とある村にて
「いってててて」
そう言いながら男は自らの横腹を後ろから貫いて突き出た刃物を押さえる。
シャツの上にセーター、ジャケットその上に羽織ったコートはどれも茶色く、よれており。長年にわたり着用してきたのがよくわかる。
男の目の前には文明とは程遠い、可能性だけを重視したような、黒い肌の青年だけが立っているのは。
男が手で押さえた部分から黒く、赤いシミがとめどなく広がっていく。
刃物は大きさは包丁ほどあるが、金属を使ったものではなく、旧石器時代に見られた、石を削って作られたものだ。
男はおそらく、アジア系の人であろう。
初老といっても差し支えないほど老けており、その顔にあるシミとシワが笑顔で歪んでいる。
その目は常に辺りを見渡しており、目の前の青年には見向きもしなかった。
男が立っているのは霧が鬱蒼とし、蔦に覆われた木々に囲まれた、まさしくジャングルの中の開けた小さな広場のようなところだった。
なんの動物かもわからない、甲高いキーッという鳴き声がこだますると、多くの鳥が男から逃げるように飛び去っていく。
「全く、敵わんななあ。」
男はがくりと片膝をつき、うなだれる。
はあ、はあという男の息遣いも青年には届いていないようだ。
男の頭の申し訳程度の白髪が脂汗濡れて力なく頭皮にへばりつき、顔はみるみるうちに青白くなっていく。
それでもなお、男の笑みは変わらない。
「それが、君たちの魔術かい?」
答えるものは誰もいない。
「だんまりかい、おじさん、寂しいなあ」
荒い息を整えようともせず、むしろそれを楽しむように男は声を出して笑う。
「そんなに守りたいなんて、たいそう、立派だねぇ。でもね、悪いけど…」
そう言って男は横向きに耐えれこむ。
音もなく静かに。
男が倒れてどの位時間が経っただろう。
男が倒れた後ろの地面の上に、先ほどの黒人の青年と瓜二つの青年がカメレオンやCG技術のように座って現れた。
いや、そもそもそこにいたのだ。
姿をあらわすその時まで、まるで意識がその存在を自覚できなかったかのようだ。
それと同時に立っていた青年は消えている。
いや、そもそもいなかったのだ。
姿を消すその時まで、まるで意識が存在を疑うことができなかったかのようだ。
青年はゆっくりと男に近づき、腹に刺されたナイフを引き抜いた。
ドス黒い血を滴る刃先を丁寧に拭い取る。
緊張が抜けたかのように一息つくと、その首にかけられたロケットを手に取る。
マッチ箱ほどの巨大な琥珀が当てはめられ、その枠も細やかな細工がされたそれは明らかに青年には不釣り合いなものだった。
うっとりとした表情で見つめ続ける青年。
刹那、青年はハッとするとすぐさま二、三歩飛び退く。
見ると先ほど青年が立っていた場所には日本刀を振り下ろした、先ほどの男が立っていた。
あと数瞬遅れたら…
そのようなことを思ったのか生唾をのむ。
先ほどの男が倒れたところを見ると、そこには影一つ残っておらず。
気がつくと彼のナイフに付いた血は乾いた跡すら残ってなかった。
直後青年は男に問いかける。
「%☆○☆%+^〒+<!!!」
「ごめんねぇ」
男は刀を構えると一瞬で間合いを詰めてきた。
「何言ってるか、全然わからないんだよねえ!!!」
刀を大きく振り下ろす。
青年は寸でのところでナイフで受け流す。
キンッ!というこの場において明らかに不自然な音が大きくこだました。
受け流された瞬間男は再び刀を下から払いあげた。
青年は再びこれをナイフで受け流すが、ひどく狼狽しており、男の斬撃が続いた。
「どうせさあ!こんなところに置いておくんじゃ勿体無いんだよ!!」
青年が受け流しきれず、体勢を崩すと空かさず鳩尾に蹴りを叩き込む。
モロにそれを食らった青年は5、6メートルほど吹き飛び木せを強くぶつける。
辛そうな呼吸を整えようとしながら青年は冷静に男を見ようとする。
その顔は苦しいというよりも、自らが窮地に立たされていることが理解できないという風だった。
それもそうだろう。
青年は男を刺し、倒した。しかし男は生きていた。
それはいい、それは自分と同じような能力を奴が持っているということだろう。
そこに疑問はない。
では、この力はなんだ?
目の前の男は自分より一回りも二回りも年を取っているのに、なぜかのような力がでる?
瞬発力も異常ではないか?
自分よりも遥かに動きにくい格好であるのになぜ自分よりも速いのだ?
尽きることのない疑問の答えを見つけ出す暇もなく男は一気に近づいてくる。
これは逃げるしかない。
そう考えたのだろう。
青年は一度ラケットを強く握り、何かを呟くとすぐさま森の方へと走りだす。
後ろを見ると、男は自分とは逆の方へと刀を振り回している。
青年は前を向き、窮地を逃れた安堵に包まれながら、さらに走る。
ドンッと何かにぶつかった。
直後胸のあたりに鈍痛が走る。
見るとそこには先ほどの男が握っていた刀の鍔がある。
理解できずに顔を上げる。
そこには先ほどの男がいた。
何が起こったのか彼には理解できなかっただろう。
彼は走りだすと、途中で方向転換し、自ら心臓を貫かれに行ったのだ。
男はただ刀をあげ、待っていただけだ。
「悪いけど」
ねちゃりと、気味の悪い音を立てながら男は口を開く。
「それ、僕の方がうまく使えるから」
青年は事切れた。
男は刀を引き抜くと、冷静に脈を図り、その静けさを確認する。
その後、青年の首元にあったロケットを乱暴に取り去る。
うっとりと、しかし青年とは違い、明らかな悪意を剥き出しにして男はロケットを眺める。
ふうっと一息つくと、近くに落ちてた棒を疲労と男は歩きだした。
一歩一歩ゆっくりと歩くその姿に先ほどの気迫はなく、年相応のように感じられた。