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如月堂の天罰  作者: 眇
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第二話 喜志森 六花 (後編)

夕日が雲と雲の間に見え隠れする夕方四時十分過ぎ、落葉してどれもすっかり痩せ細って見えるプラタナスの並木の傍を足早に通る学生が一人いた。


喜志森六花きしもりりっかは家路を急いでいた。正確に言えば「急ぎたい気分」であった。


高等学校ともなれば学区が広くなるため、殆どの生徒は自転車通学ないしはバスと電車の乗り継ぎを余儀なくされるが、六花の家は学校との間が歩いて三十分程度の距離にある。自転車利用の申請もできることにはできたが、彼女本人の希望で申請はしなかった。校内ではかなり少数派のいわゆる「徒歩勢」にあたるのだ。


加えて六花はこれまた校内では少数派の帰宅部である。小学校の時から続けていた書道も中学での書道部引退を節目にぱったりとやめてしまった。高校入学当初にはどこからかそのことが知れ渡り書道部から勧誘され、一方で「絵が上手い」という話も広まり美術部からも勧誘された。六花は双方からの熱烈な誘いをやんわりと断った。


かくして彼女はまだ他の生徒たちが部活動に勤しんでいるこの時間に一人この並木道を歩いているわけである。

そして、結局六限目どころか終礼時にまでもつれたあのディベートがこの日の六花を「急ぎたい気分」にさせていた。


                     


終礼時にまで延長された様子から察知できるように、タイムマシン談義で土井学級は思いのほか盛り上がりを見せた。生徒たちは皆、自分の思うタイムスリップ論を思い思いに語り合っていた。


「でもやっぱり個人によるタイムスリップは非合法なんじゃない?一度犯罪を犯した人がまた犯行時に戻って自らの犯行をより完璧なものにしてしまうことだってあるじゃない。国によって過去の事件・事故から人を救うのならまだしも。」

「いやそもそも個人や法人、国家に関係なくタイムスリップは禁止するべきだよ。国がきちんと与えられた職務を全うするために利用すると保証できるわけじゃない。それに仮に過去に戻って人を救えたとして、救ったその人が殺人鬼だったら?過去に救った命が元になって未来で消されることのなかった命が奪われたら本末転倒じゃないか。」

比較的真面目な男子の多いグループは律儀に黒板に書いてある議題についてニュースに出てくるコメンテーターのような調子で議論している。


「そういえばさ、ここから地下鉄の駅の方に行く途中にお寺とか古民家カフェとかがいっぱいある住宅街があるじゃない?」

「あぁ、あのちょっとオシャレな感じのところ?」

「そう!そのあたりによく『タイムマシン探し』が出るんだって!」

「え、何それ?全然ひねりも何もないじゃん。」

先刻自分の好きな俳優の話題が出てはしゃいでいた里奈のいるグループは早々に話が脱線、都市伝説まがいの噂話に興味津々になっている。


六花はそんな周りをよそにまた古時計(六花いわく正確には大時計)のスケッチを描いていた。しばらくは六花と軽い会話のやり取りをしていた琴子も気付けば里奈の『タイムマシン探し』トークに戻っていた。


六花が描いている時計の文字盤部分は、一見真円に見えて本当は少し縦長の楕円形をしている。素人目にみればその違いは微々たるものである。しかし完全な再現度を求める彼女にとってその描写も必要不可欠なものなのだ。


六花は下ろしていた長い後ろ髪を耳の高さより少し上のあたりで束ねて腕に付けていた黒のヘアゴムで括った。集中する時にポニーテールにする習慣は書道を始めた頃には既に体に染みついていた。

スケッチ用の鉛筆を入れたプラスチックのケースから綺麗に削ってある一本を取り出す。それを左手に持ち、スケッチボードを持ち直す。平面に置いて描くといまいち寸法がずれてしまう。


昼休みに薄く下描きしていた文字盤のフレーム部分に鉛筆を当てた時、六花はそこで土井先生が自分のそばに近づいてきていることに気が付いた。


「また一人でスケッチ?今回のクラスじゃ一匹狼タイプはあなただけみたい。」

「何か問題ありますか?」

「いいや、別に。それより私はその切り返しの方が問題だと思うけど。」

六花は少しだけ鉛筆を握る手にぎゅっと力を入れた。言葉の端々がなんとなく癪に障るのだ。


Yシャツにパーカーを重ね着するのが基本のスタイルで髪はぼさっとしたショートカット、遠目で見ればどことなく体育会系っぽい雰囲気ではある。だが近くでみると割と薄化粧であり肌は白く透き通っている。それでいて声はどこかえらく落ち着いている。


そうか、そういうギャップがそもそも気にいらないんだ、と六花は一人納得しスケッチの続きに戻ろうとした。しかし、土井先生はなおも話を続けた。


「あなたはどう?個人がタイムマシンを持っていて自由に時間を行き来できるとしたら。それは許されることだと思う?」

「そもそも先生はどうして今日こんな議題を持ち掛けてきたんですか?」

「ほら出た。そうやって相手の質問に答えずに別の質問をして論点をずらす、あなたの悪い癖よ。」

「タイムマシンなんてこの世に存在しません。あれば多かれ少なかれ今私たちがいる現在に何かしらの影響が及ぶはずじゃないですか。時間を歪める、次元を操作する、そういうことは人間がどうこうしてできるものじゃないでしょう。科学はどこまで進化ったいったって科学です。魔術に転換されるわけじゃない。」

六花は淡々とそう答えた。


「影響は『ある』けど『見えていない』だけかもしれないし、何世紀も昔からしたら機械が喋ることやそこにないものを映し出すことも魔術だったはずよ。それにそもそもタイムマシンの存在を完全否定してしまったらこのディベートの存在意義まで無くなってしまうから反則よ。」

六花の指摘を土井先生は隙間なく埋めた。それも淡々と。


六花の中でどこかいまいち表現しきれない苛立ちが徐々に大きくなっていく。この女は常に自分の一手先をいくように話をしている、たとえ実際はそうじゃなくても、「私はこの生徒の一手先のところで話している」と、この女はそう思い込んでいるに違いない。それが自分の苛立ちを累乗させていく。スケッチに目をやると昼休み終わりの時点からまるで進んでいない。文字盤のフレーム部分は未だ下書きの薄い線のままである。


「というか喜志森さんってタイムスリップを否定するタイプなのね。ちょっと意外、時計好きだから時間旅行にも興味あるのかと思ってた。」

土井先生がそういった直後に五限の終わりを告げるチャイムが鳴った。六花はほんの一瞬だけ土井先生を何かしらで突き刺すように睨みつけた。手元のスケッチに視線を戻すと鉛筆の芯は折れていた。


そんな一幕で五限が終わり、結局六花は六限目を惰眠に費やした。スケッチなんて到底描ける気分ではなかった。そして土井先生もそんな六花を疲弊した敵軍を遠巻きに観察するようにただ見ているだけであった。




喜志森六花は家路を急いでいた。正確に言えば「急ぎたい気分」であった。


熱は冷めても苛立ちが治まらない、そんな気分である。

スケッチが進まなかったことも、あの女がその邪魔になったことも腹立たしいが、何よりそんな彼女にスケッチを描く手が止まるほど過剰に反応している自分の状態に腹が立っていた。


   「時計好きだから時間旅行にも興味あるのかと思ってた。」


時計が好き=時間旅行が好きだなんて、偏見を通り越してこじつけもいいところであるが、そんなことはあの先生もわかっているに違いない。彼女はきっと六花の「自分の価値観を見透かすような言動への強い反抗心」を逆撫でしたのだ。


気に食わない、どの角度から好意的に捉えようとしても気に食わない。「若干苦手である」という認識は大きな間違いだった。若干などではなく普通に苦手である。というか嫌いである。


何故こんなにあの教師が気に食わないのか。実は六花自身、既にその答えを知っている。至って単純なことである。彼女が母親に似ているからだ。



六花の両親はともに「ハンベルグーテ」というジュエリーブランドの重役をしている。

六花は初めてこのブランド名を聞いた時、「胡散臭い北欧のブランド」という印象を幼心に抱いた。それもそのはずで実際にはこの名前は六花の父親の友人、すなわちハンベルグーテの現社長が考えた中身のない造語であり、北欧とは何の関連性もないのだ。


その現社長、笠山誠二は実家がかつて宝石類を取り扱う仕事をしていたらしく、彼自身宝石や貴金属の目利きにはとても長けていた。しかしその一方で商才や経営のセンスといったことに関してはいまいちであった。

そこで証券会社に勤めていた六花の父親、そして総合商社に勤めていた六花の母親に会社の共同設立を頼み込んだらしい。「新しいブランドを立ち上げて起業したいから会社を辞めて協力してほしい」だなんて、いくら友人からの頼みだといっても普通なら断るところだろう。

しかし、二人は以前にこの笠山に大きな借りがあったらしくこの無理な頼みに応じたのだ。(六花は一度父親からこの話について聞いたが、はるか昔のことだったため今はもう覚えていない。)

その結果ハンベルグーテは国内でもトップクラスのジュエリーブランドとなり、今では本社をベルギーに移転して本当に「胡散臭い北欧のブランド」に近づいていっている。

余談になるが、ベルギーは北欧の国ではないため、「胡散臭い」という表現はあながち間違っていないのである。


本社がベルギーに移転された時に、喜志森家では家族会議が開かれた。肩書きこそ重役だが事実上の共同経営者である二人は笠山との話し合いの結果、父親の啓斗けいとは東京の日本支社に残り、母親のいずみはベルギーに行くことになった。家族会議の議題は当時中学生になったばかりの六花のことであった。


家族会議はものの小一時間で終わった。会議とは名ばかり、既に二人の中で六花は日本に置いていくことは決まっていて、あとは具体的な手続きの話だけで終了した。

こうして現在六花は東京で父親と二人暮らしをしている。もっと言えば父の啓斗はほとんど会社に寝泊まりする生活をしている。家に帰ってくるのも週に一回あればまだ多い方だ。事実上六花は啓斗が雇った住み込みの家政婦さんと二人暮らしをしている状態だ。


この話をすると大抵周りは「お母さんが遠くに行ってしまってさぞかし寂しいだろう」という半ば憐みを帯びた目を向けるが、六花の気持ちはむしろその逆だった。


六花と泉は仲の良い親子とはとても言えなかった。六花の父親であり泉の夫である啓斗でさえも二人が本当の母娘か疑ってしまうほどであった。

小一時間で終わった家族会議でも、泉は六花を日本に残し一人ベルギーへ渡ることに何の寂しさも感じていないように六花の目には映っていた。同じように六花も母と離れ離れになる寂しさを微塵も見せなかった。


どうしてあんな人が自分の母親なのだろうか。自分の子どもの事なら何でも知っていて見透かして高を括っている、人の親とは皆ああいうものなのか。

これはきっと多感な時期ゆえの反発心などではない。喜志森六花という一個人としての確固たる拒絶である。



「苦手な」改め「嫌いな」担任とのやり取りから始まって、また随分と長い回想をしてしまっていた。気付けばいくつかあったはずの十字路を軽く通り過ぎて今はもう大通りの交差点で青信号になるのを待っている。いつもいつもここの赤信号は長い。


右手首に目を落とすと腕時計はちょうど四時三十分を指している。少しばかり変わったデザインの長針の緩やかに曲がった先端が、細かくそれでいて正確に文字盤の「7」に近づいていっている。

今日付けている腕時計はESTIALエスティアルというブランドが二年前に発売したモデルである。事あるごとに有名アーティストとコラボしたデザインを発売するブランドだが、このモデルは珍しく自社デザインのまさに「エスティアル・オリジナル」。これといって好きなブランドではなかったのに衝動買いしてしまった。



元を辿れば、六花の時計好きは泉がきっかけであった。


泉は普段全く腕時計を付けない。昔からずっとそうである。

母と反対の人生を歩みたい、母とは正反対の人間でありたい、と思った六花はその日から腕時計を付けるようになった。


はじめは父の使っていた古い腕時計を使っていたが、ある程度お小遣いが貯まるとすぐに新しい腕時計を買った。腕時計を家に忘れてわざわざ取りに帰ることもしばしばあった。「腕時計を付けること」は完全に生活の一部となり、高校に入学した頃には付ける腕時計に合わせて私服を選ぶようになった。


それこそ初めは泉への小さな抵抗であったが、六花の時計に対する愛情は徐々に肥大化していった。気にいった腕時計のブランドが出している腕時計以外の製品にもきちんと目を通すようになり、気が付けば部屋には「時計」というカテゴリーのあらゆる器物が溢れかえるようになっていた。

最近ではついに時計を分解し組み立て直すことができる状態にまで至った。口には出さないが六花は知り合いの中で自分以上に時計を愛し、時計に精通している人間は一人としていないと思っている・・・。



信号が青になった。

信号機から流れるカッコウの鳴き声に促されて顔を上げた時、六花の視界の右端に人影が入り込んだ。

見ると着物姿のお婆さんが一人そこに居た。

いつから居たのだろうか。少し周りが薄暗くなっていたとはいえずっと気が付かなかっただなんて、よほど自分がさっきの回想に気を取られていたというのだろうか。それともこのお婆さん、もしかして見えてはいけない「アレ」だったりするのだろうか。


よく見るとそのお婆さんは右手にスマホを持っている。左手には何か紙切れのようなものを持っている、メモか何かだろうか。

どうやら今六花が渡ろうとしている大通りを横切る横断歩道と、大通りに沿って進んでいく横断歩道のどちらを渡るかでキョロキョロしている。

これらの情報があれば誰にだってわかる。この人は迷子だ。


六花は先刻このお婆さんを心の中で幽霊扱いしたことを恥じた。

信号に目をやると青い光がチカチカと点滅している。多分渡りきる前に赤信号になってしまう。

どうせまた信号待ちをしている間も隣ではお婆さんが右往左往するのだ、声をかけてみよう。何よりこのお婆さんは知らないかもしれないが、ついさっき自分はこの人を幽霊だと思い込んだのだ。一方通行の罪悪感は親切で帳消しにしてしまおう。


「あの、どこかお探しですか?」


髪の白さとその動き方から「そこそこのお年寄り」だと思っていたが、いざ声をかけて近づいてみると思っていたほど老けていない。六十代前半といったところだろうか。若干猫背ではあるがスラリとした体型、肌も近くでみると綺麗である。土井明日香のそれとはまた違った透き通り方をしているように見える。

「幽霊」の次は「そこそこのお年寄り」、二度にわたる“心の中での”無礼を六花はまた恥ずかしく思った。


「えっ、あっ、うん、そうなの。初めて行くお店でね。あんまりこのあたりには来たことがなくって、スマホのマップにも載ってないお店みたいだし・・・。気付いたら陽も落ちちゃってて。」


着物姿に似つかわしいとでも言えば良いのだろうか、話し方は郊外に住むマダムのような感じである。

そしてやはり彼女が左手に持っていたのはメモ用紙であった。薄緑のそのメモ用紙にボールペンの文字で住所だけが書きなぐられている。右手に持っているスマホの画面を見るとマップの検索欄に『如月堂』と打ち込まれていた。おそらくこの『如月堂』というのが彼女の目的地だろう。


とはいえ『如月堂』という名前は割とどこにでもある。チェーン店や個人経営の店、その他諸々を含めてそれなりの数の『如月堂』がマップ上に表示されている。この中には彼女の探している『如月堂』はないということだろうか。


「ちょっとそのメモの住所見せてもらっても?」


そう言って六花がお婆さんのメモに手を伸ばすと、お婆さんは一瞬メモを持った手を六花から遠ざけた。

嫌がられたかな。そう思った六花はとっさに視線をメモからお婆さんの顔へ移す。

六花の戸惑いを見たからか、それとも自分で自分の反応に驚いたのか、お婆さんはふと我に返ったような表情を見せた。


「あっ、ごめんなさい。どうぞ。」


彼女は六花に一瞬庇ったそのメモを手渡した。気のせいだろうか、渡す手が若干震えている。


「ありがとうございます。」


メモに書かれている住所は確かにこの近くで間違いない。おそらく六花が高校からこの交差点に来るまでの道中、あの長い回想中に横切ったあの十字路のある住宅街の付近だ。

しかし残念ながら六花にはあまりあの辺りの土地勘というものがない。なんせ大通り近くといってもただの住宅街、あるのは古いお寺と最近増えだした古民家カフェばかり。通学で寄り道することも全くない。実のところ、古民家カフェには六花も少し興味があるものの未だに立ち寄ったことがない。


「ごめんなさい。私もこの住所はよく知らないんです。多分こっち側の住宅街の中のどこかだとは思うんですけど・・・。」


そう言って六花はさっき自分が来た方角を指で空中に円を描く動作をして指した。


「あぁ、そうなの。それだけ教えてもらえれば十分よ。ご親切にどうもありがとう。」


お婆さんはにっこりと笑いかけるとそのまま視線を六花の手元に持っていった。


「あっ、すいません。お返ししますね。」


六花は慌てて持っていたメモを彼女に返した。

この時、六花はお婆さんの腕時計の存在に気が付いた。

さっきメモを手渡して貰った時にはどうして気が付かなかったのだろうか。六花は不思議に思う一方で自身のプロとしての(・・・・・・)目配りの至らなさを感じた。


「綺麗な時計ですね。」

お婆さんが笑いかけてくれたことへのお返しのように六花はにこりと笑いかける。


「ええ。孫からのプレゼントなの。」


そう言ってお婆さんは左腕を六花に近づけた。六花も一歩お婆さんに歩み寄り腕時計の文字盤を覗き込んだ。


「…お孫さん、センスいいですね。」

「ありがとう。孫が聞いたら喜ぶわ。こんな綺麗な()からそんなこと言ってくれるなんて。」

「よかったらもう少し一緒にお店探しましょうか?」

「えっ、いいわよそんな。悪いわ。」

「いえいえ、ここでこうしてお話できたのも何かの縁ですよ。それにこの辺り最近オシャレな古民家カフェが増えてて、一度行ってみたいと思っていたので。」

「そ、そう?じゃあ。」


お婆さんは戸惑っているようだ。困っているように見えたから声をかけてくれたところまではまだわかるが、こうも急に協力しようとしてこられたら、当然こういう反応にもなる。それでも六花はこのお婆さんをこのままここで放って帰るのは嫌だった。



お婆さんは里子さんといって隣の県に住んでいる人だった。

つまり探しているお店は「隣の県のマダムがわざわざ足を運ぶ隠れたお店」ということだろうか。

一見さんお断りの和菓子屋さん?それとも本場で修行を積んだパティシエがこっそりと営んでいるケーキ屋さん?はたまた時折噂に聞く会員制の時計屋さん?


六花は徐々にわくわくしてきていた。今自分は帰り道で偶然見かけたお婆さんと得体の知れない店を探してちょっとお洒落な住宅街の中を歩いている。ほんの少し冷たい風が頬を撫でるように過ぎていく。張り付くような夏の暑さを忘れさせ、突き放すような冬の寒さを予感させる、まさに「秋の夜の空気」だ。



幼い頃に祖父母の家の近くの森で一晩勝手に一人キャンプをした時のことを不思議と思い出す。森のほぼ中心、どのルートから探してもすぐに見つからないようなポイントにわざとテントを張った。

そして一緒に持ってきた双眼鏡で、見えもしない星を探しながらあれこれ考えた。


家族は今頃どうしているだろうか、私のことを必死に探しているのだろうか、どのくらい必死に?文字通り血眼になって?警察なんかも呼んで?さすがにそれはないか、

でもこの森までは探しに来るのだろうか、森のどこまで?途中にある大ケヤキのところ?それとも明らかに何年も使われていない物置小屋のところ?それとも・・・



「六花ちゃん?」

ふと我に返って横を見ると、里子が不安げにこちらを見つめていた。


「すいません。ちょっとボーっとしちゃって。あっ、あの電柱にある住所!だんだん近づいてきたんじゃないですか!」

「えーと・・・、あ、ほんとね!この近くかも。」


今日はどうやら頭の中の回想に持っていかれがちな日らしい。元々何かを思い返して考え込むことは多いがここまでとは・・・。

とはいえ六花の気分は悪くはなかった。久しく味わっていなかった種類の高揚が六花の胸に押し寄せてくる。少しずつ、それでいて確実に。

六花の胸の高鳴りは『如月堂』の住所に近づくにつれて大きくなっていた。




「多分ここね。やっと着いたわ!」

里子はメモと周りの建物を交互に見ながら、「間違いない!」という顔をした。

六花は里子の目線をなぞるようにして『如月堂』の方に目をやった。


六花の胸に津波のごとく押し寄せていた高揚は一度凪に戻った。

目の前にあるのはただの一軒家だった。決して小さい家というわけではない。しかしながら豪邸というにはいささか物足りない外見である。


「おそらく隠れた名店」である『如月堂』なのだ、きっとこじんまりとしているに違いない。

そうある程度予想はしていたが、その予想を超えるほど「普通」である。


「ここじゃないんじゃ・・・」とも一瞬考えられたが、間違いなくここが『如月堂』である。

門のすぐそばにあるブロンズの表札に『如月堂』と書いてある。間違いなくここである・・・。


六花は表札の隣のインターホンを押してみた。

四秒ほど間をおいてガチャッという音がして、「ドアは開いてますので、どうぞお入りください。」という声が聞こえた。か細いながらもどこか鋭い、男の人の声である。

二人はお互いの顔を見合ってから門を開けて玄関へと向かっていった。




ちょっとお洒落な住宅街の一角、時刻は日も沈みかけた夕方五時二十分のことである。















ダラダラと書いていたら年を越してしまいました…。

何事もなければ今年もダラダラとお話を続けていきたいと思います。

まだ如月堂に入ってすらいませんが…。

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