第一話 喜志森 六花 (前編)
「個人のタイムスリップは合法か?非合法か?」
黒板に大きく書かれたこの議題に教室内が少しざわついた。
遡ること数分前、中間テストの返却も無事に終えて生徒たちが自身の頑張りないし怠惰の結果に一喜一憂している十月中旬のある日の昼休みであった。
騒ぎ声があちらこちらに行き交いながらもどこかのびのびとした教室の窓際で、六花は一人スケッチに打ち込んでいた。
「また大きな古時計のスケッチなんて描いてるの?」
後ろの席で談笑していた琴子が六花のスケッチを覗き込み呆れた口調で言った。
「琴子、『古時計』っていうけど今描いてるのは今年センペアル社で製造された新作なんだよ。これまでは設計部と製造部で職人が分担して製作していたんだけど、この新しいシリーズでは部品設計から完成までを一人の職人が一貫して・・・」
「はいはいわかってる!あんたがいかに時計に陶酔してるのかっていうのはよくわかってるから。そろそろ片付けな、授業はじまるよ。」
毎回テスト返却後には授業の遅れに備えた空きコマが設けられていて、授業計画が滞りなく進んでいた場合はよく学級ごとにレクリエーションを行っている。この日の五限帯の授業もその1つである。チャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。担任の土井明日香先生、六花が若干苦手なタイプの人物だ。
「えーみんな、中間テストお疲れ様!この時間はグループに分かれてディベートをしてもらいます。」
繰り返しになるがこの時間は学級ごとにレクリエーションが行われている。現に隣のクラスは体育館で何かするらしく、生徒たちがぞろぞろと更衣室の方へ移動している。しかしこのクラスは今からディベートを始めるのだという。
「何でディベートなんだよ先生!」
「前に空きコマがあったときは『自習時間だ』って言って昼休みの延長戦してくれたじゃん!」
クラス全体が反論し始めた。妥当な反応である。しかし土井先生は怯むどころか、この反応が予想通りですとでも言わんばかりの笑みを見せた。
「みんなの言い分もよーくわかるけど、この時間は私のわがままに付き合ってもらおうと思います!っというわけで、議題書くわよー。」
そうして書かれた議題を見て今現在のざわつきに至るわけである。
もうすぐ大学受験を控えた高校生たちがまじまじとタイムスリップの是非について語り合おうというのだから、このざわつきも妥当と言われれば妥当である。
「先生、何でこの議題なんだよ。前に学年でやったディベートでは移民問題とかちゃんとしたテーマだったじゃん。」
「単純に私が未だにこの答えを出せていないからよ。」
即答であった。土井先生はそのまま話を続けた。
「みんなは『親殺しのパラドックス』って知ってるわよね?」
先生の目線は委員長の高倉優馬に向いていた。高倉も先生の目線が自分に向いていると気づいたのか早口に解説を始めた。
「例えばAさんが過去にタイムスリップして自分の両親を殺したとする。するとその両親が死ぬから当然Aさんもいなくなる。そうなればそもそもAさんが両親を殺すことが出来なくなるっていう逆説ですよね。ちなみに英語だと『祖父のパラドックス』っていうんですよね。」
「その通り、さすが高倉君。でもそもそもタイムスリップなんて概念が存在しなければ『親殺しのパラドックス』なんて縁起でもない逆説は生まれなかったんじゃないかしら?」
不思議なことにさっきまでざわついていたクラスが軽く静まり返っている。
全員が黒板に書かれたあの議題について各々考え出してきたのだ。
「今の例は過去についての話だけど、タイムスリップは未来に行くこともあり得るわよね。それこそこの前全国ロードショーされた映画も未来の恋人にもう一度プロポーズしようとするっていう話じゃなかったっけ?」
「そうそう、主役やってるの松宮慶人でしょ!私この前までやってたドラマの松宮君の役すごい好きだった!」
昼休みに琴子と談笑してた三井里奈が思わず黄色い声を上げる。
知らぬ間にやってきた軽い静寂が彼女の声によって糸がぷつっと切れたように再びざわつきへと変わった。隣や前後の席、近場のメンバーで自然とタイムスリップ談義が展開されていっている。
「なんかグループ分けなくても進みそうね。このまま話して面白い考え浮かんだら教えて!」
土井先生はそういうと一番盛り上がっている男子集団のトークに入っていった。
「なんか意外と盛り上がってるね。やっぱり私たちのクラスってみんな馬が合うというか相性がいいのかな?」
「相性はいいのかもしれないけど、今の流れは先生のプランの内だよ。」
「え?」
六花の返答に琴子は小首をかしげた。
「どういう意味?」
「『親殺しのパラドックス』の話を物知りで尚且つ話したがりな高倉君に振れば、高倉君は十中八九完璧な解説をする上に話し足りなくなって周りのみんなと話そうとする。同じように映画の話題をすれば、イケメン俳優大好きでムードメーカーの里奈は十中八九食いついてくるし周りもそのテンションに合わせていく。もっと言えばはじめにディベートをしようとしたのも、いきなり『とりあえず近くにいる人と意見交換してみて』なんて言っても誰も進んでトークしようとは思わないから。あえてディベートをさせられる流れに一度落とし込むことで、昼休みの雑談のテンションであの議題について喋らせるよう誘導したのよ。」
土井先生の策略がすごいのか、それとも六花の分析がすごいのか・・・
いずれにしても琴子はこの些細な一幕で、目に見えない何かに圧倒されるのを感じた。いつもながら先生と六花はどこか違う世界の住人に見える。
圧倒されている琴子をよそに六花は徐に窓の外を見つめ呟いた。
「だからちょっと苦手なのよ、ああいう人。」
ボルテージが激しく上がり下がりする教室内と相反するかのように、窓の外は一定して秋晴れであった。
見切り発車で書きはじめました。
おそらく各話字数バラバラで不定期掲載になります。
そもそもどこまで続けられるかも未定です。