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正直者とカゴの鳥

作者: 鍋敷 枕

 

 ――いいか、絶対にウソをつくな。人間、正直が一番だぞ。

 父の言葉を信じ、母に褒めてもらえるから……。

 下らない理由だが、そんな理由で俺は今までウソをついたことが無い。

 おかげで友達は少ないし、いいことなんて何も無かった。

 ――だから、ウソを付こうと思う。

 正直に生きていいことが無いのなら。

 ウソを付いて悪い事が起きても一緒だ。

 だから。

 小さなウソを付こう。

 そうしたら、ここから出られるかもしれない――。


 *


 強い風が吹いた。

 春一番と言うには遅すぎる強風に桜の花弁が、街灯に彩られた町を雪化粧のように

白く染め上げていく。

 その幻想的な光景に俺を含めた数人が立ち止まり、空を見上げていた。まさしく春の雪、である。

 しかし、その光景を長々と見ているわけには行かない。なぜならここは繁華街のど真ん中で

わずか10秒ほどだろうか。その間もえらく迷惑そうに帰宅中だろうおっちゃんたちが非難がましい目を向けながら避けていった。わかっちゃいたが、この時間はだいぶ迷惑になるな。でも、こんな光景を前にしたのなら立ち止まっても仕方ないじゃん? なぁ皆と、周りを見渡せばもう立ち止まっている者はなくいつもの光景だった。はびんぐ、すとっぷど、なぅ、みー。立ち止まってんの俺だけである。

 さすがにいつまでも立ち止まってるのも迷惑なので周りに習って歩き出すことにした。

 少し歩いたとき、向こう側から高級そうなリムジンが向かい側のホテルの敷地に入って行った。時々は外国からの賓客ももてなすというそのホテルは、この町で一番豪華な場所である。そのためいつ見ても地上25階建ての上層部分は眩いばかりの明かりに染め上げられている。広い会場のあるあの場所は、宿泊客の居る階よりもほんの少し明るい。

 その窓から誰かがこちらを見下ろしていた。

 別段珍しいことじゃない。しかし、気になったのはその人が一人だけで見下ろしていること。

 その階に居る人たちは、普通は何人かで固まって窓際に居る。それが一人だけ、というのはなんとも珍しいことだった。

 ――ましてやこちらに手を振るなどあるわけがない。

 ぐぅ、という男としてはまぁまぁ控えめな胃袋さんの自己主張が、またもや立ち止まっていた俺に

現実を教えてくれた。

 そういえば飯を食べようと外に出たのにすっかりと忘れていた。

 確かにホテル上層階の飯は魅力的に違いないが外から見ていて食えるわけでもない。

さっさと店に入るとしよう。

 まだまだ暖かいとは言いがたい夜風を受けながら、俺はまた歩き出した。


 *



「やっぱ寒いな……」

 それから数分後。

 なぜか公園である。

 まぁ、何故というほどの理由もなく単純にどこに入ろうかと迷った挙句、先に足が根を上げた軟弱者の末路である。

 公園中央付近のベンチに座り、手には入り口の自販機で買った緑茶ホットがひとつ。ふと周りを

見渡せば、まぁまぁ広い敷地内にぽつぽつと立っている街灯と月明かりに照らされた満開の桜、桜、桜。

むしろ弁当を買ってきて、ここで夜桜見物したほうが結果としては正解だったかもしれない。

 難点を挙げるとすれば、今日はちょっと風が強いこととやっぱり薄暗いことくらいだろうか。

「ここってこの時間はこんなに静かなんだなぁ」

 もう一点、静か過ぎて怖い。

 遊ぶ場所の少ないこの町で、昼間は子供たちで賑わっているであろうこの場所も、夜になれば闇と

静寂が冷やかす空間である。例えるなら廃墟もこれに近いだろう。

 人の手によって作られたものは、人が使わねば便利ではなく畏怖の対象でしかないと言う好例では

ないだろうか。……ただ単に公園の遊具がボロっちいだけじゃないか、というのは置いておくとしてだ。

 また、風が吹いた。

 さっきよりは弱い風。しかし、弱弱しい花弁を散らすには十分だった。ひらひらと足元に花びらが

落ちてくる。

 そしてそれは、俺にいらんことを思い出させるひとつのピースだった。

 新学期、入学式を控えた春休み最終日の明日。俺はボランティア部隊として召集を受けていた。

戦場は主に学校。しかし、うちの教師陣はなにをトチ狂ったのか、学校周辺の清掃も任務とした。

 もう一度、足元に目をやる。

 ものの見事に桜の絨毯が完成していた。明日はきっと地獄を見る。願うことなら科目学習室の掃除に

回りたい。

 しかし、何故クラス割すら決まってないのに清掃委員は決まっているのか。学校周辺の掃除に加えて

ウチの学校はどっかおかしいんじゃないだろうか。

「そろそろ行くか……。明日早いし」

 長いこと座ってたせいで暖かくなったベンチにさよならを告げ、立ち上がる。

 また、風が吹いた。

 さっきとは比べ物にならないほどの強さ。今日2度目の強風である。花びらが舞い散り、薄桃色の

カーテンが出来上がる。

「ねぇ、あんたヒマ?」

 力強いアルトボイスがカーテンの向こうから聞こえてきた。

 かなり強い風の中、そちらに目を向けるが薄暗いし真っ白だしで、その姿を捉えることは出来ない。

「聞こえてないの? あんたヒマ?」

 向こうには俺の姿が見えているのか、明らかに俺に向けられた声が聞こえてきた。声の感じからして

女だと思うが、えらく不躾な聞き方である。

 しかし、聞かれている以上ボールは投げ返さねばなるまい。

「まぁまぁヒマですが……」

「何だ、聞こえてるじゃない。よかった、もしかして耳が悪いのかな、って焦っちゃった」

 彼女は、こちらが答えないことに不安を覚えていたのかもしれない。投げ返すと、安堵した声が

返ってきた。

「私さ、今とてもヒマなんだ。それにこの町にも不慣れでさ。よかったら遊びに連れてってくれない

かな?」

 噂の逆ナン……ってやつだろうか。初対面の女の人に遊びに誘われっちまった。

こりゃ逃げるしかねーわ。

「すいませんが、これから友人と会う約束があるんです。なので他の方をあたっていただけませんか?」

「あれ? そうなの? そりゃ残念」

 風はまだ止まない。桜のカーテンもまだ晴れない。しかし、その向こうからちっとも残念そうじゃない声が聞こえてきた。

「わかったよ。邪魔しちゃってごめんね。それじゃぁね」

 少し間が空いたが、声の主の気配が薄れて行った。それに合わせるように風が少しずつ弱くなって

行く。

「……行ったかな」

 そして、その気配が完全に無くなる頃には風も止み視界が晴れた。さっきまで誰か居たとは

思えないほど、最初と変わらない光景が広がっている。

「…………」

 何だったんだろう、今の。やけに長い風。晴れない視界。姿の見えない女。これが冬で山だったら、

あっという間にホラー話の完成である。

 さすがにあんなウソをついた以上、ここから早く離れたい。しかし、まだこの近くに居るかも

知れないし、もし顔を合わせるようなことがあれば、それはそれで気まずい。

 ……仕方ない。ここでもうしばらく時間を潰そう。

 すっかり冷えきったベンチにもう一度腰を下ろし、俺は携帯を開いた。


 適当にブラウジングしていたら、あっという間に10分経っていた。

 この頃に俺は、別に顔を知らないのだから会ってもわからない、と言うもっともな理由に気づいた。

 すっごく無駄な時間を過ごした。時間は7時20分。出かけてから1時間は経っている。

 空腹もそろそろ限界である。携帯を閉じて立ち上がり、もう一度ベンチにさよならを告げる。

「寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い!!」

 入り口近くの茂みから聞き覚えのある声が響き、それと同時に誰かが勢いよく立ち上がった。

 満月程度の月明かりでは遠目にはっきりと見えない。しかし、その人は、明らかにこっちを見ていた。

「約束はどーした!? いつまでそこに居る気だ!? あたしを凍えさす気か!?」

 その人は茂みを避けて、捲し立てながら早足でこちらに向かってきた。

 近づくにつれはっきりと見えてきた。えらく薄着で寒そうな格好をしている。

 桜をイメージしたのか淡いピンクのワンピースに少し濃い目の赤色をしたカットソー。頭にはチェック柄の赤っぽいハンチング。足元は某有名スポーツブランドのランニングシューズ。しかし、ちぐはぐな感じを受ける衣装の合わせなんぞ気にならないくらい、今、自分の目の前まで来たその人は美人だった。

 艶やかなボブの黒髪、高すぎず、しかし綺麗に筋の通った鼻、真一文字に結ばれ不機嫌さを示しているぷくりとした柔らかそうな唇、俺を睨むその目は大きめでクリっとした瞳が彼女の強気な印象をやわらげてくれていた。顔や体もふっくらと女性らしく、昨今のガリガリ至上主義の綺麗さとは対極だ。モデルのような華やかな美しさではないが、どこか懐かしい印象を受ける日本人的綺麗さに感じた。

 そんな彼女が、今、同じ目線で俺を睨みつけていた。今にも掴みかかられそうな距離。上品な香りが俺の鼻腔を付く。

「あんたあたしになんか恨みでもあんの!? あたしあんたとは初対面だったわよねぇ!? 何あたしなんか気に食わないマネしたぁ!?」

「……いや、してませんけど」

「じゃぁ、何なのよ!? あんたさっきからずっとベンチで携帯弄ってさぁ! 友達との約束はどうしたのよ!? あたしにウソついたわけ!?」

「……さっきからずっとあそこに居たんですか?」

「居たよ、居ました、居たんです!! 先にあたしの質問に答えろ! あんたあたしにウソついたの!?」

「はい」

「ちったぁ悪びれろよこんちくしょうっ!」

 往年のコントよろしく、彼女は被っていたハンチング帽を地面に勢いよく叩き付けた。衝撃で絨毯が崩れ花びらとほこりが舞う。

「……っ……はっくしょぉぉい!」

 女とは思えない豪快なクシャミをした彼女は、「んずっ……」と鼻をすすりながら、くしゃみの原因を拾い上げた。

「ありゃ、ちっと汚れちゃったか」

 そんなことを言いながら、ほこりをはたき落としてかぶり直した。その顔にもはや不機嫌さはない。どうやらクシャミしたときに不機嫌さもどこかへ吹き飛ばしてしまったらしい。

「……はぁ。寒いし、ウソ付かれるし散々ね。まったく知らない場所に来るもんじゃないわね。あんたもそう思わない?」

「……さぁ」

「さぁ、って……。自己主張薄いわねー。そんなんじゃ、社会の大嵐を生きていけないわよ? もっとこう自分をアピールしてかなきゃ」

「……荒波、じゃないんですか?」

「この国際競争社会を表すのに荒波なんて優しい単語で務まるわけないでしょ。人件費しか取り柄のない新興国に仕事取られるなんて真っ平ね。過剰なコストダウンが要求されて就職もままならない社会なんて大嵐も生温いわ」

 なかなか愉快な話である。出来れば今ではなく、話がさっぱりわからない小学生の頃にでもお願いしたい。今聞くと、就職なんて嫌になるから。

「話がそれたわね。確認するけど、さっきの友人との約束はウソ。ホントはヒマでヒマでしょうがない。おけー?」

 いや、ヒマでヒマでしょうがないわけじゃないんだが。つーか帰りたい。本当に。心の底から。今すぐに。

 しかし、目の前の彼女。悪戯っ子のように笑っちゃいるが、その目が笑ってない。雰囲気は子猫だけど、目だけは猛獣である。逃げた者の末路? サバンナのドキュメンタリーでよく見るアレに近いんじゃないかな。

「……おけー」

「Good.いい答えね。そういうノリのいい人好きよ」

 ウィンクを投げかけ、彼女が俺の手をとる。

 まるで映画のワンシーンのように上品に。何かを堪えきれないかのように強く。

「さぁ、私をどこかへ連れてって」

 そして。

 彼女は駆け出して行った。

 力強く、俺を、引きずりながら。


 *


「で、どこに行きたいんですか?」

「それがもう、この町のことなんてさっぱりよ!」

 あっはっは、と彼女は豪快に笑った。

 繁華街まで連れてこられ「さぁ、私を案内しなさい!」といわれた俺が投げた質問の答えがこれである。

 どこに行きたいか、方向すら決めずに人を引きずり挙句の果てにこの答え。美人だからって許されると思うなよ。

「……すいませんが、ここで失礼します」

 付き合いきれない。

 もう飯も何もあきらめて帰ろうと回れ右した俺の背中に彼女は

「いい度胸ね。ここで私を置いてくと、歩き去るあんたに向かって無い事無い事叫びながら泣くわよ?」

 実際にそれを実行されたときをイメージして寒気がした。

 せめて有る事ひとつ入れようぜ。完全な捏造とか卑怯にも程がある。

 これはやはり案内するしかないのか。

「……案内しますから、いきなり人の名誉を貶めるのはやめてください」

「心外ね。未遂なんだから何も問題ないわ。あぁ、そうそう。先に言っておくけど、『脅した』なんて人の名誉を貶めるような真似はやめてね? 私はあくまで独り言をつぶやいただけよ」

「その『独り言』とやらが著しい問題を起こしているんだと思いますが」

「そうだとしても、女の子を置き去りにするなんて非紳士的な真似はどうかと思うわ」

 それは確かに一理あるかもしれない。しかし案内しろ、と言う割には行き先が決まってないのも問題だと思う。

 そんな考えが顔に出ていたのか、彼女がバツの悪いかんじで頬を掻いていた。

「……まぁ、場所も決めずにいきなり案内して、って言うのはさすがに悪かったよ。けどね、ホントに何もわからないの」

「どんな感じがいいとか……無いですか?」

「……………強いてあげるなら――楽しいところがいい。賑やかな場所」

「……賑やかな、場所ねぇ」

 この町にそんな場所は………………あるな。何箇所か。

「…………」

「……なぁに?」

 じっと見られたことが気になるのか、きょとんとした表情で彼女は少し首をかしげた。

 繁華街の明るさで見る彼女は、やはり薄着で少々露出が多い。

 ない、とは言わないが控えめな胸も少し露になってしまっている。

 …………大丈夫かなぁ、この人連れてって。俺あんまし腕に自信ないのよねぇ。

 でも、たぶん彼女は行った事ない気がする。

 若干の不安を抱えつつも俺は、彼女にこの言葉を送ろうと思う。

「――ゲームセンターはどうでしょうか」


『えっ、あの噂に名高いゲームセンター!? 行く行く! 行くよ!』

 あの、とはどのゲームセンターかは知らないが、どこで噂になってるかもさっぱりわからないがどうやら彼女は予想通りだったらしい。

 しかし、珍しい人だ。ゲーセンに行った事ないとは。今どきなかなか居ないぞ、そんな人。

「そういや忘れてたけど、あんたの名前なんてーの?」

 帰宅時間を過ぎ、だいぶ人通りの少なくなった繁華街を2人連れ立って歩いていた。そんな時だった、彼女がそんなことを言い出したのは。

「名前……ですか」

 いまさら過ぎやしないだろうか、名前聞くの。お互いタイミング逃してたし、最初からずーっと『あんた』呼ばわりのおかげでいらない気がしてならない。

 だが、聞かれた以上答えなきゃ失礼なんだろうな。

「僕は」

「あ、待った待った。先にあたしからね? あたし倉石柚琉里ゆるりって言うの。ゆは柚子のゆ。るは琉球の琉の字。りは里って書くの。よろしくね!」

「よろしくお願いします。僕は戸田……」

 …………どうしよう。ここで正直に本名を言うのは躊躇われた。初対面だ、何より――

「どうしたの? 戸田……なんて言うの?」

 迷った挙句、俺はウソを付くことにした。

「戸田……春樹はるきです。よろしくお願いします、倉石さん」

「ふーん、ハルキくんかー。ね、ハルキってどういう字を書くの?」

 そこまで考えてねぇよ、とはとても言えない。しかし、そういうの気にする人か。めんどうだな。

「えっと……春に樹木の樹で春樹です」

「へぇ、いい名前ね。もしかして誕生日が今くらい?」

「……よくわかりましたね。正確には、もう過ぎてしまいましたが3月の半ばです」

 これはウソではない。きちんと戸籍にも書かれている正確な情報である。

 正解したのがうれしいのか、隣を歩く彼女の顔が笑みに彩られていく。

「やっぱり! やっぱり皆生まれた時期で名前を付けるよね。ウチも兄さんがそんな感じだったし」

 お兄さんが居るらしい。

 それより何より。俺は先ほどから感じていた疑問をユルリに聞いてみることにした。

「ですね。僕も含め、周りにもそういう人が多いですよ。ところでさっきから気になっていたんですが、変わった名前ですね。『柚琉里』なんて」

 ぴたり。

 彼女の動きが止まった。表情も固まった。緩々と漂っていた雰囲気が一転、どこか硬いものになった。

 …………あれ? 地雷踏み抜いた?

 彼女はおもむろに俺と相対するように体の向きを変えた。そして俺の両肩をがっしりと掴み、顔を俯かせ首を振っている。

 これは本格的に地雷を踏んだかも――

「――だよね! そう思うよね! あたしもずっっっっっと思ってたんだ! なんでも『自分たちは忙しくてゆっくりするヒマも無かったけど、君にはそうなって欲しくない』って理由らしいけど、ありえないよ! どんなに名前がゆるりとしていたって忙しくなるときは忙しくなるし、それはあたしが望んでなったことだから余計なことはしないで欲しいの! なのに、こんな変わった名前なんて付けてくれっちゃってさぁ! 周りからは『ゆるゆる』呼ばれるし、この前なんて興味もない男子から『ビッチ』呼ばわりされたんだよ!? ありえないっつーの! 名前がユルいからって股もユルいわけねーだろ!それもこれもみーんなこの名前のせい! やってらんねーっつーの!」

 にらむような表情で顔を上げた彼女は、鬱憤が溜まってたのだろう。そんな長台詞を一気にぶつけてきた。

 まぁ、変わったものは得てしてそういう目に合うのだ。これだけは古今東西定められたヒトの宿命で、遥か未来でも変わることのない法則に違いない。

 でも、俺にそれ言われてもねぇ……。

「――っ」

 彼女もそれに気づいたのか、急に顔を赤くして俺から距離をとった。またもバツの悪そうな顔で今度は目を逸らした。

「……ごめん。愚痴っちゃって」

「……気にしてませんよ。こっちこそすいませんでした」

「気に……しないで。別に気分を悪くしたわけじゃないわ」

「……それならいいですが」

 なんとも気まずい。周りの人も何事かと目を向けてきて居心地が悪い。それに――お腹が空いた。

「……ひとつお聞きしますが」

「……なんでしょう」

「――お腹は、空いてませんか」


 *


 いいね。

 その鶴の一声で俺たちの行き先は、ゲーセンからうどん屋に変わった。うどん屋にしたのは『あっさりしたものがいい』というユルリの希望と、もはや時間が経ちすぎて空腹感が微妙になった俺の食欲とが一致した結果である。

「ここです」

「へーぇ……」

 あと、さっき居た場所から近いという地理的な条件である。

「早い、安い、まぁまぁうまい。のファストフード3拍子を揃えた良い店なんですが……他のところがよかったですかね?」

「んーん。そんなことないよ。ここがいいな」

 ここがいい、と言う割りにこれまた珍しそうに店を眺めるユルリ。そんなに珍しいだろうか? 全国でチェーン展開しているうどん屋なんだが。……まぁ、無い地域もあるよな。うどんだし。

「どうしたの? そんなとこで立ち止まって。入り口だし邪魔になっちゃうよ?」

 ちょっと考えていた俺を不思議に思ったのだろう、ありがたいことにユルリは俺を呼んでくれた。まだ、会ってそれほど経ってないはずだが、この人は人をほっといてどっかに行きそうな気がする。

「すいません。寒いし入りましょうか」

「おけー。Let's go!」

 滑舌の良さをひけらかしつつ、ユルリは店内に入っていく。俺もそれにならい店内に。

「いらっしゃせー」

 店内には客が居らず、バイトっぽい兄ちゃんが一人洗い物をしていた。

「へーぇ、色々あるんだねうどんって」

 物珍しそうに壁の写真つきメニューを眺めながら、カウンターに向かうユルリ。俺は何にしようかな。

「らっしゃせー。ご注文は?」

「えっと……」

 まだ決まってないらしい。それを察したのだろう、兄ちゃんは俺に水を差し向けた。

「そちらの方ー、ご注文は?」

「肉うどん。温玉トッピングで」

「肉の温玉っすね。以上で?」

 レジに注文が表示されていく。

「お願いします」

「あ、あたしも同じのお願いします!」

 結局決まらなかったらしいユルリは俺と同じ注文をした。

「へい。肉温玉を2つっすね。注文は以上で?」

 レジの表示に×2が追加された。

「はい」

「では、お会計1060円になります」

 返事と同時、兄ちゃんがキーを叩くと表示が値段に切り替わる。1人530円だな。……小銭、あったっけ。

 財布を取り出し、小銭を数えているとユルリが待ったをかけた。

「ここ、あたし、出す。あんた、財布、引っ込める。おけー?」

 なぜカタコト。

「いや、自分の分くらいは」

「しゃらーっぷ! いいから、黙って財布を引っ込めなぁ! ここはあたしに任せて、さぁ席を確保する作業に戻るんだ!」

 どうしよう。俺この子のキャラが掴めない。接しづらいよママン。

 まぁ、払ってくれるというならそれはそれでありがたい。冬の空っ風に晒された俺の財布が極寒に突入しなくて済む。

「……飲み物はお茶でいいですか?」

「おけー!」

 と、なかなかに良い笑顔でサムズアップした彼女に苦笑で答え、俺は大人しく従うことにした。


「いっただきまーす」

 向かいに座ったユルリがお行儀よく手を合わせている。俺もそれに倣い手を合わせ、割り箸を手に取った。

「――おいしー。あのお値段でこれ食べれるんだー」

 先に食べ始めていた彼女の第一声はそれだった。

 そんなに感嘆するようなモノでもないと思うけど、それでも寒風に晒され冷え切った体には、染み入る味だった。もちろん空腹と言うスパイスが無くても、だ。

 麺を啜る手を止め、ちらりとユルリを見るとなんとも一生懸命啜っていた。一度に摘むのは2、3本。それを汁を飛ばさず、ちゅるちゅると。上品な食べ方である。もちろん食べ方ばかりではなく、口が小さいと言うのも2、3本ずつ啜る理由だろう。

(しかし……)

 こうやって女の子と2人で食事するのは初めてだが、女ってのは皆こんな感じでお上品な食べ方するのだろうか? 

「どうしたの? 麺、伸びちゃうよ?」

「あ……すいません。なんでもないです」

 またもや彼女に見入ってしまったらしい俺に彼女は怪訝な目を向けた。

 俺が麺を啜るのを確認すると、彼女もまた自分の食事に戻っていく。

 自分で言っておいてなんだが、女が皆、こんな上品なら――きっと売れ残り、なんて言う単語も無いし婚活なんて必要ないだろう。単純なことではあるが、清楚や上品さと言うのは日本人が女性に要求する最も大事なところだよな。

「――ご馳走様でした」

 そうこうしているうちに彼女は自分の分を食べ終わってしまった。俺のほうは……。

「ハルキって結構食べるの遅いのね。男の子って結構早食いのイメージがあったんだけど」

「まぁ、普段はもう少し早いですよ。今日がちょっとゆっくりなだけで」

 どんぶりにはまだ半分くらい残っている。

「しっかし、おいしいわね。この肉うどんって言うの。特に温泉卵と絡めた肉なんて……」

 彼女の感想に相槌を打ちつつ麺を啜っていく。しかし、よくしゃべる人だ。大人しいのは食事時だけだろうか? ――それはない気がする。食べてる最中も、目を輝かせて食べていたからであって普段ならもう少しべらべらと――

「それにしても誰かと食べるなんて、どれくらいぶりかしらね? すっかり、誰かと一緒に食べるとこんなにおいしいってこと忘れてたわ」

 一段落した感想に挟まれた台詞は…………なかなかに聞き捨てられない台詞だった。

「……食べないんですか、ご両親と」

「そうねー。一緒に食べたのって、どれくらい前だったかな。――あはは、すっかり忘れちゃった」

 明るく言っているが、それ結構深刻な問題じゃないのか。いやまぁ、家庭事情もあるし、そもそも他人様のことをとやかく言えるほどウチも一緒にとるわけじゃないけどさ。そもそも、そんな家だったら俺ココにいないし。

「やだな。そんな暗い顔しないでよ。別に誰とも食べないわけじゃないのよ? 昨日だって兄さんと一緒に食べたし。……ぜんぜん楽しくなかったけど」

「それはそれで問題な気がしますよ」

「そう? 一緒に居て楽しくない人なんて、どこでも居るでしょ? ハルキの周りには居ないの? そんな人」

 ふと自分の周りを思い出してみる。……あぁ、確かに居るな。

「居ますね、確かに」

「でしょ? あたしにとっては、それが兄さんなだけよ」

 そういってユルリは、トレイをもって席を立った。顔だけをこちらに向け

「そろそろ行きましょ?」

 と笑いかけた。


 *


「ありあしたー」

 兄ちゃんの声を背に受け、店を出る。

 食事を取ったおかげで結構な時間が過ぎた。

「あーおいしかった。また来たいね」

「来たらいいじゃないですか」

 さっきよりも人の減った繁華街。ユルリは満足したのかポンポンと腹をさすっている。

「ん? ――そうね、来たかったら……また来たらいいのよね」

 少し先を歩いていた彼女は、ふわりとターンした。

 こちらに向いた顔は微笑みに染まっており、不覚にもどきりとした。

「あれ、どうしたの? 顔赤いよ?」

「……寒いですからね」

「あぁ、確かに。寒いねちょっと」

 息など白くならないのに彼女は両手に息を吹きかけている。そして、やっぱりと言う表情で手のひらを眺めた。

 気を取り直すとしよう。

「それで次に行くのは、最初の予定通りゲーセンでいいんですよね?」

「え? あ、うん。そうよ。早く行こうよ」

 そう言って駆け出そうとしたユルリ。しかし、生憎と彼女が進む方向は目的地へは遠回りだ。

「そっちじゃありません。こっちのが早い。道わかんないのに先行かないでください」

「あ、そうなの? おっかしーな、あたしの直感がこっちだと告げているのに」

「それで成功したら直感じゃなくて、もはや幸運です。ランクの低い幸運スキルに任せるくらいなら、精度の高い地元民の記憶に頼ってください」

「低いとは失礼な! ランクAくらいはあるわよ!」

「Aでその程度だったら、奇跡なんてこの世にありませんよ」

「そりゃそうね。奇跡なんて幸運でもなんでもなく人間の起こした努力の結晶だしね」

「唐突ですね。いきなり夢も希望も奪い取るのやめてくれません?」

「あら? そういうの信じるタイプ? そりゃ悪い事したわね。でもね、奇跡なんて所詮そんなもんでしょ。病気が治ったとかさ、ただ、私たちがわかってない要素が絡んだだけで10年もしたらわかる事よ。元に笑ってりゃ癌が治るかも、なんて脳科学が進んでなかった時代にはわかりさえしない事だわ。すべてを受け入れる努力をした人間とそれを疑問に思って不眠不休で研究した人間が起こした結果でしかない」

 そうでしょ? と横に並んできた彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。

 確かにそうかもしれない。

 そうかもしれないが――なんとも夢のない話である。

 そして、微妙にウソかホントかわかりかねる彼女の話にこれ以上付き合える頭も俺にはない。

「そうかもしれませんね」

「そうよ。きっとね」

 会ってほんの数時間。

 彼女はどうしてこんなに自信満々なのだろう。

 俺は彼女と話すたびに、どこか異種族と話している気分になる。

 だから俺は、その疑問を投げる事にする。彼女のように頭がよくないから。

「倉石さんは――」

「ん?」

 隣の彼女の顔も見ず、ただ疑問だけを投げる。

「どうして――そんなに自信満々なんですか」

「そういう教育を受けたからよ。あなただって私と同じ教育を受ければこうなるわ」

 なんとなくわかっていた答えではある。

 同じ教育を受けてこうなるかは、さっぱり疑問だが。

「そうですか」

「そうですよ」

 それ以降特に会話らしい会話も無く、隣から漂ってくるほんのりとした甘い香りと少々のネギの匂い。そして、楽しそうな雰囲気をお供にゲーセンまでの道を歩いた。

 時々隣からは鼻歌が聞こえてきて、聞いた事のない曲だがそれがなんとなく俺の気分も和らげてくれていた。

 それも次第に聞こえてくる騒々しさともつかない独特の音が聞こえてくるにつれ聞こえなくなる。

「もうすぐ目的地ですよ」

「うん。聞こえてる。この騒々しいのがそうなんでしょ?」

「はい。あそこに見える……見えます?」

「うん、見えてるよ。あのすっごく明るいネオンとカラフルな看板のアレだよね?」

「そうですよ。聞き忘れてたんですが、何かやりたいのとかあったり?」

「決めてないわ。ま、行って見れば何かあるでしょ」

 そう言って、ユルリは待ちきれないとばかりに駆け出していった。そして、早速入り口近くのクレーンゲームをかぶり付きで見ている。そしてこっちを見て、大きくおいでのジェスチャー。何か言っているけど、周囲の騒々しさに紛れて、よく聞こえない。

「楽しそうだなぁ、あの人」 

 少し顔が不機嫌になった。早く行かないとお姫様はお怒りになってしまいそうだ。

 少しだけ早く歩いていく事にした。


「で、これはどうやるの」

「右隅の説明見てください」

 ユルリの元に到着して早々、そんな事を聞かれた。

 初めてである。クレーンゲームの遊び方を聞かれたのは。

「違うわよ。遊び方じゃないわよ。とるコツを教えてよ」

「コツ、と言われても……」

 ウィンドウの中に目をやる。中に入ってるのは血塗れた爪を持つ頭の大きな赤いクマのぬいぐるみだった。しかし、どれもこれも見事に場所が悪い。

「……得意じゃないんですが、こういうの」

「誰も取れとは言ってないわ。コツを教えて欲しいの」

 呆れた表情でため息を付かれる。確かに取れとは言われてないがかと言って初心者にコツだけ述べて取れるものだろうか。

「で、コツは? 無いの?」

「……いや、ありますよ。よく聞いてくださいね」

 その後、俺はゆっくりとこの景品を取るためのコツを教えて行った。……ちなみに俺はこの方法で取れた試しは無い。

「……ふーん、重心の見極めとか計画的に複数回とか結構奥が深いのね」

「まぁ……そうですね。ちなみに取れた事はないので信用できるかは保証しませんが」

「なに? 取れた事ないの? ……まぁいいわ。私がその信用を取り戻してあげる!」

 そう言ってユルリはいきなり500円を2枚投入した。12回分である。

「あ、勝手にやっとくからどっかで遊んでていーよ?」

「……お言葉に甘えます」

 若干の不安は残るが見ていたってどうしようもない。言葉通りに甘えさせてもらうとしよう。


 店内は一層の騒々しさとタバコの煙たさに溢れていた。

 時間が時間だからだろうか、人はあまり多くない。そのおかげで危惧していた柄の悪めな方々の姿はどこにも無かった。

「……なにやろっかな」

 店内を見渡せば、お決まりのように格闘ゲーム付近には常連っぽい人たちがたむろし、リズムゲーはどうかと思えば、こちらも数人がプレイしていた。

 困った事にこの2つは、俺がゲーセンでよくやるゲームであり……ぶっちゃけこの2つを抑えられるとする事がなくなってしまう。

「……あれやるかぁ」

 途方にくれていたとき、目に入ったのはスロット。

 普段なら、そここそ盛況な場所なのに珍しくガラガラだった。

 適当な機種に腰を下ろし、前に来たときに交換したコインを投入。勢いよく回りだしたスロットを適当に止めていく――外れ。

 もう一度コイン投入――外れ。

「難しいな、これ」

 今度はもう少し狙って止めてみるか……。


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 あの後、一度コインを交換に行き、しばらく投入したが当たる気配が無く、飽きてしまった俺はベンチに座ってケータイを弄っていた。明日の天気は晴れらしいよ?

 ケータイ上部の時計は10時を少し回ったくらいだった。来た時間を覚えていないが1時間くらいは居る気がする。

 ……そういえばユルリはどうしたのだろう。

 周囲を見渡すがそれらしい姿は無い。まだ、クレーンの所だろうか。少し探してみよう、そう思って席を立った。

「ふぉー。いふぁいふぁ。ふぉっひふぉっひ」

 妙にくぐもった声が聞こえた。声がしたほうを見るがあるのはぬいぐるみの山だけ。

 …………こんなのあったっけ?

「はんか、ふくふぉない?」

 山が動いた――いや、歩いた。こっちに。

「…………もしかして倉石さん?」

「ぅん」

 顔は見えないが、確かに本人っぽい声の気がする。

 本人かな? 本人だよね?

「うぁー、前見えないー」

 こっちに近づいたせいか、さっきよりはっきりと声が聞こえた。同時にフラグ発生台詞も。

 馬鹿な人だ。そんな荷物を持った状態でそんな台詞を言うなんて。

「あ――」

 そして見事にユルリはフラグの回収に成功した。幸いにもイスなどは無かったが、戦利品たちが一斉に逃げ出してしまった。

 そして俺の足元にも4,5匹。

 周りに居た人たちが拾ってくれているが、まだまだ逃げ出したクマたちは多い。

 そんなクマたちを尻目にユルリの元へ。

「大丈夫ですか?」

「んぅ。だいじょぶだよ」

 自力で立ち上がった彼女の体は、幸いにもどこにも怪我はないようだった。

「怪我は――」

「それより袋。うーんと大きいやつね」

 自分の怪我より戦利品。彼女はきっといい戦士になるに違いない。何と戦うかは知らないけどさ。

 ユルリは戦利品たちを受け取りだした。どうやら袋をもらいに行くのは俺の役目らしい。

 カウンターに着くと気の利く店員さんが袋を用意してくれていた。他店のロゴが書いてあるので、この店には無いサイズだったらしい。……いいんだろうか、これ。


  なんとも言えないモヤモヤと他店ロゴ入りの一番大きい袋を持って戻ってくると、どうにも戦利品たちは彼女の元へ集合したようである。

 それにしてもすごいものである。とりあえずで床に置かれたクマ、クマ、クマ。

 何匹居るんだろうこれ。ここまでのクマを見た事ないので圧巻と言うほかない。お客さんたちも、ケータイ片手にカシャカシャやっている。俺も記念に一枚――

「あ、袋もって来てくれたの? ありがと。それと悪いんだけど手伝ってくれないかな?」

 写真はお預けらしい。彼女とともにイソイソと袋詰めをするとしよう。


 *


 あの後、どうにも店に居づらくなり結局俺たちは店を出た。

 行き先は決まらないが、時間的にそろそろお開きではないだろうか。

「それ、いくら使ったんですか?」

「んー? 3000円くらいだったと思うよ」

 3000円。

 まさかの英世3である。クレーンに英世3とはブルジョワにも程がある。

「……そりゃすごい。いったい何匹捕獲したんですか?」

 その質問にユルリは中空を眺めることで答えてくれた。覚えてないほど捕獲したらしい。というか、あの方法で取れたのか。すごいな。

「……なんか疲れちゃった。どっかでゆっくりしようよ」

 彼女の口から疲れたなんて単語が漏れたことに驚きを隠せなかった。しかし、荷物の量を見ればなるほど。確かに疲れる量だ。ていうか、こういうときは男の俺が持つべき……?

「持ちましょうか?」

「ううん、いらない」

 にべも無く断られた。

「それよりゆっくり出来る場所に案内して欲しいな」

「ゆっくり出来る場所、ですか」

「うん。最初の公園とかいいかもね?」

 悪戯っ子のような笑みでそんな台詞を言われた。

 どこへ行きたいか。

 場所より目的のほうがはっきりした。


 入り口で買ったお茶を片手に彼女と並んでベンチに座る。

 時刻はもうすぐ11時を回ろうかと言う時間。女の子の一人歩きには、そろそろ厳しい時間だろう。

 なんとなく2人お茶を傾ける。

 桜は相変わらず満開で、遊具も寂れたままそこに居る。

 隣にユルリが居る事を除けば、まるでタイムスリップでもしたような気になる。

「やっぱさ、すごろくの醍醐味って『最初に戻る』だと思うのよね」

 彼女は唐突にそんな事を言った。

「他の皆はゴールにたどり着いてるの。でも、私だけ最初に戻る。そして、そこでお開き。ゴールに至る楽しみを残し、ゴールできなかったフラストレーションが次へのやる気を起こす。うん。我ながら良い終わり方だ」

「何の話ですか」

「すごろくに関する考察」

 …………。

「最初に戻るってさ、キリがいいと思うのよ。だって一方通行って言う時点でゴールと一緒だもん。袋小路か背水か。その違いだけじゃない?」

「前を向いて進めるか、後ろを向いて立ち止まるか。その違いならあると思いますが」

「あぁ、そっちか。そっちのほうが話を広げやすいわね」

 ……………………。

「じゃぁ、そっちで行こう。すごろくって面白いわよね。ゴールするか、スタートに戻るかで――」

「――帰りたくないんですか、もしかして」

 こちらを見ようともせず、空を眺めてチンプンカンプンな話をしていた彼女が。

「そうだとしたら?」

 こちらを向いて疑問を投げた。

「……話だけなら聞きますよ」

「…………私と居るのは楽しくない?」

「…………」

「…………」

「楽しいですよ?」

「間ぁ空けすぎ」

 はたかれた。シリアスな空気が俺のせいで台無しである。

 ……あれ? 今の俺のせい? ちがくね?

「……ま、帰りたくないのは確かね。戻ったって楽しくなんか無いし」

 一口。

 彼女はお茶を傾けた。

「私さぁ、自分で言うのもなんだけど結構良いとこのお嬢なんだけどね。そのせいか友達らしい友達が居ないの」

 みぃんなさ、と彼女は言葉を続ける。

「私の家と付き合いたいみたい。私なんかに誰も興味ない。私に話しかける人は、私の家に用事がある人。私の家に来る人は父さんのお金に用事がある人。みぃんなね」

 また一口。

「私は、そんな自分が大嫌い。誰にも私の価値を見出せてもらえない。見出してもらうほどの価値が無い。そんな私がだぁい嫌い」

 自嘲的な笑みを浮かべながら、彼女は話し続ける。

 最初より少し沈んだ声で。

「知ってる? 私って学校卒業したら結婚するんだって。相手はね、結構渋くてかっこいいんだよ。年は40前みたいだけど」

「……それは」

「私に自由は無い。無いの。この話だって今日知った。今日ね、ここのホテルで私の誕生会。だぁれも祝ってくれない名前だけの誕生会。プレゼントはオジサンとの縁談。みぃんな拍手。おめでとうございます! おめでとうございます! 倉石家のますますの繁栄を祈りバンザーイ! だって」

 辛い。

 話を聞く耳が辛い。自嘲的な笑いを見る目が辛い。あっさりと情景を浮かべる脳が辛い。

 なによりも心が辛い。

「誰もね、祝ってくれないの。みんな父さんとばかり話すの。私の誕生会なのに私は……独りぼっち」

 ぽたりと彼女の目から涙が落ちた。

 もう一滴、ぽたりと落ちた。

「嫌なのに……辛いのに……寂しいのに……。誰も私を見てくれない。誰も私のそばに居ない。誰も――助けてくれない」

「…………」

「ハルキくんさ、さっき聞いたよね? なんで自信満々なのかって。――そうしないと死んじゃうからだよ、私が」

 彼女が鼻をすする音がする。

「だから私さ……」

 もう一度、鼻を啜る音がした。

「今日――逃げてきたんだ」

 ホテルから。


「……驚かないんだね?」

「まぁ、あんな話を聞いた後ですから」

 そんな状態だったら俺だって逃げたくなるしな。気持ちはわかる。

「まぁ、逃げてみたはいいけどさ、私って想像以上に知らない事が多かったんだね」

「まぁ……そうでしょうね」

 うどんとかゲーセンとか思い当たる節は大量に。

「けど、キミのおかげで楽しかったよ。ありがとう」

 いつの間にか涙は乾いていた。

 その顔にあるのは見慣れた笑顔。

「感謝されるほどの事はしてないですよ。僕はただ案内しただけですし」

「かもね。けど、私はすっごく感謝してるよ。キミが優しい人でよかった。わざわざキミを探したかいがあったよ」

 ……探した? 俺を?

「……どういうことですか?」

「うん。だってキミ、見てたでしょ? 私のこと」

 いやー、目が合ったから思わずね。あっはっは。

 ユルリは愉快そうだが、こちらは愉快どころではない。

 いったい何の話を――あ。

「……ホテルの?」

「そそ。窓んところの」

 思い出すのは、繁華街での出来事。

 確かにホテルの上層階。窓のところに誰かが居た。居たのは間違いないんだが……。

「……よく見えましたね?」

「両目2.0だからね。それにキミ街灯の真下に居たし」

「それでも結構距離ありますよ」

「異質なものは気になるものよ?」

 確かに一人見上げてれば気になるかも知んないけどさぁ……。見えるか? 普通。

「……あれ? ってことはもしかして公園のやつも?」

「公園って……あぁ、ここでのこと?」

「はい」

「うん、似たような感じ。ほら、暗いところから明るいところは見えるんだけど、逆は見えないって経験は無い? それだよ」

「あー……」

 たしかにあるなぁ。家の外を見たときとか。あれかぁ……あれか?桜のカーテンがきつかったはずなんだけど……。

「……まぁ、キミを追ってたからここに居るのがキミ一人ってわかってたのが、ね」

「……なるほど」

 そりゃわかるわな。見える必要が無い。

「――さて。そろそろカゴに戻りますか」

 突然彼女が立ち上がった。

 俺もそれに合わせて立ち上がった。

「やっぱり、馬車のお迎えの前に帰るのが良いシンデレラってものよね」

「自分で言いますか」

「誰も言ってくれないからね」

 公園備え付きの時計を見れば、もうすぐ日付が変わろうとしていた。結構長々と話していたな。

「ホントにありがとね。楽しかったよ」

 彼女が右手を差し出した。

「こちらこそ」

 俺もそれに応じる。

 男女の別れとはとても思えない、ビジネスライクなお別れ。

 手が離れると同時、彼女は俺に背を向け歩き出す。背筋が伸びた姿勢の良い歩き方である。

「……怒るかな、父さん」

 きっと誰に聞かせるでもない独り言。それは、彼女が言うほど父親が冷たくないであろうことを予想させた。

「大丈夫ですよ、きっと」

 彼女の背中に、そう声をかける。

 彼女は立ち止まるが振り返らない。

「実は、僕は謝らなきゃならない事があります」

「……なにを?」

 首だけ振り返った彼女が投げ返す。

「それは――僕の名前は春樹じゃないってことです」


 瞬間。

 驚愕という表情を貼り付けた彼女は俺の目の前まで来ていた。そして胸倉を掴まれる俺。

「はぁ!? あんたハルキじゃないの!? え、なにウソ!?」

「はい」

「悪びれて! お願いだから!! せっかく良い思い出っぽく雰囲気出てるお別れだよ!?」

「けど――ウソはウソですから」

 そう言うと彼女は頭を抑えてうずくまってしまった。そんなにショックだったのかな。

「……一応聞くけど、何でそんな事を?」

 なんとも苦そうな響きを含んだ声だった。その声はうずくまったままだから、と言うわけではないと思う。

「実は僕、ウソがつけないんですよね」

「はぁ?」

「正確にはウソをつくなという事に従い続けてきたと言うか……。まぁ、そんな感じです」

 彼女は怪訝な顔で覗き込んでいる。確かに妙な話だと思う。どうしてこんなアホらしいことに付き合ってきたのだろう。

「親に、ずっとウソを付くなと言われ続け、いつの間にかそれに従うのが当たり前になってました。だから僕は――」

 逃げたかったんです。あなたと同じように。

「僕も友達がほとんど居ません。ウソを付くな……それに従い続けた結果、僕はウソがつけなくなった。おかげで聞かれればホントの事しか答えられず、結果として友達を先生に売る事も多かった。そして皆居なくなりました」

「……」

 ユルリはいつの間にか立ち上がり、じっと俺を見つめている。

「正直に生きていたっていいことはない。だったら俺もみんなと同じようにウソを付こうと思いました。そしたら友達が出来るかもって」

 だけど。

「――だけど、やっぱりだめですね。俺にはウソは付けないらしいです。最後の最後にバラしてしまった」

「…………」

「友達は出来たけど、なんか気分がよくないや」

 なんとなくすっきりした気がした。

 言葉遣いも戻っちゃったけど気にしない。

「……初めて付いたウソは、どうだった?」

「別にどうもしないよ。けど、なんかすっきりした」

「――そ。そんなもんでしょうね」

「――みたいだね」

 2人顔を見合わせて、苦笑した。

 ウソを付くぞ、なんて意気込んでみたけど別にどうと言う事はない。

 どこにも行けないし、何も変わらない。

「……まぁ、俺が何を言いたいかというと――反抗期終わり、でいいんじゃないかってこと」

「反抗期、ね……」

「――ぷ」

「――く」

 あははははははははははははははははは。

 静かな公園に男女の笑い声が木霊した。

 そう。

 これは小さな反抗期。

 何からも逃げられなかった二人の――たった数時間の反抗期。

 明日にはいつもの現実が待っていたって、きっと今日の経験が助けてくれる。

「――久しぶりにこんなに笑ったわ。あーお腹痛い」

「俺もだよ」

 まだまだ抑え切れてない笑いを無理に抑えつつ、今度こそ帰るのだろう。彼女は入り口へと向かっていく。

 ぴたりと。

 彼女は急に止まると、こちらを振り返った。

 まだ顔が笑っている。

「……っく。最後にひとつ質問! あんた、ホントの名前は!?」

 大声で無理やり笑いを抑えてるよ。顔が笑ってる分笑いを誘うからやめてくんねーかな、あれ。

「俺の名前は――――でマコトだ!」

 いい所で風が吹いた。ちゃんと聞こえたかな? 2回言うのはちょっと恥ずかしいんだが。

「あははははははは!! そりゃウソ付くなって言われるわ! 名は体を表す、を地で行ってるじゃない!!」

 確かにそのとおりだが笑うことは無いだろう。俺だって人の名前なら笑うけどさ。

「笑うんじゃねーよ! 柚琉里!」

「あはははは! 悪かったわ! 許してよ! それじゃーね――正直マコト!」

 彼女は、笑いながら走っていった。

「俺も帰るか」

 すっかり冷え切ったお茶を飲み干し、ゴミ箱へ放る。

 そして彼女の後を追うように家路に着いた。


 ――――備え付けの時計が0時を告げる。

 ――――たった数時間の反抗期。

 ――――俺は柚琉里を忘れない。


本作をお読みいただき、ありがとうございます。

初めまして、鍋敷 枕と申します。

別のサイトにて投稿していた作品ですので見覚えがある方も居るかも知れません。

二人の交流と、ほんの少しの切なさを楽しんでいただけたなら幸いです。


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