01 奇妙な洞窟
俺の家の山に奇妙な洞窟が有るのに気付いたのは一週間前。飼っている山羊が逃げ出して山を探している時にそれを見つけた。山羊の名前を呼んでいたらその洞窟からヴェーと鳴きながら出てきたのだ。
「ハナ、そんな所にいたのか。あれ?ここに洞窟なんてあったっけか?」
二日前にもハナは逃げ出したけどその時には山にこんな洞窟は無かった。洞窟は昔から在った感じで風景にも馴染んでいるけどこんな洞窟は無かった。私有地の車も入れない山道の脇の斜面に態々穴を掘る奴はおらんよなぁ。入口の周りに掘った痕跡もないしなぁ。色々と疑問も湧いたがこの時は用事が有ったので碌に調べずに家に戻った。
気にはなっていたんだが、それからはなんだかんだと忙しくて洞窟を調べる暇はなかった。でやっと手が空いたのでこの奇妙な洞窟を調べる事にしたのだ。一人では危険かなとも思ったので飼い犬のボンを連れてきた。家族には内緒だ。
洞窟は一週間前と変わらず山の斜面に有った。山道のすぐそばの見逃しようのない場所にそれは有った。昔から有ったら絶対に子供の頃に秘密基地にして遊んでいたな。……よし、この洞窟は今日から俺の秘密基地だ。家族には絶対に内緒だ。誰も知らない洞窟だから上手く遣れば大丈夫だよな。
この洞窟に近々に人が掘った痕跡はやはりない。如何見ても横穴なので陥没して現れたとかでもなさそうだ。斜面が崩れて隠れていた穴が現れたにしてはある筈の土砂も見当たらないな。ご先祖の隠し財産でも有ればと思っていたのだが可能性は低いかな。
長谷部家の祖は戦国時代には武士の端くれだったのだがたいした武勲も上げることはなく、江戸時代には所謂郷士で今住んでいる近辺の知行が認められ土地を管理維持して生活していた。とは言っても山間の辺鄙な村の話だから知れたものだ。それでも土地だけは守って来たんだが大東亜戦争中に曾曾爺さんの戦死報告が入ると分家筋が寄って集って分配してしまった。相続人は曾爺さんだったのだがまだ小学校に上がる前で後見人の筈の分家筋の爺さん連中に好き勝手にやられて良い所は持って行かれたそうだ。曾曾爺さんは次男で出征前に家長の長男が跡継ぎを残さずに事故で急逝して家を継いだから不安定だったみたいだな。曾曾爺さんが何とか帰国できたのは戦後の農地改革の後で残ったのは少しの田んぼと畑と里山と高台にある家と家の周りの雑木林だけだった。曾曾爺さんは元々跡を継いだ実感もない内に出征したからか財産を取り返す気にはならなかったそうだ。親戚筋とは筋が通らないと縁を切ってそれきりだけどな。そして戦後は雑木林を少しづつ切り開いて耕作地を増やしながら細々とやってきて今に至る訳だ。隠し財産があるとしたら江戸時代の頃のものだけど……ちょっと無理か。そんなに裕福だったとはとても思えないよな。
洞窟に入ってみると入り口辺りは以前観光地で入った鍾乳洞と似た感じかな?ただ明らかにおかしな所がある。洞窟の中がやけに明るい、真昼間とまではいかないけど日没前ぐらいの明るさかな?で充分に中の様子が分かる。入り口辺りでは気にならなかったが奥へ進むほど違和感がある。これだけ明るいと夜には山の一部がぼんやりと光っていそうだ。
……危険かな?ボンが特に警戒する様子は無いな。大丈夫、きっとヒカリゴケか何かが光っているだけだ。ヒカリゴケがこんなに明るいとは知らなかったけどきっとそうだ。
更に奥に進むと十五分ほどで広間に出た。天井まで目視で五メートルほど広さは百坪ぐらいかな?でも明らかに鍾乳洞ではないな。鍾乳石は見当たらないし、水が流れた様子も無い。ここいらの山に鍾乳洞が有るなんて話は聞いた事が無いしな。それに穴が綺麗すぎる。壁面は土色だが何かで塗り固めた感じだし地面も同じだ。そして明り取りの穴がある訳でもないのに明るい。影を見ると光は全方向から差している感じだ。
……壁が光っている?ボンが特に警戒する様子は無いな。大丈夫、俺が知らないだけでこんな風に光る微生物とか鉱物が存在するんだろう。
広間の奥には更に奥へと通じている穴が二つあった。広間を調べていると奥へと通じる穴の一つから猫が顔を出して「ニャッ」と挨拶をした。この鳴き声はうちのミイだな。どうやらこの洞窟は既にミイの縄張りの様だ。取り敢えずは安全そうなミイが顔を出した右手の穴から調べようか……代わり映えしないな。十五分程進むとまた広間に出た。
……同じ広間かな?違うな、広さは同じぐらいだけど穴の数が違う。ここは更に奥に通じる穴が三つある。広間の右手の穴から入って左手の穴から出た可能性は無いな。広間を調べていると前を歩いていたミイが何か見つけて奥に通じる穴の一つに向かって駆けて行った。追いかけてみるとミイがネズミを咥えて戻ってきた。この洞窟には既にネズミが住み着いているのだな。ネズミがいるって事は安全だって事だ。ネズミは危機に敏感で沈みそうな船からは逃げ出すって話だからな。
昼過ぎまで洞窟の中を歩き回ったのだが変わり映えしない光景が続くだけだった。穴を暫く進むと広間に出てそこから別の穴に入って暫く進むと別の広間に出る。それの繰り返しだ。結局、洞窟内部の全てを回ることは出来なかった。
でもそれはおかしいんだ。洞窟を出て山を振り返って気が付いたのだがどう考えても散策途中で外に出ている筈だ。枝分かれした穴が互いに繋がっている所はなかったよな?穴に傾斜は有ったから思っているよりも下に移動していたかな?……外に出なかったのだからきっとそうなんだろうな。納得はし難いのだが……
まあ、うちの猫達が駆けずり回っていたから問題はないだろう。ボンも一緒に駆けずり回っていたし取り敢えずは安全かな?広間は広かったし内部の環境も保たれていたから何かに使えそうだよな。俺の秘密基地として如何するか考えてみようか。
洞窟の件は俺の秘密基地にすると決めてから一週間も経たない内に家族にバレてしまった。暇を見つけては犬の散歩と誤魔化して山に入っていたのだがまずは嫁にバレた。何かニヤニヤとして様子がおかしいと後を付けられたのだ。俺は浮かれていて気付かなかったのだが犬達は振り返っては尻尾を振っていたらしい。洞窟に入ろうとした所で嫁に声を掛けられた。
「翔ちゃん、これは何?」
恐る恐る振り返ると嫁がいて犬達は尻尾を振っていた。
「これは……穴?」
「いつの間にこんなものをお山に掘ったの?」
「俺一人で掘れる訳がないだろう?山羊を探している時に見つけたんだよ」
「??こんな所に穴は無かったわよ?」
「そうだよ。でも今は有るんだ。妙だろう?」
「何で黙っていたの?」
「それは俺の秘密基地にするから」
「またそんな子供みたいな事言って。危ないから入るのは止めなよ」
「それは拒否する。こんな面白い洞窟に入らないなんて後悔するぞ」
「唯の穴でしょう?何が面白いの?」
「今から一緒に入ろう。見た事も無い洞窟だからきっと驚くぞ」
「危なくない?」
「もう家の猫達の遊び場になってる。ミイも居る筈だ。ボン達も放してみなよ。喜んで入って行くから」
「ミイが中にいるの?駄目よ。連れ戻さないと危ないわ。ミイ-」
「沙耶!そんなに急ぐなよ。犬と一緒でないと迷子になるよ」
嫁はミイが心配なのかどんどん先に進んで行った。そう言えばミイは嫁のお気に入りだったな。洞窟の中が異様に明るい事にも気付く様子が無かった。仕方がないから犬を放して嫁の後を付けさせる事にした。暫くするとミイを抱いた嫁が犬達と一緒に最初の広間に現れた。何か不安そうにキョロキョロと周りを見ていた。
「翔ちゃん、何でこんなに明るいの?」
「だから面白い洞窟だって言っただろう?壁全体が光っているんだ。壁は何かで塗り固めた感じで丈夫そうで崩れそうにないし」
「誰が造ったのよ!」
「それが分かればなぁ。この明かりだけで大儲けが出来るよ」
俺はご先祖様だったら良いのになとか考えていた。だったら俺にも少し位は権利があるだろう。
「お義母さん達にも話すわよ」
「えっ、俺の秘密基地は如何なるの?内緒にしたら駄目?」
「どうせすぐにバレるわよ。挙動不審なんだから。家の秘密基地にすれば良いわ」
「……それで妥協するしかないのか」
「お義母さんはともかくお義父さんは好きそうだから二人で楽しみなさいよ」
それから俺は暇を見つけては洞窟に入り浸たる様になった。嫁も興味無さげな口ぶりだったのに暇を見つけては洞窟に入り浸たる様になった。親父もお袋も最初は感心無さげだったのに暇を見つけては洞窟に入り浸たる様になった。家で飼っている動物達も洞窟に入り浸たる様になった。
洞窟の中は何故か妙に居心地が良いのだ。
洞窟を発見してから一ヶ月も経つ頃には洞窟は家の動物達の遊び場兼住居と化していた。今時はこんなど田舎でも犬は繋がないと五月蠅くて面倒なんだがここなら大丈夫。洞窟内の住人も増えて虫、鳥、ネズミ、ウサギやリスも住み着いていた。動物たちが種を持ち込んだのか植物も進出していて地面には木が生え始め雑草が敷き詰まっていた。太陽光でも無いのに壁からの光で光合成が可能な様だ。明らかに初めに入った頃よりも明るくなっているな。地面は植物が生える様になってから土の如く柔らかくなっていた。壁と同じで硬かった覚えがあるけどこれなら畑が出来るな。
俺は一番目の広間で色々と試してみる事にした。小さな畑を造って種を蒔き、小さな池を造って金魚を放ち、小さな田んぼを造って水を張り、空いた場所には果樹を植えた。数日後、畑からは野菜の芽が出て池では金魚が泳ぎ果樹には若芽が……でも田んぼに水は無い。水を張った田んぼからは次の日には水が無くなっていた。池を見るにどうやら生き物がいないと駄目らしい。……苗を植えるかな。
この洞窟には不可思議な事が幾つか在った。
不可思議の一つ目は洞窟内の壁が光っている事だ。洞窟内部が人でも視認可能なほど明るい。光っているのが微生物にしろ鉱物にしろこんなに明るく光るなら大発見だな。電気も無しにこれほど明るくなるなら原理が分かれば大儲け出来る。不思議な事に夜には暗くなるので最初に懸念していた山がぼんやりと光る様な事は無かった。それでも俺は光が外に洩れるのが気になって厚手の布で入り口を隠した。今では偽装の掘っ建て小屋が穴を覆う様に建ててある。
誰かが家の山に入る事もまずないけど見つかったら……見つかっても誤魔化せるかな?俺達は変わり者一家だと思われてるしな。村で合鴨農法なんてしているのは家だけだ。家の造っている米は自家消費分だけだから好きにしていた。仮に洞窟が見つかっても山に穴を掘ってまた何か妙な事をしてると思われるだけだな。聞かれたら新しい作物の栽培を試しているとでも言っておけば良いさ。山は私有地だし水源が有るわけでもないから何をしようが俺達の勝手だ。炭焼き小屋も有って炭焼きもしているし何とか誤魔化せるだろう。
不可思議の二つ目は洞窟内に物を置きっぱなしにすると無くなる事だ。初めに気が付いたのは初日に壁に書いた目印が次の日には消えていた事だ。壁に炭で番号を書いただけなんだが次の日には跡形も無かった。炭をペンキに変えても同じ事だった。地面に杭を打ち込んだり標識を立てたりしても次の日には跡形も無かった。何故か跡形も無く消えてしまうのだ。
試しに生ごみを捨てたら次の日には跡形も無かった。犬の糞も放置したら次の日には跡形も無かった。ミイの捕まえたネズミの死骸も次の日には跡形も無かった。他の動物に食べられた可能性もあるがそれにしては痕跡すら残ってはいなかった。
こうして家ではゴミの分別とかは必要が無くなった。どうせ動物達は此処で放し飼いなのだ、世話ついでにゴミ捨てに来ればたいした手間ではない。
それにしてもボンを連れていれば迷わないとは言え目印は欲しいよな。それで広間の穴の入り口辺りに花の種を蒔いてみた。広間に通じる穴は多くて四つだったので四種類の花を四つの穴の口に分けて植えれば花で出口は分かる筈だ。でもこれは山羊が食べるから駄目だった。山羊もこの洞窟がお気に入りで逃げ出しては洞窟に入り込むので今では洞窟で放し飼いにしていた。目印にするなら山羊が食べれない植物が必要だ。この件は後で考えよう。取り敢えずはボンがいれば迷わないからな。
不可思議の三つ目は生物に合わせて洞窟が変化する事だ。ネズミの巣穴やウサギの巣穴が知らぬ間に増えていた。壁や天井には鳥の巣に合わせる形で穴が出来ていた。ネズミやウサギはともかく鳥がこの硬い壁に穴を開けるのは無理だ。地面も植物に合わせて柔らかくなっていた。生き物を呼び込んでいるのか?
危険かな?ふとそう思ったが家の動物達は元気に遊んでいるし大丈夫に違いない。俺はボン達を信じる事にした。
不可思議の四つ目は洞窟内での生物の成長が異様に速いことだ。苗木を植えて次の日にはしっかりと根を張って一週間も経たない内に苗木は?と言った大きさに育っていた。一週間で池の水草は増えて金魚の卵が付いて孵化寸前となった。一週間で野菜の種は芽を出して花が咲いていた。
一番不可思議なのは不可思議な事が起きていてそれに気付いていても家族の誰もが気にせずにただただ喜んでいた事だ。俺は自分の果樹園を造って何を育てようかと妄想が膨らむばかりだったしその後の経緯を見るに親父もお袋も嫁もみんなそれぞれの妄想に浸っていたに違いないのだ。俺達の暴走の日々は既に始まっていた。
洞窟を発見してから二ヶ月も経つと変わり映えのしなかった広間に様々な特徴が出てきた。これには俺達家族が関わっているんだが地面が柔らかくなって畑が出来るかなと思ったのが始まりだ。試しに造った畑等が上手く行きそうだったので他の広間に対する積極的な開拓の日々が始まった。
幾つかの広間に池や畑や田んぼや果樹園を造成することに決めて造成を始めた。調子に乗って池を造っては合鴨を放ったりそこいらの池や川にいる水生生物を放り込んだり池の周りに山の木々を植えたりしていたら、それに合わせるかの如く幾つかの別の広間に池が出来ていた。二つの広間を田んぼにして稲作を始めたら幾つかの広間が田んぼになっていた。畑の広間とか果樹園の広間とか牧草の広間とか雑木林の広間とかもそうやって増やした。なんか楽しくて疑問に思う事も無くどんどん増やした。そして気が付くと手つかずの広間は無くなっていた。
俺は果樹の苗木をあれもこれもと購入していたから蓄えが無くなった。嫁にその事を打ち明けたら嫁もあれもこれもと種を買っていたらお金が無くなったそうだ。親にお金を借りようとしたらこれ以上使ったら資金がショートすると言われた。皆であれもしたいこれもしたいと洞窟内を開拓するに伴い家族の余裕資金は全て洞窟に注がれて消えていた。
俺達家族は洞窟に完全に魅入られていた。