29 シナ人の氾濫4
中国共産党の王主席は苛立ちを隠そうともせず周囲に振り撒いていた。アメリカのシナ人と繋ぎをつけてその勢力を併合しダンジョンを乗っ取ろうと画策していたのだがいくら捜索してもその影すら見当たらないのだ。
「習同志、アメリカの中国系の奴等と繋ぎはついたか?」
「鋭意捜索中です」
「それでいつまでに繋ぎをつけるつもりだ」
「奴等はアパラチア山脈に潜んでいるものと見られますがアパラチア山脈一帯は熊の勢力圏で捜索が上手く進みません。熊の縄張りであまり大規模な捜索を行うと熊を刺激して不味いのです。山にはアメリカ人の隠されたダンジョンもあちこちにあって捜索の障害となっております」
「まだ目処が立たんと言う事だな。構わん。多少の犠牲は已むを得ない。捜索の規模を拡大せよ」
「ですが下手に熊を刺激すると敵視されて障害となりますし、下手をするとこちらの占領地も危うくなりますが?」
「占領地と言ってもダンジョンはアメリカ人が占有しているのだ。熊どもが襲うのは奴等のダンジョンだ。上手く利用すれば良いではないか」
「了解しました。ではアパラチア山脈での捜索の規模を拡大いたします」
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「習同志、アメリカの同胞への繋ぎの件は如何なっている」
「鋭意捜索中です」
「進行状況は?」
「ご命令通り部隊を投入して大規模な捜索を開始しておりますが未だ接触してはおりません」
「……本当に山にいるのか?」
「それは間違いありません。我等の侵攻以前にはアメリカ人が山を捜索し同胞の拠点を発見しては潰していてニュースとなっていた事が確認されております」
「いるのは確かなのだな。ならば同じアメリカを敵とするものとして向こうから接触して来てもよい筈ではないか」
「ですがこちらの呼びかけに応じる様子はありません」
「何故だ?」
「アメリカ人を恐れているか、もしくは我々を信じていないかだと」
いずれにせよ。森の中に在るダンジョンに引き籠られていては捜し出すのは困難だ。森はアメリカグマの勢力圏であり人が好き勝手できる領域ではないのだ。
「……どの様な手を使ってもよい。必ず奴等を捜し出せ」
「了解しました。引き続き捜索を進めます」
「見つけ出して呼びかけに応じない奴等に思い知らせてやれ」
王主席の下した命令は完全に裏目に出ていた。アメリカグマに阻まれて山中の捜索は難航を極めており、捜索隊はあったものの名ばかりのものとなっていた。
捜索隊が二人か三人の間は威嚇するだけであったアメリカグマも多人数の捜索隊で縄張りを犯すシナ人に対しては容赦しなかった。それでも最初の頃はアメリカグマも捜索隊を縄張りから追い出すだけであったのだがシナ人が幾度も繰り返し縄張りを犯すうちにシナ人と見れば見境なしに追い回すようになった。そして仕舞いには山を下りてまでしてシナ人を追い回すようになった。アメリカグマはシナ人を群れを成して縄張りを奪おうとする敵と認識したのだ。ダンジョンの発生以降の強化されたアメリカグマは知能が向上しており新参の侵入者を他と明確に区別していた。ヒグマと対抗できるほどに強くなっただけではないのだ。
ダンジョンの氾濫以降のアメリカでは人は過剰と思えるほど重武装して何とか猛獣と対抗してきた。その人の競争相手であるアメリカグマが山からあまり下りてこないのは山の環境を好んでいるからであって人を恐れているからではない。人は強化され且つ武装していてさえアメリカグマに正面から対抗できるほど強くなってはいない。昔みたいに人が山に入って好き勝手できる状況にはないのだ。
そんな状況なので山での捜索は一向に進んではいないのだがその事実は上には報告されずに途中で握り潰されていた。現状をそのまま報告したら自分の首が飛ぶ。例えそれが上の命令に従った結果だとしても上手く行かない責任は下の者がとらされる。それが分かっていて上に都合の悪い事実を報告する馬鹿は居ない。皆わが身が可愛いのだ。
王主席は報告には上がってこないものの自分の失敗には薄々気付いていた。だがそれを認める訳には行かない。自身の権威を落とす事実、ひいては共産党の権威を落とす事実を認める訳には行かないのだ。
そしてそうこうする内にロシア軍によるノーフォーク海軍基地への攻撃が始まって、その後のアメリカ軍の攻勢によってシナ人の後退が始まって、中国共産党が画策したアメリカのシナ人勢力の併合は頓挫した。
中国共産党内ではシナ人がアメリカグマに山から追い出された事実はなかった事となり、呼びかけに応じないアメリカのシナ人が全て悪いとなった。
食人行為の発覚によりシナから侵略してきたシナ人をアメリカではグールと呼ぶようになった。人権だの差別だのと五月蠅い輩もいるのでアメリカ政府関係者は未だにチャイニーズと呼んでいたが一般人はグールと呼んでいてそれを咎める社会的な雰囲気はなかった。特にアジア系のアメリカ人は自分達との違いを強調する為にグールの呼称を積極的に用いていた。
「それで今回のダンジョン攻略の経過は如何だった」
「幾つかのダンジョンの浅層への突入には成功したもののグールどもの抵抗が強く押し戻されました」
アメリカでグールの氾濫が始まって一年程で人はグールをノーフォークに封じる事に成功した。だがそれ以降、状況はほぼ膠着しており幾度かダンジョンの攻略を試みるもいずれも失敗していた。
「また失敗か……それで先回と比べて如何だ。やはりグールの抵抗力は強くなっているのか?」
「懸念していた通り、抵抗力は次第に強くなっていて回を重ねる度に突入の深度は浅くなっております」
ダンジョンの主がダンジョンに馴染めば馴染むほどダンジョンの攻略は困難となる。元々シナ大陸のダンジョンと繋がっていてグールが際限なく送られてくる状況なのだ。これ以上は無理かな。
「……ヨーロッパの奴等の提案を飲んでおくべきだったな」
「ですがそれでは攻略に成功してもダンジョンはヨーロッパ人のものとなってしまいます」
グールのダンジョンを攻略するに当たってアメリカ政府は国外勢力からの協力提案を全て拒否した。国内に国外勢力の占有するダンジョンができるのを嫌ったからだ。アメリカ政府はその時点では充分に勝算があると判断していたのだが見通しが甘かった。その結果が現状だ。
「グールのダンジョンよりはマシだろう?ヨーロッパ人相手なら少なくとも交渉は可能だ。まぁ、今更の話だがな」
「確かに、グールとは交渉すら許されていませんからね」
アメリカ政府はグールとは交渉することすら拒否していた。アメリカ人は以前はダンジョンに持っていた全ての嫌悪をグールに向ける様になっていた。グールは明らかに生物であり憎しみの対象にし易い事もあってこのすり替えが瞬く間に進んだのだ。アメリカの巷ではグールは既に人扱いされていなかった。人食いが常態化している事への嫌悪は凄まじく、アメリカ人の大半はグールを人と見做す事を拒否したのだ。
「奴等の食べた子供の骨の残骸も繰り返しニュースに流れていたからな。交渉しようとするだけでアメリカ中を敵に回すだろうな」
「戦っている方は堪ったものではないですがね。一時の休戦すら認められないのですから」
「休戦どころか捕虜の交換すら行われてはいない」
「グールの奴等は捕虜を認めていませんからね。情報を搾り取った後は良くて奴隷で最悪は食べられる」
「捕虜になったグールの奴等は俺達に喰われると思っていたらしいからな。なかなか降参しない訳だよ」
グールは人を奴隷にする。そこまではシナ人の乱が有った事でアメリカでも周知していた。民間人を躊躇なく殺す事も周知していた。だけど人を獲物として食べるとまでは思ってもいなかった。シナ大陸ではそれが既に常態化している事も捕虜への尋問で初めて分かった。シナ大陸では幾つもの勢力が覇を競っていて互いを獲物として狩っているのだ。
シナ大陸では捕虜なんてものは存在しない。前線に出るのは下っ端の弱い奴等で文字通り食うか食われるかの状態なのだ。
アメリカ軍はグールのダンジョンの攻略を二十回以上に亘って試みたもののそのダンジョンの攻略は一つとして敵わなかった。この結果を受けアメリカ政府はノーフォークにあるグールのダンジョンの奪取を断念し、予防処置としてそのダンジョンの周囲を警戒領域と定めてその領域を常時監視して定期的にダンジョンとその周辺を攻撃する事とした。国外の諸々の勢力もグールのダンジョンを攻略するには機を逸した事を認めてノーフォーク沿岸の警戒を強める事となった。
「上手く行ったな」
「グールの氾濫は余分でしたがね」
「まあな。だがタイミングとしては丁度良かった」
「ええ、子供達がもう第二次成長期です。これ以上先延ばしにしたら国が持たなかった」
「子供達に角が生えてくるのだ。それを忌避したままでいたら次世代の人間までも忌避する事になる。そうなればこのアメリカの国としての存続の目は無い」
ダンジョンの発生以降に生まれた子供達が第二次成長期を迎える。体が成長しそれに伴って角や鬣等が生えてくるのだ。その時にそれを忌避する社会では先がない。社会を引き継ぐ者が何処にも居ないのだからな。嫌でもダンジョンを受け入れなければ先が無いのだ。
「角を生えなくする手段が見つかれば良かったのですが……」
「それは如何かな?仮にその手段が見つかってもその行使は可能か?」
「??如何ゆう事ですか?」
「ダンジョンの氾濫直後であればともかく今ではダンジョンに馴染んでいる者の方が圧倒的に優勢だ。この世界的な潮流を覆せるとは到底思えない。角を生えなくする手段の行使は劣勢側に自らを追いやる事だ。それではアメリカ社会の存続は難しいだろうな」
「如何足掻いても無理ですか」
「そう考えて大統領をダンジョンに入れたのだ」
「だけどグールの氾濫は余分でした」
「しつこいな、何度も言うなよ。あれはこちらの意図したものではないんだ。大統領をダンジョンに入れようと画策はしていたがまだ企画段階で決めてはいなかったろう?」
「だけどまるで図ったかのように機会が訪れましたよ。そしてそれに上手く便乗できた」
「あれが無かったら今頃は陰謀の最中だったろうな。今ほど上手く行ったとは思えんが」
「テロリストの残党を利用しようと謀ってはいました」
「ああ、それに見せかけようとはしたな。だがまだ案の段階だった。しかし親玉が出て来るとは想定外だったな」
「我々はダンジョンについて無知すぎました。それで自らグールを呼び込んでしまった。悔やまれます」
「だがそれで違和感なく大統領をダンジョンに避難させることができた」
「まぁ、上手く便乗出来て良かったですよね」
「そうだな。大統領をダンジョンへ入れることに成功した時には祝杯を上げたかったよ」
「グールの氾濫の結果があそこまで酷くなければなぁ」
「……グールを共通の敵として国は纏め易くなったんだ。それで良しとするしかないな」
「人食いへの忌避が強くてテロリストとさえ妥協しましたからねぇ。グールの氾濫がなければテロリストを敵として国を纏めるつもりだったのに」
グールの氾濫によってアメリカ大統領がダンジョンに緊急避難する羽目となり遅ればせながらアメリカも他の国々と同じ道を歩む事となった。ダンジョンを忌避する者が居なくなった訳ではないが国のダンジョンに対する禁忌は無くなった。軍はダンジョンを活用して軍事行動をする様になり公的機関でも強化人を採用する事が可能となった。
ノーフォークから始まったグールの氾濫によりアメリカによる南極工作は頓挫した。このグールの氾濫はアメリカ人の間に大きなトラウマを残し、アメリカ人はグールの封じ込めに傾注する様になった。グール供は度々ダンジョンから溢れ出ては北アメリカ大陸に再び拡がろうとしたがその都度アメリカ人に押し戻されていた。
シナ大陸ではアメリカ侵攻の行き詰まりを打破しようと中国共産党が足掻いていた。
「習同志、アメリカのダンジョン攻略はまだか。ダンジョンの開拓も進み我々のダンジョンの周辺に新たなダンジョンが発生していると聞いているが?」
「確かにダンジョンの発生は確認されております。ですがその悉くがアメリカ人に攻略されました」
ノーフォークにあるグールのダンジョン内の様子は分からないがそれなりに開拓が進んでいる様で時々ノーフォークには新たなダンジョンが発生した。そしてその度にアメリカ人とグールとの間でその新たに発生したダンジョンの争奪戦が繰り広げられていた。今の所はアメリカ側が全ての確保に成功していた。
「何をしているのだ。我らの勢力圏内なのだぞ」
「地表は戦場なのですよ。陸海空を制しているのはアメリカ側で我々にはダンジョンしかないのです。しかも我々のダンジョンの位置は相手に知られていて監視されている。我々の出入りは全て相手に筒抜けです。地表で何をするにせよ我々が圧倒的に不利なのです。ダンジョンだからなんとか橋頭保を維持できているのですよ」
「だが俺もお前もこのままでは先がないのだぞ。新たにダンジョンを一つでも確保に成功すれば首が繋がるのだ。何とかしろ」
中国共産党は王の主導の元にノーフォークに幾つものダンジョンの確保に成功していた。アメリカ大陸への橋頭保を築いており成果としては誇って良いものであった。だが初期のカナダにまで至る侵攻を華々しく喧伝していた為か地表の占領地の悉くをアメリカ側に奪還された事で党内には失敗した感が漂っていた。党内にはもっと上手く遣れたはずだとの不満が燻っていてそれを対抗派閥が煽っており弾劾が始まりかねない状況となっていた。王は弾劾から逃れようと成果を強調していたのだが上手く行かず新たな成果を欲していたのだ。
で、グールはアメリカ人からダンジョンを奪おうと行動を開始した。だがその為に投入された部隊は途中でアメリカ軍の攻撃にあって目的のダンジョンに辿り着く前に悉く壊滅してしまった。目的のダンジョンには唯一人として入る事も無く敗走したのである。
グールとアメリカ人の間でのダンジョンの争奪は止む様子が無かった。グールは諦めることなくアメリカ大陸に浸透する隙を伺い、アメリカ人は悪夢の再現を恐れて過剰な程の戦力をノーフォークに張り付けていた。アメリカ大陸にグールのダンジョンのある限りこれは延々と続くのだ。
シナと隣接するロシアを筆頭とする勢力はグールの浸透を恐れて猛獣の勢力圏の強化を図っていた。具体的には猛獣の勢力圏内に秘かに占有していたダンジョンでグールの勢力圏に隣接するものの幾つかを猛獣達が住み易い環境に整えた上でダンジョンの主の座を猛獣達に明け渡していた。それが功を奏したのか覇権争いに忙しいのか今の所はグールの勢力圏が外に拡がる様子はない。
日本人はグールの世界への浸透を阻止する事に成功して一息ついていた。心配していたアメリカの南極工作はグールの氾濫によって頓挫したし、アメリカにグールのダンジョンのある限り南極に手を出す余裕はもうないだろう。
因みに中国共産党の主席はいつの間にか王から習に変わっていた。派閥争いの間隙を縫って王を引きずり降ろす事に成功した習が主席の座を奪ったのだ。王はアメリカ侵攻における全責任を習に押し付けて保身を謀りそれを察知した習の反撃を食らった形だ。習はアメリカ侵攻における全ての功績を己のものとし、失敗はその全てを王に押し付けた。そして派閥争いを煽りながらも火の粉が己に掛からない様に動いて主席の座を維持していた。
グールの氾濫の間も極地を制した諸勢力の人口は順調に増加してその勢力圏は安定を増した。この極地の支配を覆せ得る勢力は地球上には存在しなかった。




