魔法学院入学前夜
電波の利用が始まったのは約百年前、無線通信の軍事利用が最初だった。
軍事機密だった無線技術は、戦後の法改正で民間利用できるようになった。
そして、無線技術により新たな大衆娯楽が生まれる。すなわち、ラジオである。
「オールナイト女神教、今夜のパーソナリティは聖女がお送りします」
今日は三月三十一日、私はラジオブースで月末の聖務をしていた。
公共放送として「MHK放送」を立ち上げた女神教会は、ラジオ放送で全世界に向けて情報を発信している。
番組の内容は多岐にわたるが、二十時から始まるこの番組は人気を博していた。
月に一度、ラジオで人々に言葉を賜はす。迷える子羊たちを、聖女が導くのだ。
ご機嫌なジャズが流れる。レコードもあるが、今日は特別に生演奏である。
「今日の特別なゲスト、生演奏をお届けするのは四天王のみなさんです」
音楽のリズムが一気に変わる。ソロパートの合図。私は四天王の紹介を始めた。
「コントラバス、智将のサリア」
サリアが指で重低音をリズミカルに奏でる。さすが元伯爵令嬢、芸達者である。
心地よい音階を弾いていたかと思うと、弓を使い優雅な旋律で駆け抜けてゆく。
なんて心に響く音色なのだろう。粗野にさえ思える彼女が繊細な心情を奏でた。
「ドラム、巨擘のパイ」
巨体を活かした豪快なドラム捌き、パイがサリアからソロパートを受け継いだ。
腹に響く重低音とシンバルの高音、疾走するタムをスネアが華麗に追いかける。
変則的なリズムの中、そっとスティックがなでる。艶やかな余韻を重ね奏でた。
「尺八、普化のイオタ」
現世を彩る不思議な音色を響かせて、イオタがパイからソロパートを受け継ぐ。
矢継ぎ早に音色を変調し、狐耳を立て、尻尾を激しく振り、体を仰け反らせる。
おお、見よ! 限界を超えた指捌き、窒息しそうな勢いで狂気の音色を奏でた。
「鉄琴、救貧のツェータ」
小さな体を忙しなく動かし叩く、ツェータがイオタからソロパートを受け継ぐ。
大きな鉄琴を演奏するため台の上を疾走、目にも止まらぬ超人的な反復横跳び。
本来ならばピアノで演奏するパートを、人知を超えた鍵盤捌きで見事に奏でた。
「ダンサー、侍祭のイザベラ」
ジャズに合わせて即興で舞う姿が麗しい。ソロパートが終わり最高潮に至った。
激しくせめぎ合う音色、舞い踊るイザベラ、熱狂が音楽を紡ぎ天に突き抜ける。
余韻が空間に木霊する。演奏が終わると、仰け反る姿勢でイザベラが静止した。
イザベラの汗が宝石のように輝く。美しい紫の瞳に心奪われそうになるも……。
「素晴らしい演奏でした。次はお便りのコーナーですが、その前にCMです」
ダンスが大好きなのに、教会では踊る機会がないとイザベラは嘆いていた。
そんな時、サリアがイザベラに声をかけ、バンドのダンサーに抜擢し今に至る。
果たして、ラジオ放送でダンサーに意味はあるのだろうか? 私は訝しんだ。
イザベラは満足そうに微笑んでいるが、残酷な現実を伝えるべきだろうか?
いや、あんなに楽しそうにしているのだ。無粋なことは言わないでおこう。
◇
予めレコードに録音してあるCMが流れ終わると、お便りのコーナーを始めた。
「若菜さんからのお便りです。ええと……」
葉書にはびっしりと文字が書かれており、ある種の狂気を感じるが……。
「……情熱的な言葉が心に沁みますね」
ひとまず、褒めておく。聖女として期待されてる振る舞いを崩してはならない。
「要約すると『聖女さまはどうして魔法学院の入試に遅刻したのか?』ですね」
葉書に書かれた質問、それは先々週に行われた魔法学院の入試での出来事――
入試当日、私は全力疾走していた。
徹夜でのヤクザ狩り、聖騎士を連れて大捕り物をしていたせいで遅刻したのだ。
なぜ魔法学院の入学を志したのか?
今年魔法学院に入学する王女のマリーに、ぜひにとお願いされたからである。
九歳で魔法学院の入学などありえないが、年齢制限は特にないので問題ない。
一緒に学生生活を送りたいなんて、可愛いところがあるではないか。よきかな!
だが、現実は非情である。入試会場は目前、試験開始まであと三十秒……。
「わっしょい!」
三階の試験会場にダイレクトエントリー!
超人的跳躍により外から窓を突き破った。
有無を言わせず問題用紙を奪い着席する。
「ふう、なんとか間に合った……」
聖女が間に合ったと言ったのだ。ゆえに間に合ったのだ。間に合ったのである。
今日は風が強いせいか、あちらこちらで問題用紙が舞っているが気にしない。
この状況に試験官は動揺していたものの、それでも時間通り試験を開始した。
筆記試験は滞りなく終わった。だが、こんなもの茶番でしかない。
実のところ、王族や上級貴族などの高貴な出自の者は裏では内定しているのだ。
大陸全土から魔法学院に集まる高貴な出自の者は、一種の人質なのである。
女神教会は様々な方法で人類を支配している。これもその一環というわけだ。
あーやだやだ。かったるいね。
とはいえ、聖女である私も裏口入学で内定しているというわけだ。女神万歳!
実技試験の前に昼食休憩となる。魔法のポーチからお弁当の包みを取り出した。
教会には珍しくご馳走を作ってくれた。重箱か? かなり縦長の包みだが……。
「どなたでしょうか?」
包みを開くと御首級があった。思わず問いかけるも、答えなどあるはずもない。
まじまじと観察する。どう見てもヤクザ。それもグレーターヤクザと思われる。
これを食べろと? 食堂の巫女がにこやかに「ご馳走ですよ」と渡してくれた。
渡してくれた……か? いや、弁当をしまう前に……急いで首実検をして……。
「うわぁあぁあぁあぁあ!」
誰かが叫んだ。試験会場が騒然と……。
――当時を思い出して、ため息をつく。
遅刻で焦っていたとはいえ、御首級と弁当を取り間違えるとは……。
「清純なるミラデインのため、徹夜で清掃作業をしておりまして……」
それっぽい言い訳をする。巷では悪魔聖女の噂が流れ、私は苦慮していた。
犯罪組織を撲滅し、平和な暮らしに貢献しているのに、酷い言われようである。
ひとまず、この悪い流れを変えるため定番の人気コーナーを始めることにした。
「ここで人気コーナー『三分間憎悪』の時間です」
手で合図をすると、生演奏を止めて専用のレコードを再生する。
おどろおどろしい音楽、人類への非難、降伏などをまくしたてる悪魔の叫び声。
「さあ、あなたの憎悪を吐き出しましょう」
獣の唸り声、機械が軋むような不協和音、羊の鳴き声、レコードが憎悪を煽る。
そして、憎悪が最高潮に達したその瞬間、私は人々に優しい声で言葉を賜はす。
「幸福は平和である。平和は自由である。自由は力である」
私の言葉で憎悪から解放された人々が、その反動で感情が熱愛へと反転する。
ラジオブースが微かに揺れる。地響きのような歓喜の声が王都を揺るがした。
「聖女! 聖女!」と、人々の陶酔したような合唱がここまで聞こえてくる。
平和のために必要なこととはいえ、これは洗脳ではないか? 私は訝しんだ。
「素晴らしい時間でした。次は朗読の時間ですが、その前にCMです」
レコードから女神マートのCMが流れる。
〔安い、安い、実質安い。女神、女神、女神マート。現世も来世も、女神マート〕
女神教会は巨大な資本で人々を支配する。
女神財閥――教会の見えざる支配の鎖だ。
圧倒的財力で全てを掌握した女神財閥は、世界を牛耳る神聖メガコーポである。
女神教会の清らかなる支配で人類を導き、自由という名の劇薬で幸せを与える。
〔滋養強壮、不眠不休、女神ドリンク! 安心安全、あなたを虜にする女神製薬〕
果たして、薬で虜にするのは合法なのか? 私は訝しんだ。
◇
CMが終わり、朗読の時間が始まった。
「――可愛い私のおチビちゃん。柔らかな足に長い耳、よい聖騎士だ」
朗読しているのは『百合の楽園』の一節、〝聖女と聖騎士〟のやりとり。
「聖女、儂は嬉しいぞ! 聖騎士は歓喜の声をあげると、赤い瞳を潤ませた」
大人の本を子供に朗読させるのは違法ではないか? 私は訝しんだ。
「聖女の甘い抱擁。落涙、一筋流れ落ちる聖騎士の雫。もはや衣は必要なかった」
明らかに物語の聖女は私がモデルだ。
「ベッドで二人、踊り狂う。神々の山嶺は溶け合い、魅惑の丘が蕩けゆく」
当然ながら、身に覚えはない。だが、この物語の聖騎士は明らかに私の……。
「貪るように蕾を舐る。永劫する喜び。天より翼を授けられた二人は空を飛んだ」
なぜ空を飛ぶ? 唐突な展開に辟易する。
「痙攣するたびに蜜が溢れ出す。蜜は渓谷を流れ、川となり、海が生まれた」
意味不明ながら淫靡なのはなぜだろう?
「光に包まれ上に上にと上昇し、忘我の海で泳ぎ法悦に至ると、共に潮を吹いた」
光? 潮? な、何もわからん……。
「以上、『百合の楽園』の〝聖女と聖騎士〟でした。いかがでしたか?」
なぜこんな怪文書の朗読リクエストが大量に送られてきたのか?
あまりにリクエストが多すぎて無視することもできず、朗読する羽目になった。
「印象的なお話でしたね。次はフリートークの時間ですが、その前にCMです」
レコードから流れるCM。女神呉服店、女神不動産、女神生命、女神金融……。
欺瞞、偽善、女神教会の暗部。平和を保つには、綺麗事だけではすまないのだ。
〔命の限り進み。等しく敵を殲滅。女神、女神、統一感。我ら女神教、迷い無し〕
CMが明け、フリートークの時間となる。
「明日から魔法学院に通うことになります。とても楽しみですね」
胸弾む青春、憧れの学生生活。
私の新たな日々が始まる。そこにあるのは希望か、絶望か、それとも……。
第一章を読んでいただき誠にありがとうございます。
第二章もお付き合いのほど何卒よろしくお願いいたします。
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