現実の片隅で
エルフ――女神が創造した最初の人類。
細くしなやかな体は筆舌に尽くしがたいほど美しい。畏怖を抱くほどに完璧。
神性を帯びたその姿は女神の眷属としてまさに相応しい。永遠を生きる芸術。
エルフは大陸北部の広大な森林地帯に隠された楽園、アルフヘイムに住まう。
時の流れはエルフに何の影響も及ぼさず、時に囚われ死ぬことは許されない。
不老不死のエルフは永久不滅であり、たとえ体を失っても千年後に再誕する。
女神たちの意志がエルフの絶対の規範であり、課せられた唯一の使命である。
一説ではエルフの個体数は常に一定で、魂を失い消滅した数だけ子が生まれる。
エルフの個体数は一万人未満であるのは確実だが、情報は秘匿され謎のままだ。
彫刻のように洗練された横に伸びた尖った長耳は、葉が落ちる音すら逃さない。
宝石のような瞳は地平線の先すら見通し、その美声はあらゆる生物を跪かせる。
エルフも聖女と同様に現人神であった。
始祖の娘エリスヴェラ――校長に負けじと震える体を叱咤し私は告げた。
「悪いね、デートの約束があるんだ。それとも一緒に来るかい? お嬢さん」
失礼極まりない言葉に校長は無表情を僅かに崩し、金の瞳に魔力を集中させた。
『従え』
従おう、従うべきだ、従わねばならない。
なぜ? なぜだ? なぜ従うのだろうか?
私の深淵に眠る怪物が首をもたげて笑う。
『死ね』
精神操作を跳ねのけ、私は死を宣告した。
挨拶なしに不意打ちとは失礼極まりない。
まあ、よい。許す、す、す。くそがぁあ!
無の魔力を校長に叩きつける! 空間が悲鳴を上げ、二人の魔力が拮抗するッ!!
突然の戦闘にライカ、マリー、イザベラが驚愕の表情を浮かべ口々に私を罵る。
「ドアホ!? あかん、あかん!」
「ええっ!? バカバカやめて!」
「聖女様!? 乱心なされたの!」
尋常ならざる魔力量――校長の魔法抵抗が美しい不協和音を奏でる。
姦しい三人の手によりこの身を捕らわれ、強引に戦闘を止められた。
全方位を柔らかい感触に包まれて、興が削がれて冷静さを取り戻す。
「じむぅ! じむぅうううう!」
必死な三人に強く抱きしめられ、息ができない私を無意識に死者の国へと誘う。
初めての旅行は死者の国、死者の国でございます。搭乗券をお持ちになり……。
◇
あの後、三人にこってりと怒られた。
そして、両腕をマリーとイザベラに掴まれて元の席に座らされたのであった。
解放された時には校長はもういなかった。
何が目的だったのだろう? 闇の魔法ごときで精神操作されるほど甘くはない。
まあ、よい。今そのことは置いておく。
マリーが左腕に甘えるように寄り添うと、柔らかな身を預けて頬擦りし囁いた。
「あ、始まるよ、聖女ちゃん」
イザベラが右腕に縋るように寄り添うと、柔らかな身を預けて頬擦りし囁いた。
「懐かしい、何もかもが……」
入学式が終わると次の行事が始まる。魔法学院の通過儀礼である戦績検査だ。
千年にも及ぶ聖戦において、兵士や冒険者たちの活躍を公正に評価し、論功行賞を滞りなく行うために開発されたのが鑑定水晶である。
その神秘的な光を放つ魔道具は、魂に刻まれた戦闘の記憶を読み取り、どんな敵を倒してきたかその全てを明らかにする。
死の瞬間、殺された魂は殺した魂を呪う。
とはいえ、微々たるもの。鑑定水晶は呪いと記憶から戦績を割り出すのである。
異世界の遊戯〈TRPG〉のように、能力を数値化できれば便利なのだが……。
当然ながら、そんなものはない。レベル? スキル? そんなものはないのだ。
どんな技術にしろ真面目にコツコツと修行するしかない。
命をどれだけ奪っても経験値なんてものは手に入らない。
現実の世界とはそんなものだ。
なら何を基準にして実力を示せばいい?
それこそが戦績である。論功行賞のための魔道具は実力を示す秤となったのだ。
何を成したか? わかりやすい指標だ。どの程度の実力か一目瞭然となるのだ。
舞台上に設置された鑑定水晶の前には、新入生たちがざわめきながら列をなす。
鑑定水晶の真上には戦績が幻影となり、大きく鮮やかに次々と浮かび上がった。
しかし、小粒なやつらばかりだ。熊ごときで胸を張るとは質が落ちたものだ。
そんな中、大きなざわめきが起こる。どこぞの男爵令息が三十三人殺したとか。
治安維持のため騎士団を率いて実戦経験を積んだと、声高らかに喧伝している。
若さを考慮すれば十分すぎる実戦経験だ。
おそらく、次男とかそんなところだろう。有望な主君でも探しているのかも?
なんとも平和なことだ。マリーもせいぜい鹿とかその程度である。
椅子から立ち上がり列に並ぶ。イザベラとマリーは席に座り私を見守っていた。
残るは二人、私の前、紫色のおさげが可愛らしい、眼鏡をかけた娘の番となる。
巨人、グリフォン、精霊……様々な魔物を倒した輝かしい戦績が映し出された。
どよめきの中、席に戻る眼鏡の娘と目が合った。美しい翠眼がきらりと煌めく。
さて、最後に私の番だ。殺した人数なんて百人から先は数えていないが――
次々と映る私の戦績。ドラゴンから始まり全ての魔物を網羅。
悪魔を百八柱も弑したのは知らなかった。
さらに高位の悪魔が映し出されると講堂がどよめいた。
色欲の悪魔と怠惰の悪魔。七つの大罪の二柱を弑したのはこれが初公表である。
バケモン図鑑完成まであと少しかな? 魔族ニ千百十三人には悲鳴があがった。
最後に人類……五十三万七千六百十八人。
――講堂がしんと静まった。永遠の静寂。誰一人物音一つ立てられずにいた。
うわっ……私の戦績、殺しすぎ……?
いやいやいやいや、さすがに、さすがに?
確かにいくつか小国を滅ぼしたことはあるけれども、そんなに殺しただろうか?
百人殺せば英雄、千人殺せば発狂、一万人殺せば確実に呪いで死ぬらしい。
女神教会に反乱を起こしたやつらが悪いとはいえ、さすがにこれはないわ。
「……悪魔聖女……」
誰かがそう呟いた。
そして、波紋のようにざわめきが広がる。
私は本当に聖女なのか? 私は訝しんだ。
ざわめきは喧騒へ、そして混乱に変わる。
透き通るような美しい指が肩にかかった。




