ペンギンの降る大晦日
それは、一年の最後の日。
都市の真ん中にうずたかく盛り上がり、林のように聳えたつガラスのビルの群れ。その中の一室に閉じこもって、私は新年に持ち越したくない仕事をしていた。
オフィスには誰もいない。大晦日なのに会社に出てくるような要領の悪い人間は、私ぐらいだった。たぶんオフィスの入っているビルにも他のビルにも、ほとんど人はいなかったと思う。
三十五階の窓の向こう側には、先ほどから突然曇って灰色になってしまった空と、それを忠実に映すビルたちのガラスの壁面しか見えない。
だから、雪が降り出したとき、思わず私は歓声を上げた。私は椅子から立ち上がり、窓ガラスに手のひらと額を当てた。ガラスから、キンとするような冷たさが伝わってくる。
窓の外は遥か彼方の空間まで、たっぷりの雪で溢れていた。舞うのではなく、重みを持って、天から真っすぐに落ちている。そして、惜しげもなく降り続く、この膨大な量。
これはきっと、積もる雪だ。私は嬉しくなった。
この地方では、雪は余り降らないし、降っても積もることは滅多にない。雪国の人には申しわけないが、雪が積もる気配があるだけで、わくわくしてしまう。
降り注ぐ雪で覆われたこのガラスの都市は、まるでどこかの異世界の氷の都のようだ。私はロマンチックにそんなふうに思ったりする。
ふと、私は隣のビルの窓を見下ろした。誰かが窓際で、私と同じように雪を眺めているような気がしたのだ。
そこには、黒いスーツを着た、恰幅のいい人物がいた。――と思ったのだが、良く見ると、それはペンギンだった。ペンギンが一羽、窓ガラスにくっついて、じっと外を見つめている。
左右の黒い羽根、白いおなか、真ん丸の目、黄色いくちばし、踏ん張った足。
かわいい。やっぱりペンギンだ。
しかし、なぜペンギンがあんなところにいるのだろう。
答えは、疑問と同時に簡単に出てくる。もちろん、あそこで飼育されているのだ。
ペットがペンギンというのはよく聞く話ではないが、実際に飼っている人がテレビに出ていたこともあるし、ネットでペンギンが販売されているのを見た記憶もある。この都市のたくさんの部屋には、ペンギンは元より、もっと珍しい動物もペットとして閉じ込められているに違いないのだ。
ペンギンは、恋い焦がれるように外の景色を見つめている。その熱心さは、尋常なものではなかった。隣のビルにいてその様子を観察している私にまで、怖いくらいの必死さは伝わってくる。
くちばしが邪魔をしているにもかかわらず、顔とおなかをガラスにぎゅううっとこすりつけ、まるでラッシュ時に満員電車のガラスに押しつけられたサラリーマンのようになっている。
よほど雪が嬉しいのだろう。やはり、故郷の懐かしい景色を思い出しているのか。雪と氷と紺碧の海で構成された、最果てのふるさとを。私は、単純にそう思って納得した。
しばらくペンギンを見ていたが、ペンギンはそのラッシュ時サラリーマンの状態のまま動かなかったし、雪も相変わらず降り続いていたので、私は仕事に戻った。
もう少し進めて、きりのいいところで終わりにしよう。それから、真っすぐ家へ帰ろう。きょうは大晦日なのだ。さすがに大晦日に時間外労働はしたくない。
一時間ぐらいして、私は顔を上げた。雪の降る量が少なくなっている。私は、再び窓際に立った。
都市は、粉砂糖をふるいで丁寧にまぶしたように見えた。いつもとは違うその風景は、別の次元の都市が、音もなくまるごと取って代わったようだ。ビルの壁面が鏡になって、その粉砂糖の異世界をくっきりと映し出している。
ガラスを通して伝わってくる、白い静けさと冷たさ。それは、不気味さも多少混じっていた。その日が一年の終わりの日だったせいも、多少あるかもしれない。
私は、ペンギンがガラスに張りついていた隣のビルの窓を再び何げなく見下ろした。そして、呆気に取られる。
ペンギンの数は増えていた。二十羽以上はいる。黒いタキシード柄の鳥が、わさわさと団子状になって窓のそばに集合していた。
あれだけの数をペットにするのは、結構大変に違いない。隣のビルは、何かいろんな研究所が集まったビルだったはずだ。大学とか、政府関係の機関とか。そこでペンギンの研究でもしているのだろうか。それとも、私設動物園でも作っているのか。
ペンギンたちは、くちばしでコツコツとガラスをたたき始めた。
最初は、あどけない仕草でノックをしているような感じだったが、やがて雰囲気が違ってくる。彼らは、自分たちのくちばしを硬いガラスに打ちつけ始めたのだ。
その容赦のなさは、狂気じみていた。その行為は、延々と続く。
「やめて、やめて! そんなことをしても、そこからは出られないからっ!」
私は手を握りしめ、誰もいないオフィスの中で叫んだ。
だが、ペンギンたちは、飛べない翼ではばたいて何度もジャンプし、硬いガラスに己のくちばしを打ちつけた。それほどまでして外に出たいのだろうか。そして、この雪をその身に感じたいのだろうか。
私は切なくなる。ガラスの中に閉じ込められた彼らが哀れだった。
そのとき――。
ぴしっ! そんな音を聞いたような気がした。
隣のビルの壁面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
ペンギンたちはさらに激しく、ひび割れたガラスをつついた。やがてガラスのかけらが、割れた薄い氷のように、ビルの谷間に落ちていった。降りしきる大量の雪を切り裂きながら。
ペンギンたちの前には、大きな穴が出来ていた。ぽっかりと開いた、吹きさらしの穴。穴はもちろん、外へと通じている。
「そんな……」
それは、本当に何げなく、自然に行われたことに見えた。ペンギンたちは、そこから続けざまに飛び降りたのだ。
まるで置物のペンギンが幾つも落下していくようだった。
頭を上にして、羽根を少し広げた体勢。そのポーズを崩すことなく、ペンギンたちは次々と、ガラスのビルの谷間の底へ一直線に吸い込まれていく。
私は、オフィスを飛び出した。なかなか来ないエレベーターのボタンを何度もたたく。
夢じゃない。見間違いでもない。ペンギンは飛び降りたのだ。二十羽以上も、隣のビルの窓から。
ペンギンたちがいた窓は私のオフィスより下とはいえ、三十階以上の場所であることは確かだ。あの高さから落ちたら、もちろん無事では済まない。隣のビルの下のどこかには、地面に打ちつけられてむごたらしい姿になったペンギンたちが散らばっていることは確かだった。
私はエレベーターを降り、ビルから出た。澄んだ冷たい空気に咳き込みそうになる。息が純白の煙になった。雪は、白い巨大アメーバみたいに私の足元にまとわりついた。
私は、隣のビルへと急いだ。雪に意地悪されているかのように、何度も足を滑らせ、転倒しそうになる。それでも、何とか隣のビルの玄関にたどり着いた。
玄関のガラス扉の向こうに人がいる。ビルの警備員だ。
「何か? このビルは、許可証がないと入れないんですよ」
紺色の制服に身を包んだ若い警備員は、切羽詰まったような私の様子に驚いたようだった。けれども、やはりきっちりと自分の仕事をこなす。
「違うんです。このビルの三十階くらいから、ペンギンがたくさん落ちたんです! 私、隣のビルで仕事をしていたんですけど、それが見えたんです」
私は、彼に訴えた。
「えっ……。ペンギン……ですか? この?」
警備員は、両手をぴんと伸ばして体を左右に傾け、ペンギンの真似をする。長身の彼がそういう格好をすると、ペンギンというより飛行機みたいに見えた。
彼は、私の様子から冗談ではなさそうだと判断すると、ペンギンの真似はすぐに引っ込めた。
私たちは、ペンギンを捜した。
間もなく警備員は、ビルの植え込み近くの雪の上に、それらしきものを発見した。黒と白の毛皮。そして、銀色の金属の残骸。それは、生物の死骸にしては、あまりにも違和感がありすぎた。
「これ、機械ですよ」警備員が言った。「ペンギンのロボットですね」
「ロボット? じゃあ、機械のペンギンが、窓から飛び降りたんですか?」
「このビルには、その手の研究機関がたくさん入ってますからね。ロボットのペンギンがいてもおかしくはないです。しかし、何でまた窓から……」
あのペンギンたちは、生身ではなく機械だったのだ。道理で、くちばしで硬い強化ガラスの窓を壊せるはずだ。
私は、ほっと安堵する。少なくとも、たくさんの動物の命が失われたわけではなかった。
けれども、なぜロボットがあの高さから飛び降りたのだろう。プログラムのミスだろうか。そして、ロボットにしては必死に見えた、あの奇妙な雰囲気は何だったのか。
警備員が、ロボットペンギンを順番にひっくり返した。どのペンギンも、おなか、もしくは背中が裂けている。その内部には、銀色の回路や金色のコードの束が詰まっていた。
あの高さから落ちた割には、きれいに形が残っている。やはり、相当丈夫に出来ていたということなのだろう。
コンコンと、軽い音がする。
警備員と私は顔を見合わせた。彼がひっくり返した最後の一羽は、背中のところに傷があるだけで、あとはどこも壊れていなかった。そのペンギンの中から、ノックするような音が聞こえるのだ。
警備員は、おもむろにペンギンの背中の壊れた場所に指を入れた。その途端、ファスナーを下ろすように広がった裂け目から、何かが飛び出した。警備員は雪の上に尻餅をつき、私は一歩だけ後ずさる。それ以上、足が動かなかった。
それは、小さな女の子だった。白い肌に銀の髪、氷よりも透明な目。まるで雪と氷だけで作られたかのような少女が、私たちの前に嬉々として立っていた。
彼女は、唖然としている警備員に近づき、いきなり唇にキスをした。
警備員は、生きながら冷凍されていくかのような悲惨な表情をしたが、すぐに顔を真っ赤にする。彼は大きなくしゃみをして、自分のくしゃみにびっくりしたように、目をぱちぱちさせた。
少女は、それを見て微笑んだ。それから、おののいて固まっている私の首に手を回して、同じく頬にキスをした。そのかわいらしい唇は、頬が凍ってしまうくらいに冷たかった。
「ヨイオトシヲ!」
確かに彼女は、そう言った。小鳥のさえずるような、甲高い声で。
そして、私たちの前で笑いながら数回トンボ返りをして、あっという間に駆けて行ってしまった。
積もった雪の上に足跡は全く出来ず、少女のいた形跡は何も残らなかった。
私たち二人は黙り込んだまま、冷たい空気の中でただ佇む。
時折、思い出したように、雪がふわふわと天から落ちてきた。
「一年の終わりの、雪の日のメルヘンですよ」
警備員が、制服に付いた雪をはらいながら言った。
「我々は、何も見なかった。そういうことにしておきましょう。セキュリティシステムも作動していませんし。それでいいですよね? ね?」
警備員は念を押すように、私の顔を覗き込んだ。
その有無を言わさぬ妙な迫力に、私は思わず頷く。
「そう……ですよね。こういうことが、メルヘンじゃないわけないですものね」
警備員は、安心したように、にっこりと笑った。そして、私に短く礼を言う。
「ありがとう」
もしかして、彼はこの事件を隠蔽しようとしているのだろうか。大晦日だから、何事もなかったことにして、平穏に新年を迎えるために。
けれども、本当のことを言ったとして、誰が信用するだろう。このビルの研究機関の人々は、もしかしたら何か知っていて、信じてくれるかもしれないが。
「あの女の子は、何だったんでしょう?」
私が訊ねると、警備員は少しめんどうくさそうに言った。
「さあ。雪の妖精か、冬の精霊か。あるいは天使とか、宇宙人? 何にしろ、捕まってあの中にずっと閉じ込められていたのが解放されたんでしょう。でも、要するに、研究中のペンギンロボットが勝手に窓から飛び降りて、勝手に壊れたということです。それは、ロボットを開発し、管理していたやつらのミスであり、責任です。我々一般人には関係はない。やつらはペンギンのことに気づいて、すぐにここにやってくるかもしれません。その前に、早くあなたのいた場所に戻って、仕事を終えてお帰りなさい。あなたがここにいた痕跡を何も残してはいけません。やつらに関わると、ろくなことがありませんから。きょうは大晦日なのですよ。明日からは、新しい年が始まります。よいお年を、お嬢さん」
「……あなたもよいお年を、警備員さん」
「僕は、間違いなくよい年を迎えられそうですよ」
警備員はそう言って白い歯を見せ、また大きなくしゃみをした。
私は警備員と別れ、薄く雪で覆われた歩道を歩き出す。
彼の言うとおり、雪の大晦日に出会った不思議なメルヘン。それでいいのかもしれない。この殺風景な都市にも、さまざまな不思議がそれなりに封印されているのだ。
ペンギンの中に押し込められていた者たちは、とにかくよい新年を迎えることが出来る。それは確かだろう。あの女の子は、とても嬉しそうだった。無事に仲間と落ち合えただろうか。
「でも、あの警備員さん、だいじょうぶなのかな。あのままあのビルの警備員をしていたら、隠蔽しようとしても、結局露呈して、研究所の人たちと面倒なことになっちゃいそうだけど。よい年なんて、とても……」
何げなく振り返った私の視界には、もうあの警備員の姿はなかった。早々とビルの中に引き上げてしまったのだろうか。
真っ白い雪景色の中、散らばったペンギンたちの残骸の真ん中に、何か紺色の布のようなものが一固まりになって落ちている。特徴のある帽子や白いベルト、靴も混じっていた。
それが、あの警備員の制服であることは、すぐにわかった。まるで紺色の大蛇が脱皮して、その皮がそこに脱ぎ捨てられている。そんな感じだった。メルヘンには、まだ続きがあったようだ。
オフィスに戻り、隣のビルを眺めてみると、ペンギンたちが割った窓ガラスの穴だけが、そのままの状態で残されていた。
ガラスの内側で、人々が右往左往して忙しく動き回っているのが見える。彼らにはたぶん、のんびりした新年は来そうもない。私は、ちょっと気の毒になる。
もう少しだけ仕事を進めて、早く帰ろう。きょうは大晦日なのだから。私の帰りを待ってくれている家族と一緒に、私もよい年を迎えよう。
きっと、あの奇妙なメルヘンには、巻き込まれなくてよかったのだ。でなければ、私にもいつもの新年は来なかったかもしれない。
「警備員さん、よいお年を。そして、お幸せに。風邪には気をつけてくださいね」
私は、もう雪が降っていない空を見上げて、そっとつぶやく。
やがて、灰色の雲が去って太陽が顔を出すと、積もった雪はたちまち溶けてしまった。まるで、手際よく何かの役目を終えたかのような鮮やかさだった。【了】
さて、警備員さんの正体とは?
1.雪の妖精王
2.謎の少女に誘拐された、ただの人間
3.1年のお役目を終えた蛇さん
4.単に、寒さに強い変態
5.その他の何か
謎は謎のままに。答えは読者さんの想像力の中に……。
皆様、よいお年を。




