37 シナ炎上
ダンジョンの発生に始まる混乱の中で中華人民共和国は崩壊し幾つもの勢力に分裂した。この分裂に伴う争乱により黄河に在った橋、ダム、堤防などの人工物が破壊されたことに加えてダンジョンの影響で自然が回復したことで黄河は大河の姿を取り戻した。昔と違っているのはダンジョンの浄化作用のおかげか黄土で濁っていた水が下流では澄んでいることだ。水が澄んだ事でスナメリが黄河を遡上する様になり日本人による攻略が始まったのだが日本人は長江攻略を優先して黄河攻略をロシア人に譲った。ロシア人が日本人から攻略を引き継いだ頃の黄河流域は共産党勢力と隣接する勢力が敵対しながらも交易はあり長江ほど密ではないが船が行き交っていた。ところが共産党主席の王が失脚しナンバーツーだった習が主席になるとにわかに雲行きが怪しくなった。
「アメリカ侵攻が上手くいかないのは無数の反乱勢力が存在し中華が一つに纏まっていない所為である。かつての中国なら侵攻は成功していたのだ」…………「我々は中華を統一して強大なる中華を取り戻さねばならない。だが我々がその大義のために反乱を許すと伝えても我々と迎合するものは皆無であった」…………「我々は全ての反乱勢力を平定し中華を統一することをここに宣言する。その手初めとして黄河を渡り山東を平定する」
習はアメリカ合衆国への侵攻が上手くいかないのをシナの諸勢力が協力しない所為だとし、強大な中華を取り戻すためにシナの諸勢力に対する戦いを宣言した。こうして共産党勢力による中華の統一を名目とする南への侵攻(南進)が始まった。
「市居、聞いたか?グールの奴等、アメリカでの状勢も落ち着かないのにシナで戦争を始めやがった」
「シナでは小競り合いが続いてたし、切っ掛けさえあればそうおかしな話でもないさ」
「俺はアメリカ侵攻を主導していた王が失脚したと聞いて少しはおとなしくなるかなと期待してたんだけどな。………そう言えば王は何で失脚したんだ?北アメリカに橋頭保を築いたのに。アメリカ侵攻は大成功だよな?忌々しい話だが」
ノーフォークに在るダンジョンしか攻略できてはいないが北アメリカ大陸に橋頭保を確保したのだ。王の始めたアメリカ合衆国への侵攻は充分に誇れる戦果を挙げていた。
「それは王が成功を喧伝しすぎたって話だ。一時は北はカナダ南はメキシコを窺う所まで侵攻しただろう?それがノーフォークまで押し戻された事で功績が消し飛んで王の責任問題にまで発展したらしい」
「そんな話なの?でも何でシナで戦争を始めたんだ?まだアメリカでも戦いは続いてるし奴等にそんな余裕があるとは思えんのだが」
「新主席の習の地位が不安定で力を誇示する必要があるらしい。それでノーフォークの戦線は膠着していて挽回も難しいからシナでとなったんだろう。以前なら日本を悪者にして攻撃していた場面だな」
アメリカ合衆国侵攻における不手際の全責任を前主席の王に押し付ける形で主席となった習の地位は非常に不安定であった。それで習は主席に就任して早々に己が失脚しないが為に力を誇示する必要に迫られた。シナが分裂する前なら日本の尖閣諸島に軍艦でも向かわせた処だが、渡海技術を失った今では日本へは口先だけの非難声明ぐらいしか出せず、それではガス抜きにもならないらしい。日本に弾道ミサイルを打ち込めばガス抜きになるのだろうがそれをすると交戦中のアメリカ合衆国が自国への核攻撃だと判断して報復攻撃しかねない。ノーフォークの戦線で挽回できればそれが一番望ましいのだがそれが可能ならそもそも前主席の王は失脚してはいない。習には中華の統一を名目に南進するぐらいしか力を誇示する方法が残されていなかったのだ。
「習の悪足掻きのとばっちりが黄河にきたのか……でも何で南なんだ?黄河の無い北の方が侵攻も容易だろうに」
「奴等の頭の中では万里の長城から北は化外の地で中華圏外らしい。それで中華の統一を名目とするからには南へと進むしかないんだ」
「西でもいいんじゃないの?」
「西は山脈で獣の勢力が強くなっていて功績が上げにくいのさ」
ダンジョンの発生により自然の回復力が強まるとシナの山々にみるみる緑が復活した。そうして獣の棲み易い環境になるにつれて山では獣が優勢になっていった。山にあるダンジョンも人が優勢な時分に発生したダンジョンについては人が攻略したものも多かったが山で獣が優勢になるにつれて人はダンジョンに籠って山には入らなくなり新たに発生したダンジョンは獣のものとなっていった。
「そうか、日本でも獣の優勢な山中なんかだとダンジョンを維持するのに手いっぱいだもんな」
「人より獣の方が厄介だし仮に獣相手に勝ててもアメリカで落ちた威信は取り戻せないしな」
「ふ~ん。まぁ、俺としてはグール同士で潰し合う分にはどっちでもいいんだけどさ」
「そうでもないだろ。ロシアの黄河攻略にはすでに影響が出てる筈だし争いの趨勢によっては後背地の長江にもミサイルぐらいは飛んでくる可能性がある。そうなったら我々も今よりは動きにくくなるぞ」
「モン族との友好が成り立って三峡ダムから先はお手伝いだし、ダムより下流の流域の攻略はほぼ済んでるから大丈夫だろ」
「まあな。ダンジョンに籠ってダンジョン浅層の防備を固めていればまず大丈夫だろうな」
「そうそう。だから俺らは奴らの潰し合いを黙って見てれば良いのさ」
「奴らの南進が上手く行くとは思えんし、俺らにはたいして影響ないかもな」
共産党勢力による南進は地表を一時的に占拠するだけなら難しくはないだろう。だがダンジョンの攻略はままならない筈だ。地表にある拠点を占領あるいは破壊すれば敵に打撃を与えるのは確かだが最終的には敵の領域にあるダンジョンを攻略しなければ自らの勢力圏に組込む事は出来ない。前主席の王は未攻略のダンジョンが無数に在ると確信したからこそ攻略は容易いと考えてアメリカ合衆国へ侵攻したのだ。そしてノーフォークに橋頭保を築く事に成功した。だがシナに容易く攻略できるダンジョンなんてそうはないのだから上手く行く筈がない。
ロシア人は黄河の攻略を順調に進めていたのだが、共産党勢力の南進の始まりで黄河での行動が大幅に制限される事となった。まだ侵攻を受けていない勢力でも共産党勢力に対する警戒が一気に高まり、戦闘地域ではない黄河流域でもダンジョン攻略に動き難くなっていた。
「黄河の攻略状況は?」
「計画通り進んでおります、閣下」
「ふむ。では黄河下流の攻略は済んだものと考えてよいのだな」
「ダー、水が澄んでいる黄河下流のダンジョンについては完了いたしました」
「問題はこの先か。幸い戦闘地域からは外れているが……スナメリはこれ以上は進みそうにないな」
「ダンジョンがあるのは確実なのですが水が濁っていてはスナメリは無理ですね」
「では計画通りこの先は人がするしかないな」
「ですがグールの警戒が厳しくなったためそれも困難です」
「スナメリなしではやはり厳しいか」
「黄河でのダンジョン探しはスナメリに任せていましたので。それにグールに見つかるのが一番まずいですから人は使わない方が宜しいかと」
グール、特に共産党の奴らに水中にあるダンジョンに人が住めるのがばれるのは非常にまずい。グールの南進に回されている戦力がこのダンジョンの攻略に回されたらと考えるとゾッとする。
「そうだな。ではダンジョンの防備に更に力を入れるとしようか」
「ダー、了解しました」
ロシア人は黄河におけるダンジョン探索を中断し、攻略済みのダンジョンの防備を固めることにした。
『不味いぞ。このままではアメリカ侵攻と同じだ。いや、ダンジョンが一つも取れていない分アメリカ侵攻より状況は悪い』
習は焦っていた。中華の統一を名目に黄河を渡ったはいいがダンジョンの確保がままならないのだ。地表における抵抗も思いのほか強く侵攻が進んでいない。
『現状を打破するいい方法はないか?』
このまま地表での侵攻の勢いが衰えればアメリカ侵攻時と同じ様に占領地域から押し戻され兼ねない。だがそうなれば習は確実に失脚するのだ。何としても南進は続けねばならない。少なくとも押し戻されることだけは防がなくては……
『仕方がない。三峡ダムを破壊するか。長江沿いの工場群が壊滅すれば武器の供給も減る筈だ。侵攻も楽になるに違いない』
長江流域の勢力は現在共産党勢力と交戦中の勢力を共産党勢力に対する防波堤と見做していたため大量の武器を供給して支援していた。共産党勢力はこのことを掴んでおり苦々しく思っていた。アメリカ侵攻時の我々に対して同程度の支援があれば少しはましな成果が上がっていたはずなのだ。
「三峡ダムを破壊せよ」
習は三峡ダムの破壊を命じた。
三峡ダムが共産党勢力の攻撃によって決壊したのはモン族が海のダンジョンへの入植を始めた頃である。
三峡ダムを支配する勢力と他の長江流域を支配する勢力は敵対しており互いに罵り合ってはいたがこのダムの決壊が著しい損失を齎す事は周知されていたので勢力間の争いはダムを犠牲にする程緊迫したものではなかった。それが共産党勢力からの攻撃でダムが破壊されて発電は出来なくなり、ダムで水を堰き止めて維持していた水上交通はマヒした。下流では押し寄せた水が河沿いに在るものを悉く飲み込んだ。長江に浮かんでいた船は転覆したり座礁したり陸に打ち上げられたり海まで流されたりして河沿いは船や建物だった物のがれきで山となった。ダムが決壊した事による損害は大きく経済的な損失は計り知れないものとなった。
「直ちに報復せよ。共産匪の奴等の都市を残らず壊滅させるのだ」
「報復だ。核ミサイルを北京に撃ち込め!」
産業地帯に大損害を被った長江流域の諸勢力は直ちに北京等の共産党勢力の支配する都市に核攻撃を行い報復した。習は核攻撃はないと甘く見ていたようだが共産党勢力による三峡ダムの破壊は長江沿いの産業地帯が壊滅することでシナの諸勢力間の力の均衡を崩したのだ。
「報復に核攻撃だと。馬鹿どもめ、長江沿いの工場群が一時的に使えなくなったぐらいでなんだ。人民はいくらでもいるのだ。復興など容易いものではないか。直ちに報復せよ」
「習同志。すでに報復はなされております」
「そうか、ならばよい。……待てよこのままでは日本やアメリカ、ロシア、ヨーロッパの連中を利するばかりではないか。我らだけが沈むなど我慢ならん。奴らに向けて核ミサイルを放て」
こうして報復が報復を呼びシナの上空を核ミサイルが飛び交いグールの支配する主な都市は壊滅した。周辺勢力からの侵攻を恐れたグールは核攻撃の対象をシナの他の勢力圏にも拡げたためシナの地表は焼けただれた。
習が交戦中のアメリカ合衆国、ロシア、ヨーロッパ、日本に撃ち込むよう命じた核ミサイルはアメリカ合衆国、ロシア、日本による衛星からの攻撃によってその大半が阻止された。だが全てを防ぐことは適わなかった。防ぎ損ねた核ミサイルに因る被害は大きく日本は東京、名古屋、大阪、博多が壊滅した。アメリカ合衆国、ロシア、ヨーロッパでもいくつもの都市が壊滅した。
中国共産党による核攻撃を受けた日本では臨時閣議が開かれていた。場所は甲府の地下都市に設けられた閣議室である。日本に対する核攻撃は日本列島に集中していて樺太、カムチャツカ、南極などは攻撃を受けなかったので安全を考慮すると日本列島からはなるべく遠くへ離れた方がいいのだが被災地からあまり遠くだと印象が良くないので甲府となった。ダンジョンがあれば距離なんて関係ないのだけど野党が五月蠅いからな。
「核攻撃による被害状況は?」
「避難警報によって人的被害は最小限に抑えれたと考えます」
「今回の避難警報に従わなかったのは一部の馬鹿どもぐらいだからな」
日本政府はシナで共産党勢力が南進を始めた時点で非常事態を宣言していた。日本はグールとはアメリカで既に交戦しており、状勢の変化次第では日本に矛先が向かいかねないと判断したのだ。そして避難警報が出たら直ちに最寄りのダンジョンに避難するようあらゆるメディアを使って日本中に流した。それに対して一部の政治団体とマスコミはデマだと決めつけて政府批判を繰り返していた。核ミサイルが落とされた日も国会議事堂の前で座り込みのデモ集会が開かれていてそれを政府に批判的なマスコミ関係者が取材していたのだが、彼らは避難警報が出されて警邏する警察官が避難する際にも警察官の誘導に従わず避難しようとしなかったことが分かっている。
「生存者の捜索はどうなっている」
「爆心地周辺の地表は放射能汚染がひどく人が立ち入れる状況ではありません。生存者は衛星とロボットにより鋭意捜索中です」
「爆心地辺りの地表にいては生存の見込みはないだろう」
「新宿あたりまで水浸しですからね東京は。ダンジョンがなかったらどうなっていたことか」
「ダンジョンがなかったら君もわしらも議事堂の前に群れていた奴らと一緒に蒸発していたさ。奴ら、避難しなかったんだろう?」
「はい、警察官の避難誘導に従わなかったことは確認できています」
「野党議員にも奴らと合流してダンジョンへ避難しなかった者がいたようだからな」
「関わっていては避難に支障を来すので彼らは放置するしかありませんでした」
核攻撃を受ける前に日本では大規模な避難訓練が二回行われた。その際に避難を拒否する者や避難を妨害する者が現れた。警察官が避難を拒否する者を説得したり避難を妨害する者を逮捕したりしたのだがそれらに関わると思いのほか時間を取られて避難がままならなくなることが分かった。それで内部方針として避難を拒否する者は放置し避難を妨害する者は逮捕せず排除して避難を優先することが決まっていた。訓練はいいとして実際の避難が遅れたら洒落にならないからな。
「訓練でないことは通知したのだし避難しないのは当人の自由意志だから仕方がないな」
「彼らは最後までシナが攻撃してくるはずがないなんて能天気なことを言っていたようです」
「そんなの相手しても口論が続くだけだし時間が勿体ないな。抵抗する者を連れて行こうとしても避難が遅れて被害者が増えるだけだし無視するしかないだろう」
「被害の及ばなかった地域でそれらの残党が騒ぎ始めていますがどういたしますか」
「日本がアメリカでグールに攻撃したせいだとか政府が国民を見捨てたとか騒いでいるんだろう?この非常時に困ったもんだが馬鹿を相手をしている暇はない。暫くは放置だ。当然だが公務の邪魔をしたら排除して良い」
「了解しました」
「話は変わるがシナの状況はどうなっている。アメリカとロシアが報復したのを知った国民の一部が我が国による報復を叫んでいるだろう?この対処を誤ると大変なことになりそうなんだよ」
「この衛星画像をご覧ください。見てわかる通り報復しようにも報復先はすでに壊滅しております」
明らかに地形の変わったシナの映像がモニターに映し出されていた。
「クレーターだらけだな。共産党の支配領域は特に酷い」
周辺勢力からの核攻撃に加えてアメリカ合衆国とロシアからの報復核攻撃も受け、中国共産党の支配領域は明らかに地形が変わっており北京があったはずの場所にはいくつものクレーターが重なってあった。
「シナの主な都市は壊滅しております。ただダンジョン内には核攻撃による被害は及ばないため人的な被害は見た目ほど大きくはないと推定されます」
「人の被害が少なくても産業地帯の復興はまず無理そうだな」
「周辺の都市もすべて壊滅しておりますので復興しようにも物資の調達がかないません。日本のように地下都市化を進めていれば望みもありますが」
「これでは報復しようにも攻撃する場所がないな。この映像を公開して報復は諦めて貰おうか。しかしシナを支援しろと言い出す輩が湧きそうだな」
「シナにあるモン族やチワン族等の友好勢力には支援を開始しているので問題ないのではありませんか?」
「どうだろう?日本共産党がまだ残っているからなぁ。奴らなら北京を支援しろと言い出しそうだ」
日本共産党とそのシンパの連中はダンジョンには避難しなかったが核攻撃を受けなかった地域にかなり大勢いて党首も生き延びていた。核攻撃があった日には地元で不幸があったとかで東京には滞在していなかったのだ。
「さすがに放射能塗れの地には人を送れません」
「人や物を送って支援しようにも交戦中で報復を求める声がある中でそんなことは出来ないよ。報復を保留するのが精々だな」
日本はシナの主要な都市が壊滅した状況を鑑み報復を保留した。まぁ、報復しようにも弾道ミサイルなんて持ってないしな。日本共産党からは予想した通り「中国を支援しろ」との声が上がった。政府は「自衛隊を送るのか」と問うた。放射能汚染地域に支援可能な組織が日本には自衛隊しかなかったからな。するとシナを支援しろと言い出した側から「侵略だ」との声が上がり「では支援は不可能ですね」となった。ここで「世界中に自衛隊を送って支援しているくせに今更なんだ」との声が上がったが自衛隊を送っている先は全てが友好勢力で相手の承認がとれている。それで最終的にはシナにある諸勢力の中で日本と友好関係を結んだところには相手の承認をとってから自衛隊を送り支援するとなった。共産党の党首が「差別だ」とか喚いていたがさすがに交戦中の相手に自衛隊を送ったらどうなるかは殆どの人が理解しているので相手にはされなかった。共産党の党首は「内政干渉だ」とも言いだしたが中華人民共和国が存続しているなんて認識はシナと日本の共産党にしかないので相手にされなかった。
ダンジョンの発生で世界が変わったにも拘らず、それについていけない権力者の数は多い。ダンジョンの深層では四十倍の速さで時が進みすでに世代交代が進んでいた。だが地表では世代交代が進まず古い世代が居座っていて表面的にはあまり変わらない状況が続いていた。ところがシナでは今回の争いで地表が破壊されて皆がダンジョンに籠ることで古い世代の権威は地に落ちてしまった。シナの権力者の優位は地表にあった工場から供給される兵器などの物資によって支えられていたのだ。それが無くなれば獣たちと同じでダンジョンの深層に住むものが優位となる。
中国共産党では今回の争いにおける全ての責任を主席の習に押し付けて支配を維持しようとしたが叶わなかった。ダンジョンでは初めからダンジョンの主の支配が確立していて地表での権力を失った共産党ではどうしようもなかったのだ。共産党の幹部とその一族は全て粛清され、中国共産党は消滅した。




