朧月愛すべき日々時想い
初めまして。
よろしくお願いいたします。
私は聖女である。名前は言いたくない。
どこで生まれたかとんと見当がつかない。
何だか暖かくてぽかぽかした所で微睡んでいたことだけ、心に焼き付いて……。
ママ――脳裏に母を表す言霊が紡がれる。
私は甘やかされて育った。抱っこが大好きで、ママは優しく包み込んでくれた。
ママさえいれば、私は幸せだったのに――
六年前、三月三日、私の三歳の誕生日。
窓から差す月明かり、魔道具の灯揺れる。自室で、愛しのママがソファに座る。
思いを馳せるだけで、心の井戸から郷愁が溢れた。私は影となり、童心に帰る。
お風呂ではしゃいだ水遊び。夕飯に食べたケーキの甘い味。優しい誕生日。
幸せを噛みしめる。私は抱っこされて、温かい気持ちでママに甘えていた。
大好きなんだよって伝えたくて、強く抱きしめる。揃いの寝間着、汝の色。
からんからんと戦を讃える鐘声が響く。教会が夜を告げた。二十時、思ひ偲ぶ。
その時、ママはおもむろに口を開いた。
「我はママではない」
電流賜る! マ? ママではないってマ?
確かに言われてみれば、ママではない気がしてきた。改めてまじまじと見る。
私がママだと思っていた人は、女性というにはあまりにも大きすぎた。
大きやかなり、厚し、重し、かれ古強者。其は正に筋骨隆々、神さぶる肉叢。
その体には女性的な部分など欠片もなく、お尻は隆起し腹筋は神座のごとし。
柔らかな乳房があるはずの所には、岩壁のような鋼の胸筋が鎮座していた。
心が言っている、この人はママではないと。
「パパ、パパ~」
ママだと思っていた人が、実はパパだったと理解した。心が弾み顔がほころぶ。
甘えた声で愛情を求め呼びかける。巌のごときパパの力強い顔が僅かに歪んだ。
「パパでもない」
電流賜る! パ? パパでもないってパ?
告げられた衝撃の真実に、私は混乱した。ママではない、パパでもない。
なら巨大な体で鬼のような形相の、人か悪魔か見分けがつかぬこの悪鬼は誰だ?
もしかして、ママとパパは……この悪鬼に食べられてしまったのではないか?
そして、次は私が食べられてしまう番……なの、では、ないか?
「食べないでぇぇええええええ!」
泣き叫んで命乞いした。悪鬼の顔がさらに歪む。悪鬼は私の瞳を覗き、囁いた。
「食べぬ……何を怖がっておる?」
感情が爆発し涙がとめどなく流れる。斜めに心がひび割れて、怒髪、天を衝く。
「返して! 食べたママとパパを返して!」
「…………」
「ママ~!! パパ~!!」
世界が転覆する。ママはどこ? パパはどこ? どうして私はここにいるの?
もう何もわからない。私は恐怖に怯えて、ただただ泣き叫ぶ。
疑問は膨らむばかりで、それが混乱を助長し思考を停止させた。
「喝ッ!!」
轟音! 悪鬼の叱咤に絶句し涙が止まる。
目を丸くし、悪鬼を見つめる。悪鬼はその姿に似合わぬ、優しい声で告げた。
「我は大聖女ハオウ・セイジョ。育ての親、おまえの養母である」
理解した、大聖女はママとパパの代わりに私を育ててくれる人なのだと。
でも、頭の中は疑問だらけ。大聖女を見つめて、私は質問を投げかけた。
「どうしてママとパパを食べたの?」
「……食べてはおらぬ……」
大聖女は食べてはいないのだ。けれども、私にはなぜか理解できてしまった。
大聖女は両親を食べていない。でも……。
「どうして殺したの?」
私の言葉に大聖女は目を瞠る。
銀色の瞳が微かに揺れ、怪物の影のように伸びた銀色の御髪が震える。
悪鬼羅刹を指先一つで殺戮する強靭無比なる大聖女の肉叢が戦慄いた。
沈黙。二人の間に静寂が横たわる。
私は大聖女の鋭い目を覗き込む、その深淵に何を隠しているのか暴くように。
大聖女が瞑目する。その顔が苦悶に歪むのを見て、私は下顎に手を伸ばした。
「かなしいの?」
大聖女は答えることはなく、目を開くと、代わりに私の名を口にした。
「……セイジョ……」
私の名はセイジョ。立派な聖女にせんと、大聖女が私をセイジョと名付けた。
大聖女の哀しみを湛えた瞳に私が映る――長い黒髪、白い肌、黒い瞳の幼女。
大聖女の武骨な指先が頬にそっと触れる。大聖女は自らの覚悟を語り出した。
「我は……ママにはなれぬ……なれぬのだ。だが、師となり導くことはできる」
大聖女の強靭な手が私の頭をなでる、その膂力で傷つけぬようそっと優しく。
「セイジョが立派な聖女になれるよう、大聖女の名において聖女と認め鍛えよう」
大聖女の眉がギュッと引き締まる。
「聖女神拳の正統伝承者、セイジョ家次期当主セイジョ、我の全てを汝に与えん」
聖女が聖女に聖女? もう聖女だらけで、わけがわからなくなってきた。
「汝が歴代最強の聖女となるのだ。我が弟子、聖女セイジョ・セイジョよ!」
呼ばれた私の名前。心の底から叫んだ。
「変な名前やだぁああああああ!」
恨んだ。大聖女が聖戦の論功行賞で領地を得た時、セイジョ家を興したことを。
その上で、セイジョと名付けたことを。おバカかな? それとも、おバカかな?
大聖女に愛はあるのか? 私は訝しんだ。愛があるのならどうしてこんな名を?
私は覚えていなかった、両親が名付けた、本当の名を……。
この日から、師匠は甘やかすのをやめた。
そして始まる。立派な聖女になるための、つらく厳しい修行の日々。
誰よりも強くなると誓った。
最強になった暁には、私の師匠……大聖女に両親のことを問おう。
そして、その答えによっては……。
――この日の出来事が、グレるきっかけ。
私は聖女セイジョ・セイジョ。こんなダサい名前で呼ぶのはやめてくれ!
処女作を楽しんでいただけたら嬉しいです。
老若男女問わず喜ばれる作品にするため精進致します。
身命を賭して執筆する所存ゆえ、応援していただければ幸いです。