PHASE II : 灰の決断 最終話『人間という不確定値 ― 記録の、その先へ ―』
神は消えた。
正義は壊れた。
それでも世界は、何事もなかったかのように“動き続けて”いた。
空は青く、雲は流れ、記録都市のデータ群は次々と再構築されていく。
管理者アドミンの消失によって停止した演算中枢は、今や自律補正モードへと移行し、“神なき世界”として再起動を果たしていた。
【管理者不在】
【新統治構造:未定義】
【未来予測:計測不能】
その無機質なログを眺めながら、レンは廃墟となった演算中枢の中心に立っていた。
「……計測不能、か」
静かな声で呟く。
影のレンが、内側で小さく笑った。
『神がいなくなった途端、世界は“分からなくなった”ってわけだ』
「悪くない響きだな」
レンは、かすかに口元を緩めた。
かつて世界は、“すべてが計算され、すべてが予測される”場所だった。
だが今、その前提は完全に崩れた。
失敗するかもしれない。
争いが起きるかもしれない。
また誰かが、誰かを利用するかもしれない。
それでも――
「それでも、選べる」
レンは、はっきりとそう言った。
「世界がどうなるかを、“俺たち自身で”な」
そのとき、空間に淡い白い粒子が舞い上がった。
ほんのわずか、風に紛れるような光。
「……ユリ」
名を呼ぶと、粒子は微かに揺れた。
そこにはもう、姿も、形も、声すらない。
けれど、レンには伝わっていた。
――あなたは、あなたのままでいい。
かつて白き記録者が残した、ただ一つの“記録されなかった言葉”。
「ありがとう」
レンは、誰にも聞こえない声でそう告げた。
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数日後。
現実世界。
都市の一角にある、小さな新聞社の廃ビルに、レンは立っていた。
かつてユリが“記者”として所属していた場所。
今はもう、データ統合整理によって閉鎖された、半ば忘れ去られた拠点だ。
埃の積もった編集机。
止まったままの複合端末。
壁には、未発表の記事の見出しだけが貼られたまま残っている。
レンは、その一枚に手を伸ばした。
――《ギャレン計画 最終補正の真実》
「……最後まで、暴こうとしてたんだな」
誰にも公開されなかった。
誰にも正式な“記録”として採用されなかった。
だが、その意思だけは、確かにここに残っている。
「記録されなかった真実……か」
影のレンが、静かに言う。
『俺たちが見た“死角”そのものだな』
レンは、頷いた。
「だから――これからは俺が書く」
彼は、記者用端末の前に座る。
電源は入らない。
通信も繋がらない。
それでも、レンはキーボードに指を置いた。
「たとえ誰に届かなくても」 「たとえ、また消されるとしても」
目を閉じ、確かな決意とともに言葉を紡ぐ。
「“記録されなかった感情”だけは、残し続ける」
それは、戦士でも、神でも、管理者でもない。
ただの“人間”としての、最初の選択だった。
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夜。
屋上に立つレンのもとへ、静かな風が吹き抜ける。
都市の灯りが、無数の星のように瞬いていた。
その景色を前に、レンは深く息を吸う。
「……未来は、もう決められてない」
影のレンが、少しだけ間を置いて答える。
『ああ。だからこそ、怖いし、面倒で、面白い』
レンは、フッと笑った。
「おまえ、消えないのか?」
『さあな。おまえが迷う限り、たぶん俺は消えない』
「……そうか」
レンは、夜空を見上げた。
「じゃあ一緒に迷おう」 「正解のない世界を」
雲の切れ間から、名もなき星がひとつ、淡く瞬いた。
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そして、どこにも記録されなかった“未来”は、静かに動き始める。
神のいない世界。
正義の定義が壊れた世界。
それでも、人が迷い、選び、間違え、守ろうとする世界。
人間という――
不確定値だらけの、未来へ。
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PHASE II 完 ―




