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聖女、グレる。  作者: 水神流文筆道開祖
第二章 聖女と悪魔の鎮魂曲
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罪と罰

『エリシアの目の前で余を殺すのか?』


 息も絶え絶えな校長が毅然と私を睨んだ。

 校長は無表情を崩さないまま、その金色の瞳に煮えたぎる感情を滾らせている。

 顎が砕けているせいで喋れないからか、神性なる力で心に直接語りかけてきた。

 戯言に付き合う義理はない。

 だか、その名が棘となり耳を傾けずにはいられなかった。


『見よ。余の愛弟子、エリシアの墓だ』


 校長は小さな石碑を抱擁するように縋りついている。

 傷ついた唇から流れる血が石碑に滴り、まるで血涙を流しているようであった。

 聖女毒殺未遂事件の被告人であるエリシアは、公には事故死として処理された。

 同事件の共犯者として断罪された国王ミルザと共に、事の真相は闇に葬られた。

 エリシアは死後、シェオルノーン男爵家から勘当されて無縁仏になったらしい。

 美しく磨かれた石碑には、遺品であろう女神のタリスマンが埋め込まれていた。


 遺体はない。私が塵も残さず無に還したのだから。


 そうだ。私がエリシアを殺した。そして、次は校長エリスヴェラを殺す。

 エリスヴェラの桃色髪がさらさらと揺れる。エリシアと同じ色。まるで――


『なぜ余を殺す?』


 ――過る言葉が私を苛む。なぜ? 問答無用。殺して黙らせてしまえばよい。


『なぜ嘘をつく?』


 嘘? 嘘だと? おまえが言うのか? 私を嘘の世界に閉じ込めたおまえが!


『夢に封じはしたが内は与り知らぬ。夢を見たのも殺したのも貴様であろう?』


 私が妻を殺した? 耐えがたい吐き気が込み上げる。涙の残響が心を狂い穿つ。

 胃の残留物が喉を焦がしながらこの身から這い出る。口から空を駆け地に堕つ。

 吐き出した物の消化具合を見るに、講堂の一件から四半刻も経っていないようだと冷静に分析する己に辟易した。

 戯言だ。耳を貸すな。本当に? 戯言ならば、なぜ嘔吐する? 私の罪だと――


『そうだ。貴様が殺した。聖女よ、貴様は愛を求めながら愛を殺すのだ。見よ!』


 ――わかっている。だから、もうやめろ。

 エリスヴェラの青白い手が、エリシアの石碑を愛おしそうになでる。

 その金色の瞳から涙を流し、迸る感情の煌めきが私の深淵を映して見せつける。


『屍の上で愛を踏みにじるがいい。妻を殺したように、愛する者を殺すがいい』


 殺す? どうして? あぁあ! あぁあ! とめどない衝動が井戸を狂わせる。


 壊したい。食べたい。奪いたい。狂いたい。虐げたい。殺したい。委ねたい。


 なぜ? どうしてダメなの? とってもおいしそうなのに――


 突如の衝撃! 破裂音と共に頭蓋が揺れる。頭に何かが激突し金属音を奏でた。


 ――力が抜ける。後頭部に直撃。無傷。脳震盪。瞬時に命の権能で回復する。

 経験したことがある。銃撃。振り向くと、遥か遠くに拳銃を構える王子の姿。

 ジョセフ! どうして!? 再び衝撃! 百メートルはあろう距離から正確に!?


 銃――異世界の兵器。火薬の衝撃で弾丸を発射する遠距離兵器は、その機構ゆえに弾丸に魔力を込めても衝撃で霧散してしまう致命的な弱点があった。


 有象無象ならまだしも、達人の強化魔法の前では無力に等しい。

 銃は本体の製造技術と弾丸の原価を鑑みると、非効率極まりない兵器であった。

 貨幣を投げたほうがマシだといわれるほど、この世界では銃の評価は低かった。

 王子の体に魔力が満ちる。強化魔法を全開にした王子が猛然と距離を詰め叫ぶ。


「聖女ッ!!」


 なぜ? なぜジョセフが私に攻撃するのだ? おまえを救ってきた私をなぜ?

 ジョセフの右手に鈍く輝く銀色のリボルバー拳銃、その銃口が私の頭を捉えた。

 奥深き仄暗い闇の底から、殺意を孕んだ鉛弾が爆炎と共にこの身に襲いかかる。

 銃弾の衝撃が頭を揺さぶる。二度。三度。正確無比。幼馴染の私が知らない技。

 戯れか? 昔よく決闘ごっこをしたな。いつも死ぬおまえを蘇生してあげたね。


 接近したジョセフが私の頭に銃口を突きつける。そんな玩具で私と遊ぶ気か?


 一陣の風がジョセフの金髪をざわりと揺らす。その碧眼は怒りに染まっていた。

 突きつけられた拳銃越しに見つめる。私を見下ろす瞳から涙が一筋流れ落ちた。

 泣いている姿を見るのはいつ以来だろう? 食いしばるジョセフの口が開いた。


「全てを奪う気か?」


 全て? 全てとは何だ? 私の疑問を紐解くようにジョセフは続けて言った。


「エリシアの墓前で師まで奪うというのか!? エリシアを殺した貴様がッ!!」


 エリシア? どいつもこいつもエリシアエリシアエリシア……何が言いたい?


「愛するエリシアを……貴様は奪った!」


 ああ、確かに私が奪った。だが、エリシアは……思わず私の口から声が零れた。


「悪魔に乗っ取られていたのだ……エリシアは手遅れだった……」

「聖女! 俺様に嘘が通じると思うな。貴様は助けなかっただけだ。違うか!」

「助け、なかった?」

「そうだ! 貴様が全力を尽くせば、助けられなかったはずがない!」

「それは……」


 助けられたのだろうか? あの状況で? 私は全力で守った。己だけを……。


「そして貴様は俺様の敬愛する師までも奪おうとしている。なぜだ? 答えろ!」


 何を答えろというのだ? 殺したいから殺すだけだ。殺したい? なぜだろう?

 乱れた花園の中で、じっと私を見据え続ける幼馴染の瞳が、現実を突きつける。

 ああ、そうか。憎まれているのだ。認めたくないから気づかぬふりをしていた。

 なぜだろうな? こんな時なのに、顔が引きつり意志に反して笑ってしまった。


 その瞬間、銃口が火を噴いた。緩慢な世界でゆっくりと黒い弾丸が額に当たる。


 鉛弾ではない? これは……まずい!? 強化魔法で硬質化した額に激痛が走る!

 徹甲弾。それも並大抵のものではない。重い。速い。明らかに……質量が違う!

 無の権能で、ダメだ、距離が近すぎる。骨を突き破られる!? 亀裂、あぁあぁ!


 体の力が抜ける。衝撃で背骨が異常なほど折れ曲がり三日月のごとく仰け反る。


 真後ろにいた校長と目が合った。エリシアの墓を抱きながら逆さ姿で微笑む。

 血飛沫が空に赤い花を咲かせる。まるで美しい彼岸花を墓前に添えるように。

 罪を数えるのに飽きた私は、いつか罰せられる日が来るのだと予感していた。


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