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彦倫鶴怨

「ああン?...なんだお前?変なもん被りやがって」


そうやってアサディーの方を振り向いたのは子供を蹴っていた男たちのうちの一人だった。そんな仲間の様子に気がついたのか、次々に他の男たちもアサディーの方を見る。男たちの目に映ったのはカパと呼ばれるフード付きのマントを羽織った小さな子供。さぞかし奇怪な格好をした者に見えただろう。しかもカパ自体をよく見ればこの地域ではかなり質の良いもので、より一層怪しさを増している。


(声が小さすぎで聞こえないなんて事がなくて良かった。もう一回はさすがに言えない...すごい威圧感...私がまだ子供で、体が小さいせいもあるか...)


男たちに不審な目で見られていることに気がついているのかいないのか、若干逃げ腰ぎみになりながらもアサディーは子供らしく首をかしげながら引きつる顔を懸命に笑みに変えて言葉を発した。


「何で、この子こわ、いの?」


唐突なアサディーの言葉に、アサディーのことを不審な目で見ていた男らは一瞬呆気にとられた顔をしたが、次の瞬間爆笑し始めた。一人は涙目にまでなっている。


「お前の目は節穴か?どう考えても怯えているのはここに転がっている坊主の方だろう?」


アサディーは男が言った言葉を理解することは出来なかったが、男が地面に蹲っている子供に視線を向けたため、再びその子供に目を向けた。先ほどまでアサディーの頭の中は男たちのことで一杯だったため、蹲っている子供が男の子で、物乞いみたいだということ以外はよく見ていなかったのだ。

発育状態が思わしくないのか細身で小柄だが、身長はアサディーよりも何センチか高く、顔からもアサディーより年上だということが窺える。目は長い前髪に隠れていて見えないが、髪の色は、満月に照らし出された夜空のような紺色に、星を散りばめたかのように小さな光の粒が散っている。世界が違うからなのか、地球ではあり得ない髪の色。

ちなみにサーバントの目の色は光の加減によって変わり、まるで樹液の色のように掴み所のない茶色をしている。髪の色は内側が明るいの茶色で、外側が暗めの茶色をして、この国では一般的な色合いだ。

そこまで観察したアサディーは、傾げた首はそのままに、またもや挑発するような言葉を無邪気に見せかけて放った。


「この子、をみん、なで、けってる、よ?」


しばらくの間、意味が理解出来ていないような顔をしていた男たちは、意味を理解すると苛立ったようにアサディーに近寄ってきた。


「そいつは...俺たちが弱いから大勢で攻撃しているとか言ってんのか?」

(っ!これ以上近寄らないでっ!)

「馬鹿か!お前みたいなやつはどっかに引っ込んで怯えてればいーんだよ!...変なもん被っていてよく分からないが、顔は良さそうだし、売りにでも出すか?」


アサディーのことを取るに足らない単なる子供だと判断した男たちは、アサディーに向かって大胆にそう言い放つと口許を嫌らしく曲げ、アサディーを捕まえようとした。衛兵であるのに関わらず人身売買に着手していることをこのように公に出来るのはこの国が人身売買を禁止していないことやそれだけここの地方が荒れていることを示していた。

そんな男たちの動きがアサディーにはゆっくりした動作に見えて、避けることもせずに、ただ眺めていた。

男らが急にアサディーに近づいてきたため、アサディーは恐怖を感じすぎてアサディーの脳は男たちの動作の意味について考えることを拒否していたのだ。だからアサディーは男たちの背後に見えた、全身が漆黒の羽で覆われている鳥を見て、烏かな?等とのんきなことを考えていた。

アサディーと男の手との間隔がほんの僅かになったとき、急にアサディーの肩に置かれた手によってアサディーは意識を取り戻した。

アサディーの視界に映ったのは、よく見慣れた人の背中と、その人に捻られるようにして手首を捕まれ、苦悶の表情を浮かべている男だった。


「サー、バント...」


アサディーが思わず呟くようにその者の名を言うと、サーバントは振り向くことこそなかったが、アサディーの肩に置かれた手に僅かに力を込めた。

アサディーはその事に安堵し、同時に身体中が汗だくになっていることに気がつくと、粘つくような汗で寒さと気持ち悪さが同時に沸き上がってきて思わず顔をしかめた。


「女が!いい気になるなよっ!」


一瞬のことで、事態に追い付いていなかった男たちが我に返ると一斉にサーバントに殴りかかろうとした。

サーバントは、アサディーが被っていたカパのフードをさらに深く被せると、最小限の動作でアサディーを背中に庇いながら横に避け、いきなり横にずれたサーバントに気がついて止まろうとした前の男に、いきなり止まるとは思わなかったその後ろの男がぶつかって倒れ込む馬鹿な男たちの姿を、無表情な顔で見ていた。

それでも尚、健気に立ち向かおうとする男たちをサーバントは凍てつくような視線で見ながら言葉を発した。


「まだやる気?」


短い言葉だったが流石に頭に血が上っていた男たちもサーバントの冷ややかな声に理性を取り戻したらしい。いくらごろつきの集まりでも衛兵は衛兵。勝てないことは悟ったのだろう。男たちはじりじりと足を後ろに下げていった。


「ちくしょう!覚えてろよ!」


とうとうサーバントの無言の圧力に耐えかねたのか、握り拳を作った右手を横に振り払って走り去っていった。この地方では、握り拳を作った右手を横に振り払う仕草は地球でいうところの舌打ちと同じようなもの。つまり男たちは揃って全員、小悪党定番の去り方をしたわけだった。


「終わる...た?」

カパのフードのせいで今までの戦いとも言えぬ戦いが見られなかったアサディーは、複数の足音が遠ざかる音を聞いて僅かにカパのフードを上に押し上げた。


サーバントはそんなアサディーの疑問には答えず、眉間にシワを寄せながらアサディーの方を見た。


「もう少し考えてから行動を...」

「?」


アサディーに苦言を呈していたサーバントは、アサディーが首をかしげて理解出来ていないのを悟ると、言葉を切ってため息をついた。


(何でため息を疲れたんだ?...あっ、そういえば!)


あることに気がついたアサディーは、急いで近くの店に近づいた。アサディーが向かった店はパンを売っている店。パン屋と言ってもさほど種類があるわけではなく、店には大きさが違う、手作り感溢れるパンが並べてあった。この領地ではこのパンが主食だ。ただ、パンとはいっても小麦粉が原料ではない。この領地ではソダブレドと呼ばれているし、地球で言うところのクッキーとパンの合の子のような食感のパン擬きだ。アサディーは、そんなソダブレドを売っていた少し年配の男性から先ほどサーバントからもらったお小遣いでニ、三個のソダブレドを買うと、アサディーは視界の端に映った荷車で薬を売っているのに気がついてそちらの店にも行き、傷薬を買った。残念ながら布は高くて買えなかったらしい。

ちなみに何の薬なのか分からなかったアサディーは、薬を売っている先程の男性より少しがたいの良い男性に拙い言葉で教えてもらって買った。

そうやってアサディーが貰ったお小遣いを使い果たすと、アサディーはソダブレドが一つずつ列をなすように結ばれてあるリュウサツランという植物の葉の繊維で作られた紐に薬も結びつけ、先程男らに蹴られていた男の子に近づいた。

地面に伏せたまま起き上がらず、そのままの状態でいた男の子に、もしかしたら死んでいるのかもと一瞬嫌な考えがアサディーの頭を過ったが、アサディーが近づいていることに気がついたのか、男の子は頭をのそっと擡げた。


「ねえ。これ...」


アサディーが何と声をかけて良いのか分からず、試しにこんな言葉をかけてみると、男の子は鋭い目付きでアサディーを睨み付けけ、皆まで聞かずにアサディーが差し出そうとしたソダブレドを横に叩き落とした。カパのフードを被っているとはいえ、見るからに一般の民よりは育ちの良さそうな服を纏った、自分より年端もいかぬ子供ごときに情けをかけられたからだ。自分がみすぼらしい格好で明日が見えない生活をしているのに関わらず、相手は日々をぬくぬくと過ごしているかのような格好をした幼児だ。男の子からすれば、お前が日々ぬくぬくと過ごす分だけ、自分のような者が次々と死んでゆくことなど知らないくせに偽善者ぶるな、という気持ちだったのだろう。しかもアサディーは今カパのフードを目深に被っていて怪しい雰囲気を醸し出している。目の前で買っているところを見せられていたとはいえ、そんな怪しげな格好の者から何か差し出されたとて、餓死寸前で藁にもすがる思いの者以外受け取らないだろう。

アサディーは咄嗟のことでどうすればいいのか分からなくなってしまい、思わず困ったような顔をした。アサディーが目線をサーバントに移すと、呆れた顔をしていたサーバントは静かに自分の服を指差した。しばらく考えたのちに男の子の気持ちを悟ったアサディーは、その事になんとも場違いな思いを抱いた。


(凄いな...)


アサディーが抱いた思いはただそれだけだった。

アサディーは、自分が前世でも今でも、誰かに傷つけられたならただその恐ろしさに体を震わせて頭を抱え、相手が飽きてくれるのを待つことしか出来ない人間だと知っていた。いたぶられる間に沸き上がる自分の感情は恐怖、ただそれだけだと分かっていた。アサディーには男の子のように相手に怒りなど向ける勇気がなかったのだ。波風たたないように、相手の機嫌を窺っていればさらに痛い思いをしなくてすむと考えているがゆえに。


「...生きて」


そう、アサディーが思わず呟いてしまったのはどうしてだっただろうか...

アサディーでさえ、その理由が分からなかった。


(あっ、あれ?え、えーと...ど、どうしよっか?)


男の子も、別に傷は負っていても死にそうになっているわけではないのに、急に変な格好をした見ず知らずの幼子に「生きて」と言われて戸惑った表情を浮かべた。


(...何で「生きて」なんてことを言ってしまったんだ?)


そんな風に頭の中では混乱の極みに陥り、固まってしまったアサディーに助け船を出したのは他でもないサーバントだった。


「ソダブレドを盗むくらいならそれで我慢しなさい」


そう言ってサーバントが指差した方には先程男の子によって叩かれ、まるで落ち込んでいるかのようにくしゃりとしてしまったソダブレドが転がっていた。

何て言っているんだ?と疑問に思いながらアサディーがサーバントのことを見ていると、サーバントはまるでもう話すことは何もない、と言うかのようにアサディーの手を掴みながら男の子の脇をすり抜けてその場を離れようとした。


「用が終わったならさっさと宿を探すよ。もうすぐ日が暮れる」

(え、えっと...た、多分...や、宿って聞こえた、と思う...)

「は、はい!」


サーバントが言った言葉は早口過ぎてアサディーにはほとんど聞き取れなかったが、アサディーは何とか聞き取れた単語に、存分に創造力を働かせて返事を返した。

宿を探そう、と言うサーバントに了承の返事を返しつつもどうしても気になってしまうアサディーは男の子の方をちらちら窺ったりしているが、サーバントはそんなアサディーに構わずずんずん前に進んで行き、足を止めない。そのため、アサディーは少し駆け足にならないとサーバントに付いていくことが出来なかった。


(胴体よりも足が長いと、こういうとき便利なものだ)


ある一定の距離を歩くと、サーバントは足とアサディーの手首を掴んでいた手を緩めた。


「自分の手に負えないことにむやみに首を突っ込むのは馬鹿がすることだ」

「?」

「厄介事に手を出すな、ってこと」

「申し訳ございません?」

(私が騒ぎを起こすと必然的にサーバントも連帯責任になる。だから怒っているってことかな?...それなら申し訳ないことをしてしまった) 

「分かっているなら...アサディー?」

(あの少年にも悪いことをしてしまった。一時助けただけで根本的な助けにはなっていない...いたずらに永らえさせて何の意味があったというのか...余計に苦しめるだけでは?)

 

苦言を呈そうと思ったサーバントだったが、アサディーが何やら難しい顔で考え込んでいるのを見て取ると、アサディーの頭に自分の手を乗せ、思いっきり下に押した。


「え!」


いきなりのことで目が点になったアサディーは理由を問おうとサーバントを見上げたが、すでにそこにはサーバントの姿はなく、先を歩いていた。


「ここの宿にしよう」


サーバントが急に立ち止まり、少し上を見上げたのにつられてアサディーも上を見上げた。宿の石壁に『シューオン』と書かれている。意味は「一休み」だ。


「食べる、ここ?」

「そう」

(流石にあれを食べた後のずたぼろの臓器で他の毒に対抗できる気がしない。少しの間とは言え、臓器を回復させる時間が取れて良かった)


アサディーが密かに安堵のため息をついていると、サーバントが思い出したようにアサディーの方に向き直った。


「カパは脱がない。食事は右」


何度も聞いた注意にアサディーは迷わず頷いた。

実はアサディーは左利きだ。しかしこの領地、いやこの国では昔の日本のように左利きは忌むべきものだとして、淘汰されてしまう。だからアサディーは右で食べようと必死に努力している最中だった。殆ど使えていないが、そこはまだ幼いと言うことでまだ怪しまれていない。

この事をアサディーに教えたのはサーバントだった。神や仏なんぞ信じない主義のサーバントだからこそアサディーは左利きであることを明かす事が出来、アサディーが右利きになれるよう協力...まではしていないが知らないふりや忠告をしている。

ちなみに前世のアサディーは右利きだった。だからアサディーが右で食事をしていてもそれほど違和感を持たれないのだろう。

宿の中に入りながらアサディーはふと思い出したことをサーバントに尋ねた。

ちなみにこの地域には扉がない。代わりに植物の繊維で編まれた布を上から垂らして視界を遮る。だから音は普通に漏れる。


「サーバント」

「ん?」 

「『烏』いる?...黒い、鳥」


アサディーが思い出したのは先程私に手を伸ばしてきた衛兵の後ろに見えた黒い鳥のことだった。その姿が前世でいうところの烏によく似ていたためこの世界にもいるのかどうか気になってしまったのだろう。何せ、アサディーが今までサーバントから教えてもらってたのは前世では全く見たことがなかったり、前世の生き物を合体させたキメラのようなものだったり、前世と姿は同じなのに生息場所や食べているものなどが違う生き物ばかりだったのだから。

アサディーの疑問に対してすぐに返答が返ってくると思いきや、サーバントは沈黙したままアサディーの方をじっと見つめた。正確に言うとアサディーの首筋だ。アサディーはその部分に何かついているのかと思い、その場所を触れてみると、そこに何かがついているわけではなく、ただ物心がついたときからある三日月型の痣に触れただけだったと感じた。

アサディーの首筋の左右には緩い弧を描いた細い三日月の痣があるのだ。ふとしたときにサーバントはよくこの痣を見ている。

アサディー自身も珍しいと思っているため思わず目がいくのも無理はないと思っているが、今見ているということはきっと質問が聞こえなっかったのだろうともう一度アサディーが尋ねようとした時、サーバントが急に我に返った様子でアサディーの方を見た。


「『烏』だったか?...『烏』というものがどういうものかは知らないけれど、滅多なことで黒い鳥などと口のはやめなさい」

(黒い鳥...などと、くちに、するな...ということは、黒い鳥などと口にするな、ということか)

「何故?」

「不吉だから。...昔は神の使いとも言われてはいたけれど、今では神は神でも死神の使いなどと言われている」

「え、えっと...ふきつ?かみ?しにがみ?」

(知らない単語が多すぎでよく分からない。使っているところを聞いたことが無いと思うから専門用語かな?)

「黒い鳥は悪い印象があるということ」

(い、んしょう...いんしょ、う...いや、いん、しょう、だから、印象、か)

「そうですか」

「...ただ、魔法でなら黒い鳥というのは実現させられると聞く」

「まほう?じつけん?」

(...つまりどういうことだ?)

「黒翼使い。...前代未聞の魔法使いだ」


まるで呟くようによくわからない言葉を発したサーバントに、私は思わず問い返した。


「...サーバント?」


私がサーバントに声をかけると、サーバントははっとしたように私を見たあと、静かに首を横に振った。


「何でもない。知る必要もない」

「?」


その後サーバントがアサディーに対して口を開くことはなく、二人はただ、毒も入っていなければ腐ってもいない夕食を食べて、冷たく固いが滑らかな触り心地の塊状石の上で寝た。


そんな二人が館に帰った数日後、アサディーの人生の転換期とも言える出来事が起こった。

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