34 長江攻略
日本人が長江にあるダンジョンを本格的に攻略し始めたのはアメリカでグールの氾濫が起きる少し前の事である。日本人は日本の勢力圏を拡げると同時にシナ人のものと成り得るダンジョンを極力削ろうとしていた。海外においてシナ人の乱に対処した事でその脅威を実感した日本人はシナ人の勢力拡大を恐れて長江にあるダンジョンを全て日本の勢力下に置くと決めたのだ。
領土?領海?シナは様々な勢力が入り乱れる争乱の最中だ。中華人民共和国は瓦解して久しく既に国の体を成していない。それに加えてシナ人が世界の各地でテロを起こして以降はシナの領土や領海に気を使う国が無くなった。諸国で華僑として根を張っていたシナ人は潜在的なテロリストとして警戒される様になり政治的な力を大きく減退させたのだ。それで諸国は国が崩壊した他の地域と同じ様にシナを未主地として扱う様になった。ダンジョンの占有は早い者勝ちが原則である。明らかに他国の領土ならともかく未主地で且つ人が主ではないダンジョンの攻略を躊躇する必要はない。それで日本は長江の攻略をコソコソと始める事にしたのだ。ダンジョンの攻略に忙しい他の国々は態々手を出して火傷する事はないとしてシナの諸勢力の動きを警戒しながらも干渉はせずにいた。この時期にシナと積極的に関わろうとしたのはアメリカの大統領ぐらいだな。
そんな訳でスナメリ班の市居と篠田は長江でスナメリの尻を追いかけてはダンジョンを探る毎日を送っていた。
「スナメリの勢力圏は河を遡上して順調に拡がっているな」
「水がスナメリ好みに澄んでいるからな」
「それにしても河を往来する船が随分多いな」
「淡水には船を齧る魚がいないからな」
スナメリが長江を遡上するのと合わせた日本人によるダンジョンの攻略は順調に推移してはいたのだが、長江を遡上するにつれて船の往来が増えて昼間行動するのが難しくなっていた。
「河沿いにある工業地帯の経済活動は活発な様だな」
市居は夜陰に紛れて潜水艇から河沿いの工場群を観察していた。工場の多くは稼働中で煙突から煙が棚引いていた。汚水は河に垂れ流しの状態だ。ダンジョンの浄化作用がなければ大気も河も以前にも増して汚染が酷くなりスナメリによる長江の遡上がなかったのは確実だ。
「シナは争乱の最中だ。工場は武器づくりに忙しいだろうさ」
「いったい何を作ってるんだろうな」
「歩兵が出張ってダンジョンを攻略するのだし歩兵の武装強化の為に携帯兵器の生産でフル稼働中じゃないのか?」
「地表にある工業地帯や資源地帯を制圧するには戦車等も必要だろう?」
「ダンジョンの御蔭で人の身体能力が上がっているし、シナ人なら戦車なんて造らずに歩兵を武装強化して人の数で押し切ろうとするさ。ほら、お得意の人海戦術だよ」
「すると強化された身体を使って戦うのが基本だな。オーストラリアとニュージーランドでシナ人を掃討する時と同じだ」
「そうだな。争乱最中のシナがどんな状況か見た奴はいないが似た様なものだろうさ。ダンジョンの取り合いだからな」
遠目で探る限り工場は稼働しているし争乱の最中で後退気味にはあるもののシナでは近代文明が存続しているかに見えた。日本人はシナがお隣の半島よりは遥かにマシな状況にあると考えていた。お隣の半島では工場が稼働している気配が全くなくて近代文明が存続しているとはとても思えなかった。この時点ではシナがどうなっているか日本人が知る由もなかった。
日本人が長江の攻略を始めてから暫くしてスナメリが黄河を遡上しているのが確認された。以前は黄砂と汚水の垂れ流しで水が酷く濁っていてスナメリが棲める環境では到底なかったのがダンジョンの浄化作用で黄河の水が澄んできて棲む気になったらしい。それで黄河でもダンジョンの攻略を進める事となったのだがその頃からスナメリの様子がおかしくなった。ダンジョンから出て新たなダンジョンを探そうとする個体が極端に減ったのだ。そのまま多くのスナメリにダンジョンに引き籠られては攻略が進まなくる。それでは困るので原因を探る事になった。
市居と篠田の二人は可愛がっていたお気に入りのスナメリ二頭の行方を探っていた。二頭はスナメリが引き籠り始めた頃に二人の前に顔を見せなくなっていたのだ。それで引き籠りの原因が分かるかもと行方を探るうちに多くのスナメリが行方知れずなのが分かってきた。スナメリ班の他の連中もお気に入りのスナメリが行方知れずで探していたのだ。これは何かあるに違いないと調査を進めるとスナメリのバラバラとなった骨の残骸が河底のあちこちにあるのが見つかった。スナメリを捕食する動物がいるのだ。引き籠りの原因はこれに違いない。そしてその動物を探したのだがダンジョン内にはそれらしい動物は居なかった。まぁ、中にそんなのが居たらダンジョンに引き籠る意味がないな。それでシナ人に見つからない様にコソコソと隠れながら探していたのだが……
「如何やら原因が掴めたな」
「ああ、しばらく顔を見せないなと思ってたら」
「二頭とも人懐っこかったからな」
「ああ、シナ人をダンジョンに誘ったんだろうな。いつもみたいに」
「……二頭ともとっくにシナ人の腹の中だな」
河底にあったスナメリの骨を解析に廻した結果、骨に調理の痕跡がありスナメリを食べたのが人であるのが分かった。シナ人がスナメリを食べていたのだ。それで人懐っこいのから先にシナ人に喰われて用心深いのはダンジョンから余り出なくなったのだな。
「それで俺達はどう動くんだ?」
「このままダンジョンの攻略を進めるんだよ?」
「スナメリなしでか?河底にあるダンジョンの開口部を人が探すのか?」
「それはない。そんなの無茶だ。シナ人にバレるに決まってる」
「じゃあどうするの?」
「今迄通りスナメリ任せるしかないさ」
「でもスナメリに任せていたら攻略が進まないだろ」
「今迄より遅くはなるけど進まない事はないさ。スナメリは用心深くなっているだけでダンジョンを探すのは止めないからな」
ダンジョンの発生以来の話だがダンジョンで繁殖する動物が外に出て繁殖に適したダンジョンを探すのは当然の行動になっていてその衝動に抗える動物は地球上には存在しなかった。ダンジョンに棲む生き物は皆ダンジョンに魅入られる。スナメリもその例外ではなく以前ほど活発ではないもののダンジョンを探すのを止めてはいなかった。シナ人に見つかり難い夜にダンジョンを探すスナメリも現れていた。
「でもそれでは攻略が計画通りには進まないぞ」
「仕方ないさ。人がダンジョンを探し廻ったらシナ人に見つかる危険が増すだけなんだからさ」
「そうすると計画は下方修正だな。他に手はないのか?」
「スナメリを上流に運ぶ計画があったからそれが前倒しになる可能性はあるな」
「このままだと此処から上流には遅々として進まないからそれはありだな」
スナメリは元々活動範囲がバンドウイルカほどは広くはないのだ。元からスナメリの長江の遡上は遅々としたものだった。それでスナメリを人の手で上流に運ぶ計画が持ち上がっていた。今のままだと攻略が更に遅くなるのは確実なのでその計画が前倒しになる可能性は高かった。
「黄河の攻略は如何なる?長江が順調なら俺達は向こうに廻る予定だったよな?」
「その件は白紙だろ。そんな余裕はないからな」
「こっちのスナメリを何頭か黄河に連れて行った方が良くはないか?」
「何で?」
「スナメリも知能が上がってるから向こうに連れてけばシナ人対策になると思うんだ」
「それならスナメリが既に動いてるよ。黄河でもスナメリが遡上しているのが分かった時に長江のスナメリを何頭か向こうに連れて行っただろうにもう忘れたのか?そのスナメリが長江と黄河のダンジョンを行き来しているんだ。それで黄河でもスナメリがダンジョンに引き籠ったんだろうな。長江のシナ人の行いが黄河でも広まっているんだろうさ。スナメリの間で『シナ人に近づくと喰われるぞ』とか噂が広がってるんじゃないかな」
「そう言われてみると黄河でスナメリの骨が見つかった話は聞かないな」
「黄河ではスナメリがシナ人を誘うのを止めたんだろうさ。それでシナ人がスナメリを積極的に狩るまでには至ってないんだろうな」
「黄河辺りにはスナメリを食べるシナ人が少ないって事か」
「長江でスナメリを食ってるシナ人とは勢力が違うし、黄河の下流は長江に比べて船が少ないって話も聞いたな。河が分裂したシナ勢力の境界になってるんだとさ」
「ああ、そう言えば河を挟んで睨み合っているらしいな」
「船が少ないのもあってスナメリの被害が少ないのかもしれんな」
「なら長江ももう少し上流に行けばスナメリを狩っている奴等の勢力圏から外れて状況が良くなるかもよ」
「もしそうなら上流から優先して攻略を進めるのは有りだな。進めやすい所から進めた方が良い」
長江攻略はシナ人によるスナメリへの捕食行為が激化する事により停滞した。スナメリ班は攻略の遅延を補おうとして長江の上流へとスナメリを運びはじめた。スナメリを食べている奴等の勢力圏から離れれば狩られなくなったスナメリが落ち着きを取り戻して以前と同じペースでダンジョンの攻略が進めれると日本人は考えていた。
スナメリを輸送する試みは上手く行き飛び地でダンジョンの攻略進めた方が長江攻略が速く進むと分かった。それでスナメリ班は更に上流へとスナメリを運ぶ様になった。市居と篠田も何週間か置きにスナメリを上流に運ぶ事を繰り返していた。移動した先でダンジョンを捜し出しては攻略し、入植を進めてある程度の規模になったら移動するを繰り返すのだ。
「スナメリのダンジョン攻略のペースは落ちたままだな」
「慎重なのが生き延びて昼間はダンジョンからでなくなったからな」
「確かにスナメリのダンジョン探しは夜だけになったよな」
シナ人を恐れたスナメリは長江では夜にダンジョンを探すようになっていた。まぁ、潜水艇はシナ人の目を恐れて夜しか出さないからスナメリ班の仕事に特に変化はなかった。スナメリの成すがままに河を遡上するよりは潜水艇でスナメリを運んで河を遡上する分だけ攻略は速く進んでいた。シナ人に対する警戒は怠ってはいないが仕事は同じ事の繰り返しでそんな毎日には流石に飽きてくる。そんな時にアメリカでシナ人がまた騒動を起こした。皆刺激に飢えていたからその話はあっという間広まった。
「聞いたか。アメリカでシナ人が暴れてるんだと」
「聞いた聞いた。それで黄海や東シナ海でアメリカの潜水艦を見なくなったんだろう?」
「なんだ知ってたのか」
「それにしてもシナ人のテロリストの残党はどうやってノーフォーク海軍基地にあるダンジョンを占有したんだろうな。基地なら警戒も厳重だろうに」
「……なんだ何も知らないのか」
「え?」
「暴れているのはテロリストの残党じゃない。如何やったか分からないがシナ人がシナ大陸から北アメリカ大陸に渡ってノーフォーク海軍基地にある手付かずのダンジョンを攻略したんだ」
「それはないだろう?だってシナ大陸の周辺の海は日本の艦隊が常時警戒してるし、そもそも今のシナ人は海に出る技術すら持ってないじゃないか」
「確かに今のシナには海用の船を造る技術もそれを維持する経済力も存在しない。シナの海軍基地が機能してないのも確認済みだ」
「そうだろう?大陸間を行き来できる能力があるのは太平洋では日本とロシアとアメリカぐらいだ」
「台湾も行くだけなら無理をすれば可能だろうな。ただ警戒中の日本の艦隊に気付かれずにはまず無理だ。でもシナ人はそれをした」
ヨーロッパ諸国にも渡海する能力はあるが遠い東の果てまで手を拡げる国は無かった。日本が大西洋にまではなかなか航路を伸ばさなかったとの同じだ。どの国も軍事的な必要でもない限りコストがかかり過ぎるので航路を維持しようとはしないのだ。
「ロケットとかの船を使わない方法も目立つから違うよな。どうやって捕捉されずにアメリカまで行ったんだ?」
「まだ分かってない。それでその方法を探れとスナメリ班の上の方に圧力をかけた馬鹿がいるらしい」
「……如何やって?俺達はダンジョン探しには精通してるけどスパイの訓練なんて受けてないぞ」
「ああ、そもそもシナ人に見つからない様に長江を攻略する事と矛盾する。俺達がシナとの最前線にいるからと単純に考えた馬鹿がいるのさ。当然話は消えたけど諜報関係の人間が来るらしいぞ」
「何をしに?」
「俺達に話を聞きにさ。俺達が些細な事と思って見逃している情報を探るらしい」
そして確かにそれらしい人が派遣されてきたが調査を開始した頃にはシナ人がどうやって海を渡ったかが判明していた。単純な話でアメリカの潜水艦がシナ人を自国まで運んだのだ。そうしてシナ人を封じ込めようとする日本人の努力は水泡に帰した。まさかシナ人のテロにあった最大の被害国がシナ人を自国に招くとは思わないよな。
「アメリカ人も馬鹿な事をしたよな。テロリストの親玉を自国に招くなんてな」
「確かにな。アメリカ人の奴等シナ人と組んで日本やロシアと対抗するつもりだったんだよ」
「そうなの?でもなにもシナ人と組まなくてもいいだろうに」
「北極と南極の権益に絡んでいない力のある勢力がシナぐらいしかなかったのさ」
「それにしてもシナはないだろ。他に色々手はあるだろうに」
「アメリカ人は下に見ていた日本やロシアに北極と南極の件で出し抜かれたのが悔しくて我慢できなかったのだろうな。奴等はなんでも一番でないと気に入らないのさ」
「いくら悔しくても国が傾きかねない様な事をするのは理解できん」
「アメリカではダンジョンを忌避する者達の方が政治的に優勢なんだよ。大統領にも軍にも自国にシナからシナ人を招く事が危険との認識がなかったのさ」
「……ダンジョンを忌避か。そう言えばそれも有って日本とアメリカは疎遠だったな」
「これからは少しづつ変わるだろうな。ダンジョンに避難したアメリカ人も多かったらしいし、大統領もダンジョンに入ったらしい」
「……シナ系のアメリカ人とシナから渡ったシナ人が結びついたら厄介だぞ」
「その辺りは承知してるだろ。そんな事になったら本当に国が瓦解しかねないし」
「日本の同盟国のカナダと地続きだからそんな事になったら長江攻略の優先順位も下がるかもしれんな」
「大西洋に日本の艦隊を派遣する事になったしロシアとヨーロッパ諸国も動いたから何とかなるだろ。それに長江攻略は優先順位が上がると思うぞ。シナ人の力と成り得るものを削ぐ必要があるからな」
「そうなるとインド方面の海のダンジョンの攻略は益々後回しかな?」
「そうだな。長江と黄河を優先するだろうな」
黄河の攻略は長江の攻略が忙しくなっていた為に後回しとなっていた。スナメリ班は大陸沿いに沿岸部の浅瀬の攻略を進めており、インド沿岸部の攻略も始めていて手が足りなかった。
熱帯から亜熱帯にかけては獣の勢力が強くて日本は拠点を築くのに難儀していた。スリランカにある拠点も獣の勢力が比較的弱い島に設けられていて本島には拠点を築けなかった。日本は大陸側のインドにも拠点は築けていなかった。
日本がインドに進出した時点では絶滅を危惧していた多くの獣が勢力を盛り返しており、人の勢力は相対的に縮小していた。だがインドはダンジョンが発生した時点で人口がシナに迫る勢いで増加していた事もあり人が攻略したダンジョンも多かったのでダンジョンの氾濫以降も人が絶滅する様な状況ではなかった。ただ国としてはシナと同様に分裂していて、民族や宗教で纏まって勢力を築いている状態にあった。人の勢力間での争いがシナよりも激しくなく無理に統一しようとする勢力がなかったのが救いだな。まぁ、獣との勢力争いが激しくてそれどころでは無かったのかもしれないが。
カリブ海にあるダンジョンで日本人と現地人が遭遇した頃、スナメリ班の間ではアメリカで発覚したシナ人の行状が話題となっていて市居と篠田もその話で盛り上がっていた。
「聞いたかシナ人の奴等スナメリどころか人も喰うらしいぞ」
「聞いた聞いた。アメリカ人が大勢喰われたらしいな。俺達も奴等に見つかったら狩られて喰われるんだ」
「海に居た頃はスナメリと呑気に遣ってたのになぁ」
「ほんとに海で呑気に遣ってた頃が懐かしいよ。ほんの数年前なのに」
アメリカでのシナ人の人喰い行為が知れるにつれて長江の攻略を進めるスナメリ班の緊張は弥増していた。シナ人に見つかって捕まったら捕虜になるどころか調理されて喰われてしまうのだ。その恐怖と悍ましさはスナメリ班の間を駆け巡った。長江はシナに対する日本の最前線でその恐怖と悍ましさはすぐそこにあるのだ。
「手が足りんな。もっと迅速に長江の攻略を進めないと不味いだろ」
「ああ、入植者を増やしてダンジョンの支配を強化しないと不味いよな」
「そうだな。防衛の為にももっと人を廻して貰わないとな」
「アメリカでのシナ人の行状を聞くといくら人が居ても足りない気がするよ」
「アメリカに派遣された奴等はシナ人を喰人鬼やグールと呼ぶようになったんだと」
程なくしてスナメリ班でもシナ人の事をグールと呼ぶようになった。シナ人が人を常食しているのを知ってシナ人を自分達と同じ人とするのを躊躇う様な雰囲気が蔓延していた。日本では長らく人が人を食べる程の飢餓状況は発生していない。ダンジョンが発生して以降の世界的な混乱もダンジョンを利用する事で上手く乗り切った。海外との交易が途絶える事で食物の供給が足りずに飢える可能性もあったのだがそうはならなかった。それで人が人を常食する状況を考える事に耐えられない者が多かった。
長江攻略の人手不足は解消する気配がなかった。シナ人がアメリカ大陸に橋頭保を築いた事でカリブ海もシナに対する準最前線となり人を大量に送っているのだ。ノーフォークの辺りの海でもダンジョンの攻略を進めたかったのだが他国に露見する恐れがあるので遣れずにいた。黄河攻略の優先順位も高いのだが人手が足らず長江攻略を優先していた。




