9 願いの叶う街
ある朝。
朝焼けの残る波打ち際で、二人は靴を脱ぎ、子どものように波を蹴りながら遊んでいた。
ひとしきりはしゃいだあと、二人は並んで砂浜に腰を下ろした。
寄せては返す波の音に合わせて、呼吸がゆっくりと整っていく。
「そういやさ、北の方に“願いが叶う街”ってのがあるらしいぜ。もしかしたら、お前の声も出るようになるかもな。行ってみっか?」
オトナシは、少しだけ考えるように海を見つめ、
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「行かないのか?」
かり、かりと、ペン先が紙を走る音がして、
オトナシはカグチに、そっとノートを手渡した。
『おれはこのまま、ありのままの自分でいいよ。
確かに出来ないことは多くて、人からも白い目で見られるけど、
それでも今の自分に接してくれる人たちを大切にしたいから』
「ありの……まま……」
カグチはその言葉を噛みしめるように呟いた。
オトナシは頷くと、隣に置かれた鞄を軽く叩いた。
確かに彼は、ハンデがあっても臆せず人と接しようとしている。
――それに対して、自分はどうだろう。
他人はおろか、彼に対してすら、未だに本当の姿を見せていない。
カグチは、自分の黒いマスクに手を触れた。
「……そういや、俺はまだ、お前に何も見せられてないよな」
布越しに傷の形が指先に伝わり、吸い込む息がわずかに震える。
それでも外そうとしたが、指が止まる。
――その手を、オトナシがそっと押さえていた。
首を横に振りながら、走り書きされたノートを見せる。
『はずさなくていいよ』
「だけど……今までの奴らは、なんで顔を見せないんだって……信用してないのかとか、事件のことも、どうせ嘘付いてんだろって……」
その言葉は、カグチが他人の好奇心と勝手な期待にさらされて、何度も傷ついてきた証だった。
オトナシは、はっきりと首を横に振る。
『そんなマスクの一枚や二枚取らないからって、カグチを嫌ったりしない。
カグチは、カグチ』
そう書きつけると、“待ってて”というジェスチャーをして、彼はスケッチブックを開いた。
数十秒後、見せられたのは――マスクをつけ、にっこり笑っているカグチの似顔絵。
思わずカグチは噴き出した。
「相変わらず下手だなー、まあマシにはなったけど」
オトナシは一瞬ぷくっと頬を膨らませるが、
笑っているカグチにつられて笑い始める。
「……ありがとな、オトナシ」
差し出された拳に、オトナシも、こつんと自分の拳を合わせた。




