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屋上のハシゴの可能性

それは、致命傷だった可能性がある。


ちょっとした小物制作を趣味としているAさんは、休みの日はよく屋上にいる。


「居住者には解放されてて、自由に使っていいのよ、あそこ」


他の利用者にあまり出会ったことはない。

実質的にAさん専用ですらあった。


「もったいないのよね」


家賃もの利用料も含まれているのだから、これを使用しないのは損だった。


「カッターナイフで、お手玉してたわ」


なんとなく、そうしたくなったのだそうだ。


「なによ、文句あるわけ? 十分気をつけてやっていたし、屋上外に落とすような間抜けじゃないわよ、こっちの範囲内で何やろうが勝手でしょ」


放り投げてはキャッチするのを繰り返し、その高さは徐々に上がった。


「……どれくらい高くやれるか、その挑戦はしたわ」


だが、落ちてこなくなった。


「引っかかった」


どこかに、ではなかった


「空中で停止して、落ちてこなかったのよ、カッターナイフが」


縫い止められたように、高所で静止した。


「しばらく待ったわ」


だが、風に揺れる様子があるばかりで、引力に従う様子がない。

カッターナイフは空に引っかかったままだった。


「あれ、借り物だったのよ」


屋上の使用と共に、工具類の貸し出しも行っていた。

オーナーは日曜大工を趣味としており、住居者にも薦めていた。


「こっちのせいじゃないわ。落ちてこないカッターの方が悪いのよ」


お手玉のように放り投げていたことを指摘した。


「あんなことになるなんて予想出来るわけ無いでしょうが! そりゃ、ビル外に落ちたのなら責任問題よ? けど、カッターナイフが重力落下を拒否するのは違うでしょうが!」


それでも、このままにしていいとは思えなかった。


「もし、別の人が来たタイミングでカッターが落ちたりしたら、嫌でしょ、誰だって」


だからこそ、簡易倉庫からハシゴを持ち出した。

本来であれば屋上階段の上へと行くためのものだ。


「苦労して、ハシゴを伸ばしたわ」


折りたたまれたものを展開し、立てかけて使うタイプだった。

ふらつきながらも、カッターが浮かんでいる地点まで伸ばした。


「ちゃんと、ひっかかったのよ」


何も無い空中に、ハシゴの先端は固定化された。


「何回か揺らして試したけど、意外としっかりしてたわ」


Aさんは慎重にハシゴを登った。


「一段登るごとに、怖気がした」


何をしているのだろうという呆れ混じりの震えがあった。


「普通に考えたら、こんなことが起きるはずがなかった……」


以前に、枯れ葉や付け爪などの異常を体験したからこそ「こうしたことが起こり得る」と理解していた。


「少しずつ、けど、どうにか、カッターナイフの高さにまで着いて……」


存外簡単に、それは引き剥がすことができた。


「マジックテープについてたのものを取るくらいの感触だったわ」


用事は終わったと引き返そうとするが。


「……ハシゴが、伸びていたわ」


限界まで展開させていたはずだった。

だが、更にその先にまで続いていた。


「青空があった」


何も無い空へ、まっすぐ伸びていた。


「気づくと、登っていたわ」


ほとんど衝動的な行動だった。

しっかりと手足を確認しながら、一段一段と上がった。


「登ったところで何も無い、それは分かっているのよ」


ちゃんと行く先が見えている。

先には空しかない。


「けど……」


妙な悔しさがあった。


「誰がどういうつもりか知らないけど、人のカッターナイフを奪おうとしたのよ? 一言文句を言わなきゃいけない」


元来のクレーマー気質に火が着いた。


「ハシゴを登った先に責任者がいるのかは知らない、けど、ハシゴを戻るよりはありえたわ」


強く登った。

ハシゴの先端につくと思えるタイミングで、再びのように伸びた。


「どんどん登ったわ」


どれほどかはAさんにも分からなかった。


「15分以上はやっていたわね」


その内、変化に気がついた。


「痩せてたのよ」


見慣れた自身の手が、細くなっていた。

ぴったりだった服のサイズがブカブカになっている。

足に力が入りづらい。


「このハシゴ、人の身体を素材にしてやがったのよ」


登るほどに、Aさんの肉体はやせ細った。

ハシゴの果てには、変わらず何も見えない。


「さすがに、もう戻らなきゃいけないか、って思えて……」


だが、気付いた。


「痩せてるというよりは、若返ってた」


不健康な痩身ではなく、肌艶のよい改善だった。


「何歳くらいになってたのかは、わからないわ」


スマホは手元になく、正確にはわからなかった。

だが、このハシゴは確実に、登るほど年齢による変化を吸い取っていた。


「やったわ、って思いながら引き返して……」


行きと違い、下を見ながらだった。

あまりの高さに恐怖したが、それとは異なる気づきがあった。


「……ハシゴを引き返すと、年齢もまた戻ってたわ」


吸い取った分が戻されていた。


「下を、よく見た」


目が眩むほどの高さだった。

屋上がとても小さい。


「このまま一段一段ハシゴを降りたら、元通りよ」


差し引きゼロであり、何も変化は起きない。


「けど、もし、ここでハシゴから手を離したら?」


この年齢のままでいられるのではないか。

Aさんには、そのように思えた。


「……どれくらいの高さが危険なのか、わからない。もうちょっとハシゴを降りた方がいいのかもしれない、けど……」


今がベストだった。

この姿のまま、地上に戻りたかった。


「高さは、下げられない、でも」


そのためには、紐無しバンジーをしなければならない。


「ハシゴはひっかかっているものがどこかにあるんじゃないかって探ったけど、何もなかったわ……」


そもそも、この高さまで生身で上がっている。

何かしら物質的な引っ掛かりがあれば、それに触れているはずだった。


「少し、いえ、かなりの間、悩んだ……」


両足が折れるだけで済むかもしれない。

リスクに対してリターンは十分あるはずだ。


若返りだ。全人類の夢だ。

遊園地のジェットコースターの、少しだけ危険なバージョンじゃないか。


しかし、自身をどれほど騙そうとしても、現実に味わっている高さには敵わなかった。


「落ちれば、死ぬ、そう確信してたわ……」


ハシゴを持つ手はぶるぶると震え続けた。

短く荒い呼吸を何度も繰り返した。


「結局、諦めることにした」


若さよりも命だと思えた。


「けど……」


その決断が緊張を緩めた。

Aさんは、降りようとした右足をすべらせた。


乗せようとしていた体重が空を切り、左足もまたハシゴから外れた。

全体重が両手にかかるが、やせ細った腕は耐えきれなかった。


手足すべてが、離れた。


「落ちた、のよ、確かに」


掴もうと手を伸ばすが爪が剥がれた。

むしろ押し出す格好となりハシゴから離れる。


「叫ぶ暇すら無かった」


視界がぐるぐると周り、すべての内蔵は浮き上がった。

高速で地面が近づくのがわかり――


「止まったわ」


まるで、カッターナイフ宙で止まったように。

屋上の床の、すぐ手前で静止した。


「全身が、痛かった」


だがそれは、安心安全なものではなかった。


「こっちの身体の何かが奪われて、ハシゴの素材にされてた」


見えないだけで、ハシゴとAさんにはつながりが出来ていた。


「それが落下を防止してた」


バンジージャンプはきちんとハーネスによる固定がされているが、Aさんのそれは「身体のすべてに直付け」されたロープだった。


「苦しさのあまり叫んで泣いて、救急車を呼ばれた」


そうして病院へ行ったが、医者は首を傾げるばかりだった。

全身にダメージがあるのはわかるが、その痛み方が見たことのないものだった。


「もう、こりごりよ」


今Aさんは、病院のベッド上で全身に包帯を巻いている。



挿絵(By みてみん)


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