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燕巣幕上

(またか)


アサディーは、今借りているドレスや装飾品を保管してあるタンスの中を見て、思わずため息をついた。

そのタンスの中にあるのはシワだらけになったドレスと、それと一緒に適当に放り込まれたであろう装飾品の数々。


(本当に気が滅入る···)


そう、アサディーが今の生活の中で言いたかったというのはこの事だ。


アサディーの両親は使用人の扱いが悪い。

ただでさえそれで使用人たちの間には不満が溜まるうえに、アサディーの両親は自分の気分次第ですぐに使用人らを解雇してしまうため、この館で働いている使用人らは常に粗相がないかビクビクしながら日々を過ごさなければならない。


過去には粗相をしていなかったのに関わらず、顔が嫌いだからという理由だけで解雇された人もいた。

それでもここで働こうとするのは家族のためだ。

働けども働けども税となって消えていくこの領地の中では、この館の使用人として働くのが一番高い給料を貰える。


確かに王都で働く場合も高い給料を貰えるが、ほとんどは田舎者だと馬鹿にされてろくな仕事に就けず、やっと見つけた職場でも給料を減給されるか、体を壊すかで、王都から領地に帰ってくる間の交通費に稼いだお金を使い果たしてしまい、それほどのお金にはならない。

だから皆が家族のためを思って、実質一番給料が高く貰えるこの職場で毎日毎日あらゆる理不尽なことに堪え忍んで仕事に励んでいるのだ。


そんな神経がすり減るような日々の中で、領主の娘が自分より格下の扱いを受けており、しかもその娘を苛めれば苛めるほど領主の妻に気に入られる状況であったなら、人が一体どんな行動に出るか説明しなくとも分かるだろう。それが今の現状に繋がる。


(一見、軽い嫌がらせに見えるんだが···地味に嫌なところをついてくる)


アサディーは重く沈んだ気分のまま、これから起こるであろうことを思い浮かべてもう一度長い長いため息を吐いた。






「時間通りに来れないとは、お前は私のことを嘗めているのですか!」


今アサディーの目には、目の前にいる人物から投げ飛ばされた皿の破片が映っている。

アサディーの後方に投げられた皿は見るも無惨に碎け散っていた。


(···投げられた時に然り気無く避けなければ皿が頭に当たっていた。考えるだけでもぞっとする)


アサディーは鳥肌がたち、手が冷たくなってきているのを感じていた。

初めて使用人たちにこのような嫌がらせを受けたときは、まさかファイブロがそんな奇行に及ぶとは思わず、当たって頭から血を流した。

今でもアサディーにとってトラウマだ。


(早口な上にこの国の言葉だから何を言っているか全く分からないが···今すぐに謝罪の言葉を口にしなければ殺されるっ)


この館で生活してきて培われてきた危険察知能力により、アサディーはすぐさま頭を下げた。


「申し訳ありません」

「申し訳ない?はっ、謝ればいいとでも思っているのかしら?いい度胸だわ」

「申し訳ありません」


頭を下げたまま、なるべく声が震えているのを悟られないように同じ言葉を抑揚のない声で謝るアサディーに、母はとうとう切れたらしく、今度はワイングラスのようなものをアサディーに投げて寄越した。


(っ!···頬を少し切ったか?)


アサディーはワイングラスもどきが砕け散った直後、頬にピリッとした痛みを感じたことからそう思った。

ちなみにワイングラスとは言っても、粘土を焼いて色をつけられたコップのことだ。しかも、中に注ぐのはこの世界ではワイン扱いをされるアンファラという飲み物。


「···そうか、よく分かった。お前が救いようのない愚か者であると。今日一日お前の食事は抜きです」

(食事は抜き···と言われたのか?·········とりあえずいつもより早くに切り上げられて良かった)


相手が一体何を言っているのか分からないということもあったが、アサディーは思わず張りつめていた息を吐き出した。

勝手に自己完結して処分を決定したアサディーの母が、既にアサディーをいない存在として扱い始めていて、アサディーに向かって怒鳴ることも物を投げることもなくなったからだ。


さらに、ファイブロの食事抜きだという言葉は、アサディーにとって罰にはなりえないということも、素直にこの状況に安堵できた一つの原因だろう。


確かに、一日食事がないのはアサディーとて、御免だ。

だが前世のトラウマから男性恐怖症になったアサディーとしては父と共に食卓につくなどもっての他。

それにアサディーはまだテーブルマナーがなっていない。

この点においても、母から何か言われることなど目に見えていた。


尋ねても教えてもらえぬテーブルマナーを磨くことは至難の技だ。

しかも、実はアサディーは左利きだ。

この世界で左利きの者は忌み子として扱われる。


ということを、あまりそういった迷信は気にしない、ある女中からアサディーは教わっていた。

また、今までそれを知らずに左手で食べていたアサディーが、左利きであることが親にばれていなかったのは、この国での食事は手で食べるのが当たり前で、かなり幼いときならば、たとえ利き手であったとしてもまだ物を上手く持てない時期なので、左で食べていても然程違和感は無かったからだ、ということもアサディーはその女中に聞いていた。

だがやはり、成長すると慣れている手と慣れていない手の違いが一目瞭然になってしまうため、誤魔化がきかなくなってしまう。

だから、アサディーにとって親にばれないようマナーを意識しながら右で食べるのも一苦労なのだ。


また、アサディーの食事はいつも昨日家族が残した食事を使用人が食べて残した残飯だ。

防腐剤の入っていない手作りの物は腐りやすく、冷蔵庫などないこの館では一日経ってしまえばすぐに悪臭が立ち始める。

そんなものを毎日食卓に出される。

それならばごみ入れに捨てられた残飯をこっそり漁って食べるのとさほど変わらない。

だからアサディーとしては食事を抜かれても抜かれなくてもさして変わりないのだ。


それとアサディーがこの状況を安堵する理由がもう一つある。

それは·····


(今日はもう、あの苦痛を味わわなく済む。

···だが、これは逃げなのか?)


アサディーは空腹に堪えて仕事の持ち場へと向かう途中、安堵すると共に、思わず安堵してしまった己に対して嫌悪感を抱いていた。


(私には、償わなければいけない····到底償うことのできないほどの罪があるというのに。····そのために転生したわけではないのか?)


最初の症状は頭痛だった。

それでもアサディーは、仕事を休むことも許されず青い顔をしながら必死で使用人としての仕事をこなした。


それは、少しでも手を抜けば、毎日のようにファイブロの命令によって他の使用人から与えられる暴力が、更に過激なものになるからだ。

アサディーに睡眠時以外の安寧はない。

酷いときには訳も分からず夜通しで甚振られ続けた。


それからしばらく経って、あまり頭痛を感じなくなった頃に急に体の容態が変わった。目眩や吐き気から始まり、発熱、腹痛を伴うようになったのだ。

何かの病かと勘繰ったアサディーは、左利きである意味を教えてくれた女中に相談した。女中はすぐに、食事に毒が混入されていることに気がつき、アサディーに告げたが、館の外に出て生きる術を知らないアサディーは、それを拒んで館を飛び出す事は出来なかった。

アサディーはお使いとして、何度も町に降りて見てきた悲惨な現状を前に、館を飛び出すことを躊躇してしまったのだ。

辺境の地にある領地だからか、町の様子はアサディーにとって酷いものだった。

そしてまた、そんなアサディーに対して女中は何も言わなかった。


毒を強いものにしていったのだろう。アサディーの症状は重くなる一方だった。

やっと体に抗体が出来たと思っても、また別の毒に変わり、アサディーの体には違う症状が表れた。

そんな鼬ごっこのような事を繰り返しつつも、使用人の仕事をしないと何をされるのか分からず、辛さで涙を溢し、いつ殺されるか分からない恐怖に怯えながら必死で両親のご機嫌取りをしているのが今のアサディーの現状だった。

反感を買ってこの館を追い出されたら自分は生きていけない。前世の罪を償うために生まれ変わった自分が死ぬわけにはいかない。

アサディーはそう思い込んでいた。

いつか殺されるかもしれないと思い込んでいたが、今まで自分を殺すほどの強い毒は盛られていないことから、アサディーは今の現状を正しくは理解できてはいなかったのかもしれない。無意識に何とかなるという甘い考えを持っていたから館に残るという選択をしたのだろう。

館の中に居ても、生きていける証拠など何処にもないというのに······


転生と聞いたらもっと華やかな印象があるかもしれないが、現実は所詮こんなものだ。

誰かに媚を売って、隠れて涙を流しながら身体に鞭を打って老いていく。


アサディーはフーテンの生涯についてよく知らないため、これから先どのようなことが起こるのか全く分からない。

本当にこの世界が乙女ゲームの世界であるかも分からず、余計な期待を抱いて失望することは御免被ると、アサディーは現実だけを見据えて日々を生活している。

例え乙女ゲームのようなシナリオを辿ったとしてもほぼアサディーは殺される運命しかないのも確かだが…

フーテンの最後は、良くて国外追放、他には狂うことも許されずに永遠に拷問を受け続けて廃人となったり、奴隷とされたり、売春婦となったりと様々な最後がある。


大概のキャラクターは例えモブでもかなり細かいところまで設定されているのにも関わらず、元々フーテンはそれほど細かく設定されていないキャラクターだった。

理由は簡単。フーテンだけは決して主人公に堕ちない生粋の悪女であるからだ。

実は、この乙女ゲームはなかなか複雑で、攻略対象が最初は分からないようになっている。だから本当の攻略対象が簡単にばれないように、カモフラージュ目的で例えモブキャラでも設定は意外と細かく作られているのだ。さらにこのゲームでは百合になる可能性もある。だから女性設定もかなり細かい。

けれどフーテンは、最後まで悪女として生き抜き、主人公に決して堕ちないキャラクターであると製作者自身も発表しているほど、根っからの悪女なのだ。

だからカモフラージュする必要がなく、製作者はフーテンの設定をそれほど詳しく作ってはいないのだ。


(取り敢えず仕事にかからなければ)


アサディーは給仕が終わった後直ぐに自分の仕事へと移った。

アサディーが普段掃除をする場所は古書室と庭だ。

どちらも虫が出ると、使用人の中でも女性には忌み嫌われている場所だった。

しかも古書室はトリカが全く閲覧しないから埃も鼠も湧き放題で、庭では夏は雑草、秋は落ち葉掃きに忙しくなる。

そのお陰か、アサディーはあのすばやい鼠を素手で捕まえる方法や虫に食われた書物の修復及び正しい管理の仕方、雑草を根から抜く技術や落ち葉を使った腐葉土の作り方など、様々なことを覚えてしまった。

因みに、アサディーが乙女ゲームの世界に転生したと分かったのも、これらの技術を身に付けられたのも、古書室にある本の中の情報によるものである。

また庭掃除するときは庭の植物で薬や毒、生活に役立つ植物の勉強をしたり、アサディー自身が前世で武術を少し習っていたこともあり、何かのときのために体を出来る範囲で鍛えている。

そんなアサディーの毎日は、いつも一人だ。わざわざアサディーと一緒に掃除したいという物好きは何処にもいない。

····はずだったのだが、何故か今日はもう一人いた。

家女中だ。

アサディーは、本当の名を教わってはいないが、名を尋ねたときにサーバントと名乗られたのでそう呼んでいた。

サーバントとはこの世界では隣人という意味になる言葉で、前世のように召使いという意味はない。

どちらにしろ本名ではないはずだ。

「めつらしい。何故いる、ここ?...私と的だ?」

(人目のつかない古書ならともかく、庭でとは本当に珍しい。ここにいれば私の肩を持つ者として仲間だと認識され、私と一緒に他の使用人に酷いことされるかもしれないのに)


アサディーがそう言うと、一緒に庭掃きをしていたサーバントは急に手を止めた。


「それは勘弁。...それと、めつらしいではなくて珍しいだと思う。...ああ、あともう一つ、的だではなくて標的になるや餌食になるの方がいいと思う」


そう、おどけながら肩を竦めるこの家女中は元々こういう性格だ。

アサディーが誰かに罵倒されていたり暴力を振るわれていても沈黙を貫いてアサディーと関わろうとしない。

用があればアサディーに話しかけるし、アサディーが話しかければ言葉を返しもする。

先ほどのようにまだこの国の言葉があやふやなアサディーに言葉の訂正やこの国の文字も少しなら教える。

だが、それ以上にはならない不思議な間柄。

はたから見れば冷たく見えるかもしれないがサーバント自身やサーバントの家族のことなどを考えれば、それは致し方ないことであって、アサディーを積極的に陥れたり、仕事を押し付けない時点でアサディーとは随分友好的な関係を築いていると言っていい。

普段は素っ気ないが、実は意外と面倒見がいい性格がそうさせているのかもしれない。

自分に与えられた仕事は責任をもって最後までこなし、それに見合うものは当然のものとして受けとるが、それ以上は受け取らない。欲はなく、自分の上限をよく分かっている者だった。

アサディーとしてはサーバントとのそういう距離感が一番好ましいため、実は結構お気に入りの人だったりする。

だからこんなところにいる人物ではないのだが...


「何故、ここ?...私、手伝う、享受。だが...」

「明日買い出しに出掛けるから手伝って貰おうと思ってね」

(ぁしぃ、たかい、だぁし?...あしぃたか、いだしぃ?...明日買い出し...か?)

「あしぃた買い出し...あしぃた、物買う、こと?」

「それの手伝い」

「ん?手伝ひ?...手伝う?」

「ああ、料理人が辞めさせられたから、食料調達の仕事がこっちにまで回ってきてるんだ。わざわざ館まで物を売りに来る商売人もこの領内ではいないからね」

「...りょおりいがぁあめすぁせ...?」

「料理するひと、辞めた、ということ」

「りょおりしゅる...ひゅと、あめた...」

(りょおりしゅる、りょーりしる、料理する?人、あめ...やめ、た?)

「!?作る人は無い駄目。何故を考える?今、何が作るする?」

「今食事を作っているのは家政婦だ」

「つぅくってゆるの...つぅくっている、のは...かしょうふ?...歌唱婦?...家政婦」

(今は家政婦が作っているのか...って、)

「無理な」


アサディーが思わず呟いた言葉にサーバントは苦笑いをした。


「ああ、お陰で家政婦の手が回らなくて仕事がこっちにまで回ってくる始末だ。明日は日用品の補充も頼まれている。まあ、そういう事情だから協力してくれ」

(きゅうりゅく...きゅう力...いや、きょうりょく?...手伝いってことか?)

「承りました。時は...悪い、今だぁいどぅくろにて手伝うする。後、話す」

(すぐに台所で台所女中の手伝いをしないと)


そう言ってアサディーは持っていた箒をサーバントに押し付けて台所に向かおうとすると、サーバントは後ろから小さなため息を吐いた。

因みにアサディーの言葉は、男女問わず、年齢問わずに誰かの言葉を聞いて覚えたものを使っているので少しちぐはぐな部分がある。


「はぁ、はぁ...入るます!」

「遅い!早く入れ!」

「申し訳ございません!」


急いで台所に入ると、むわっとした熱気とともに叱りの言葉がアサディーを迎えた。

アサディーが最初に聞いた時は、言葉を放ったのが男性ということもあって萎縮していたが、今では仕事に取り掛かってもいい合図だとアサディーは考えている。

この言葉がないと少しばかり宜しくない事が起こる前兆だ。


(台は何処に...あった)


アサディーの背は台の上に顔が出ない程小さく、到底台所で仕事など出来ないため、いつも足元に足台を置いて野菜を洗ったりしていた。

アサディーの手の大きさにあった包丁は無いため、アサディーが手伝えるのはそれくらいだ。

だが、そんなアサディーにも手伝って欲しいほど食事の準備は忙しい。

まさに猫の手も借りたい状態だった。


(全部食べないが食事の量は多くないと機嫌が悪くなるものだから困る。しかも少しでも冷めていると折角作った食事を床に叩きつける)


然り気無く、アサディーはまだこちらで一歳にもなっていないのに歩けて、少し話せて、仕事をしているが、この世界でこれが一般という訳では無い。前世より一歳歳をとるのが四年多くても精神年齢は前世の感覚と同じだ。

前世の一歳時とこちらの世界での一歳時の精神年齢は同じだなんて不思議な感じがするが、知識量的にはこちらの世界の人々の方が多く持っているのかもしれない。

話は戻るが、なぜアサディーがそんな歳で仕事をこなしているのか?きっとそれは単純に生命の危機を感じたからだろう。自分が役立つという証明が出来なければ捨てられ、生きられない。そんな生命の危機を。人間の脳は普段全体のほんの僅かしか使用していないようだから、今回の場合は生命の危機を感じて人間の知られざる能力を引き出したような気がした。

要は懸命に言葉や歩き方、仕事の仕方を覚えたということだ。だからアサディーにはまだ出来ないことなど山ほどある。


「水使いすぎだ!馬鹿っ!」

(みぐぅ...みぐ...みず、水!水のことか!)

「申し訳ございません!」


ファイブロは、使用人が使っていい金額を定めている。食事を作る際の水代、火を起こす時に使う際の薪代、館を修理する際に使う石代などもろもろを一々帳簿に付けてもし予算を上回ると給料から引かれる仕組みだ。アサディーは給料を貰ってないからいいが、他の使用人らはたまったものではない。


「洗うのが遅い!さっさと野菜を洗え!」

「申し訳ございません!」

(やっぱり水の量を少なくすると洗いずらくて遅くなるな...これで最後だ。)

「出るます」

「働かねぇならさっさと出な!」


今日は食事を抜きだと言われたアサディーだが、食事の際に出席しなけばならない決まりがあった。


(湿気が篭ってこんな季節なのにひどく暑い...)


汗を拭いながらまたもや小走り気味にアサディーは自室に戻った。


「遅い!さっさと席につきなさい!」

(えっ?今日は食事抜きでは...)

「今、食べる無しか?」

「早く席につきなさい」

「...」


朝までは一日中食事が抜きだと言われたはずなのに石で出来た冷たいテーブルの上には、アサディーの分の食事まできちんと置かれている。

急に意見を変えたファイブロに思わずアサディーは眉を顰めてしまったが、ファイブロの物言わせぬ様子に沈黙せざるを得なくなった。まるでさっさとしろとでも言わんばかりに早くから使用人に引かれていた椅子にアサディーが大人しく座ろうとすると、いきなり椅子を戻され、アサディーは勢いよく椅子に尻餅をつく羽目になった。


(普通、椅子の角を膝裏に付けてからゆっくり戻すはずだ。わざとか...えっ)


アサディーは目の前に置かれたスープの中身を見て思わず固まった。皿の中に並み並み注がれていたのは真っ赤なスープ。この辺境の地でスープを頃ほどまでに真っ赤に染められる植物は一つしかない。幼い子供でも知っているほどの猛毒。トウアスキ。


(これを...飲むのか?飲めばさすがに死ぬ。だが...)


人を痛めつけるのが好きなファイブロに半殺し状態でいたぶられるより、例え少しの間苦しくても毒で死んだ方がましかもしれない。そんな考えがアサディーの脳裏を過った。

アサディーの母は何故あれほどまでにアサディーを痛めつけようとしたのか?アサディーを殺したかったならば、どうせアサディーは逆らえないのだから短剣でも渡して死ねと命令すれば良かったのに。本当はアサディーを追い出したかったのか?素直に出ていかなかったから殺そうとするのか?それならば出ていけと命令すればよい。

何故こんなまどろっこしいことをしたのか、アサディーには親の行動原理が心底理解不能だった。

(...これ食べたら一体誰が私を殺した責任を取るんだか。そもそも私がこの親の子供であると公認されていない可能性もあるが)

背中に冷や汗をだらだらかきながら恐怖をまぎらわせるためにそんなことを考えつつ、アサディーは本当に逃れることが出来ないのだと、目をつぶって、襲い掛かるであろう苦痛に体を強ばらせながらスープを一気に煽った。


(っ!)


どうやらすぐに症状が出るらしい。


ガタッ、ガタガタ...ガタンッ!


「立て」


視界が回って椅子から崩れ落ちたアサディーには愉悦で染まった目を見つめ返すことなど出来ず、アサディーはただ、もしかしたら初めて聞くかもしれないファイブロの上機嫌な声を頭の隅で聞いていた。


「やはり一級品だ」

(何の、こと?...っ!)

「あ...あ、あ、あああぁ!あああっ!...」

(息っ!息が...苦しい、痛い、痛い、喉が...痛っ、頭...体痛い!ぐあああぁぁ!ああああぁぁ...っああぁ!)


突如として皮膚が引き裂かれ、骨がくだけ、肺が焼け爛れ、四肢が引き裂かれるような激痛に襲われたアサディーは、その痛みでのたうち回ることで更に、全身を針の筵で突き刺され、頭に今にも頭蓋骨が砕け散りそうなほどの圧力をかけられているような感覚に陥っていた。

目に涙を浮かべているアサディーを、トリカは動じることもなくただただ ぼー と眺めていた。

アサディーは声もあげられぬほどの痛みが、体をぐるぐる回って抜けきる気配が全くなく、何が痛いのか、辛いのか、暑いのか、寒いのか、吐きたいのか、目眩がするのか、もはやよく分からない状態になってた。自分の状況も、認識する前に強烈な痛みの波がやって来て、アサディーの思考をさらっていき、判断することさえ叶わない。


(気を早、く失いた、いのに、こうい、うときに限、って要らぬこと、ばか、りが頭、をよぎ、る...)


自分はこのまま死ぬのか、この痛みはいつ消えるのか、そのうち痛みが限界を上回りすぎで視界が真っ白になったアサディーは、ずきずきと断続的な痛みを発している両の目を突き出さんばかりに見開いて、痛みを少しでも外に逃がそうと努めた。

...そうして、アサディーの視界は徐々に暗闇に囚われていった。

最後に


「お前は生まれてくるべきではなかった」


という言葉を頭の隅で聞きながら...

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