前途多難
間がかなり空いてしまいすみません!まだ読んでみたいと思われる方、ぜひ読んで行ってください。感想や意見、誤字脱字などを教えていただければなお嬉しいです。
アサディーは驚きのあまり思わず固まってしまった。
(今...なんて言われたんだ?)
驚きのあまり、アサディーは自分の語学力を疑ってしまった。今しがたファイブロに言われた言葉を全く違う意味で覚えてしまったのではないか、と...
暫くの間ファイブロが去っていった方向を見つめていたアサディーはきっとそのはずだと考え、いつも壁の近くに直立不動で立っているサーバントに何と言われたのか聞こうと後ろを振り返った。しかし、すでにサーバントはアサディーのすぐ後ろに立っており、アサディーは思わず仰け反るように身を引いた。
「サーバント...ちか、い...」
アサディーがそう言ったのにも関わらず、サーバントはアサディーとの距離をもっと詰めた。
「な、なに?」
「旅支度をしましょうか」
(た、たび?...たび...旅?じたく...自宅?...あっ、支度!...は?)
「つ、つまり?」
(先程ファイブロが私に言った言葉の意味を私は正確に聞き取っていたのか?)
「だからお前は3日後スアカルケイザュイへ行くんだよ」
(...嘘)
「なぜ?えっ、なぜ?え?え?なぜ?なっ!」
スアカルケイザュイとは服の素材になるキレという布を作る場所で、そこでキレを作っている全ての者が親の借金を返すために働いている女性だ。通称スアカルと呼ばれており、どうしてもスアカルケイザュイのザュイの部分が発音できないアサディーは通称の呼びで呼んでいた。と言っても、それほど呼ぶ機会が無いのも事実ではあるが...
急に何故そんな場所に自分が行くことになったのか全く分からないアサディーが、思わず「何故」を連呼していると、サーバントが周りから見えないようにアサディーの腕をつねった。アサディーがサーバントを見上げるとサーバントは部屋の出口の方を顎で軽くしゃくり、そのままアサディーに背を向けて部屋を出ていってしまった。
慌ててアサディーもサーバントの後をついていけば、サーバントはすでにアサディーの身支度を手早く終わらせていた。
(まるで早くここから去って欲しいみたい...)
もともとアサディーの私物が少ないこともあるが、高速で準備をし終えてしまったサーバントにアサディーはそんなこと思った。
アサディーがそのままサーバントと支度され終わった荷物のことを交互に見ていると、サーバントはアサディーの腕を掴んで揺すり、自身の方に体を向かせた。
「何をしている?さっさと荷物を確認しな?すぐに仕事の引き継ぎに取りかかるよ」
「えっと...は、はい!」
(た、多分...荷物を確認すれば...良いんだよね?)
アサディーは急いでカパや衣服などが入っている荷物を確認すると、今まさに部屋を出ていこうとしているサーバントのあとを再び追った。
結局仕事の引き継ぎは一日かけてようやく終えることが出来たようで、全ての引き継ぎ終わったときには日はすっかり暮れていた。今日は珍しくファイブロから夜に呼び出されて暴行されることもなく、アサディーはすぐに床についていた。
(久しぶりに変な夢を見ずに眠れそう...)
アサディーはそんなことを思いながら、訪れた睡魔に逆らうことなく瞼を閉じ、そのまま暗い微睡みの中へと落ちていった。
その日、アサディーが見た夢は暗い夜の空に月が浮かんでいる夢だった。月と呼んでいいのかも迷うようないびつな形に何とも言えない色をした物体は、ただただ星の煌めきすらない暗い空に浮かんでいた。あやふやで、要領の得ない、本当に夜の空に月が浮かんでいる夢なのかさえも分からないような夢だが、この夢の記憶だけはアサディーの頭のなかにいつまでも残らざるを得なくなるのだった。
「...!...ディ!アサ...!」
(ん?)
「...サディ!アサディー!」
(!)
突然、耳元で囁くように叫ばれた自分の名前に驚いたアサディーは勢いよく瞼をあけた。アサディーの目に映ったのは月明かりで青白く映し出された天井...そっと横に視線をずらせばサーバントの少し焦った顔が映った。
「...サー、バン、ト...?」
アサディーがまだ眠気の残る声でそう呟けば、サーバントはいきなりアサディーの腕を掴んで無理矢理立たせようとした。
「サーバン、むぐっ!?」
いきなりのサーバントの行動にアサディーは思わず叫び声をあげようとしたが、サーバントは焦った顔のままアサディーの口を塞いだ。
「...うるさい、小さな声で話しな」
サーバントの言葉にアサディーがこくこくと頷くと、サーバントはゆっくりとアサディーの口から手を離した。
「早急、何...事?」
改めてアサディーがサーバントに問うと、サーバントは何でもない事のように
「今からスアカルケイザュイへ向かう」
と言った。
「...は?」
スアカルケイザュイへ行くのは三日後...もう真夜中を過ぎている頃だから二日後だと聞いていたアサディーは思わずその場で固まった。そもそもこの館で一生を終えるのだと勝手に思い込んでいたアサディーにとって、館を出て、名前こそ知ってはいるが見たことすらない場所で生活することになるということだけでも気持ちの整理が出来ていないのに、ましてや今すぐにここを発つなど急に言われ、とうとうアサディーの頭は考える事すら止めてしまったのだ。
しかしだからと言って時が止まるわけもなく、アサディーは何が何だか分からないまま今日...昨日支度し終えた荷物を持たされ、サーバントにズルズル引きずられるようにして寝室を出ることとなった。
(何?...えっ、何が一体どうなって...?)
廊下に出る頃には、サーバントに引きずられなくても自分で歩けるくらいには我を取り戻したアサディーだったが、頭の中を占めるのはそんな考えばかりだった。
そんなアサディーのことなど気にも止めていない様子のサーバントはそのまま早歩きで廊下を進み、ある部屋の前で止まった。
(厨房...?)
そこはアサディーにとっても馴染み深い厨房だった。まだ朝食を作り出すには早い頃で、厨房は静寂に包まれている。アサディーは、出発するはずなのに玄関ではなく厨房を訪れたサーバントに怪訝な顔を向けた。しかしサーバントはそんなアサディーの様子など素知らぬ顔でずんずんと奥へと進んでいき、食器類が積み上げられている棚の前でしゃがみこんで食器をせっせと外に取り出し始めた。
「ふぇ...?」
流石に怪しいと思ったアサディーは一体何をしているのかサーバントに問い詰めようと、サーバントの肩を思いっきり引いた。...が、びくともしない。
(あ、あれ?サ、サーバントとこんなに力の差あったっけ...?幼児の力ってこんなもの...?)
アサディが一人で勝手に混乱している頃には既にサーバントは棚の中の食器を全て出し終え、どこから持ち出してきたのか、茶色い棒状の物を棚の奥の石壁の罅に引っ掛けて引っ張っていた。その様子を、何を無意味なことをやっているのかと眉を寄せて見ていたアサディーは、その石壁がだんだん剥がれ、こちらに倒れてきていることに驚きを隠せなかった。石壁の奥から現れたのは暗闇。まるで隠し通路のようにポッカリと穴が空いているのは分かるが、月明かりしか頼りにならない暗がりではその穴が通路のように奥まで続いているのかさえ分からなかった。
サーバントは剥がした石壁を慎重に地面に横たわらせてアサディーの方を向き、その穴に向かって顎でしゃくった。それを見たアサディーは、途端に湧き上がる恐怖を隠すことが出来なかった。もし、自分がその穴に入った瞬間サーバントが床に置いたばかりの石壁で穴を塞いでしまったら...という考えが過ぎってしまったからだ。今までのサーバントとの関係を振り返っても、サーバントがそういうことは決してやらないという確証を持てるほど、アサディーはサーバントのことを信用できていなかった。そんなアサディーの様子をしばらく見ていたサーバントは呆れたようにため息を付き、床に這いつくばって穴の中に入っていった。あまりにもあっさりと、自分の考えがいかに馬鹿らしかったかを突きつけられたアサディーは、あっけにとられながらその様子を目で追っていたが、穴の中に入っていったサーバントが苛ついた様子で顔を覗かせたことで、アサディーも持っていた荷物を抱えなおしながら急いで身をかがめて穴の中へ入った。
穴の中は意外にも大人が立ち上がれるほど広く、アサディーはサーバントに奥の方へと押しやられた。再びサーバントが外に出ようとしたことにアサディーは肝を冷やしたが、サーバントが床に置いてあった石壁を穴の中に引き入れ、棚から取り出していた食器を元の状態に並べだしたところで、アサディーは自分がまた勘違いをしてしまったことに恥ずかしくなった。サーバントがアサディーを先に穴の中に入れようとしたのはこの作業をサーバント自身がしなければいけなかったからだ。
(確かにサーバントが呆れるわけだ...本当に申し訳ない...)
今回のことを踏まえて、サーバントを疑うことをやめようと心に誓ったアサディーであったが、そのことによってアサディーは大事なことを忘れていた。なぜスアカルケイザュイに行くだけなのにこんな道を通る必要があるのかということを...
手慣れたように穴を塞いだサーバントはアサディーの前まで回り込むと、暗闇の中手で壁を伝いながら慎重に歩き始めた。アサディーもそんなサーバントを見失わないようサーバントの服の裾を掴みながらゆっくりと歩き出した。
(い、いつまで歩き続ければ...)
実際それほどの時間歩き続けているわけではなかったかもしれないが、暗闇の中を歩き続けていたアサディーはまるで何時間も歩き続けているように感じていた。だからこのまま一生歩き続けることになるのではと思い始めていたアサディーは、急に止まったサーバントにすぐ反応ができず、サーバントの太もも辺りに顔をぶつけてしまった。
(な、何?)
思わずサーバントの顔があるであろう辺りの暗闇を見つめると、急に何かの物音がしてアサディーは体をビクつかせた。
(え、ええっ?こ、今度は何?...何か硬いものと硬いものが擦れる音?...と何か硬いものと硬いものがぶつかる音...)
なかなか止まないその音に恐怖を覚えたアサディーはサーバントの服の裾を更に強く握った。その時ようやくサーバントの服の裾の位置が上がったり下がったりしていることに気がついたアサディーは、サーバントがしゃがみこんだり立ち上がったりしていることに気が付き、この音を出しているのはサーバントであると結論づけた。
(一体何を...)
アサディーがそんなことを思いながらじっとしていると、急に浮遊感を味わい、アサディーは思わず身をすくめた。しかしその感覚もすぐに終わり、アサディーの足はすぐに地面についた。暗闇の中、一体何がどうなっているのか分からないアサディーは、もう恐怖感こそないが、頭の中は混乱を極めていた。
続いてすぐに何かと何かがこすれる音が直ぐ側から聞こえ、アサディーは肩を跳ね上がらせた。
(さっきとは違うけれど何かと何かを擦り合わせる音...)
その音もまた暫くの間続くと、いきなり明るくなり周りが照らし出された。光源を見ると、木の枝に火が灯されていた。それを見たアサディーは、まだ日本で生きていた頃の感覚が無くならず、思わず館の中で松明を燃やすなんて危ないと叫ぼうとしたが、寸前のところでこの館は石で出来ていることに気が付き、口を閉じた。何故か木で出来た物もこの館の中には全く存在しない。
(さっきの音は木に火を灯す音だったのか...しかしそんな道具、持っていたか?)
この世界で木に火をつけるには、木の枝とクリという石。2つを擦り合わせることで比較的簡単に火をつけることが出来る。この時代、もういちいち木の枝と木の枝を擦り合わせて摩擦で火を起こすという方法はしない。
一つ謎が解けてホッとしたアサディーは、何気なくサーバントの顔を見ようと更に上に目線を上げ...急いで下を向いた。下から光に照らされるサーバントの顔は少しばかり...いやかなり恐ろしかったのである。
アサディーがそのまま下を向いていると何か物音がし、そちらの方に目をやった。そこではサーバントが口に松明を加えながら大人の身長より低めの高さくらい空いた穴を石の欠片で塞いでいるところだった。その穴の向こう側に細い通路のようなものが見えたことから、あの音はサーバントが石を少しずつ崩して壁に穴を空けていた音だったのかとアサディーは理解した。
自分が下手に手伝うと足手まといになりそうだと察したアサディーは暫くの間サーバントの作業をボーっと見ていたが、サーバントが松明を勢い良く振って火を消したことで我に返った。
「アサディー、ここからは決して何も話すな。決して動くな」
「えっ...は、はな?」
耳元でアサディーにそう囁いたサーバントは有無も言わせぬ動作でアサディーを持ち上げ、歩き出した。サーバントと密着したアサディーは、サーバントの心臓の音からかなり緊張していることが分かり、アサディーも同じように身を固くした。
暗闇の中、聴覚だけが敏感になり、サーバントが歩く音、布が擦れるような音、しゃがむ音、引き戸のようなものを引く音、階段を降りるような音など様々な音がアサディーの耳に届いたが、アサディーは何一つ今の状況を知るための情報としてその音らを処理することが出来ず、ただただ極度の緊張下の中、サーバントに身を委ねるしか出来なかった。
そんな中、一つの変化が訪れた。聴覚以外にアサディーに今の状況を伝える情報が増えたのだ。嗅覚だ。まるで生ゴミのような異臭がアサディーの鼻を襲った。あまりの強烈な臭いにアサディーは頭がクラクラするのを通り越して、頭痛がするのを感じていた。
(は、鼻が曲がるっ...排水口?...いや、この世界に排水口はないはず...物が腐ったような...て、鉄が錆びる臭いも混ざってる...?)
アサディーの意識が朦朧としている中、サーバントは何も感じないかのように歩みを速めた。だからだろうか?時折遠くの方から聞こえてくる声も物音も...アサディーの耳に届くことはついぞなかった。
(...止まった?)
急にサーバントの動きが止まったのを感じて、アサディーは顔を上げた。同時にサーバントはアサディーを地面に降ろし、上を見上げた。アサディーもつられて見上げると、丸く切り取られた空が見えた。もうすぐ陽の光が空を照らす頃かもしれない。
アサディーらが立っているのは筒状に周りを石で囲まれた空間で、積み上げられた石は高く高く積み上がり、サーバントの身長の約6〜7倍の高さにまでなっている。
(...井戸の底?)
一体どうすれば地上に出られるのか検討もつかず、すぐに途方に暮れたアサディーは、周りを囲んでいる石が乾燥しているように見えることからもう既に使われていない井戸なのかもしれないと、必要ないことを考えて現実逃避し始めていた。
「アサディー、腕を首に回して背中にしがみつけ」
サーバントの声に我に返ったアサディーは、一瞬サーバントが一体何を言いたかったのか理解できなかったが、サーバントが地面に座ってアサディーが自分の背中にしがみ付くのを待っている姿を見ると、サーバントが一体何を言いたかったのかを察し、急いでサーバントに言われたとおりに背中にしがみついた。
アサディーがしっかり自分の背中にしがみついたのを確認したサーバントは、すぐに自分たちの周りを囲っている石と石の間に手をかけた。
(えっ?も、もしかしてこれを登るとか言うんじゃ...)
サーバントの予想外の行動に軽く混乱したアサディーをよそに、サーバントは石と石の間に手や足をかけ、着実に上へ上へと登っていった。
サーバントが井戸と思わしきものを登りきると、そこは森の中の少し開けたところで、穴の周りの木々たちが風に吹かれて辺りに葉擦れの音を響かせていた。
(ほ、本当に登りきってしまった...まさか自分の身長の6、7倍もある高さの壁をこんな短時間で登れる人が身近にいるなんて...)
あまりのことに呆然としてしまったアサディーを地面に降りしたサーバントは、荒れた息を整えながら懐から小さな革袋のようなものを取り出した。本当はある木の実の皮を加工して作られた袋なのだが、見た目は何かの獣の皮で作られたように見える。
「アサディー、ここからは一人でスアカルケイザュイまで向かうんだ。この中にスアカルケイザュイまでの道のりが書かれた地図と短剣が入っているから必要なときに使いなさい。特に地図は落としてはいけない。スアカルケイザュイまでついたら地図と短剣はどこかの川に投げ捨てるんだ。分かったか?」
「?...わ、分かりません。ふ、再び一回言う、ください」
というようなやり取りを2、3回ほど繰り返した後、やっとなんとか理解することが出来たアサディーは、不安や緊張、恐怖を押し隠しながらサーバントに頭を下げた。
「ありがとうございました。縁、ある、再び会う、嬉しい」
アサディーの言葉にサーバントは眉を少し動かしたが、頭を下げていたアサディーは気が付かなかった。
「...ああ」
少しの間の後聞こえたサーバントのそっけない返事に満足したアサディーは顔を上げ、少し微笑んでから森の中へと入っていった。
その様子をずっと見ていたサーバントは目を細めた。
(縁?そんなもの無ければいい...あるとするならば悪縁なのなのだから...そんなものに縋って再び会うくらいなら―――いっそオレの知らないところで死んでくれ...)
―――風が強く吹いた。
(あっ...どうして玄関からではなくてあんな変な通路を通ったのかサーバントに理由を聞くの忘れてた...)
今更肝心なことを思い出したアサディーは、どうしても理由が知りたくて大急ぎで来た道を引き返したが、その場所には既にサーバントの姿はなかった。
(まさか、まさか...ファイブロに隠れて私を館の外に出したなんてことは...ないよね?...だって行き先は結局同じだし、そんなことをしたらファイブロが何をするか分かったものではないし...サーバントが自分の利益にもならないのに意味もなくそんな賭けに出るはずない...じゃあ、どうしてあんなコソコソと外に出なければ行けなかったの?...いや、何かファイブロの指示があったんだ。意図は分からないけれど...)
自問自答の末、そう無理やり結論づけたアサディーは、再び走りながら森の中へと入っていった。まるで一抹の不安を払うように...
まさかアサディーがあの館を出るまでをこんなに長々と書くとは!全く話が進まない...次回から本気出す!(←次回もまた「次回頑張ろう〜!」となりそうな予感...)
・「スアカルケイザュイ」の名前の由来は一文字一文字を五十音表で一つ下にずらして読んでいくと分かるかも?(ここで作られているのは糸ではなくキレなのでこういう名前になっています〜)
・「クリ」という石の名前の由来はあの美味しそうな「栗」ではなく「涅」で、水の底によどんだ黒い土のことらしいです。茶みがかった黒色の石という意味でつけてます。