第三話 甲斐田 里子
玄関の扉は真新しいスライド式のドアだった。
日没によって家々の灯り以外は辺りが黒一色になろうとしてる中、見知らぬ家、もとい見知らぬ店に入ろうとしているのだ。
テンションが凪に戻ると今度は恐怖心が生まれてくる。まるでお化け屋敷に入る小学生のように六花はドアを恐る恐る開いた。
玄関は想像していたそれとはだいぶ違っていた。
まず外観で感じたお手本のような「平凡さ」とは裏腹に、隅々まで綺麗でどこか高級感のある内装。外の薄暗さと対比されたように明るい暖色系の照明。そしてほんのりと柑橘系のいい匂いがする。アロマオイルにある「グリーンシトラス」の系統の香りである。
ビジネスホテルのエントランスのような洗練された雰囲気、また一方で漂う祖父母の家のような不思議な安心感がこの狭い空間の中でごちゃ混ぜになっている。
「思ってたよりも綺麗というかなんというか、素敵なお宅ね。」
里子がそう言って周りをきょろきょろと見回している中、六花は急にある一点に目が釘付けになった。
玄関の扉から入って真正面は壁になっていて、廊下は左側へと続いている。この真正面の壁には奥に凹んだスペースがある。和室なんかで掛け軸や生け花が飾られているあのスペースに似ている。しかしこの家の玄関のそれには、掛け軸でも生け花でもなく時計が置かれている。大きな時計、六花が今日スケッチし損ねたセンペアル社の時計である。
「なんでコレがここにあんのよ・・・。」
六花は一瞬自分の見間違いなのではとも思った。というのもこの時計、本当につい最近販売が開始したもので日本にはまだ出回っていない。
センペアル社は製作する時計もさることながらその売り方も少し変わったメーカーで、新しいモデルはまず近場であるヨーロッパの中だけで販売される。そこからアメリカ、東南アジアへと少しずつ販売エリアが拡大されていく。どのタイミングでどの国や地域に販売するかは俗に言う「解禁スケジュール」で管理されていて日本の解禁日はあと半月程後のはずである。
六花もスマホで検索して出てきた画像を見てスケッチしていた。国内にはまだ所有者はいないと思っていた。
ところが今自分の目の前にあるのは、正真正銘センペアル社の最新シリーズの時計である。
「確かドイツとスペインはもう解禁日を迎えてたはず。転売で競り落としたとか・・・?」
六花がぼそぼそと目の前の逸品の入手ルートの推理を立てている中、里子はスリッパに履き替え左手へ続く廊下を覗く。玄関と同様、暖色に照らされた廊下はすぐに突き当たりになり、今度は右手へと続いている。
「ねぇ、六花ちゃん・・・。」
里子は突き当たりの角から廊下の続きを覗くと、そのまま目線を変えずに六花にこっちこっちと手招きをした。
「なんか、すごいいっぱい時計があるわよ。」
「えっ?」
玄関の時計しか見えてなかった六花は里子の言葉でふと我に返った。慌ててスリッパを履いて里子のもとへ駆け寄る。
突き当たりを曲がった先にはまた突き当たり・・・、というわけでもなく広めの部屋に繋がっていた。
二人は罠を警戒する侵入者のように静かに部屋へ入っていった。まだどこか「お化け屋敷感」が抜けていない。
部屋自体は何の変哲もないリビングとダイニング、それからキッチンである。
赤い二人掛けのソファが二脚、低めの白いテーブルを挟んで向かい合っている。その他ダイニングテーブルや棚は白を基調としている。対してダイニングカウンターやキッチンの調理家電はほとんどが黒色をメインにしている。足元を見るとリビングのカーペットも黒色である。そしてこの部屋も暖色系の照明で統一されている。
何の変哲もない部屋。些細な違和感といえば、家具や家電の配色が少し変わってることとテレビがないことくらいである。しかし、圧倒的に大きな違和感が一つある。
壁や棚にずらりと並べられた時計の数々である。
六花には一目でわかった。ここに並べられている時計はどれも「ただの時計」ではない。
「すごい数の時計ね。古そうな掛け時計もあれば、変わった形の砂時計まであるわ。」
里子の反応をよそに六花は時計たちを左から右へ、そして右から左へと凝視しながら棚へ近づいていった。
「あの掛け時計は世界に数個しか出回っていないデフォッグ社の『ジュエル』のプロトタイプ、この懐中時計は布雀庵の『昭和伍式時計』、こっちの砂時計は数年に一度しかオークションに出ない『複淵直管型砂時計』、この腕時計は女優のスーザン・ロロットが自殺時に着けてた『MMR』、ベルトに血の痕がついてるってことは本物n・・」
「ほんとに時計が好きなのね!!六花ちゃん・・・。」
狂気性を感じてしまったのか、里子は六花の暴走する独り言を無理矢理抑え込んだ。
「・・・こっ、ここで待っておけばいいのかしらねぇ・・・。」
里子は六花から目を逸らすことなくそっとソファに座るとそのまま黙り込んでしまった。六花の方はというと里子の制止が少しは効いたのか、独り言は止まったものの未だ珍品揃いの棚から離れずにいた。
数分の後、キッチンの隣にあるもう一つのドアから男が一人入ってきた。
「お待たせいたしました。甲斐田里子さん。」
カジュアルな黒の量産品シャツにボトムスも黒の量産品パンツ、その上に紺色の作業用エプロンという、どちらかと言うと時計を修理する商売をしてそうな風貌の男である。
男は里子と、なおも背を向けて時計を見ている六花に向けて交互に視線を送った。
「あぁ、私です。私が鶴伎さんから紹介をいただいた甲斐田です。」
「あっ、失礼いたしました、甲斐田さん。お名前しか伺っていなかったものですから。」
里子はソファから立ち上がると二、三歩ほど男の方に進んで、改めて彼の顔をゆっくりと観察した。
まず何より左目に着けている片眼鏡につい目がいく。作業か何かで使うのだろうか?もしオシャレでしているというのならまぁまぁ勝負に出ている気がする。片眼鏡のせいで顔全体がえらくアシンメトリーに見えるが、よく見るとそこそこのイケメンである。体型もスラッとしているようでいい感じに肩幅があって筋肉質、和服を着ると一層映えるタイプとみた。
髪型も黒のマッシュヘアと至ってシンプルで清潔感があるが、近くでみると少し白髪混じりで若干パーマがかかっている。体質か何かだろうか?
「薬袋です。よろしくお願いします。」
頭の中の暴走がひとまず落ち着いた六花は、ようやく振り向いて、後ろにいた薬袋と名乗るその男をじっくり観察しだした。背丈は自分よりちょうど頭1つ分高い。これでも自分はクラスの女子の中では三番目くらいに高いのに・・・。
腕時計は右に着けてる。この人も左利きなんだ。着けている腕時計は・・・。
噓だ。
ESTIALのバッキンガムモデル!?メーカーが数年がかりで政府機関や王族関係者に交渉し続けて完成したという、世界に一つだけのレアな時計!しかもあれはそもそも、どこぞの大富豪が自費製作した映画に出演するヒロインに着けさせるためだけに作らせて、撮影後はメーカーに所有権が委託されたという代物。当然ながら非売品・・・のはずなのに。
「娘さんですか?」
薬袋はそう言って六花の方に目を向けた。
「ははっ、そんな娘だなんて。私の歳からしたらどう見ても孫でしょ!この娘とはついさっき会ったんです。道に迷ってた私を助けてくれて・・・。」
「あぁ、そうでしたか。・・・何故まだここに?」
「あっ!ごめんなさい。すっかり忘れてしまっていました・・・。ダメなんでしたよね。」
「ええ、鶴伎さんから聞いてるとは思いますが、原則こちらには一人でお越しいただくようお願いしております。」
「本当にごめんなさい!」
「連れてきてしまったものはしょうがないです。・・・で、君は何かご用でも?」
薬袋からの問いかけは六花の耳にはいまいち入っていなかった。六花はずんずんと薬袋の方へ近づいていくと、彼の右腕の腕時計を指差した。
「その腕時計、どこで手に入れたものですか?非売品のはずですよね、それも世界に一点しか存在しない。」
「藪から棒に聞いてくるんだね。もしかして君、時計好き?」
「はい。それなりのレベルの。」
「ズバッと言うのね、六花ちゃん・・・。」
六花は薬袋の顔を見上げて凝視し、対して薬袋はその視線から逃げるように自分の手元のその時計を見つめて少し黙った。そしてゆっくりとまた六花の方に視線を上げた。
「『どこで手に入れたのか?』については教えられないけど、二つだけ答えておこう。これは正真正銘本物のバッキンガムモデルだ。それからこの時計はこの世に二つ存在している。これはそのうちの一つだ。」
「そんなはずない。偽物じゃないならレプリカか何かってこと・・・?」
「いいや、紛れもなく本物だ。逆になんで絶対に世界で一つしかないと言い切れる?君が作った時計なのかい?」
「そんな訳ないでしょ!」
「だろうねぇ。じゃあもしも僕がこの時計を作った本人だとしたら?もしくは製作者と直接会って話したことがあったとしたら?この時計はその時に貰ったものだとしたら?僕の方が確かな情報を持っているということになる。」
「屁理屈ね。」
「ああ屁理屈だ。でも可能性はゼロじゃない。」
一瞬部屋が静かになった。
「まぁ、この話はここまでにしておいて・・・。さっ、甲斐田さん、行きましょうか。」
「え、ええ・・・。」
「この際だから君も来るかい、喜志森さん?」
「・・・はい。って、なんで私の苗字知ってるの⁉」
「ではこちらへどうぞ。」
そう言って薬袋はキッチン横のドアへ二人を案内した。
ドアの向こうは廊下が少し続いて下り階段に繋がっていた。
「ねぇ。なんで私の苗字を知ってるの?会ったことありましたっけ?」
階段を降りる間も六花はやや大きめの声で薬袋に問いかけ続けた。薬袋はそれを清々しいくらい無視して先へ進んでいった。
外観からは想像できないくらい地下のフロアは広かった。確実にお隣さんの家の地下にまで浸食している広さである。
だだっ広い部屋が1つあるわけではない。色んなサイズの部屋に小分けされていてそれがフロア全体に敷き詰められている感じだ。
ラジオブースのような防音室や機材が山積みにされた物置のようなスペース、小さな図書室のような部屋まである。
「すごい家ねぇ・・・。一人でここに住んでるの?」
「一人と二匹で暮らしてます。」
「あら、ワンちゃんを飼ってるの?」
「ええ、まぁそんなところです。」
「そんなことより、なんで私の苗字を知ってr」
「こちらです。」
六花の質問を遮って、薬袋は黒くて重たそうなドアを開けた。
さっきまでの他の部屋達よりも倍ほど広いスペースに出た。急に寒色系の照明になって少し眩しい。
コンクリートむき出しの壁と床。何かのパイプが電車の路線図のように張り巡らされた天井。
そして、奥の壁一面を埋めるほどの大きさの謎の機械・・・。
「なにこの機械?」
「これも時計だよ、れっきとした。」
「とりあえず甲斐田さん。まずはこの注意事項に一通り目を通していただけますか。」
「はい。結構ありますね。」
「大事なことですから。きちんとご確認ください。よければそちらのソファに座ってゆっくり目を通してください。」
「ありがとうございます。」
里子は老眼鏡を取り出すと黒の一人掛けソファに座って、薬袋から手渡されたA4サイズの紙の束に書かれた注意事項を熟読し始めた。
「時計なの?あれホントに、」
「あぁ、時計だ。それも百二十年くらい前に作られたものだ。」
「里子さんはあれを買うの?」
「買うんじゃない。『利用』するんだよ。」
「どういうこと?」
「見てたらわかるよ。」
少し間をおいてから、六花は再び薬袋に問いかけた。
「ねぇ、さっきからしてる質問にまだ答えてもらってないんですけど。」
「えーと、何だっけ?」
「だから、なんで私の苗字を知ってるかってことよ!面識ありましたっけ?」
「いいや、おそらくない。」
「じゃあどうやって私の苗字を知ったのよ?」
「学園祭のポスター。」
「???」
六花は何のことやらわからない、という表情を見せた。薬袋は淡々と説明しだした。
「その制服、この近くの鳴海高校のだね。この前あった鳴海高校の学園祭。その宣伝ポスターが近所の町の掲示板に貼ってあったのを見たよ。そして甲斐田さんは君のことを『六花ちゃん』と呼んでいた。ポスターの端に記載されていた運営委員会のメンバーの名前に『喜志森 六花』っていう名前があった。」
「ポスターに書かれた名前いちいち覚えてるの?」
「いいや、たまたま覚えてただけさ。」
「でも、『六花ちゃん』がまだ他にいる可能性だってあるじゃない。ヤマ勘で苗字言ったの?」
「ポスターにあった君の名前、横に『絵:』ってあったよね。」
「だから?」
六花はまた少し小首を傾げる。
「つまりあのポスターのイラストを描いたのは『喜志森 六花』さんというわけだ。ポスター自体はコピーされたものだったが、よく見るとイラストには丁寧に鉛筆で下描きがされていた跡があった。」
「それで?」
「左手のココ、まだ汚れが落ちてないよ。」
薬袋は自分の左手の小指の側面を指した。見ると六花の左手のそこには鉛筆の黒い汚れがまだ少し残っていた。
「おそらく普段から君は鉛筆を使うことがあるんだろう。君がさっきリビングで僕のところにずんずん駆け寄って来た時、カバンからカラカラって音がした。何本かの鉛筆がペンケースの中で転がっている音だ。一瞬テストでシャーペンが使えない高校だからかもとも思ったが、テスト期間はもう終了しているからおそらくそうじゃない。じゃあなんで今日日の高校生が鉛筆をそんなに何本も持っているのか?スケッチ用と考えるのが妥当だと思った。スケッチのための鉛筆をわざわざ持ち歩いている『六花ちゃん』と、たかだか学園祭の宣伝ポスターにわざわざ鉛筆で下描きを入れている『喜志森 六花』は同一人物と考えるのが自然だと考えたんだ。」
六花の方を見て、薬袋はわかりやすく口角を上げて見せた。自身の名推理(?)に自慢げなご様子だ。
「ウワー、スゴーイ。メイタンテイミターイ。」
「おほめのことば、まことにきょうしゅくであります。」
六花の相手をあからさまに小馬鹿にした褒め言葉に、薬袋は平たいトーンでお礼を言った。
「お待たせしました。」
里子はソファから立ち上がると薬袋に持っていた『注意事項』を返した。
「あらかたの内容はご理解いただけましたでしょうか?」
「えぇ。結構小難しい内容ばかりでしたが何とか。」
どおりで物凄い集中力で熟読していたわけだ。どうやらさっきの六花と薬袋の会話は聞こえていなかったらしい。
「それでは改めて確認させていただきます。行きたい“日付”を教えてください。」
ん? 行きたい“日付”?
「ちょっと待って、日付に行くってどういうこと?もしかしてあれタイムマシンなの?さっき時計って言ってたじゃん。」
「悪いけどここから少しの間黙っていてもらいたい。本来第三者に見せるのだって甲斐田さんに対してのいわば『倫理違反』になるんだ。」
「・・・・・。」
薬袋の言葉にははっきりとした“圧”があった。
六花が黙り込むのを確認して、薬袋はまた里子の方を向いた。
「すいません続けます。行きたい日付は?」
「二○十九年の二月十二日です。」
「具体的な時刻と期間は?」
「えーと、午前十時から正午までの二時間で。それだけあればきっと見つかるわ。」
「転送方法は?」
「今回の私みたいな場合だと“人格転送”っていうのがいいのかしら?」
「見つけるだけであれば“認識転送”でも十分ですが、『無くさないようにする』のであれば“人格転送”の方がよろしいかと。」
「わかりました。それでお願いします。」
「かしこまりました。それでは最後に重要事項だけ再度お伝えしておきます。」
「はい。」
「一つ目、転送中は私たちの方で常にあなたを監視させていただきます。
二つ目、転送中他の人に転送していることを知られないようにしてください。場合によっては、こちらから強制的にあなたを引き戻したり、転送に関するデータの一部、つまり会った人間の記憶をはじめあなたが転送した先で及ぼした影響の一部を無効にします。
そして三つ目、転送後も如月堂の事は口外しないでください。人に紹介する場合は必ず私に話を通してからにしてください。」
いつの間にか六花は、ついさっき里子が座っていたソファに腰を下ろしていた。
そして二人の会話をじっと聞いていた。なんというか、無い蚊帳の外に放り出された気分である。
「そして一番重要なことですが、転送によってあなたとあなた以外の人間にどんな影響が生じたとしても如月堂は責任を負いません。よろしいですね?」
「はっ、はい・・・。」
すると薬袋は壁際に置かれた作業用デスクに行き、引き出しから一枚の書類を取り出して、それを里子に渡した。
「今回の転送に関する請求書です。一年前の二月に二時間の人格転送で五十万円になります。」
六花は目と耳を疑った。
まずあの請求書はいつの間に作成していたものなのだろうか。二人の会話はほとんど意味が分からなかったが、これから行うタイムスリップらしき“何か”に関する細かい項目は今の会話で確認され、それによって料金が決定されたものと推察される。それなのに請求書はもう作成されていて、あの引き出しの中に入れられていた。予め内容を知っていたとか??
いやそれ以上に気になるのは金額だ。五十万円ですって!?確かに里子さんはパッと見はお金持ちそうに見える。だからといって定年退職や年金生活を近く控えているであろう人からそんな額のお金を搾取するだなんて。この男、いやこの得体の知れない商売はどういう神経をしているのだろうか。
「わかりました。それではこちらを。」
そう言って里子は着物の懐から紙切れを出した。小切手である。先ほどの作業用デスクで金額を記入して、そのまま薬袋に渡した。
薬袋は小切手をしばらく見つめると、
「確かに、頂戴致しました。」
といって小切手を請求書が入っていた引き出しにしまった。
「それでは甲斐田さん、こちらの椅子に座ってください。」
そう言って薬袋は例の巨大な機械もとい時計のそばにある椅子に里子を案内した。
鉄でできた直線的な椅子にはいろんな線が伸びていて機械のあちこちに繋がっている。
里子がその椅子に座ると薬袋は里子の頭にヘルメットのようなものを被せた。そのヘルメットからもコードがたくさん伸びている。昔のSF映画とかでたまに見るアレだ、と六花は思った。
六花はそっと機械に近づいてみた。近づいてみてわかったが、この機械、なかなかに「ぐちゃぐちゃ」である。
明らかに百二十年間使われているであろう歯車たちが回っている横にタブレット端末が埋め込まれている。他にも木でできた部品がまるで江戸時代のからくり人形のように動いている部分もあれば、バブル期に使われていたようなパソコンがこれまた埋め込まれている部分など、いろんな時代の機材たちをつぎはぎのように縫い合わせているように見える。Bluetoothスピーカーも置かれている。この巨大な機械とペアリングしてあるのか。というか目の前にあるこれは本当に時計と表現していいものなのか。「時計」の定義のうちにこれは入っているのか…。
画面が真っ暗なままの大型液晶テレビの隣のスペースで薬袋は何やら機械を操作している。よく見るとそのキーボードも古いタイプライターである。掛けているモノクルと相まってか、その姿はさながらマンガに出てくるマッドサイエンティストである。
歯車が一層激しく回りだし、埋め込まれたタブレット端末が何かを読み込んでいる。汽笛のような高い音を上げて、天井を突き破っているパイプ管が左右に震えている。煙を吐いているのだろうか?もしかしてこの「時計」は石炭で稼働していたりして…。
そうこうしているうちに里子が被っているヘルメット、そのヘルメットに並んで付けられている豆電球が不規則にピカピカと光りはじめた。
六花は常々思っていた。どうしてドラマや小説に出てくるこの手のマシンには豆電球がさも当たり前のようについていて光るのかと。明らかにただの装飾にしか見えない。あれはホントに必要なのか?
「お疲れ様です、甲斐田さん。転送は終了しました。」
「「えっ…!?」」
「いえですから、転送は無事終了しました。既に現在に反映されていると思われます。ご確認ください。」
「本当ですか?」
そういうと里子はポーチから何か取り出した。銀行の預金通帳だ。
「確かに。ちゃんと“反映”されているわ。私てっきりもっと時間のかかる作業だと思ってました。」
というか里子さん、あんなポーチ持っていただろうか??
「どうもありがとうございました。六花ちゃんもありがとうね。それじゃあ。」
里子はそのまま帰っていった。
「さっ、君もそろそろ帰るんだ。もう七時だぞ。」
「いや、ここへ来てから聞きたいことが増えてく一方なんですけど!あれはタイムマシンなの?」
「うん。そうだよ。」
「そんなあっさり認めていいの?さっきは『倫理違反だ』とかなんとか言って注意してきたくせに。こういうのってもっとコソコソやるもんじゃないの?プライドとかないの?」
「今私は何を説教されてるのこれ?」
「それと五十万円!!」
「はい?」
「里子さんに請求した金額よ!なんであんなに高いの?!」
「紛れもない適正な報酬だからだよ。たった今君も言ったじゃないか、『こういうの』って。それってタイムトラベルがそうそう簡単にできる行為じゃないって理解してるってことだよね。時空を歪めて過去を書き換えるなんて本当は人間が手を出していい範疇を超えている。ここへ来る人間が望んでいるのはそういうことだ。それは時として人命を救うよりも大きな対価を必要とする。」
六花の背筋が少し伸びあがった。この男には確かにプライドがある。いや違う、プライドではない。言うなればある種の業である。
一見口調も軽くどこか飄々としている。だけどその裏には想像を絶するほどの苦悩や後悔、執念、憎悪、覚悟が隠れているような気がする。なにより彼の瞳が時間の重みを物語っている。
六花が言い返す言葉を探していたその時だった。
「おい、要。なに部外者立ち入らせてるんだ?いいのか?」
急にどこからか声が聞こえた。さっきの作業用デスクの方からだ。
デスクのそばにあるドアが開いた。
「あーすまない伴さん。ちょっと訳があってね。」
六花は硬直した。聞こえた声の雰囲気と『伴さん』なんて呼び名から、勝手に中年男性の姿をイメージしていた。
ドアから出てきたのは中年男性ではなかった。というか人間ではなかった。
白と黒が混じったふんわりとした毛並み、小さな顔、細長い体と尻尾。
何て名前だったか。カワウソ?イタチ?
あっ、そうだ!フェレットだ!フェレットが立っている、二本足で…。
ただでさえフル回転していた六花の脳みそはここへ来てオーバーヒート寸前にまで至った。
なぜフェレットが仁王立ちしている?いやいやミーアキャットとかだって二本足で立つじゃないか。立つことだってあるさフェレットにだって。
でもなぜフェレットが喋った?それもおじさんの声で?いやいやオウムだって人間の言葉を喋るじゃないか。喋ることだってあるさフェレットにだって。いやあるのかフェレットにだって?!
落ち着け、落ち着くんだ。冷静に考えてみよう。やっぱりフェレットが人間語を話す訳がない。
もしかしたら隣の部屋にまだ誰かいてその人が喋ったのかもしれない。その人が『伴さん』なのかもしれない。そうだ、きっとそうだ。
「かっ、可愛いフェレットですね。ははっ、あははは。」
「誰が可愛いフェレットだ。失礼だぞ、小娘が。」
六花の頭の中のコンピューターはとうとう冷却が追いつかなくなった。
見切り発車で書いているせいで恐ろしくスローペース。
なぜもうちょっとストックなりを温めてから始めなかったのか反省している今日この頃です。