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聖女、グレる。  作者: 水神流文筆道開祖
第二章 聖女と悪魔の鎮魂曲
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愛の花園

 ――はっと目が覚める。

 眩暈がするほどの違和感。喉の奥に感じる吐き気をいつものように飲み込んだ。

 いつもの解像度が低い光景。正方形の塊が組み合わされた不気味な二次元世界。

 つい数秒前まで見ていた夢は、あまりに滑らかで色彩豊かな三次元世界だった。

 最近よく夢で見る。おそらく、記憶を失う前の世界で体験したことなのだろう。


「あら、起きたのね、ダーリン」


 彩度の低い正方形の塊が、カクカクと不気味に動いて朝の挨拶をしてきた。

 ベッドで寝ている私の隣には、金髪の少女と思われる妻が静止画のように佇む。

 木造の平屋と思われる、文字通り平たい建造物らしき何かの中で、私は言った。


「やあ、ハニー、今日も素敵だね」


 そう口にする裏で、感情が荒い正方形でしか表現できないことに絶望していた。

 十六×十六、最大二百五十六個の正方形を組み合わせた生物。

 それがこの二次元世界の生物だ。

 正直言って、解像度が低すぎて美醜なんてよくわからない。


 一年前、記憶を失って行き倒れていたのを妻となる少女に助けられた。


 奥行きがない平面しかない世界に、私はどこからか迷い込んでしまったらしい。

 異世界転移なのか異世界転生なのか、もはやそれすら判断できずにいた。

 この二次元世界に対する強烈なまでの違和感。

 後に思い出した僅かな記憶から、私は三次元の世界で生きていたらしい。

 今となっては、私もただの正方形の塊になってしまったが……。


「悪い夢を見たのね、ダーリン元気出して」


 妻が私の頬にキスをする。まるで壊れたモザイク画のようだ。神か悪魔か……。

 「ピポッ」と響く、感情を奏でる歪な音と共に正方形の塊が押しつけられた。

 毎日キスをする妻には申し訳ないが、どの辺が妻の唇なのか未だにわからない。

 妻は微笑んだはずだ、おそらく、きっと。

 妻はベッドから出ると台所までカクカクとスライド移動し朝食の準備を始めた。

 気怠い体を起こそうとするも起こせない。

 ここは二次元世界なのだ。三次元的な動きができようはずがない。

 カクカクとした動作をしながらスライド移動でベッドから這い出た。


「朝食の用意ができているわ、ダーリン」


 早い! だが、そんな不条理にもなれた。

 木製と思われるテーブルに着くと朝食が並べられていた。

 いつものようにお世辞を口にする。


「おいしそうだね、ハニー。これは……丸い、あー、ええと……」


 四角い皿の上には、色の濃淡を駆使して丸みを表現した赤い何かの塊があった。


「ええ、新鮮な『縺ェ繧ォ@&縲縺%』よ」


 なんて? 意味不明な怪音が耳を劈いた。赤い塊が概念でしかないことを悟る。

 妻はぎこちない動作で腰に手をやり胸を張る。妻が着る黒いワンピースらしき服は胸元が大胆に開いており、その豊満と思われる何かを見せつけていた。


 脳裏に過る記憶――色彩豊かな三次元の世界、柔らかなマリーの豊満な胸……。


 胃酸が逆流し喉を焼く。マリー? 誰だ? 胃酸? この正方形の塊に?


「ダーリン、どうしたの?」

「ああ? あ、いや……そう! お腹が痛くてね。朝食は遠慮するよ」

「まあ! 大変、お医者様に――」

「いや! いいんだ、ハニー。家計が苦しいだろう? 我慢するから」

「心配よ……今日はお仕事休む? 看病するわ、ダーリン」

「ダメだ。家賃が払えなくなってしまうよ。ああ、もう仕事に行くよ、ハニー」


 私は席を立ち玄関の姿見で全身を確認する。

 いつもの白い聖女の服は常に清らかで……聖女? 頭痛で視界が歪む。

 呼吸が荒くなり心臓が……呼吸? 心臓? どこに内臓があるというのか?

 匂いのない二次元世界で微かに懐かしい香りがする。これは……イザベラ?

 割れた記憶が接がれてゆく。触れ合う肌の感触。冷たい私を温めてくれた――


「ダーリン! 見捨てないで!」


 ――命の恩人の少女。私を愛する妻が涙を流す。カラカラと地に落ちる水色。

 声が聞こえる。私を呼ぶ声が……眼前の空間に亀裂が走る。

 木漏れ日のように差し込む光が、白百合のように咲いたかと思うと神々しく眩い腕となった。二次元に侵食した三次元の嫋やかな腕の先には幼き白い指が揺蕩う。


「アルファ!」


 魂が叫びその手を掴む、泣いてる私をなでてくれた、求めてやまないその手を。

 全てが繋がる。偽りの正方形の塊が剥がれ落ち、魂が真の姿を象る。


「……セイジョ……」


 一番好きな声。アルファの声が聞こえる。


「ごめんなさい……私は……行くよ」


 走馬灯のように流れる妻との思い出。これは偽りなのか、それとも……。

 別れの言葉を残して、二次元世界から解放される。

 闇の底から浮かび上がる私の耳に、涙の音がいつまでも残響していた。


    ◇


 光が闇を切り裂き……突然音が鼓膜を打ち鳴らし、瞳に映像が叩きつけられた。

 刹那、権能で時間感覚を引き延ばし、緩慢に動く世界を眺めて状況を把握する。

 眼前には校長、澄み渡る空と陽光、魔法学院の学舎から離れた、一面の花園。

 封印魔法とでもいうのだろうか?

 特殊な魔法で肉体を異空間に閉じ込め、魂を悪夢の中に閉じ込める。

 命を奪われていないのは、それが魔法を顕現するための条件だからだろう。

 まるで天地開闢だな。当然ながら、校長に天地開闢を成す力はない。

 無表情な校長の目が見開き、ゆっくりと驚愕の表情を浮かべた。


 強化魔法を全開! 校長の懐に瞬時に飛び込むも、闇の魔法が私を包み込む。


 重力か!? 局所的な超重力の乱流が破滅的な輪舞で私を引き裂こうと渦巻く。

 無の魔力を全身に纏い重力を相殺すると、校長は口角を僅かに上げ、金色に輝く瞳に魔力を込めて神性なる眼差しを迸らせた。『従え』と命じる支配への誘い。

 超人的な脚力で地を蹴り飛び上がる!

 勢いそのままに死をもたらす右拳を突き上げ校長の顎を無慈悲に砕いた――


 二次元の花園、正方形の歪な少女が笑う。

 偽りの世界で、私は少女の幸せを願った。

 孤独な二人は、確かに存在し生きていた。

 純粋な献身が、愛情を育むのだとしたら。


 ――校長の瞳には焦燥が見て取れた。畏怖さえしたのに、今では何も感じない。

 封印魔法の反動だろうか? 校長の魔力は弱まり、明らかに精彩を欠いていた。

 致命的な一撃を受けた校長が吹き飛んで、まるでボールのように無様に転がる。

 花園を抉るように乱しながら、その体で歪な長い花道を私の眼前に敷き詰めた。


「聞きたいことが山ほどあるが……」


 私は歩み寄る、その命を奪うために。

 瀕死の校長が魔法による治癒を発動したが、即座に完治などできはしないはず。

 重度の脳震盪を起こしているであろう校長は、私に背を向け這いずり遠ざかる。

 油断なく追い詰める。校長は小さな石碑に縋りつき、汚れた上半身を起こした。


「走馬灯は見えたか? 数えな、その罪を」


 死ね。罪を反芻し悔いながら死ね。


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