表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

轍鮒之急

お久しぶりです。最近忙しくて中々更新出来ませんでした...

その代わり、長くはありませんが、楽しんでいただけたらと思います。

イマルの日の翌日からスアカルケイザュイに多くの女性たちが帰ってきて、今までひっそりとしていた空間が嘘のように騒がしくなった。アサディーがここに訪れた頃と、女性の人数は変わらないはずなのに、イマルの日を迎える前に感じていた暗く、息が詰まるほどひっそりとしていた空間よりも今の方が賑やかになったと錯覚するほど、少年と過ごした日々は静かなものだったのだとアサデイーは改めて感じていた。

その女性たちの中でアサデイーに近づいてくる者がいた。


「カパちゃん!」


アサデイーが声がした方を振り向けば、そこにはあの少女がいた。13日前に別れたときよりも顔色が良くなってように見え、少女の体調を気にしていたアサディーはほっとした。


(咳はまだ出るのかな?)


駆け寄ってきた少女にアサディーがそんなことを思うと、アサディーの心を読んだかのように少女はその場で咳き込んだ。


「ゴホッ、ゴホッ...ごめん」 

(やっぱり治ってないのか...酷い病気じゃないと良いけど...)

「大丈夫です」

「あれ?なんか話すの上手くなった?」

(話すの、上手い?...少し発音注意されて直しただけなのにそんなにすぐに分かるものなんだ)


不思議そうにしている少女に、アサディーは13日間少年に言葉を教えてもらっていたことを簡単に話した。


「えっ!あの子がそんなことするなんて...」

(そんなこと、って...驚いてる?そんなに驚くようなことなのか?向こうから言い出してくれたけど)

「確かに新しくやって来た子達にこの中を案内したり、ここでの決まりを話したりとか面倒見は良いんだけど、ちょっと近寄りがたい雰囲気でね。スアカルケイザュイの管理者とも普通に話しているし、そもそも女性が働く場所に何で男の子がいるのか分からないから、少し話しかけるの躊躇っちゃうというか...」

「......話しやすい人だった、と思う」

「そっかぁ...じゃあ、なんでここに働きに来たのかとか聞いてみたりした?」

「え、えっと...聞いたと思う。けれど分からなかった」

「おお!受け答えが早くなっている!やっぱり特訓のせい、あっ、ごめん...でも一応答えてくれたってことだよね?」

「...多分?」

「じゃあ、そんなに深い理由があるわけじゃないみたいだね...私も話してみようかな。友達の友達とは友達になっておきたいものね」

「...友達?」

「えっ、私達友達じゃないの?」

「えっと...」

「あっ、ごめん。調子に乗って速く話しちゃった...えっと、取り敢えず私達は友達だよ!」

「と、友達...」

「そうそう。それじゃあ私はこれから荷を解いてくるから」


そう言うと少女はアサディーのもとを離れていき、他の女性たちに混ざってさほど多くない荷を解き始めた。少女の手際の良さを見るとすぐに仕事の支度も整いそうだ。結局少女が何の話をしに来たのかよく分からなかったアサディーだったが、少女の様子を見ながら、先程の会話を思い出していた。


(...友達、か。幼いから、かな.......あれ?そういえば...)


急に、何かを忘れているような気がしたアサディーは、その正体を掴むために昨日の出来事を振り返った。そして突然、いつもアサディーが仕事をしている部屋に来てほしいと昨日少年に呼ばれていたことを思い出し、アサディーは慌てて少年の元へと向かった。時間は早朝という話だったが、既に早朝と呼べる時間は過ぎている。少年はまだアサディーのことを待ってくれているのか、一抹の不安がアサディーの胸を過ぎった。


ガガッ、ザシュ、ガガッ、ザシュ、ガガッ...


アサディーが部屋に向かっていると、アサディーの耳にそんな音が聞こえてきた。これはアアサオクを冷まして作る半透明な固体を大きな刃物で切る音。刃物がついている、木製の機械のような装置を用いており、大勢の女性たちが力を合わせてその装置の両脇についている取っ手を下に押し込むことによって大きな刃物が上から振り下ろされ、手で切るには固いその塊を切れる仕組みになっている。見た目はギロチンに似ていた。機械と呼ぶには単純な作りだが、この世界の人々にとっては、固いものを切ることが出来る画期的な道具だった。


(もうそんな時間か...)


小部屋全体を占めるくらい大きな機械は、その機械の側を通ると危険だということから使われる時間がある程度定まっていた。その機械を使っている間は本来その部屋の中に入ってはいけないのだが、運の悪いことにアサディーが向かおうとしていた部屋はその部屋を通らなければいけないようになっていた。


(この機械が動き出したらしばらくは止まらないんだよね...呼ばれてから結構時間が経っているからこれ以上待たせるのは申し訳ないし...)


アサディーは少し迷ったが、その部屋を通ることに決めた。実際、本当に急ぎのときは機械が動いていてもお構いなしにその部屋に入っていく者もおり、皆それは仕方ないことだと理解しているため、咎めるようなことはしない。アサディーも細心の注意を払ってその機械の横を通り抜けようとした。

そのとき、何かに引っかかったのかアサディーが被っていたカパが後ろに引っ張られた。慎重にかつ急いでその部屋を通り抜けようとしていたアサディーは突然のことに驚き、急いで後ろを振り返ろうとした。その急な動作でまだ完治しきっていなかった腕の傷が鈍く痛み、アサディーはそのまま体勢を崩してしまった。


ガガッ...

(えっ...まず、いっ)


アサディーの頭上には鋭い刃。アサディーは体を捻ることも叫ぶことも思い浮かばず、ただ迫り来るだろう衝撃に耐えるために目を瞑った。

...それはほんの一瞬のことだった。アサディーがただ現状を理解し、目を閉じられるだけの僅かな間に前から駆け寄ってきた者がアサディーの体を前方に引き寄せた。


―――ザシュ!


アサディーが前に倒れるのと同時にアサディーの後ろの方で今までの音とは違う何かが切られる音がした。

今まで取っ手を押すことだけに集中していた女性たちも、その異様な音に違和感を持ち、その場にいた女性たちが全員一斉に音のした方を見た。

...その瞬間、辺りに悲鳴が響き渡った。

その悲鳴に呆然としていたアサディーも我に返って後ろを振り向き、目の前の光景に愕然とした。

アサディーの目の前にいたのは片腕から血を滴らせている少年だった。


(なんっ、で...)


なぜそこに少年がいるのか、どうして片腕から血が噴き出しているのか、そんな当たり前な疑問さえアサディーの頭には浮かばず、アサディーはただ目の前の光景に恐れおののく事しかできなかった。

アサディーの頭はどんどん白く染まり、視界は狭まってゆき、足には力が入らず、今にも倒れそうだった。手も足も体中が震え、歯が噛み合わずにカチカチ鳴っている。

そんな状態が少し落ち着いてきたのはアサディーの目の前にいた少年がどこかに運ばれたあとだった。

今まで目に映していたものを少しずつ理解するように、アサディーの頭の中に先程目の前で行われていたことがゆっくりと蘇ってきた。

少年が腕から血を噴き出してすぐ、近くにいた監視者が少年の腕の断面に焼き石のようなものを押し当てた。ジュッ、という嫌な音がしたあと少年は軽く呻いてからすぐに意識を失い、力が抜けた少年の体はその監視者にもたれかかった。辺りには肉が焼ける嫌な臭いが充満し、周りにいた女性の多くが吐き気を催した。

そんな周りの状況を少しも気に留めず、その監視者は少年を抱えてこの部屋から出ていった。

体の震えが幾分か収まった頃、アサディーも部屋を出て、監視者のあとを追った。











監視者は、いつもアサディーらが寝泊まりしている部屋に少年を横たわらせて治療をしていた。治療と言ってもそれほど医療技術が発達していないこの世界で出来ることは限られる。少年の腕の神経や血管をつなぎ合わせて腕を元通りにする技術もなければ、火傷から起きる感染症を完全に防ぐ方法もない。監視者が行っていたのは、患部の周りを冷やしてから殺菌作用のある薬草の液に浸した布を切れた腕を縛ることと、水分を補給させることだった。

少年の腕はちょうど監視者の体の影に隠れてアサディーの方からは見えない。切り落とされた少年の腕を見る勇気が出なかったアサディーは、思わず俯いてその場で立ちすくんでしまった。

一体どれだけの時間が経っただろうか、ふいに監視者が立ち上がり、アサディーの方に向かってきた。


「私は持ち場に戻らないといけないから代わりに水を飲ませてあげて」


そう言って監視者は手に持っていた石碗をアサディーに差し出した。監視者の言葉を理解するより先に石碗を受け取ってしまったアサディーは、思っていたより石碗が重く、慌てて抱え直した。その様子を確認した監視者はアサディーの横を通り抜けようとしたが、寸前でアサディーの方をちらりと振り返った。


「あれは君のせいじゃないから...そんな顔しないで」


そのまま去っていくと思われた監視者からまさか話しかけられると思わなかったアサディーは驚き、ずっとうつむかせていた顔を思わず上げてしまった。けれど目があったのは一瞬で、監視者はすぐにアサディーに背を向けて歩き出してしまう。

しかし、アサディーは一瞬見た監視者の顔に見覚えがあった。人の顔を覚えるのが苦手なアサディーだが、その顔だけは覚えるように少女に言われたのだ。

いつも監視者なのに監視をせず、持ち場についてすぐに眠ってしまう不真面目な人。その分、多少遅刻しても罰せられないし、理不尽な暴力や暴言を吐かれることはないのだが...解雇されないのか、こちらが心配になってしまうほど何も仕事をしないのだ。一体何のためにここにいるのか疑問に思うほどである。だから...


(まさか...気遣って、くれた?)


普段の様子と今の言葉とのちぐはぐさに違和感を覚えながら、アサディーはその背中を見つめていた。











目を覚ますと、最初に少年の瞳に映り込んできたのは薄汚れた天井だった。すぐに周りを見回すと、気を失う前より随分辺りが暗くなっていることに気がついた。


(かなり眠っていたようだ)


体を起こそうとした少年は体に違和感を覚え、左腕を見た。そこには肘から下がざっくりと切り落とされた腕があり、手当された跡に一体誰がしたのか少年は首を傾げた。

その時、急に腕に痛みが走った。少年はジクジクと痛む場所をとっさに押さえたが、そこに腕はなく、床に触れるだけ。しかし、確かにその箇所から痛みを感じ、少年は頭を混乱させながらも右手を握りしめて痛みに耐えた。

なかなか収まらない痛みに意識を逸らそうと少年が顔を上げると、傍に小さな人影が座り込んでいるのに気がついた。

よく見ればそれはカパを被った新入りの子で、顔を俯かせて眠っているのが分かった。


(痛みに耐えていたとはいえ、気配に気が付かなかったのは重症だな...)


傍で自分が痛みに呻いているのに、すやすやと眠りこけている彼女の様子に呆れながら、その気配を悟れず、気持ちが緩んでいることに少年は顔を顰めた。

なぜ彼女がここに居るのか疑問に思った時、彼女の傍に並々と水が注がれている石碗と血で汚れた布が置いてあるのを見て少年は大体のことを悟った。


(看病してくれた?)


改めてアサディーを見た少年は、その姿に過去の記憶が蘇り、そっと目を伏せた。

それはもう戻ることの無い、かつての日常の記憶。体調を崩した少年が額に感じた、ひんやりと気持ちいい手の感触はもう記憶の彼方。再び感じることも思い出すこともできない...いや、許されない。

今の少年に、傍で看病してくれるような人はいなかった。だから、ついアサディーの姿が懐かしく思えてしまったのだろう。


(年端もいかない小さな子供にまさかあの人のことを重ねてしまうなんて......何の警戒心もなく卵を食べる小さな子供。命の象徴である卵を食べる人間などいない。例え自我のない赤子でもだ。その価値観は無意識下に体に染み込んでいる。それを食べるのは、人によく似た人ならざるもの。残虐で非道、悪の全てを合わせ、具現化したような存在....『   』しかいない)


しかし、少年の目にはどうやっても目の前の子供がそんな存在には思えなかった。


(挑発をかけて卵を差し出してみても普通に受け取って食べるし、油断を誘っている訳ではなく、本当に言葉が分からないのか確かめようと少し脚色した俺の過去を話したら慰めるどころか同情もせずに首を傾げるばかりだし)


少年の目に見えるのは常識一つきちんと知らない、まだ親の庇護下にいるべき存在だけ。


(俺が真実ではない話を混ぜているとバレたから?とは言っても、本当の話をすると恐らく悲壮感より怒りが勝ってあまり意味がなかったはず...)


もしかしたら、アレが言っていた情報は嘘かもしれない。そんな風に少年が思い始めた時、ふと腕の痛みが和らいでいることに気がついた。


(そう言えば、この子のことを考え始めてから痛みが和らいでいた気が...)


驚きながらも少年は自分の切り落とされた腕を見つめた。本当は手首から下が切り落とされるようにするつもりだったが、体を引っ張った直後思わずアサディーの無事を確認してしまい、反応が遅れて肘から下をバッサリと切り落とされてしまったのだ。


(手首から下でも怪しいのに、こんなに腕が切り落とされたらアレに捨てられるかもしれないな......一体、俺は何をやっているんだ。そもそも俺は『   』を始末するためにここに潜入したんだ。この子供を助ける意味などなかった。この子供が本当に『   』だった場合、むしろ好都合だったはずで、もし違っていたとしてもここで事故死するのは珍しくない)


髪が引っかかったり、裾が引っかかったり、少年もこの場所に入ってから今まで何度かそういう場面に立ち会っていた。運良く即死は免れても誰も手当て出来る技術を持たないし、管理者もわざわざ手当てしようとはしない。働き手など後でいくらでも補充出来るからだ。

それでも女性たちは髪を短くしたり、服の裾を短くはできない。項や踝を見せることは男を挑発していると捉えられるからだ。実際にそれで管理者に襲われた女性もいる。その管理者が罪に問われることは無かった。それほど女性の地位は低い。ただでさえ、管理者が規範通りに働いている女性に手を出す事例は多いのに、家族の生活を支えている彼女たちが、自らから危険に飛び込む真似は出来なかった。


(どうせ捨てられるなら、いっそこの子供と逃げるか?)


ふと、そんな考えが浮かんだ少年は自嘲して、左腕を思いっきり掴んだ。腕の激しい痛みに少年は呻く。


(何を馬鹿なことを...誓いはどうした?母は?あの人たちは?復讐のためにアレに仕えているんだろう?今までの努力を無駄にするつもりか?あの...狂おしいほどの怒りを、憎しみを忘れたのか?)


少年は浮かんだ考えを振り切るようにそう自問した。アサディーを助けて腕を失ったことに後悔がない理由に気がついてはいけない。

まだ酷い痛みが続く腕を見つめながら少年は泣きそうな顔で笑った。


(犯した罪は自分に返る...)


もう少年はアサディーのことを見なかった。アサディーのことを考えることも放棄した。自分の腕の痛みを忘れてはいけない。消してはいけない。そう言い聞かせながら、少年はただ腕の痛みに耐え続けていた。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

話が急展開な気もしましたが、だらだらと書くのも話が進まないと思い、思い切って入れてしまいました。

製糸場のような場所では機械に腕を持っていかれるようなことがあったそうですね。この時代には労災保険などありませんし、全て自己責任ですよね...それを知って、ぜひ入れたいと思っていました。

ですが、腕を無くしてしばらく経った登場人物とは会ったことがありますが、腕を無くしたばかりの登場人物とは会ったことがないため間違った知識で書いていないか少し緊張しています。もし、何かお気づきの点がありましたら教えていただけると嬉しいです。(ちなみに少年が感じた痛みは幻肢痛を表したものです)

恐らく、しばらく急展開が続くと思います。なるべく早めに更新するつもりです。次回もどうぞよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ