トラバサミの可能性
一部流血表現があります
ご注意ください
それは、Uさんが行っている戦いの参加者が設置した可能性が高い。
「た、助けてくれ!」
そう呼びかけられたのは、丙玲横丁でのことだった。
市職員は聞き取り調査からの帰り途中だった。
横断歩道が変わろうとするタイミングであっても道路の真ん中で身動きを取らず、叫び続ける男性がいた。
よくよく見れば、右足を動かそうとしているようだ。
だが、まるで接着剤でも付着したかのように、微動だにしない。
市職員は、まだ仕事時間内だった。
スマホで応援を呼びながらも近づき、事情を訊いた。
「わ、わからねえよ! なんだ、なんなんだ、こりゃ!?」
左右二車線道路の真ん中だ。
クラクションを鳴らしながら車はびゅんびゅんと横を通り過ぎた。
「な、なんかわからねえけど、痛えし動かねえ!」
失礼と断りを入れてから、その男性の足の様子を確かめた。
どうやら、わずかに足を浮かすことはできるようだ。
「クソ、なんだ、これ、どうなってんだ!」
ただし、ギザギザしたものが食い込んでいた。
スーツの衣服など関係なく、がっちりと食い込み、離さない。
いわゆるトラバサミのように見えた。
ただし、完全に透明であり、見ることができない。
「トラバサミぃ!? なんで……」
それは市職員にもわからない。
だが、特性は不可視だけではないようだ。
「いた、痛い? は? これ……」
通常のトラバサミはバネ構造を用いるため、罠にかかった瞬間こそ最大の威力を発揮する。
これは、徐々に力を強めていた。
服越しに食い込む刃が、深くなっている様子がわかった。
「嘘だろ、え、これ……い゛ぃッ?!」
滲む程度だった血が、吹き出した。
太い血管を破ったようだ。
「な、ふざ……」
男が暴れて外そうとするが、そもそも触れることができない。
市職員も同様だ。
その傷の様子はわかっても、原因となるものに干渉できない。
「職員さん! たのむ、なんとか、なんとかしてくれ、このままじゃ、このままだとっ!」
トラバサミの力は強くなり続けている。
最後まで閉じることが予想される。
「俺の足が、なくなるだろうがよォ!!」
叫び声に呼応するかのように、更に血が流れ出す。
足首から先はもう真っ赤に染まっていた。
「あんたか、それともこれ、あんたのせいか!」
さて、消失物と呼ばれるものは、その性質が曖昧だ。
ただ、同じ陣営に属するものであれば干渉出来る様子だ。
反対陣営そのものである市職員では、このトラバサミに触れ、外すようなことはできない。
そもそも、罠とは発動した時点で終わりであることが多い。
「絶対にそうだ、おまえだろ、おまえがこれやったんだろ、なんの恨みがあるんだ責任とれよこのサイコパス、なに食ってたら人にこんなことやれるんだよ、どうかしてんじゃないのか頭の配線切れてんだろ、だからこんなことしてそんな平然としたツラしてんだ、絶対そうだ……!」
だが、こうした消失物は人の意識に働きかけることが多い。
無いはずのものを「ある」と強烈に思わせる。
だから、骨が軋み、今にも砕かれ切断されようとする状況も「そう思わせている」だけである可能性がある。
「ざけんな、ふざけんな、全部お前のせいだ……」
青ざめた顔で、ぶつぶつと恨み言を言うその男は、その切断寸前の様子を見ようとしない。
市職員の方すら見ず、空を虚ろに見上げ、ただその肉が剥がれ、骨が壊れる感覚だけを受け取っている。
「違う、違う、俺は……」
左右行き来する車すら見ず、男はただぶつぶつと言いつづける。
その様子も、本来であればあり得ない。
足が千切れようとする最中に独り言を言う余裕などない。
スマホを見た。
Uさんたちは間に合いそうになかった。
手元には見えないブロックはあるが、これによる破壊がうまくいくとも思えない。
下手をすれば切断の後押しとなる。
従って、市職員はその背後に回り込み、男の首筋を締め上げた。
いわゆる裸絞だ。
「ひゅ――!?」
酸素を求めて脈動する喉の動きを感じた。
その脈動すらも、力付くで締め閉ざした。
「やっぱ、り……ぃっ……ッ!」
暴れる動きに合わせて足の傷も広がる。
だが、やがては手がだらりと垂れた。
上手く気絶させることができた。
慎重に、男を引きずった。
まだ車は左右を行き来している。
男の身体は、先程までの拘束などなかったかのように動かすことができた。
予想通り、これは意識に対して主に作用するものだ。
意識がなければ無効化される。
右足首を確かめれば、服は破れてすらいなかった。
肌には濃い青痣がいくつも出来ていた。
見れば、血の跡すら消えている。
「あ、あ……?」
男は、しばらくしてから起き出した。
己に起きた出来事をようやくのように認め。
「その、悪い……」
バツが悪そうにそう謝った。
だが市職員は、青信号を渡る人々がそこを踏まないよう誘導するのに忙しい。
しばらくの後、透明なトラバサミがあった地点で、ひどく残酷な金属同士が打ち合わさる音が響いた。
閉じきったのだとわかった。
放置していれば、このタイミングで切断された。
同じ地点を市職員が触れても変化が無かったため、青ざめ立ち尽くしているその男にもう一度ここを踏んで欲しいと頼んだが、土下座する勢いで謝罪された。




