一答。

「せいぜい七万円くらい?」

「正解。じゃあ夢花の時計は?」

「あっ」

六花は華の目を見た。

「通常モデルは二百万円前後、オーダーメイドだとおよそ三百万円。」

「報酬としてはもってこいですね。もちろんこちらで別途お支払いという形でも構いませんが、」

薬袋はアタッシュケースの縁に指を置いた。華は何かを察すると、

「そうね、夢花と酔花(こちら)でお支払いすることにしましょう。これから何かと物入りだものね。」と言って笑った。


帰りの電車。車窓の向こうのモチーフは反射した自分たちであった。

行きと同様、二人は座らない。

その代わり正面の長椅子にジュラルミンケースが鎮座している(帰り際になって薬袋が慌てて華から借りたのである)。

「絵、喜んでくれて良かったね。」

「…うん。」

六花が描いた華のデッサンは写実性に優れているといってよかった。

しかし絵を受け取った華からの評価は「上手ね」や「綺麗ね」ではなく「真っ直ぐとしてるわね」であった。

この言葉は単に彼女の描いた絵に対してだけのものではない。その評価の真意を六花が理解するのはもう少し先のことである。

「良かったの?」

「何が?」

「もう三百万を棒に振っちゃって。華さん、あの通りのお金持ちだからさ…」

「倍の金額もらったところで大した痛手じゃないと?」

「うん。」

「甲斐田さんの五十万円で騒いでいた子とは思えない発言だね。」

言われてみればそうだな、と六花はつい思ってしまった。

薬袋は三百万(それと七万)が収められたケースに視線を落とす。

「現金三百万の方はちゃんと鳥藤家具との共同プロジェクトに出資されるだろうね。華さんなりの“ご祝儀”とでも言ったところかなぁ。」

「あっ、『物入りだものね』って言ってたのそういう意味だったの?!」

「えっ今気付いたの?!」

この車両に乗っているのが二人だけで良かったと思えるほどの声量で双方は驚いた。

「鋭いんだか鈍いんだか……。やっぱりちょっと変だよね君は。」

「どの口がそれを言う。」

それから二人はビル街の隙間というか余白というか、そんな澄み渡った夜闇だけ見ていた。



帰宅して早々、六花は面食らった。

普段私服にエプロンという格好である猫目が魔女のコスプレをしてキッチンに立っている。

それも急繕いの安いパーティーグッズなどではない、まぁまぁガチのやつである。

「生足じゃん。」六花の第一声はこれだった。

「お帰りなさい。あら、綺麗な時計ね。買ったの?」

「いや今あんまり腕時計(こっち)の話はどうでもいいわー。」


何その格好、と尋ねる六花に猫目は「何言ってるのよ~」と返した。

「明日はハロウィンじゃない。明日っていうかもう真っ只中じゃない。渋谷のスクランブル交差点への土地面積的な侵食もなかなかだけど、時間的な侵食は深層まで来ている。夏休みの隣にはもうスタンバってて十月末まで存分に居座って。考えてみたらその次のランナーはクリスマスでしょ。年間の三分の一は西洋文化にグラウンド走られちゃってるのよ。お正月なんて短い区間よ。目と鼻の先にゴールテープあるじゃない。二十四節気がみたら泣いちゃうわよ。そう思わない。」

「そのことと猫目さんが侵食されて生足出してること、結び付いてなくない?」

六花はそう言って手洗いうがいを手早く済ませるとキッチンに戻った。そして丸く平たい大皿にてっさの如く螺旋状に盛られた鯛の刺身のうちの、その螺旋の始点の一枚をつまみ食いした。

「せめて着替えてから食べなさいよ~」

「その露出度の人に説得力があるとお思いで?」


余談ではあるが六花は寿司や刺身を食べる時、最初の一枚は何もつけずに食べるようにしている。そしてそこから醤油、薬味果てはスライスチーズへと段階的に味変をしていく。

食に限らず「至福とか快楽とかっていうのは逓増(ていぞう)してなんぼ」という感覚が六花の中には幼少の頃より根付いていた。

その昔にこの習性を目撃した啓斗の親戚のおじさんは「江戸っ子気取りが食う蕎麦じゃねーんだから。」とツッコミを入れた。

六花は未だにこの言われ方が解せないでいる。


「それにしても」と六花は手巻き寿司を作りながら改めて猫目のコスプレを観察した。

普段とのギャップが思わず自分においおい、と言わせたが俯瞰でみればこのコスプレは成功している。背伸びしていない。

猫目さんは三十二歳である。

ほとんどスカートと呼べない丈のスカートだったり胸の谷間に焦点がゆくことが前提のデザインだったり、彼女はそれらを違和感なく着こなしている。

三十二歳なのに。

いけない、エイジズムだ。この前現代文の論説で読んだばかりじゃないか。

猫目のことが美魔女(これももうじき死語だよね)を通り越してちょっとしたサキュバスに見えてきた六花に彼女は言った。

「明日はこの辺りもパセリよ。」

パセリ?

「お祭り騒ぎになるってことよ。市内だけでも三つはイベントが開催されるから。きっと電車もバスもバケモノだらけになると思うわ。」

猫目は侵食を楽しむように笑み鉄火巻を食んだ。



「電車もバスもバケモノだらけだな。」

昨夜の魔女の予言の答え合わせをしたのはフェレットであった。

「まったく、どこで売ってんだよこんなコスチューム。」

伴之助はタブレット二台を交互に見て言った。

「どんなの?」六花がタブレットを覗き込む。

「ああちょっ、邪魔だな!大人しくそっちで課題やっときなさいよ。毎放課後ここでたむろしやがって。」

「たむろする、っていうのは複数人の集まる様を指す言葉であって単数に対して使う言葉ではありませーん。」

六花は嬉しそうにテーブルへと戻る。

「問(一)から芋づる式で大問ごと計算間違えちまえ。」

「何か言った?」


その後伴之助はレタス一玉を抱えて地下へと階段を下りていった。まるで長さのない腕と頭で器用に支えながら。

「アトラスだ。」

「アトラス?アトラスって何の神様だっけ?」

薬袋が尋ねた。彼は今ソファに座り、昨日一色華から報酬として譲り受けた夢花の時計の修正(リペア)の出来を確認していた。

「ギリシャ神話。オリンポス一族との戦いに敗れたアトラスは『天空(ビジュアル的には地球だけど)を支え続けさせられる』という罰を受けるの、あんな風に。」

「なるほど。」

「神話とか興味ない?」

「興味ない訳じゃないけど詳しくなろうとも思わない。あっ、そうだ。布雀庵(ふざくあん)の懐中時計にのみ使われている日差補正機能は?」

忘れておりました、の一問一答。六花は何もないところを数秒ほど見つめた。

「多重支柱式ゼンマイ。」

「正解。」

「絶対『支』の字で思いついたでしょ?」

「毎日ランダムに問題考えるのも大変なんだよ。」

だったらやらなきゃいいのに。

六花はいかんせん課題に対してやる気が出ない自分を誤魔化すために、カウンターに放置された伴之助のタブレットの前に座った。


二台のタブレットのライブ映像はまだ続いている。

一台は普通電車、もう一台は市バスの車内を映している。

画面二つを交互に眺めてから六花は気付いた。

「ねぇ、この映像どこから拾ってるの?」

「何が?」

「フェレットが見てたこの映像よ。これ誰が撮影してるの?バスの方なんか上から見下ろすようなこの画角、車載の監視カメラじゃない?」

「あー、多分そうなんじゃない。」薬袋は視線も動かさずに言った。

「ハッキングでもしたんでしょ。」

「ハッキング?!あのフェレットが?!」

ここでようやく薬袋はソファの背もたれに腕をかけて六花の方を見た。

「不思議には思わなかった?」

「?」

「いくら一見さんお断りで徹底してるとはいえ、SNSのおかげで媒介天国であるこのご時世にどうしてこの如月堂の存在が流出・拡散されていないのか。少なくとも“デジタルなバレ方をした”ことはないでしょう?」

「…うん、確かに。」

六花は頷いた。如月堂自体はGoogle に載っているがレビューや関連リンクすべて時計屋としての紹介しかされていない。

「伴さんはね、僕が知る限りで最もサイバーセキュリティに長けた人間なんだよ。」

「フィジカルは人間じゃないのに?全身フル稼働しなきゃタイピングできないのに?」

「できないのにだよ。本人曰く『五分あれば日本の防衛省とアメリカのペンタゴンにある何かしらの機密データをシャッフルできる』らしいよ。僕はそれは嘘だと思うけど。」

薬袋は夢花の時計を立方体の小さな桐の箱にしまうと、その箱の上面に〈非売品〉と書かれた紫のラベルを貼った。

「じゃあフェレットが二月乱天時計(あれ)に関するSNSの投稿とかを監視・削除してるの?どうやって?」

「そりゃまぁ、ちょっとばかりイリーガルな方法で。」

「ちょっとばかり?」

六花はジッとモノクルを睨んだ。

「訂正します。なかなかにイリーガルな方法です。」

薬袋は桐の箱を持って一度地下へと下りていった。


数行前の薬袋の台詞。表記を省くレベルではあったが「なかなかに」の中には「~」が、そして文末には「♪」が入っていた。

果たして読み手に伝わるだろうか、無自覚に彼は歓喜している。

希少なる芸術品がこうして美しい箱の中で休んでいるという状態そのものがコレクター冥利に尽きてたまらないのだ。

六花は言うまでもないとして、薬袋要という男も大概な時計バカ、いや器物バカなのである。


一人きりなった六花はタブレットに視線を戻すと何の気なしに画面をタップした。

九分割された。

六花は反射的に階段の方を見た。

大丈夫。伴之助は戻ってきていない。きっとまだミス・オールソンと戯れている最中なのだろう。

あまり勝手にいじくり過ぎているとさすがに怒られるかなぁ。

六花は九を一に戻すべく画面をじっくりと見た。

残念ながら親切に「戻る」があるわけではない。

分割されたうちの左下の端の映像は先ほどまで見ていた市バスの車内である。停車している。すぐそこのバス停だ。

降りていく乗客のうちの一人が六花の目に止まった。


着物姿にリュックサックを背負ったその男。

バスを降りるなり周りをキョロキョロ、キョロキョロ、キョロキョロ。

AIにこの映像を入力すれば出力される言葉はきっと「無賃乗車」。そのくらいに怪しい。

男は何かを大事そうに抱えている。六花は画面に十センチ近づいた。

おそらく風呂敷と思われる布地に包まれた箱か何かである。

箱の形体は先刻薬袋を悦ばせていたあの桐の箱に近い。

男は懐から紙切れを取り出すとそれを見てまたキョロキョロ、進路を見定めると小走りで移動を始めた。

(あれ、この流れどっかで見たぞ。)

そう六花が思ったのも束の間、男は初めて来たのであろうこの住宅街を紙切れを頼りに縫い歩いている。

九分割で表示された監視カメラから監視カメラへ男の姿が映り移ってゆく。


人間とは決まってこういう瞬間が無防備になる。それは六花とて例外ではない。

「おーい。」と声をかけられるまで彼女は下の階から戻ってきた二人に気が付かなかった。

「うわぁっ!」

「『うわぁっ!』じゃないよ。何コソコソやってんの?」

「別にコソコソしてはない…けど…。あ、そうだ。この人さ、こっちに向かってない?」

薬袋と伴之助が画面の中の男を確認する。

「二人の知り合い?」

「いいや。」

「要、今現在予約は一件もなかったよな?」

「うん。入ってない。」

「予約ってどっちの?」

「どっちも。」

閑古鳥鳴きまくりかよ、と六花は改めてこの店のもったいなさ(・・・・・・)に呆れた。


もしかしたら希少な時計を売りに来たのかもしれない(そういう客自体はよくいるらしい)と聞いて六花は少し期待に胸を膨らませた。

急いでテーブル上の問題集やらノートやらを片付けて右腕に着けた酔花の時計の表面を磨く。

ふと横に目をやると薬袋も自分の腕時計を磨いていた。

なんでだろう…ちょっと腹立つ…。

六花は皺が寄ってしまった眉間に中指を押しやった。

「共感性羞恥と同族嫌悪の間で小娘は揺れるのであった。」

伴之助が笑いを堪えながらナレーションを入れる。

六花は伴之助にタブレットを投げつけた。インターホンの鳴る二分前の出来事であった。


例によって伴之助を地下に隠し、六花が玄関にて軽く応対して、それからリビング兼客間に通す。

「本日はどういったご用件で?」

男と向かい合ってソファに座る薬袋。キッチンでお茶を用意する六花。

二人の視線は男がテーブルに置いた〈鶯色の風呂敷に包まれた何か〉に釘付けになっている。

(思ってたよりも箱が大きい。置時計かもしれない。ルイ・パスタンの『入城(キャスリング)』シリーズとか。)

(この出で立ちからすると日本製の古い時計だろうか。それこそ布雀庵とか。噂をすれば影だな。)

しかし時計バカ二人の考察と期待を男は即効裏切ってしまう。

「以前に私の師匠がお世話になったと聞いたことがあり、それでうろ覚えの記憶とメモでなんとかこちらに行き着いた次第でして…」

そう言いながら男は風呂敷を解いた。案の定木箱が現れた。

そのまま男は木箱を開けて中身を慎重に取り出した。

「えっと、湯呑み…ですか?」


瑠璃色の湯呑み。それが割れてしまっている、綺麗に三等分。

少し離れたキッチンから見ていた六花には湯呑みに見えなかった。

割れていたからではない。そもそも陶器に見えなかったのである。

硝子(ガラス)製と錯覚させるだけの深みと透明度をその容器は有していた。

「深みがある」は概略すると「濃い」、「透明度がある」は概略すると「淡い」であるとしてみよう。

「濃い」と「淡い」は対義語にあたる。相反しているのだ。

つまりは相反しているものを木箱に入るようなサイズの器物に内包させているのだ。

なんと芸術的で天才的であろうか。正気の沙汰ではない。


「どうぞ。なんで割れちゃったんですか?」

お茶を出しながら六花は話を促した。

「この湯呑みは師匠の作なんです。明日から開催される展示会のために私はこれを持って移動していました。バスを利用したんですがね、」

「はい、知ってます。」

「え?」

沈黙。タイムラグを挟み六花プチパニック。

慌てて薬袋はフォローを入れる。

「この子、目ざといところがあるんですよ。ほら、それ。」

薬袋は男が脇に置いたリュックサックを指した。ファスナーが全開になっている。

「定期券が見えてます。この辺りは電車よりもバスの方が交通の便としては行き届いてますからね。」

「あっ。」

今度は男の方が慌ててリュックを閉じた。

「まぁそんなわけでバスに乗ってたんですが、仮装したパリピたちで車内がごった返していて、それで…」

「割れてしまったというわけですか。」

困っちゃいましたよ、と汗をかきながら男は自分の後頭部を撫でた。

どこか少し啓斗に似ていると六花は感じた。

やや角張ったような顔の輪郭とか、垂れ目と前髪の距離感とか、柔和な口調とは不釣り合いな肉付きの肩とか。

「あ、申し遅れました。私、九十九(つくも)濘山(ねいざん)の下で陶芸家をしております、支倉(はせくら)と言います。」

彼は一度閉めたリュックをもう一度少し開けて名刺を取り出した。

薬袋と六花は出された名刺を覗き込んだ。


「「あ、『支』だ。」」






前書きにて読み手からは見えもしない土下座をした、その前の話をします。

というのも当初は「支倉 真一郎」という名前にする予定だったんです。

本作に限らず、登場人物や社名、ブランド名など架空のネーミングを行う際は作った名前をググるんです。(当然の配慮だと言われるでしょうが)

「支倉真一郎」でググってみるとなんと存在してたんです。

それも「小説家になろう」で他の方が投稿された作品の中で出てくるんです。

そんなピンポイントなパクりあるかよ、何やってんだ眇!

ということでご迷惑にならないように急遽どこからともなく浅倉禄郎を連れてきたというわけです。(輿水泰弘さんに迷惑かけてんだろーが)


ところで、ここまで読んで「ちょっと待て」と思われたそこのあなた。その通りです。

「そもそも『如月堂』っていう名前、お前平気で使ってんじゃん。」はい。その通りです。

許せないですよね?何様だよって思いますよね?

今あなたは怒りを胸に有刺鉄線をバットにグルグルと巻いてテイクバックに入ってることと思います。

再度謝ります。ごめんなさい、悪気はないんです。命だけは勘弁してください。


というわけで皆様、生きてたら第八話をよろしくどうぞ。

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