心に残る金言
カイ、メイ、レイの仲良し三人組を連れ、私たちは市場で買い食いをしていた。
メンコを破壊したお詫びに飯を奢ることにしたのだ。
私の誘いにみんなは目を輝かせて喜んだ。
食べ盛りの旺盛な食欲を遠慮なく満たす。
あれもこれもと目に付いたものを買い漁っては、忙しなく胃袋に収めていった。
当然、私も食べることになるのだが……。
「セイジョ、次はわたあめ食おうぜ」
メイがそう言うと、目の前の屋台を指差す。そこにレイも手を上げ便乗する。
「あたいも食べる! カイは?」
「カイはもう、おなかいっぱい」
カイは満腹のようだ。さもありなん、あれだけ食べたのだ。私ですら限界だ。
イザベラに目配せすると、意図を察したようで彼女は屋台の店主に注文した。
「わたあめを四つ、いただけるかしら?」
「まいど!」
いやいや、全然私の意図が伝わっていないのだが? もう、ホント、ムリ……。
とはいえ、注文をキャンセルするのもよろしくない。聖女の沽券に関わる。
四つで銀貨一枚――ポーチから銀貨を取り出すと、親指で弾いて店主に渡した。
銀貨を受け取った屋台の店主が、専用の魔道具でわたあめを次々と作り出す。
あっという間に四つ出来上がり、メイとレイとイザベラに手渡された。
「「アザッス!」」
メイとレイは私に礼を言うとわたあめを口にする。
孤児院ではめったに味わえない甘味を頬張り、二人は満面の笑みを浮かべた。
まあ、喜んでくれるなら嬉しいけど……じろりとイザベラを睨む。
イザベラはわたあめを両手に持ち、左右交互に食べていた。
わんぱくか! 何を考えてやがる……いや、何も考えていないのか?
私が命じた「豚のように貪りなさい」という命令を忠実にこなしているようだ。
このままでは本当に豚になってしまうのではないか? 私は訝しんだ。
イザベラを人間に戻すべく厳しく叱る。
「イザベラ! 豚のように貪ってないで、人間に戻りなさい!」
叱責にイザベラは涙目になりながらも、瞬時に二つのわたあめを喰い尽くした。
卑しい姿に思わず舌打ちする。イザベラを睨みつけ、冷たい声で告げた。
「後でお仕置きだからな」
「ふぇ!?」
私の言葉に彼女は驚愕の表情を浮かべた。直々に厳しく調教せねばなるまい。
少し甘やかしすぎたのだ。ここらではっきりとわからせなければ……。
しかし、お仕置きとは言ったものの、何をすればお仕置きになるのだ?
考えを巡らせていると、メイが私とイザベラの間に割って入ってきた。
「まあまあ、カリカリすんなよ。セイジョもわたあめ食うか?」
言葉と共にすっとメイにわたあめを差し出された。
苛立ちを甘味で癒すのも悪くはない。
そう思いわたあめを一口齧ると、ふわっと甘みが口の中に広がった。
メイに目でもういいよと伝えると、私が口を付けたところを彼女が一口齧った。
黒と翡翠、二人の視線が交じり合う。メイが舌なめずりして、桜色の唇を開く。
「イザベラさんも食いすぎだけどさ、セイジョもケチケチすんなよな」
「別にケチってるわけじゃない。ただ……」
ただ……何だ? 何が言いたい私は? 卑しい姿を見せるなと? いや、違う。
根本にあるのはもっと別の……なぜこんなにも苛立つ? なぜイザベラに怒る?
「せいじょさま~」
悩む私にカイが抱きついてきた。犬耳を倒し、尻尾を大きく振る姿に癒される。
私を見上げる栗色の瞳を覗き込む。白肌に咲く唇が開き、カイが欲求を伝えた。
「だっこ」
カイはだっこが大好きで、会うたびにねだられる。ああ、食べたくなる……。
カイを抱き上げると、お尻を手で支えだっこした。ああ、壊したくなる……。
カイが私の首に腕を回し、足でしっかり抱きつく。幸せそうにカイは笑った。
カイの体温が心を解す。栗色の髪がさらさらと流れ、犬耳が私の頬を擽り――
突如の閃光! 轟音! 悲鳴と哄笑が木霊する。すわ何事か?
だっこしていたカイを地面に下ろすと、騒ぎの発生源を見やる。
噴水広場で、座り込む見知らぬ女と、高らかに笑う見知った男。
――クソ王子! どうしてこんなところに? 何してやがる?
騒ぎが起こった広場に駆け寄ると、座り込む女に声をかけた。
「大丈夫か?」
「あ、え? は、はい……」
どうやら女に怪我はないようだ。女を抱き上げて、ひょいと立ち上がらせる。
「きゃあ!?」
驚いたのか、女が悲鳴を上げた。
女を軽々持ち上げたが、実際小柄で私より頭一つ分背が高い程度だろう。
女は桃色の長い髪をツインテールにしている。そのせいか一見すると幼く見えるが体型は大人で、童顔とのちぐはぐさが妖しい魅力を醸していた。
白衣に黒いブラウス・スラックス・革靴。いかにも学徒といった出で立ち。
女から手を離すと、王子に向き直る。仁王立ちして睨むと、王子に問いかけた。
「この子に何をした?」
「フハハハハハハ! ただの準備運動だ! 聖女、貴様を倒すためのなッ!!」
準備運動? 私を倒す? ダメだ……何一つわからん……意味不明である。
騎士団将校の正礼装一式を着た王子は左腕を見せつけるように突き出した。
左腕には円盤型の怪しげな装置――おそらく魔道具――を身に着けている。
桃色髪の女も同じ装置を左腕に身に着けていたが、あれはいったいなんだ?
私の疑問など意にも介さず、不敵な笑みを浮かべた王子は力強く言い放つ。
「聖女! 貴様に決闘を申し込む!」
決闘? 何考えてやがる? さっき死んだばかりなのに、また死にたいのか?
無謀な申し出に呆れ果てる。もういいや……冷めた声で王子に死を宣告した。
「わかった。二度と生き返れぬよう、無に還してやろう……」
聖女の力を解放する! 溢れ出た女神の権能が迸り、世界が鳴動した。
虚心合掌――胸の前で掌印を結び、無の魔力を手の中に集め圧縮する。
空気が弾け、空間が歪む。無の魔力が滅びを与える前兆、終わりの時。
死にゆく王子に対して最後のはなむけとして、私は別れの挨拶をした。
「さようなら。王子、おまえのことは――」
「待て待て! 誤解だ! 貴様に危害を加える気はない! やめろ!」
「――幼馴染として嫌いではなかったよ。それはそれとして、死ね!」
王子は健気にも不敵な笑みを崩さなかったが、その瞳は絶望で染まっていた。
「聖女様! おやめください!」
後ろから私を諌めるイザベラの声が聞こえる。なぜだ? なぜ殺すのを止める?
王子を決闘で合法的に殺す絶好の機会ではないか! こんな機会滅多にないぞ!
「セイジョ! やめるんだ! 落ち着け!」
後ろから私を諌めるメイの声が聞こえる。乱心したと誤解されたのだろうか?
安心しろ。私は冷静だ。冷静に王子を殺そうとしているだけ、それだけなんだ。
「せいじょさまダメぇ!」
「やっちまえセイジョ!」
カイが否定し、レイが肯定する。
いやいや、どっち? レイに肯定されると急に不安になるんだけど……。
不安はある……王子を殺すと内戦になりかねない……再考の余地ありか。
王子の生存を前向きに検討し、お祈り申し上げようとしたが、気が変わった。
「まあ、よい。許してやる。せいぜい長生きできるよう、謙虚になることだな」
聖女の力を収めると、滅びの詩を奏でていた無の魔力が霧散した。
鳴動はやみ静寂が訪れる。王子の瞳に光が戻り、力強く言い放つ。
「聖女! 貴様に決闘を申し込む!」
無限ループかな? 何なのだ、おまえは? どうすればいいのだ?
「死にたいらしいな」
私に立ちはだかった哀れな王子に最後の言葉をかけた。では、死ぬがよい――
「落ち着け! 俺様とゲームで決闘するのだ。エリシア、決闘盤を聖女に渡せ!」
――ゲームで決闘? どういうことだ? いや、それよりもエリシアって……。
桃色髪の女から魔道具らしき円盤を手渡される。女の翠眼を見据え問いかけた。
「エリシア・シェオルノーンか?」
「え、あ、はい。そうだけど……」
エリシア・シェオルノーン――王子と共にイザベラを陥れた元平民の男爵令嬢。
王子の恋人らしいが……小柄で華奢な姿が庇護欲をそそるのだろうか?
王子の好みは巨乳の女性だ。エリシアは巨乳ではあるが、公爵家の後援を反故にするほどの魅力があるとはとても思えない。
圧倒的な質量と張りでイザベラに軍配が上がる。質も量も勝負にならない。
エリシアの何が王子を狂わせたのか?
いや、それよりも……巡らせた思考を一旦止め、エリシアに問いかける。
「一つ、聞きたいことがある……」
違和感があったのだ。なぜ王子はイザベラを捨てた? どう考えても不可解だ。
完璧な肉体美、傾国の美女イザベラは王子にとって理想的な結婚相手のはず。
悲願である王位継承のためにも公爵家の後援は必須。なのになぜ? 解せぬ。
そして、何よりも解せぬのはエリシア……おまえだ。感じたままを口にした。
「……おまえ、王子のこと嫌いだろ?」
私の言葉にエリシアは絶句した。彼女の冷たい瞳が動揺で揺れ動く。
どこか影を感じる暗い瞳をじっと見つめて微笑むと、彼女に嘯いた。
「聖女に嘘はつけないよ」
別に嘘を見抜く力があるわけではない。
ただエリシアが王子を見る冷めた眼差しは、明らかに恋する乙女ではなかった。
むしろ逆、嫌悪すら感じる態度である。
「…………」
エリシアは沈黙する。その冷めた瞳に微かに熱が灯ると、じっと見つめてきた。
だが、あえて無視し決闘盤を装着、王子と対峙する。王子は鷹揚に頷き言った。
「聖女、待ちかねたぞ。さあ、デッキからカードの栓を抜け!」
王子はそう言うと決闘盤に組み込まれた「紙の束」からカードを五枚引いた。
どうやらあれがデッキらしい。見よう見まねでデッキからカードを五枚引く。
「デュエッ!!」
王子が叫んだ。え、何、突然……怖……ついに発狂して壊れたか?
意味不明な言動にあっけにとられていると、王子はさらに叫んだ。
「俺様のバーン! ヒクーッ!!」
王子はデッキからカードを一枚引く。
続けて、引いたカードを華麗な手さばきで見せつけ、王子は言った。
「俺様は〈覇者、ジョセフ・カディーン〉をショータイム!」
王子が決闘盤にカードを叩きつけるように置くと、王子の目前に人影が現れた。
きらきらと光の粒子が瞬く。人影が徐々に鮮明になると、剣士の姿が露となる。
おそらく、光の魔力で生成された幻影。
どことなく王子に似ているが、威厳ある姿は本人よりかなり美化されている。
勢いづいた王子が大仰に右手を突き出し、大声で宣言した。
「さらに〈覇者、ジョセフ・カディーン〉を生贄にして弔辞を発表!」
ん? 生贄? 悪魔崇拝かな? 弔辞を発表? 今? な、何もわからん……。
「〈覇者、ジョセフ・カディーン〉様のご霊前に、謹んでお悔やみ申し上げます」
王子は弔辞を述べた。続けて故人との思い出を語る。詩的な悼みの言葉が響く。
しばしの間、しんみりとした雰囲気が漂うも、それを壊すように王子は叫んだ。
「遺産相続! 俺様の手札から〈碧眼の金龍〉が逃亡! さらに――」
あれよあれよという間に、王子は三体の〈碧眼の金龍〉を場に顕現させた。
「――〈碧眼の金龍〉が三体! ワハハハハハハ! 強運! 素敵! 最高!」
上機嫌な王子だが……もしかして、先程の騒ぎはこのゲームが原因か?
午前中に死んだ王子は、復活するや否やエリシアを呼び出して遊んでいた?
無敵か? 死にすぎて、逆に無敵か?
クソ王子が……もう絶対蘇生なんてしてやらん。塵も残さず荼毘に付してやる。
王子を鋭く睨むと、王子はいつもの不敵な笑みを浮かべて挑発してきた。
「バーン終。貴様は俺様に絶対勝てん。聖女、五体投地するなら今のうちだぞ?」
素人だと思ってなめてるな? だがしかし、私はこのゲームを知っている!
異世界の遊戯〈TCG〉とは、「紙の絵札」を使って戦う子供に大人気の競技。
……だったような気がする。聞いた話だが、確か異世界では悪の結社が……。
「がんばれ~! せいじょさまかって~!」
「セイジョー! 負けたら承知しねえぞ!」
「殺せ殺せぇ! 殺して玩具にしてやれ!」
カイ、メイ、レイが私に声援を送る。一人だけ狂っているが気にしない。
決闘に集中しろ私……戦略を練るのだ。
どうすれば勝てるのか? それを考えねばなるまい。しかし、いったい――
〔警告、十秒以内ニ、ヒクーシテクダサイ。ヒクーデキナイ場合ハ……〕
――しゃ、喋ったぁ!? 決闘盤が? 警告? 機械音声か?
〔……敗北マデ、三、ニ、一〕
「ヒクーッ!!」
デッキからカードを一枚引く。決闘盤の機械音声は止まったようだ。
敗北は免れたが……まず手札を確認する。
〝〈封印されし左胸〉
〈封印される右胸〉
〈封印されて桃尻〉
〈封印されぬ股間〉
〈封印されよ記憶〉〟
何なのだ……この意味不明なカードは……五枚全て攻撃力たったの二〇〇?
これでは攻撃力三〇〇〇の〈碧眼の金龍〉に太刀打ちできそうにない。
ならば、最後の一枚に望みを託すしか――
その時、脳裏に「缶入りコーン」がよぎり、賞味期限が近いのを思い出した。
――何だか知らんがおそらく天啓だろう。
大抵の場合、この世界の不可解な出来事は女神の仕業である。
時々、女神は「導き」をお与えになる。間接的に世界に干渉するためだ。
ええい、ままよ! 天啓が導く一枚に命運を託し、決闘盤に叩きつけた。
「私は〈裏切りの聖女〉をショータイム!」
攻撃力一〇〇〇か、これでは全く足りない。
だが、その――!?――能力は……なるほど、そういうことか、完全に理解した。
勝利を確信し堂々と宣言する。
「〈裏切りの聖女〉の能力! 対戦相手に直接攻撃できる!」
言うや否や、強化魔法を全開! 王子との間合いを一瞬で詰める。
唸る右拳が王子の鳩尾に突き刺さる! 致命的な衝撃が伝播する。
内臓を破壊され呼吸困難に陥った王子が、崩れ落ちて地に伏した。
王子は痙攣を起こし吐血する。内臓の損傷度合いが深いと見える。
「私はこれでバーン終。さあ、王子のバーンだ」
私は満面の笑みで宣言した。王子のライフはまだ三〇〇〇残っている。
このままでは私は負けるだろう。そう、本来ならば私の負けだった――
〔警告、十秒以内ニ、ヒクーシテクダサイ。ヒクーデキナイ場合ハ……〕
――王子の決闘盤から機械音声が流れる。ほれほれ、ヒクーしてみろ。
〔……敗北マデ、三、ニ、一、〇。先攻ノ敗北、後攻ノ勝利デス〕
決闘盤が王子の敗北と私の勝利を告げた。
「……私の、勝ちだ!」
高らかに右の拳を掲げて勝利宣言した。完全勝利である。
「せいじょさま、かっこいい~」
「さすが聖女様、ルールの裏をかく見事な戦術ですわ!」
カイとイザベラが私を褒め称えた。どうだ! 聖女は凄いのだ! 女神万歳!
胸を張るとそのまま天を仰いだ。気持ちのいい春風が、黒い髪を靡かせる。
「聖女……貴様ぁあああああ!」
王子は立ち上がり叫んだ。強化魔法で自然治癒力を活性化して回復したようだ。
完全に回復できたわけではないだろうが、応急処置としては十分と思われる。
王子が帯刀している剣に手をかける。おいおい、それをやってしまったら……。
逆上した王子が剣を抜き放つ。両手で上段に構え、私に剣を鋭く振り下ろす!
瞬間、剣閃を見切り、無を帯びた左手で払いのける! 剣は塵芥と成り果てた。
刹那、飛び上がり右手で一本貫手を放つ。王子の額を指で突き、命を流し込む。
すると、甲高い不協和音が鳴り響いた。支配に苦悶する命の絶叫、死の鎮魂歌。
私は師匠から「全てを与えた」と太鼓判を押された聖女神拳の正当伝承者――
転生者の師匠が前世で磨き上げた暗殺拳は、この世界で使うには問題があった。
その問題とは、魔法抵抗である。
師匠の前世では魔法技術が途絶えていたらしく、魔法抵抗の技も失伝していた。
師匠の暗殺拳は魔力が肝なのだが、魔法抵抗で無効化される欠陥があったのだ。
必殺の暗殺拳は地に落ちた。しかし、その程度で腐るほど師匠は弱くない。
心機一転、魔法を学ぶとめきめき頭角を現し、最高学府の魔法学院に入学。
そして、一度も主席を譲ることなく卒業した。
その後、当時の「愛の女神の聖女」に弟子入りして、師匠は聖女となった。
後に、師匠は聖女の力を研究する。結果、生み出されたのが聖女神拳である。
暗殺拳、魔法、聖女、全てを一つにし、神の拳は蘇りさらなる高みへと至った。
――正直言って、なぜ命を活殺自在にできるのか、原理は皆目見当がつかない。
師曰く「天賦の才」が私にはあるとか。だから、なんとなくできてしまうのだ。
理論派の師匠は、感覚派の私に、根気よく懇切丁寧に教えてくれた。
さあ、御覧じろ! 聖女神拳奥義――
「ええと、あー、なんだっけ? 反省を促す? 更生させるとかなんとか……」
――反省を促して更生させる技だったはず。一ヶ月くらい? たぶん、きっと。
何も知らない人からすれば、額を小突いた程度に見えるだろう。
だが、正確に経絡を突いて命の魔力を流し込むと、命を活殺自在にできるのだ。
反省を促すことくらい造作もない。しかし、王子は不敵な笑みを崩さず言った。
「俺様は……省みぬ! 省みぬ! 省みぬ! 覇者に反省はないのだッ!!」
その絶妙に残念な発言は何なのだ?
確か師匠の著書『心に残る金言集』に似た言葉が書かれていたはずだ。
受け売りの金言を使うなら、せめて正確に覚えてから使ってくれ。
胡乱な目で王子を見やる。物心ついてから、常に王子に対して胡乱な気がする。
そんなことを考えていると、王子はふらふらと眠るように気絶して崩れ落ちた。
「お、おい……王子、死んじまったのか?」
「ヒャッハー! 新鮮な肉だぁああああ! さあ、王子解体ショーの始まりだ!」
メイが王子の心配をし、レイが王子の心肺を停止させるためナイフを抜き放つ。
闇市場では人体が高値で取引されていると聞いたことがある。
レイは裏社会に関しては事情通なので、最高級王子肉を売るつもりなのだろう。
商魂逞しいのは結構だが――レイの腕を掴み引き寄せると、抱きしめ拘束した。
「何しやがる! はなせ!」
腕の中でもがくレイを力強く抱きしめると、赤らめたその耳に小さく囁いた。
「やめとけ、やつらが来る」
レイは私の言葉を聞くと舌打ちして「親衛騎士団か……」と憎々しげに呟いた。
遠くから見守っていたのだろう、親衛騎士たちがぞろぞろと駆け寄ってくる。
なぜか宰相と騎士団長もいるのだが……この国の中枢は、よほど暇なのか?
王子の元に辿り着いた連中を睥睨する。私から目を反らす軟弱者ばかりだ。
親衛騎士団――礼服は立派だが、要は継ぐ土地のない貴族たちの寄合所である。
「なんて事也……なんて事也ッ!!」
騎士団長が一つの言葉を二回分使うことで、より深い感情表現をした。
その深い怒りと悲しみを、少なすぎる語彙力で上手く表したものだと感心する。
「大丈夫也、問題ない也」
宰相が王子を介抱して脈を取る。大丈夫也。ちょっと反省を促しただけ也。
眉間に皺を寄せて不機嫌さを隠さずに、冷たい声音で貴族共に言い放った。
「無為無能な連中め、羊頭狗肉とはこのことか。傲岸不遜で救いようがないな」
怒涛の暴言に貴族共はあっけにとられ呆然としている。なんとも惰弱な連中だ。
師匠の著書『心に残る金言集』からの引用だが、なぜこんな暴言が金言なのか?
これがわからない……師匠のみぞ知る……本当、わからない人だ……まったく。
「もう!……もう!……」
騎士団長が怒りを露にするも、立派な口髭の四十歳男性から、幼子のような言葉が発せられているのは、少しいたたまれない気持ちにさせられた。
この呪いをかけた魔族の将軍は、きっとあの世で爆笑しているに違いない。
宰相と騎士団長に解呪を提案したこともあるが、頑なに拒否されてしまった。
国王派ゆえ聖女に頼れないのだろうが……それとも、何か別の理由があるのか?
「大丈夫な問」
宰相が騎士団長の肩に手をかけ宥める。幼げな喋り方に思わず吹き出しかける。
真面目な宰相のことだ。呪いの言葉を極限まで使いこなすため様々な語彙を研究しているのだろう。なんとも涙ぐましいことである。
まともな会話ができない宰相と騎士団長に代わり、壮年の騎士が口を開く。
「聖女殿! 王子に何をなさったのですか? 気絶しているようですが……」
「なんてことはない。反省を促しただけだ。じきに目覚める」
即答しながらも嘆息を禁じ得なかった。
王子の凶行は見ていたはずだ。それなのに謝罪の一つもないとは……。
壮年の騎士は指示を出し、王子を担架に乗せ、挨拶もなく無言で去っていった。
宰相と騎士団長は群衆の中に姿を消した。
あれでも聖戦の英雄、「問題ない也」が流行語になるくらい平民に人気がある。
まあ、よい。
これくらい日常茶飯事、私にとって些事である。王子の乱心も許してやろう。
あれでも幼馴染――ジョセフとマリーは初めての友達。私たちは仲良し三人組。
チクリと心が痛む。だが、刹那で消し去った。
マリーを女王にすると、そう決めたのだから。
ならばジョセフは敵だ。覆水盆に返らず。立ちはだかるなら、排除するだけだ。
「……ジョセフ……」
心の声が口をつく。良き王になるかもしれない。期待した時期もあった。
だが、私とマリーはジョセフを見限った。
もう後戻りはしない。そう約束したのだ。
マリーはジョセフを嬉々として断頭台に送るだろう。仲の良い兄妹を演じ周囲を欺いているが、マリーはジョセフを殺すことに並々ならぬ思いがあるのだ。
マリーがジョセフの蘇生を懇願したのも、自らの手で殺す夢を実現するためだ。
殺すまでどう生かすか、それはそれは凄惨な計画があるのだと仄めかしていた。
生粋のサディストなので、最高の芸術作品に仕立て上げてくれるだろう。
私とマリー、国王とジョセフ、王妃が死んだ一年前、互いの道はわかたれた。
弱肉強食――それが世界に記された最初の理だ。聖典にもそう書かれている。
だから奪う。私とマリーが一緒にいるためには、マリーが女王になるしかない。
王女なんて外交の道具として「他の国に嫁ぐ」くらいしか使い道がない。
そんなのマリーにとって死んだも同然である。いや、おそらく自決するだろう。
穏やかで美しい外面で隠した、残虐で醜い内面。それでも、高潔で思慮深い。
類稀なる魅力で民を幸福に導き、敵あらば暴力で散々に打ちのめすだろう。
それがマリーだ。まさに王の器よ。腹芸すらできないジョセフとは雲泥の差だ。
ジョセフの凶行は公然と目撃された。人々のざわめきが噂を伝播するだろう。
運命はついに動き出した。王位継承問題――内戦の危機である。