02 危機の始まり
奇妙な洞窟の発見から半年もすると個々の広間には特徴がついて中で迷う事は無くなった。俺にはお気に入りの広間が幾つもあってそこに入り浸る様になった。他の広間の面倒を見ない訳ではないよ。ただお気に入りの広間だと妙に落ち着くんだ。この柿の木はもうすぐ実を付けるなとか無花果はそろそろ食べ頃かなとか考えていると妙に落ち着く。家族には皆それぞれお気に入りの広間が有って暇があればそこに入り浸っていた。
奇妙な洞窟は俺が発見した頃辺りから世界中で次々と見つかっていて既に珍しいものではなかった。日本でも公園で発見されたり山中で発見されたり海中で発見されたりと珍しいものではなかった。最近はこの奇妙な洞窟の事を普通の洞窟と区別するために世界的にダンジョンと呼ぶようになっていた。最初はこの異常な状況にダンジョンが見つかる度にニュースも流れていたのだがダンジョンが危険ではない事で人々のダンジョンに対する関心は急速に薄れて行った。公園のダンジョンは子供達の遊び場となり海では魚の住みかとなり山では動物の住みかとなった。政治家や学者の一部がその危険性を警告してはいたがダンジョンは人を食べる様な事も無くただそこにあるだけなので大衆の関心は低かった。私有地で発見されたダンジョンは俺達の様に秘匿して弄っている奴もいるのではないかなぁ。街中ならともかく田舎なら俺達の様に隠す事も可能だろう。
親父はダンジョン内に池を幾つも造成して趣味の釣りを楽しんでいた。態々その為に投網で川から魚を獲って来て池に放っていた。
「何で池を造ってまでして釣りをしてるの?」
「魚はここで育つと美味いんだ。最近の川魚は変に臭くて食えたもんじゃない。それで趣味と実益を兼ねて池を造ったんだ。魚の餌になる川エビや川虫、産卵場になる水草や河辺の草も入れたから繁殖して増えるぞ」
確かにダンジョンで育った魚は川魚にしては臭くない。金魚の池で試しに放った鮒も鯉も暫く放置した後に調理したら泥臭くなくて美味しかった。
「ああ、それでか。でもこんなにたくさんの池を造る必要は無いだろうに」
「魚の種類や住む場所で池を分けているだけだ。こんな狭い池じゃナマズと一緒にすると小魚は食われていなくなるだろ?」
「ふ~ん。向こうの池にはスッポンがいたけど?あれも捕まえたの?」
「一匹は川で捕まえた。それで一匹じゃあ可哀想だから三匹は通販で買った」
「スッポンも繁殖させるの?大丈夫かなぁ。美味しいらしいけど角が生えたり爪が鋭くなったりして危ないと思うけど」
ダンジョン内では角の生えたネズミを普通に見かける様になっていた。角が生えてもネズミでは敵わない様で猫にはよく捕まっていた。スッポンにも当然何らかの変化があるだろうな。
「スッポンは精力増進に良いんだ。そろそろ孫の顔が見たいし」
「………………」
実はもう嫁は孕んでいた。嫁にまだ安定期ではないから内緒よと口止めされていて親には話せないんだ。嫁は怒ると怖いからなぁ。
お袋はお花畑をせっせと増やして季節別やら気候別やらで十の広間を花卉類で埋め尽くしていた。見頃の植物を観賞しながら昼食をとるのが我が家の新しい習慣だ。そして食後にはお袋の話が洩れなく付いてくる。この花のこの色を綺麗に出すのが難しいとか、この花がこれから見頃になるとかの話が延々と続く。嫁にはこのお袋の話に合わせるスキルが有るが男二人にはない。でもその場を立つのはのは許されないんだ。感覚としては二時間?でも実際は三十分かな。ダンジョンの中に居て時間が経つのを遅く感じるのはこの時ぐらいだな。
「ねぇ、芳樹さん、聞いてる?」
芳樹ってのは親父の名前だ。
「聞いてるよ。明日は昼飯の場所を変えるんだろ?」
「そうなの。そろそろ見頃になる花が有るのよ。だから明日の昼食はそこよ」
親父は最近になってお袋の話を往なすスキルを身に付けた。以前なら親父がしどろもどろになってお袋の機嫌が悪くなって俺に話を振られて返事が出来なくて益々お袋の機嫌が悪くなって嫁が上手く話を収めていた所だ。
「ねぇ、翔ちゃん、聞いてる?」
「えっ…………」
残念ながら俺は話を往なすスキルを身に付けてはいない。そうしてお袋か嫁の機嫌が悪くなるのだ。俺にあるのは頭を下げて何とかやり過ごすスキルだけだ。
嫁はダンジョンの畑で外では作っていない作物をせっせと作っていた。前から色々と試してみたかったらしい。俺みたいな農家の長男に目を付けたのも畑を弄るのが好きだったからみたいだな。今迄は自家消費用の畑の隅に自分用のこじんまりとした畑を確保してそれなりに楽しんでいた。でダンジョン内なら好きなだけ畑を確保出来るから弾けたらしい。あれも作りたいこれも作りたいと畑を増やしていた。
「明日は紅あずまの収穫よ」
最近は嫁のこんな声を頻繁に聞く様になった。作物の収穫の時期になると嬉しそうに話し始めるのだ。ダンジョン内は環境の変動が少なくて温暖なままなので作付や収穫を季節に合わせる必要が無い。それを利用して嫁は作物の収穫の時期が重ならない様にしていた。それで毎週の様に何らかの収穫が有った。俺は毎週の様にそれを手伝っていた。
このおかげで我が家の食生活は確かに豊かにはなった。作物の種類が圧倒的に増えたからな。でも収穫量が多すぎる。こんなにたくさん作ったら自家消費は不可能だ。嫁の嬉しそうな顔を見ると面と向かっては言えないが誰がこんなにたくさん食べるんだよう。
嫁は実家に送ったりしているがそのぐらいでは焼け石に水だ。友人達にも送っているが量は知れている。洞窟の事は秘密だから売る訳にもいかないしなぁ。機嫌良く作っている嫁に止めろとも言えないし如何しよう。加工品にしてもまだ余る。山羊の餌に回してもまだ余る。鶏の餌に回してもまだ余る。兎の餌に回してもまだ余る。魚の餌に回してもまだ余る。堆肥にして外の畑で使う様にしてやっと如何にかなった。さて来年は如何しよう。
「ダンジョンの御蔭か作物が美味しく育つのよね。来年も頑張ろうね」
「うん。頑張ろうね。俺は来年はバナナとかパイナップルとか南国のフルーツに挑戦するつもりなんだ。同じ物ばかり作っても食べきれないから多品種少量生産にするつもりだよ」
「う~ん。私はお芋とか南瓜とか穀物とか日持ちの良い作物を中心にするつもりなの。葉物とか根菜は造り過ぎたから次は量を減らすつもり。それとどうせ動物達に食べさせるなら飼料用の作物を作ろうかな」
「飼料用って味より収穫量を優先した作物だよね」
「そうよ。収穫量の多い方が達成感が大きいしそれにダンジョンで作ると美味しくなるでしょう?試してみたいのよ。飼料用の作物がどのぐらい美味しくなるか。上手く行けば人が食べても美味しいものが出来るかもしれないじゃない」
「そうか。それは試す価値があるね」
来年は飼料用の作物をたくさん収穫って事か。豚でも飼いたい所だな。でも豚は手続きが色々と面倒だしダンジョンで強化されたら手に負えんか。山羊を増やすかな?山羊乳のチーズの生産量を増やせるかもな。鶏と合鴨も増やそうか。ウサギは……これ以上増えたら肉が消費できそうにないな。魚は池を増やす必要があるかな?親父に相談だな。嫁の楽しみを奪う訳にはいかんからなぁ。
俺は果物の花の受粉の為に養蜂をする様になっていたからお袋の花畑や嫁の畑にも受粉の為に養蜂箱を設置して回っていた。設置した養蜂箱は蜜蜂が中にいる限りは何故か無くならない。理由は分からないが魚のいる池の水と同じ事なんだろうな。
養蜂箱は一ケ所に放置しても蜜蜂がダンジョン内を適当に回って蜜を集めて来るのだが色々な花の蜜が混ざってしまうので俺は花が咲くのを見計らって養蜂箱を設置して回っていた。そうしてこれは林檎の蜂蜜、これは蜜柑の蜂蜜なんて事をして楽しんでいた。
当時を振り返って見るに俺達はダンジョンに魅入られて随分とおかしくなっていた。ダンジョンの広間の数が増えても異常を感じずに喜んでいたし広間そのものが拡がっても異常を感じずに喜んでいた。水が何処から現れるのかも気にしてはいなかった。頭の片隅では異常だと分かってはいても、している事を止めようとは微塵も考えなかった。ただただ楽しむ余地が増える事が嬉しかった。今では良く知られているダンジョン酔いとかダンジョン中毒とか呼ばれている症状だ。ダンジョンの中に住み着いた生物は程度の差は有れこの症状に陥る。ダンジョンに適合する過程で現れる症状だ。中毒と呼ばれてはいるが死ぬような事は無いし幻覚を見る様になる訳でもない。耐性を身に付ければ冷静に考える事も可能となる。まぁ、耐性が身に付くのには個人差が有って数十年に及ぶ事もあるが普通は二年以内だ。
ダンジョンの発見から一年経った。俺達のダンジョンは益々発展して食べきれない作物を生み続けていた。俺はふと『これで良いのかな?』と不安に思う事もあったが自らの楽しみを捨てることは出来なかった。資金がショートする事も無く皆ダンジョンに魅入られていたからか多幸感が溢れ出てきてハイになっており止める要因は内にも外にも無かった。俺達は多幸感に包まれてノー天気に過ごしていたのだが世界では何かが始まっていた。
「アフリカで怪物が出没して軍が出動する騒ぎが有ったってさ」
「あれ?南米の話じゃなかった?アマゾン川で異様にデカい魚が現れて大人を丸呑みしたって」
「それは一昨日の話だろ。アフリカの話は昨日の話だ。角が生えた異様にデカいライオンだって話だ」
「角が生えたライオン?ダンジョンでなら産まれそうね」
「……きっとそうだ。人知れず強化されたライオンがダンジョンで繁殖しているんだな。縄張り争いに負けた奴が出て来たのかな」
「一寸それは不味くない?」
「不味いだろうな。日本でも人知れず強化された熊や猪なんかがダンジョンで繁殖していて出てきてもおかしくない。未発見のダンジョンなんか山に入ればいくらでも在るだろうさ」
「猟犬を持て余して山に捨てていく馬鹿は絶えないから捨て犬もいるわよね。猫なんかは田舎なら外に出すのは普通だし。家の犬猫を見るにダンジョン内で産まれれば角が生えたり牙が伸びたりは普通よ?熊にも角が生えるのかしらね」
「熊なら牙が伸びるか爪がデカくなる可能性も有るかな?」
「熊はいないけど猪なら奥の山には居るわよ?聞いた覚えがあるもの」
奥の山は曾曾爺さんが親戚にとられた所謂里山ってやつだ。水源が有ったから昔は貴重だったが今では売るに売れなくて困っているらしい。疎水が引かれて水量の少ない水源の価値は暴落したのだ。祖父が生きていた頃に一度買わないかとの打診が家に有ったらしいが「元々うちの山だろ。地主のくせに里山の面倒もよう見れんなら返せ」と言ったら黙り込んでそれきりらしい。親父から聞いた話では山は荒れ放題で放置されているらしいし猪にしたらあまり人が入っては来ない楽園状態か。ダンジョンが一年前に発生していたら今頃如何なっているかな?
「あの山か~ダンジョンが発生していたら今頃は角が生えたり牙が増えたりした猪が居てもおかしくは無いな。一度調べてみるか」
「勝手に入って大丈夫なの?」
「元々里山だからな。地元民なら自由に出入りして良い筈なんだ。ただ今では薪を採る事も無いから家の山とは違って荒れているらしい。茸ぐらいは採りに入っていると思うんだけどなぁ」
「家の人間は誰もあの山には入らないわよね」
「代々我が家が管理していたんだけど分家筋に掠め取られてからは家の一族はあの辺りには近づかないし関わってもいないんだ。俺は一度も入ったことが無いし話は親父の受け売りだな」
俺は翌日から奥の山の調査を開始した。嫁さんは身重だから調査に同行したのは親父と犬達だ。分家筋と縁を切って以来なので家の一族が奥の山に入るのはもしかしたら百年ぶりぐらいだ。山は全然手入れしている様子はなくて山道は雑草が生い茂っていて木ではないだけマシかと言った状態だ。まだ五月初旬なのに!私有地につき許可なく立ち入り禁止の立て札が有ったがこれを無視して分け入ろうとしたところ「おい!その山は立ち入り禁止だぞ」と声がかかったので振り返った。
「あっ、本家の長谷部さんか。それなら良いんかな?」
「少し話を聞きたいんだが、ここは里山だろ?ここらの土地のもんも入れんのか?立て札は他所もんに対してのもんじゃないんか?」
「ああ、地主が立ち入り禁止にして以降は土地のもんも入れん。もう四十年も前からの話だ」
祖父が生きていた頃の話だな。この山を売りつけようとした時分の話かな?分家の奴等は何を考えていたんだか。
分家筋の者達は家の曾曾爺さんが戻った後で体裁が悪くなったのか村から逃げ出して村にはもう誰も住んではいない。掠め取った田畑を本家に戻す者はおらず二束三文で売り払って出て行ったそうだ。山は買う者がいなかったみたいだが。山なんて管理も面倒だし今時個人で買う奴なんて居らんだろうな。
「分家の馬鹿がそんな事したんか、人が入らんかったら山が荒れるばかりだろうに。何でか知っとるか?」
「聞いた話だと土地のもんが山の茸やカブトムシで小遣い稼ぎしとるのが気に喰わんかったって話だ」
里山にはクヌギなんかの団栗の生る木が生えていてカブトムシやクワガタが夏には捕れる。アカマツも山の上の方に生えているから松茸も採れるって話だったんだが……松茸は高く売れただろうな。カブトムシも昔は売れたのか?
「虫はともかく松茸は採れたら何本かは渡していたんだろうに分家の奴等は何が気に喰わなかったんだ?」
「さあなあ、自分達で全部採れば儲かるとでも考えたんじゃないのか?俺の子供の頃の話で本当の所は分からんがな」
「あ~有り得るな。それで誰も入らなくなった山は手入れもされずに荒れ放題となったんか」
松茸を独り占めしようとして山を立ち入り禁止にしたら山を手入れする人がいなくなって松茸を一本も手に入れる事が出来なくなった訳だ。そして今では山の手入れを知る人は村にもいなくなって元に戻そうにも戻せない。家の裏山は小さなもんだから家族で何とか回せている。草は山羊に食べさせて木は炭を造るために適度に伐採しているんだ。アカマツが無いから松茸は採れんがな。まぁ、そんな話は如何でも良い。山が荒れているのも問題なんだが今一番の問題はダンジョンだ。
「親父、そんな話は後で良いだろう?早く山を調べようよ」
「山に何かあるんか?」
「まだあるかどうかは分からんのだがな。この山には猪が住み着いとるんだろう?」
「ああ、その筈だ。ここ一年は餌が豊富だったのか山から下りては来んがな。前はよく畑を荒らしとった。その度に亮介が害獣駆除の申請を出して撃ち殺しとったが」
「不味いな。最近は見ていないんですね?親父早く調べに行こう」
「なんだ。何が不味いんだ。山が如何かしたんか?」
「如何する。話しても良いか?」
「ああ、話しておいた方が良い。村中で警戒しとかんとな」
「倅が言うにはこの山にダンジョンが有るかもしれんのだ」
「ダンジョンってあのダンジョンか?でもそんなんは村にもあるぞ。子供と犬の遊び場になっとる」
「村のダンジョンは別に良いんだ。猛獣が住んでる訳じゃない。野生動物はいても角の生えたネズミかウサギかリス等の小動物ぐらいだ。マムシなんかは面倒だがそれでも犬や猫がいるから何とかなる。だが猪がおるこの山にダンジョンが有ったら如何なると思う?知っとるだろう?海外でダンジョンで繁殖したらしい角が生えた馬鹿でかいライオンが問題になっとるのを。猪だったら如何なると思う?」
「……馬鹿でかい猪が山から下りて来るかもしれんって事か」
「そんなとこだ。それで村のもんから山が荒れとるって話を聞いていたから心配になってな。ダンジョンが有るか調べようって話になった。俺は里山だから荒れとるとは言え人が入っておってダンジョンが有れば見つかっとると思っとったんだがなぁ」
「もう山には誰も入っとらん。俺が頼まれて見張っとるからな。絶対にとまでは言えんが」
実際、こんな道一本見張っているだけでは入っていないとは思えない。山全体がフェンスで囲われている訳でもないので入ろうと思えば何処からでも入れる。車で入る道は此処以外は無いがな。
「なんだ、お前は分家の手下か」
「手下じゃない!いい小遣い稼ぎになるんだ。奴等は何も知らんから今でも村のもんが山に勝手に入って稼いどると思っとるんだ」
「こんな荒れた山でか?松茸なんかが採れてもしれとるだろうに」
「奴等には分からんよ。もう村のもんじゃないからな」
「まぁそうだな。分かる様な奴等なら山を立ち入り禁止になんかせんわな」
「親父、まだ話すのか?俺は山に入るぞ」
俺は親父を置いてボン達と山に入った。犬は匂いに敏感だからダンジョンが山にあれば直ぐに見つかるだろう。
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果たして山に入って二時間ぐらいで山の中腹の沢の傍でダンジョンが見つかった。獣達がダンジョンから漏れ出す前に何とかせんとあかんな。さて如何するかな。危険なのでダンジョンに入るのは後日だな。少なくともいつも害獣駆除をしている亮介さんを連れて行く必要がある。一応は地主である分家に行って了解を取り付ける必要もあるかな。面倒だが分家には明日行くか。
世界の各地で怪物が現れて人里で暴れる様になった。人知れずダンジョン内で強化され繁殖した獣がダンジョンから漏れ出てきたのだ。ダンジョンで人を見ずに育った獣が人を恐れる事はない。餌が豊富な人里に来るのは当然だろうな。