第84話 異界事変⑬
医者は満身創痍だった。
声帯に風穴が開いているが、代わりに首の根元に小さな唇が付いている。
あそこから発声しているようだ。
医者はずたぼろの身体で器用に肩をすくめる。
「いやはや、困るな。妄者だけで最強決定戦をするとは。ひょっとして僕に対する侮辱かね」
これみよがしに文句を垂れる医者は、なんともふてぶてしかった。
たとえ相手が古代の妄者だろうと主張はしっかりとする。
大した胆力であった。
俺は医者を睨みつける。
「出しゃばるなよ。お前は俺に負けただろうが」
「おや、いつまでも過去の出来事を引きずるのは良くないと思うよ。僕だって敗北を糧に成長しているのだから」
医者は両手を広げる。
変容を感じ取った俺は、視野をほぼ全方位へと拡張させた。
すぐ後ろに騎士が立っており、医者が雇った"鉄壁"と"術王"と"鎮魂"の三人もいる。
どいつも光の槍を凌ぎ切ったらしい。
さらに視点をずらして擬似的な俯瞰を行う。
辺りに散らばった死体が次々と起き上がるところだった。
(死霊術によるアンデッドか)
主に頭部が消滅しているので、光の槍を受けて即死したのだろう。
彼らは国も地位も性別も種族も関係なく整列すると、医者の操作に従って互いに密着していく。
肉と骨が癒着し、融合しながら体積を急速に増していった。
そうして禍々しい巨大な肉塊の怪物へと変貌する。
(大した数だ)
俺は余裕綽々といった様子の医者を見る。
どうやら戦場の死者を残らず蘇らせたらしい。
こいつは各国が集まり、自分の使役するアンデッドに使おうと決めていたのだろう。
最初からこの戦場そのものを乗っ取る算段だったのだ。
医者は"終焉"に向かって潰れた頭を下げる。
「礼を言わせてもらうよ。君が死体をたくさん用意してくれたおかげで、僕の力は大幅に高まった。彼らの犠牲は有効活用させてもらおう」
宣言するその背中はどことなく頼もしい。
穴だらけで血に染まっているのに確かな信念がそこにあった。
(鬱陶しいクソ野郎だが、やはり有能だな。こいつは一流の死霊術師だ)
いつの間にか"終焉"の表情に変化が生じていた。
その顔に明確な苛立ちが浮かんでいる。
死霊術師に何か嫌な思い出でもあるのだろうか。
顔を歪める"終焉"は一言を呟いた。
「……ネクロマンサー」
「その通り。君の時代にもいたはずだ。死霊術は神代より脈々と受け継がれているからね。一説によると原初の術者は」
医者が気持ちよさそうに語る途中、光の槍が彼の身体を貫いた。
それでも死ぬ気配はない。
ふらつく医者は、ひらひらと手を振っていた。
露骨な挑発行為である。
"終焉"は唇を噛んでぼやく。
「生意気」
「それはすまないね。しかし、死霊術師とは元来より嫌われるものなのだよ。倫理的な面から忌避されてしまう。僕に言わせれば、そういった差別こそが価値観の閉塞に繋がると思うのだがね」
「うるさい」
再び光の槍が飛んで医者に直撃した。
今度は右腕が丸ごと消し飛ぶも、彼は慌てずに嘆息する。
「やれやれ、妄者は他人の話を聞かない習性でもあるのかな。まったく参ってしまうね。なあ、ハワード君」
「うるせぇ」
俺の爪の刃が医者の背中を抉るが、やはりほぼ無反応だ。
痛覚などを切り離しているのだろう。
憑依した肉体がどれだけ傷付いても、医者にとっては何の問題もないのだ。
彼は周囲の緊張と絶望と殺意を無視して気楽に構える。
そのふざけた姿勢とは裏腹に、並々ならぬ観察力を"終焉"に注ぎ込んでいた。




