狂想曲「初夜」序
女神教会の総本山〈聖地教会〉には、多くの聖職者が住んでいる。
正確な人数は忘れたが、とにかく数え切れぬほどの大所帯である。
衣食住は全て教会が与えてくれるが、贅沢とは無縁で寮も個室ではない。
個室は司祭からで侍祭と同居も可能だが、お手洗いとお風呂は共用である。
お手洗いは十分な数が設置されているが、お風呂は一つしか設置されていない。
すなわち大浴場である。聖女でさえここで汗を流すしかない。
大浴場の引き戸を開くと静かに入場した。
大浴場には花が咲き乱れていた。そう錯覚するほど聖職者たちで混雑していた。
聖務を終えた聖職者たちは、洗い場で汗を流し湯船で疲れを癒している。
「やけに混んでるな……」
ジョセフとの騒動の後、私たちは仲良し三人組と別れ教会へと帰ってきた。
その後、イザベラを侍祭に迎えるための手続きや、自室に併設された侍祭の部屋の掃除など、忙しなくしていたらいつの間にか夕暮れ時となっていた。
夕飯前に疲れた体を癒すため、私たちは大浴場で汗を流すことにしたのだ。
私とイザベラが大浴場に入場するや否や、大勢の視線が私たちに突き刺さる。
いつもはこんなことないのに、なぜこんなにも注目を集めているのだろうか?
「イザベラ、恥ずかしくはないか?」
当然、私とイザベラは全裸だ。
私は赤子の頃から教会暮らしなので気にならないが、イザベラにとって大勢の目に晒される大浴場はつらいのではないか? 私は訝しんだ。
お尻まで伸びた麗しい赤髪を、イザベラは手で払い靡かせる。
イザベラは豊満で美しい胸を張ると、毅然とした態度で私の問いに答えた。
「聖女様、ご覧になって? わたくしに恥ずべき所など、一切ありませんことよ」
イザベラは腰に手を当て仁王立ちした。一糸纏わぬその姿は、まさに美の化身。
細く流麗な柳腰、黄金比のごとく完璧で芸術的なお尻、そしてなによりも……。
ご覧になってと言われたならば、こちらもガン見しなければ不作法というもの。
遠慮なくまじまじと見る。私は長年鍛え上げた観察眼で、彼女の解析を始めた。
ABCD……話にならぬ。EFG……まだ上がる。Hを超えた……ま、まさか!?
「……Iカップだと……」
驚愕と共に零れた私の言葉に、イザベラは口角を僅かに上げ微笑んだ。
彼女の豊満な霊峰は地の守護を忘れ、天に頂を向けて反逆の意思を示していた。
彼女の尋常ならざる肌のハリと靭帯の強靭さのなせるわざだろうか?
なんて無礼な霊峰なのだ。これはさらなる調査が必要なのは明らかであった。
改めてイザベラの肉体を見る。
ムダ毛など一切なく、常軌を逸するほど艶やかな肌は白磁のように輝いている。
足は信じられないほど長く、腕は細く柔らかく、可憐な手には白魚のような指。
その美しすぎる体に抱かれ、なでられた時は、まさに天にも昇る心地であった。
ああ、私のイザベラ。どうしてそんなに美しいの? どうして壊したくなるの?
ふと己に視線を移し、まじまじと見る。
細身だが鍛えられた筋肉質な体は腹筋が見事に割れており、手足は剣のごとし。
足首まで伸びた黒い髪、白い美肌、黒い瞳。己でも美しいと自負しているが――
「包容力たったのAAAか……ゴミめ……」
――胸の大きさはイザベラに遠く及ばなかった。Iカップに勝てるわけないよ。
包容力は物理的な胸の大きさに比例する。ママを求めて生きてきた私の真理だ。
ああ、そうさ。私はゴミだ。ゴミカスだ。レイどころかメイにすら劣る。
AAAの胸はただただ平らであった。
年齢的にはそろそろ大きくなり始めてもいいはずなのに……。
そう、年齢だ。九歳だというのに平均身長を下回っているどころか、ここ最近背がまったく伸びていない。一二八センチで止まっている。なぜだ? なぜ伸びん!
だが、今そのことは置いておく。イザベラの紫色の瞳を見つめて声をかけた。
「ほら、こっち空いてるぞ」
彼女の手を掴み洗い場へと誘う。彼女はそれに応じ、共に洗い場へと赴いた。
洗い場には風呂椅子が並び、各場所には蛇口とシャワーが備え付けられている。
空いてる風呂椅子に腰かけ、正式な主になってから、初めての命令を与えた。
「洗いっこ」
「ふぇっ?」
彼女は私の単純明快な命令を理解できないようで、間抜けな声で聞き返した。
だが、私はそれ以上何も言わない。
彼女は聡い。だから、私がすることは彼女を信じて待つことだけだ。
甘えさせはしない。私の命令を理解するのは彼女の仕事だ。
しかし、この状況を見かねたのか、私たちに横槍を入れる者が現れた。
「お困りですか? 聖女さま」
聞き覚えのある声に振り返る。
どこにでもいるような、なんてことのない茶髪の女の子。
なんてことのないとは思えぬ部分があるとしたら、むちむちながらもスタイルが抜群なところだ。サイドだけが長いロングボブという髪型も個性的である。
顔馴染みの修道女を見据えると、その茶色の瞳が揺れた。潤んだ瞳に私が映る。
邪魔するな。つい口に出しそうになるも思いとどまり、代わりに命令を与えた。
「シータ、私の洗い方をイザベラに教えてやれ」
修道女シータは今年の年始にふらりとやってきた、十七歳の元錬金術師だ。
錬金術工房が倒産し借金を抱え奴隷商人に売られそうになるも、治安活動という名のストレス発散で、聖騎士と共に悪党たちを殺して回っていた私が助けたのだ。
その後、なんやかんやあってシータは洗礼を受け修道女となった。
私の命令を聞いたシータは、目を輝かせて元気よく返事をする。
「はい! 聖女さま、僕にお任せを!」
シータは海綿製のスポンジを湯で濡らし、石鹸で擦り泡立たせ始めた。
イザベラに目を移すと、同じくスポンジを石鹸で擦り泡立たせている。
どうやら上手くいきそうだ。手本がいれば私の世話も覚えやすかろう。
二人にこの身を任せる。体の右側をシータが、左側をイザベラが洗うようだ。
二人の手によって、私の体が洗い清められる。
泡立つスポンジに擦られ、二人の手が優しく触れる。されるがまま清められる。
私の聖騎士を師匠の探索に赴かせたせいで、私の世話をする者がいなくなった。
そのため、教皇が教会内で希望者を募り、交代で世話をしてもらっていたのだ。
シータは私の世話をしてくれた中の一人で、世話好きで優しい普通の女の子だ。
〈教会百名山〉の一人で、包容力Hカップという巨峰を有する強者の中の強者。
「んっ……」
思わず声が漏れる。何の前触れもなく、私の股間にイザベラの手が伸びたのだ。
予想していなかったイザベラの奇行に眉を顰める。恐れ知らずか? 処す?
すると、奇行を諌めるためだろう、シータが声を張り上げイザベラに抗議した。
「ちょっと! 邪魔なんだけど? その手をどかしてくれる?」
「聖女様の御身を他人に触られるだけでも業腹ですのに、大事な秘部に触れさせるなどありえませんことよ。清めるのは侍祭である、わたくしの務め。慎みなさい」
シータの抗議にイザベラは即座に反論した。二人の間に険悪な空気が漂う。
なるほど、イザベラは正しい。確かに言われてみればそうである。
私の世話は彼女の仕事だ。教会の仕事、聖務を奪うことは許されざる罪である。
だが、私は何も言わない。現人神である聖女が、下々の些事になど口を挟まぬ。
聖職者同士の争いは自力救済が原則。師曰く「修行の一環」なのだそうだ。
己を守れぬ者が弱者を守るなど片腹痛い。強くなければ何も守れないのだ。
しばらく睨み合いが続いていたが、イザベラはシータを無視し聖務を再開した。
イザベラは泡立つ柔らかなスポンジで、私の股間を優しく洗い始める。
イザベラがその身を私に寄せると、柔らかな感触が背中に伝わり胸が高鳴った。
指がふとももに触れ、優しく股を開かせる。心地よい甘い吐息が耳に注がれる。
美しい手が私のふとももを滑るようになでた。イザベラはスポンジで股間を――
「僕が手本を見せてあげる。さっきから洗い方が足りてないよ」
――シータがそう言うと、領有権を主張するように私の股間を洗い始めた。
人の股間を取り合うのやめろ?
すると、怒りを露にしたイザベラが、シータの手を掴んで捻じり上げる。
イザベラは強化魔法を発動し、明らかにシータを破壊せしめんと力を込める。
イザベラの表情が険しくなると、怒りを湛えた口調でシータを上品に罵倒した。
「お言葉ですが、足りないのはあなたの頭のほうではないかしら?」
イザベラの強化魔法の出力が上がり、シータの手がみしみしと歪な音を奏でる。
だが、シータも負けてはいない。錬金術師は素材採取のため危険な地に赴くことなんて日常茶飯事。包容力で負けても戦闘力では負けまい。シータの目が据わる。
本気になったシータが全力で強化魔法を発動する。余波で周囲の空気が弾けた。
やはり〈教会百名山〉は伊達じゃない。教会内でも実力者の一人だろう。
「僕が思うに、君に足りないのは思いやりだよ」
シータがそう指摘すると、イザベラの手から抜け出し、続けて優しい声で語る。
「聖女さまは命の恩人で、僕の全てを捧げても足りないくらいの恩があるんだ」
危機を救ったけれど、悪人たちを聖女神拳で玩具にして遊んでただけで……。
二人が組み合い、手四つ、力比べとなった。イザベラが吐き捨てるように罵る。
「なら命を捧げて儚く散りなさい。わたくしの聖女様から離れてくださらない?」
「何を言ってるのかな? この泥棒猫は……聖女さまはね、みんなのものだよ?」
二人は表情を険しくし対立を深め合う。鼻先が触れ合うほどの距離で睨み合う。
自然と互いの巨峰が激突しその山体を歪め合う。私を挟んで二人がいがみ合う。
そして、私は山にうずもれる。
酸素の供給が断たれ、死者の国へと旅立つ準備が整った。
初めての旅行は死者の国、死者の国でございます。搭乗券をお持ちになり……。
「じむぅ! じむぅうううう!」
大声で二人に抗議したが、届いてるはずの私の声は完全に無視された。なんで?
いやいや、ヤバイ、ヤバイって! 死ぬ、死ぬぅうううう! マジで、マジで。
ざっけんなこらー!
私は声にならない声で叫ぶと、口を塞ぐ柔らかな巨峰に噛みついた。
命の危機ゆえに加減などできず、歯を立てて齧りつくようにして苦痛を与えた。
「んあーっ!」
与えた痛みにイザベラが反応し声をあげた。私を拘束する四峰の封印が緩む。
活路が開けたその瞬間、風呂椅子から立ち上がると、二人を声高に叱責した。
「さっさと洗え! この痴れ者が!」
喧嘩に巻き込まれて窒息死しそうになれば怒鳴りたくもなる。
「申し訳ありませんでした、聖女様……」
「ごめんなさい、聖女さま……僕は……」
二人は申し訳なさそうに謝罪をしたが、釈然としないようで共に言葉を濁した。
二人の頭に手を乗せると、艶やかな髪を優しくなでて慰める。そして命令した。
「洗い清めよ」
二人は黙って私の命令に従った。
二人はお尻を丁寧に洗うと、脚を丹念に清めて、首を垂れて足を念入りに磨く。
イザベラがシャワーを手に持つと、勢いよく噴き出す温水で、私の体を濯いだ。
白肌が輝く。だが、これで終わりではない。私は二人にさらなる命令を与えた。
「次は髪を洗え」
風呂椅子に再び腰かけると、体から力を抜いて、二人の手にこの身を預けた。
足首まで伸びた私の黒髪は、まるで地に落ちた影のように床に広がっている。
己でも思う。あまりにも長すぎる。こんなの洗うの絶対面倒くさいだろうけど、私が洗うわけではないから……生まれてこの方、髪を己で洗ったことなどない。
聖女の世話は女神教会の大事な聖務だ。
だから、その大事な聖務を奪うことはしない。
生まれてから髪を一度も切らずにいるのは、聖務を効率よくすませるためだ。
聖女の力の最大出力を決めるのは体積だ。それゆえに、髪を伸ばしているのだ。
私はただでさえ平均身長を下回っている。
少しでも体積を稼ぐため、苦肉の策として髪を伸ばすしかないのだ。
成長の鈍化を考えると、将来が不安になって仕方がない。
私はちゃんと大人になれるのだろうか?
自問自答する。大人とはなんだ? 体が大きくなれば大人なのだろうか?
イザベラとシータが私の髪を洗い始める。
清涼感のあるシャンプーの香りが私を包み、二人の指が頭を優しく揉みほぐす。
瞳を閉じ、されるがまま、心地よさを味わう。
イザベラは背が高い。目算だが、おそらく一六五センチ弱はあるだろう。
シータはイザベラより僅かに背が低い。一六〇センチ強はあるはずだ。
二人は私の髪を懇切丁寧に洗う。
その指先の動きから大切に扱われているのがわかる。
思わぬ重労働の疲れからか、二人の吐息が荒くなり甘い響きを木霊させていた。
成長期が一五歳までとして、六年間で平均五センチ伸びても一六〇センチ未満。
だが、それでも楽観的な予想だ。ここ半年、私の身長は一ミリも伸びていない。
不安を抱えていても、おくびにも出さない。なぜなら、聖女だからだ。
私はうろたえない。人々を導くためにも、常に現人神であらねばならないのだ。
だが、それではあまりにも息苦しい。だから求める、ママになってくれる人を。
甘えたい。ただただひたすらに甘えたい。
私が知らない愛をこの身に教えてほしい。
もし師匠がママになってくれていたのなら……そうであってくれたのなら……。
二人が私の髪を洗い終わり、イザベラがシャワーで泡を濯ぐ。叶わない願いごと温水で洗い流されてゆく。ああ、夢幻泡影よ。望みはなんだ? 私の望みは……。
「ご苦労、よき働きであった」
思考の海に落ちていく頭を無理やり働かせ、洗い清めた二人に感謝を述べた。
「聖女様、リンスはなさらないのですか?」
「必要ない」
イザベラの疑問に即答すると、聖女の力を発動して命の魔力を全身に漲らせる。
たちまちにして、黒髪は宝石のように煌めいて、白肌は白磁のように艶めいた。
二人はため息を漏らす。権能をもってすれば、美容を保つことなど造作もない。
美容品どころか化粧すら必要ない。ただひたすらに美しい。それが聖女である。
「イザベラ、次はおまえの番だ」
「え? あ、ん?……ええっ!?」
イザベラは混乱しているようだが気にしないことにした。
立ち上がり、彼女を無理やり風呂椅子に座らせる。
状況を飲み込めないのか、彼女の紫眼が所在なさげに揺れている。
彼女の背後に立ち、肩に手を添える。艶やかな白肌に触れながら彼女に告げた。
「洗いっこ。だから、洗ってあげる」
「そんな恐れ多い。わたくしは――」
遠慮する彼女を黙らせるため背後から抱きしめると、豊満な霊峰を鷲掴む。
「ひゃあ!?」
心地よい悲鳴が私の耳を楽しませる。なぜだかわからぬが無性に触れ合いたい。
そして壊したい。イザベラをただひたすらに壊したい。滅茶苦茶に滅茶苦茶に。
だが、今そのことは置いておく。未知の衝動を抑え込み、私は謝罪した。
「ごめんなさい」
左手がイザベラの霊峰につけてしまった傷跡をなでる。
芸術的で完璧な桃色の山頂は、私が与えた傷跡が近くにあるせいで痛々しい。
「傷跡、治すね」
「お、お待ちください!」
私がつけた傷跡――歯形――を治そうとするも、なぜか彼女は待ったをかけた。
なぜだ? 至極単純な疑問を解決するには、本人に聞く以外の方法はなかった。
「なぜだ? 遠慮してるのか?」
「いえ、そのままにしていただければ……」
私の問いに彼女は即座に答えるも、真意は隠したままだ。なぜだ? なぜ隠す?
イザベラの奇行は今に始まったことではないが、いささか理解に苦しむ。
不可解な言動に思わず手に力がこもる。彼女の艶めく唇から甘い吐息が漏れた。
手と手が重なり合い、彼女の白魚のような指が、私の指を貪るように絡め取る。
「わたくしだけの……ぁあ、聖女様ぁ……」
イザベラの甘やかな声が私を妖しく誘う。
備え付けられた鏡越しに、紫の瞳が、その瞳を映す黒の瞳を求めて覗き込む。
未知の衝動に駆られ、もう狂いそう……。
「聖女さま! お気を確かに!」
だがしかし、この状況を見かねたのかシータが横槍を入れてきた。
逆鱗に触れたのか、シータには珍しく怒りを滾らせ、イザベラに怒鳴り散らす。
「なんとふしだらな! 聖女さまをこともあろうに誘惑するなんて……魔女め!」
聖職者に対して魔女は最上級の罵倒だ。
決闘も辞さないほどの屈辱的な言葉で、シータはイザベラを罵った。
穏やかではない。このままでは死者が出るだろう。
それでも聖女が口を出すべきではない。出すべきではないが、あえて口を出す。
「興が削がれた。二人共、頭を冷やせ」
イザベラの手を払いのけると冷たく突き放し、湯船に向かって一人歩き出した。
背中に彼女の視線をひしひしと感じる。侍祭を放置するわけにもいかんか……。
「体を清めてから来い」
背中越しに冷めた声で命令した。彼女を視界に入れる気になれなかった。
思えば、私もいささか狂っていたかもしれぬ。いや、確実に狂っていた。
色香に惑うとはこのことか?
蠱惑的で美しい私のイザベラは、精神を狂わせるほどの魔性の魅力があるのだ。
私を誑かし甘い声で誘惑し堕落させる。
はっきりと言葉にしたわけではないが、私を誘惑したのは間違いない。
まさにイザベラは魔女だった。確かにシータの言う通りだ。
私は聖女、色香に惑わされるなど、許されるはずがない。