耳かきの可能性
耳掃除描写があります
それが夢である可能性はわからない。
Bさんはあまり家に帰りたがらない。
「もう大丈夫だってわかっているんですけど、どうしても」
それはもう習慣のようなものだった。
「放課後は、だいたい教室にいます」
宿題等をやるのはもちろんだが、それ以外にも趣味があった。
「他の人がいないとき、こっそり耳かきをしてます」
以前は家にいるときは、安心してできなかった。
同級生や友達が邪魔することもあったが、それでも学校でやる方が安全だった。
「誰もいない教室で、一人で耳かきをするのが、なんだか癖になってしまって……」
Bさんが思い描く、一番「平和」な時間だった。
竹製のスプーン型耳かきはもちろん、金属製のコイル型や綿棒なども取り揃え、その時々の好みで選び楽しんだ。
「ほとんど毎日やっているから、もう汚れなんてないんですけどね」
目を閉じ、こそこそ、コリコリと耳かきを動かせば、自然とリラックスできた。
「そうやって目を閉じて想像していると、耳の中の様子が思い浮かぶんです」
触覚だけを頼りに形を想像した。
3次元的な洞窟のような形があった。
「自分で自分の耳の形が分かるのって、少し嫌なんですけどね」
慎重に、だが優しく動かし、障害物に行き当たった。
「あれ、って思って……」
あり得ないほど大きなものがあった。
「どうしてなんだろう、って思いながらも、慎重にそれを引き寄せて……」
コリ、しゃり、と移動させた。
耳中では非常に大きく聞こえた。
「どうにか、手前の方までもってくることができて」
用意していたピンセットで、それをつまんで取り出した。
「これまでにない、大物でした」
古くなった皮が剥がれたのか、非常に大きなものだった。
「乾いてカサカサになったそれを、しばらく見つめていました」
なんだか妙に嬉しかった。
「最近は空気が乾燥してるからかな、って思いながら、また目を閉じて、今度は反対側の耳の中を探って……」
様子が、異なっていた。
「割と、耳垢は乾いてる方なんです」
だが、やけに湿っていた。
「まるで別の人の耳みたいで、でも、たしかに感触もあって……」
どうしてなんだろう、と思いながら耳かきで探り。「ヒッ」という悲鳴が漏れた。
「信じられないくらい大きな耳垢が、あったんです」
巨大で毛むくじゃらの、汚れの塊をBさんは見た。
耳かき越しの触覚だとは思えないほどリアルに。
「そんなはず、ないんです。ほとんど毎日のように耳かきしているんですよ?」
それでも、妙に音が聞こえ難くなっていた。
耳かきの先端で触れれば、ぐにり、という感触が伝わった。
「嫌だぁ、とか、そんなことを言いながらも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ワクワクしてました」
大物だった。
それは、奥の方まで繋がっていた。
常識的に考えればあり得ないなど、もはや頭に無かった。
「これ、一気に取れたら、すごい気持ちよさそうで」
それには、非常に高い技術を必要とした。
「千切れそうなそれを、慎重に慎重に動かして……」
じれったくなるほど僅かにしか動かない。
焦らず、だが、確実に入口方向へと動かす。
耳かきをするというよりも、洞窟内に置かれた巨大な内蔵を動かすようなイメージだった。
下手につつけば壊れてしまう。
やさしく扱わなければならない。
そうやって、「内蔵」の位置を、少しずつ変える。
「ずる、って感触があって」
一気に取ることができた。
「表に出たそれ、信じられないくらい大きかった……」
自身に入っていたものだとは思えなかった。
「興奮してるのか嫌なのか、自分でもわからなかったんです、でも、一刻もはやくきれいにしなきゃって……」
大物は済んだはずだ。
あとは細かいものを取り、綿棒で清掃すればいい。
「違ったんです」
綿棒に、妙な感触があった。
「いつも通りじゃなかった」
耳が服を着ている。
一言で言ってしまえば、そのような違和感だ。
ゴワゴワと綿棒との接触を妨げた。
「まさか、って思って、ピンセットを持って……」
入口を探り、わずかに飛び出たそれを摘んで、引っ張った。
「全体を、乾いた耳垢が覆ってました」
耳は、平均で横幅が3.5cmであり、縦幅は7cmだ。
ピンセットで挟み動かせば、そのすべてが一気に剥がれた。
世界が崩壊したような音がした。
凄まじい轟音と共に、それは耳から抜け出した。
べり、と取れて空気を地肌で感じた。
「良いことなのかもわからなくて、吐き気すらしました」
間違いなく最大級の大物だった。
これ以上ないほど一気に取れた。
毛すら付着したそれは、もはやイモムシのようにすら見えた。
「耳、どうなってるんだろうって、本当にわけがわからなくなって」
とっておきの、カメラつきの耳かきを持ち出した。
普段であればめったに使うことのないものだ。
スマホと連動し、カメラ越しに様子がわかる。
「ひょ、ひょっとしたら、虫でもいるんじゃないかって……」
明らかに異常だった。
何かが巣食っていると思えた。
「けど……」
何もなかった。
とてもきれいな、見慣れた耳の様子があった。
「そんなわけがないんです」
必ず異常があるはずだった。
これら耳垢の原因となるべきものが。
奥まで観察した。
「白い、半透明のものが見えました」
一番奥で立ちふさがっていた。
ああ、これだ、と思えた。
「きっと、こんなのがあるから、汚れが出たんだって……」
手に馴染んだ耳かきを持った。
「かき出して、取り出さなきゃ、って」
慎重に、耳中を移動させた。
耳のあちこちにかゆみがあったが、それらを無視して本丸へと到着させようとした。
「壊さなきゃ」
鼓膜を。
「ギリギリで、気づきました」
透けるほど薄い骨のようにも見えるそれは、音を聞くための臓器だ。
決して破壊してはならないものだ。
震える耳かきは、ほとんど触れる直前だった。
「なにやってるんだろうって、急に怖くなって……」
ゆっくりと、だが、急いで耳かきを穴から出した。
見れば、あれほど大量にかき出したはずの耳垢は、どこにもなかった。
机の上にあるのは、わずかな欠片のようなものばかりだ。
「夢だった、のかもしれません」
いつの間にか眠っていた。
その可能性はあった。
「けど、普段よりもよく聞こえるようになった気がしました」
誰もいない教室で、耳かきを手にしたまま、Bさんは椅子の背もたれに体重を深く預けた。
そうして、震える呼吸を繰り返した。何度も、何度も。
遠くでは部活動の掛け声がしていた。
風がそよぐ様子があった。
心臓がうるさく脈打った。
「怖かった……」
放課後の音を、Bさんは聞き続けた。




