当日
外では小鳥がちゅんちゅんと鳴いている。
もう朝だ。
昨日はあれから部屋に戻ってひたすら泣いていた。
目の下、どうなってるかな。クマとか出来てないといいけど。まあでも、目なんかは触った感覚ではパンパンに腫れ上がってるし、今更クマなんかで周囲の反応に違いは出まい。
とりあえず昨日のことだ。
一応反省もしたのだ。あの時はなぜだか感情が妙に高ぶってお姉様に気持ちの向くままそれをぶつけてしまった。
言い方もあれはなかったかな〜って思うのだ。
ーーーーーしかし、
しかしだ、お姉様ももう少しこちらの話を聞いてくれても良いのではあるまいか。
わかるわかると言いながらおそらく私の気持ちなんてひとつもわかってないのだ。
謝るもんか……
そう胸に決めながらも同じ城にいて話せない寂しさから涙が出てくる。やばい、これでは腫れた瞼のせいで目が開かなくなる。
「意地っ張りですね。」
淡々とした声に振り向くと、そこにはいつものように姿勢良く立った恨めしいほどに綺麗な侍女の姿。
あまり表情を見せようとしないその整った顔には、珍しく微笑が浮かんでいた。
「意地なんて張ってないもん!私何も悪いことしてない。謝るのはあっちだもん。」
そうだそうだ!私は間違ってない!
「ええ、そうですね。」
………おや?ニコラはてっきりお姉様の味方をするものだと思っていた。昨日はそんな姿勢を見せたくせにもう今日は違うのだろうか。
表情は、まぁ、いつものように読めない。
「ニコラ?」
「フィリア様もリーナ様もご自分が正しいと思っていることを仰ったまでです。それを間違いだと、指摘する権利は私にはございません。」
この国では、法を司るのは王族、悪を悪だと決めるのは王族だ。
ニコラはそのことを言っているのだろうか?
何だかニコラとの間に突然壁が出来たようで寂しくなる。
しかし寂しさが募ると同時に記憶の中でお姉様の言った言葉から嫌悪感が少しずつ取れてゆく。
なぜだろう?
なんだかすごくお姉様に会いたくなる。
会ってぎゅーって抱きつきたい。
すごくいい匂いがするのだ。
「ニコラ……お姉様は…」
「今日朝早くに外出されました。お戻りになられるのは二週間後みたいです。することがあるのだとか。」
「……え?」
思わず愕然とする。
だって、だって二週間っていえば、じゃあクレイデスの長との顔合わせはどうやって乗り越えよう……
お姉様に会えぬまま何食わぬ顔でその日を迎えるなんて出来っこない。
なんせ今回の縁談は破談に出来ない。
陛下の目を思い出すだけで寒気がしてきた。
どうしよう、私、嫌われる方法は熟知していても相手をオトす方法は全くもって初心者だ。
涙が出てきた。
とりあえず、
「ニコラ、お腹空いてきちゃった。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
9日後、ーーーーーなんだかんだあってから城内には少々の慌ただしさはあるものの、誰か王子が姫君を迎えるわけでもなく、今回は第三王女と一民族の長の顔合わせだけなのでそれほど気にならないくらいだ。
と言っても侍女長タレスは城中をピカピカに掃除させて元から細身だった身体が余計に細くなった気もするが。
ただ、どういうわけか『あのフィリア姫が縁談に乗り気になった』という変な噂がたっているのは正直よろしくない。
陛下が寄越した書類を届けにきた侍女長のタレスに何故かと問い掛けてみたら、
『いつもの『氷河期』が無いからでは?』
と淡々とした口調で答えが返ってきた。
ん?氷河期?
どういう意味かとそれも問うてみたら、どうやら縁談がきたあとの『フィリア姫』は死人のように体温のない目で城内をさまよっており、その目を見た者はたちまち凍ってしまうのだとか。
どこの怪物?
まったく、それで最近廊下を歩くたびに妙な奇声が聞こえたのね。廊下には誰もいないのに。
ふう、とひとつ吐息を落とす。
なにはともあれ約束の10日後はすぐにやってきた。
あれからお姉様に会いたくて仕方ない日もあった。
だが今まで社交界に顔を出さなかったせいもあってか、淑女としてのマナーを9日間で1から叩き込まれ(無理だったが)フォークの使い方ひとつでさえ、タレスの目をつり上がらせた。
それと、お菓子のつまみ食いも運悪くバレた。いつもなら絶対気づかれないのに。
タレスは痩せているので青筋が立つと目立つ。あれよりコワイことはない。
なんやかんやとタレスの特訓が終わり、部屋に戻るとバタンとベッドに倒れ込んだまま眠ってしまう日がほとんどだった。
タレスにしごかれたのもあってか、最初はどうなるものかと思ったが比較的いつもより落ち着いて今日を迎えられた。
クレイデスの長は、すでに何人かの従者を連れて城内にいるらしいが、さて、顔合わせに気が進まないのも確かだ。
逃げてしまいたい。
しかしだ、今日は朝起きると、すでにベッドの脇に立っていたニコラと目が合い、びくりと震え、その後ろに控えていた侍女たちに完璧な身支度を施された。
一番の珍体験は今朝かもしれない。
あのニコラの目といったら。
ブルブルと震える自分の肩を押さえると、寒いのですか?とニコラが心配してくれるが、寒いのではないのよ。おそらくあなたは確信犯ね。
原因はあなたよ。
今日も髪を結うのはやはりニコラだ。
髪飾りはどういたしますか?という質問もいつもどおりだ。
えーと、じゃあ、今日は気分を変えて一番地味なやつで。
あ、やっぱり今日は髪飾りやめとこうかな。
「では、リーナ様にいただいたこれを。」
え、ちょ、待って。
「お姉様から!?」
「今朝、荷物として届いていました。こちらです。」
ニコラが差し出した箱の中身は原色の青を存分に使った、恐らく水の妖精メローをモチーフにしているであろう、キラキラとした派手な髪飾りだ。
十日前にひどい態度をとったまま手紙も送らなかった私に髪飾りをくれるお姉様。
この九日間忙しくて表に出せなかった感情が、不意に込み上げてくる。
お姉様、ありがとう。
「これで殿方をイチコロにして来いってことですね!」
近くにいたニコラよりも幾分か年下の侍女がキラキラとした笑顔で言う。
箱の中の髪飾りもその光を浴びてキラキラ輝きを増す。
いや、でも、嬉しいし可愛いけれど、さすがお姉様だけれど、今日は、
言葉を濁す私を幼馴染みの侍女は無視する。
変なところで主人に遠慮のない侍女たち。
結構な時間をかけて私は身支度を終えた。
侍女たちの表情はまさしく『あ〜、ひとつ作品を作り終えた……』と燃え尽きんばかりである。
用意ができると同時にタレスが呼びにくる。こういう時、時間きっちりにやってくるのがタレスなのだ。
逃げるのは無理だ。諦めよう。短い夢だった。
「フィリア様、アラン様と陛下が広間でお待ちかねでございます。」
ーーーーきた。
アランというのは相手方の名前である。
タレスが届けにきた書類に『アラン・カルヴァノッサ』と力強い字でサインがしてあった。それがクレイデスの長の名前らしい。
さて、時間に疎いためにまたお父様に睨まれるのはごめんだ。ごねている暇はない。
出よう。
あぁ、いつの間にか髪にはお姉様からいただいた飾りが。
両耳の後ろに引っ掛けて後頭部を包み込むようにぶら下げられた青い宝石たちが、腰まで流され整えられた長い黒髪に合わせてしゃらしゃらと揺れている。
さすがはお姉様だ。派手だけどセンスは本物。
ああ、お姉様、会えてないから色々と話したいことが溜まってきてるのだけど。
しかし今は目の前の事に集中するしかない。
ほら、水の妖精メローが見えてきた。
広間だ。