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カンガルーポー・ピーポー  作者: 五十鈴スイ
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Flowering Days(2)

二年生に進級して、担任が笹河原に替わって、まだ一ヶ月とちょっと。

去年は世界史必修で他の先生に教えてもらっていたので、笹河原を知ったのも同じく一ヶ月とちょっと。

まだアラサーで、おっさん教師ばかりの中では若い方らしい。しかもけっこうな高学歴らしい。顔は何とかいうイケメン俳優に似ているらしく、つまりはそこそこイケメンで、共学にも関わらず女子生徒からの人気が高いらしい。

伝聞(主にさやかによる)の羅列が示すとおり、私は、笹河原のステータスには興味がない。あるとすれば、ひとつだけ。

どうしてか、この人は、いつも気だるげなのだ。授業中も、生徒と立ち話をしている時なんかも。

どうしてだろう? ――と、気になるのはそこだけだ。


「話を戻すよ。授業中、よくボーッとしてるよね。空とか壁とか花瓶とか見てるよね」


わあ。やはり先生は先生。観察力あるなぁ。


「今日は自分の指を見てました」

「知ってる知ってる。俺、ソレを指摘した人。でも不思議だなぁ、どの教科も成績いいんだよね、松本」


笹河原はファイルを閉じた。


「ボーッとしてるのは、俺の授業の時だけ?」

「……」

「俺の授業、つまんない?」


私は正直に打ち明けることにした。


「先生の、というより日本史に関心を持てないんです」

「じゃ、なんで選択したの。倫政とか地理とか、いろいろあるのに」

「ど・れ・に・し・よ・う・か・な、で決めたから」


あまり表情を動かさない笹河原が、あんぐりと口を開けた。切れ長の目もアーモンドの幅に広がった。


「そんなんで決めたの? 自分の進路に関わることだよ?」

「何でもよかったので」

「えー。ギャンブラーだ、ギャンブラーがいる……」


まじまじと私を見つめたかと思うと、笹河原は噴き出した。くっくっと肩を揺らして俯く。つむじが丸見えだ。


「おもしろいね、松本」

「はあ」

「頭はいいけどおとなしくて目立たない生徒だと思ってた」

「全部あってますよ」


私の特徴は、勉強はできる・口数は多くない・地味の三本立て。

笹河原の分析はなんら間違っていない。だからそう言ったのに、肩の揺れはさらにひどくなった。


「うん……そこに意外性その他をプラスさせて」


あー笑った、とカーディガンの袖で目尻をぬぐっている。

その他って何だ。そこまで笑わなくともいいのでは。怒られるよりはマシだが。


「先生のカーディガン、いい色ですね」


わざと話を変えてみる。


「よーく焦がしたキャラメルみたい」

「そう? こういう色が好きなの?」

「好きというか、私が今日欲しかったものの色だから」


私は思わず手を伸ばし、しかしすんでのところで、その袖を掴もうとするのを回避した。

さすがに気安い、気安過ぎる。こうやって二人きりで向かい合って話すのも初めてなのに。

自分の行動が一瞬とはいえ制御できなかったことに、私は動揺をこらえきれなかった。

そんな私を、そして伸ばしたまま固まってしまった指先を、笹河原はしばらく見つめ。


「欲しかったものって?」


とてもなめらかなバリトンで問いかけてきた。

助け船だと思った。


「……キャラメルフロマージュです。ふわとろの。駅前のコンビニの。今日が発売日で、だから」

「だから?」

「もう、帰りたい……」


またも目を丸く見開き、笹河原が眉を八の字にしながら笑った。

ああ、苦笑いというやつだ。すみません。なんだか妙に謝りたくなる。すみません。


「松本。中指の爪だけ短いね」


ポツリと呟いた言葉に、私は放りっぱなしだった左手を慌てて引っ込めた。


「欠けちゃったから。あとで、残りの爪も切って揃えます」


しまった。切ると言ってしまった。女子らしくない。整えると言いたかったのに。


「そのアンバランスさも、いいと思うけどね。俺は」


笹河原は立ち上がって私の横を通り抜け、ドアを開けた。

途端に空気が変わる。廊下の風が、においが、部屋に入ってくる。

ひんやりとして気持ちがいい。そうか、私は今、汗だくだったんだ。


「俺、松本が授業に関心を持てるように工夫してみるよ。だから松本も、もうちょっとちゃんと聴いて」

「はい……」

「今日はここまで。フロマージュ、売り切れてないといいね」


ドアを開けたまま、笹河原はニッコリ笑った。

初めて見る顔だった。


「失礼します」


頭を下げ、小走りでエントランスへ向かう。

とにかく学校を出るんだ。学校には結界が張られているんだ。結界を抜ければ、汗は引くし、このおかしな動悸も静まるはずだから。

校門を走り抜け、数歩目で振り返り、校舎に埋め込まれた時計を見る。

15時40分。


「10分しか喋らなかったのか……」


別に残念じゃない。むしろありがたい。説教というほど厳しくなかったし。

ただ、笹河原は話してみれば割とくだけた性格で、意外と話しやすかったから。今日は気だるげというより、飄々とした感じで面白かったから。

もう少しだけ、あそこにいてもよかったかな、なんて思ったから――


「……ん?」


そういえば。


『今日はここまで』


あれは、どういう意味で言ったんだろう。

もしかして? もしかして?

私は宙にふんわりとした期待を思い浮かべる。しかし、いやいやないないと頭を振って、再び歩き出した。

……でも、もしも。もしも“今日はここから”があるならば。

その時は、笹河原の下の名前でも訊いてやろうかな。うむ。そうしましょう。






風薫る五月、どんどん遠のいていく社会科準備室の窓。

そこから、キャラメル色の男がずっと私を眺めていたなんて、このときの私は知る由もなかった。

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