偶山の可能性
色々と思い悩むことがあるものの、対処課としての仕事は変わらない。
特に今の妙求市であれば尚更だ。
陽爻神社の参道付近で、Rさんが倒れているとの通報があった。
警察に見つかるよりも発見し、保護できたことは幸いだった。
病院に向かう道すがら、意識を取り戻したが、Rさんは家に戻るよりも前に事情を話したいという。
「ちょっと、俺自身の中でも、整理したいんです」
対処課のオフィスに案内し、暖かいお茶を薦めた。
よほど冷えていたのか、両手で抱えるように飲んでいた。
「陽爻神社の向こうに、山があるじゃないですか」
正式には偶山と呼ばれているが、その名では呼ぶものは少ない。
妙求市で「山」と言えば、それを指した。
「年中ずっと閉山してて、登っちゃダメなところですよね」
霊山として扱われており、管理者により入山を禁止されていた。
開かれるのは年に数回だけだ。
「けど、山頂までの道のりは、すごく整備されてて……」
通常、山というものは放置すれば道が消える。
木々が生え、岩は転がり、歩道のための木は腐る。
不断の整備によって初めて道は道となる。
「登れるルートは、ちゃんとしてる。門とか門番がいるわけでもない、だから、友達と連れ立って行ってみようぜ、って話になったんです」
三人ばかりの友人といっしょに向かった。
「飯とか飲み物とかリュックサックに詰め込んで、ちょっとした冒険の気分でした」
地元でありながら、初めて来る場所だった。
「木ばっかりで思ったより見晴らしはよくないんだなとか、まだ疲れてないとか言い合いながら、割と長く登り続けました」
スマホの電波は入らなかった。
登山用地図アプリは入れたが、現在地の表示は出発地点から動かなかった。
ぐねぐねと折れ曲がりながら行き、ときには大回りするようなルートを強制された。
今現在、どれほど登っているかも分からない。
「それでも登る内に、空気って言うんですか、それが違っているのは感じました」
ごく僅かだが、たしかに街中とは異なった。
「どうしてみんな来ないんだろう、もったいないなとか、そんなことを言い合ってました」
順調な道のりだった。
コップを持つRさんの手が震えた。小さな声で続けた。
「途中、見晴らしのいいところがあって、妙求市が見えたんです……」
崖のような場所であり、視界を遮る木々が少なかった。
その見通しの良さに、思わず歓声を上げた。
「あれって学校だよなとか、俺の家どこだとか、しばらく騒いでたんですけど……」
ふと気付いたそうだ。
「学校は、山から見れば駅の向こうです、かなり遠い、そのはずだった」
だが、その「学校」は、近くにあった。
駅や線路に遮られてはいなかった。
「別の建物と勘違いしたのかな、はずかし、って話になってたんですけど」
特徴的な構造や、校庭の色合いなど、すべて憶えていた通りだった。
間違いなく、Rさん達の母校だった。
「なんで、って思って……」
見えるはずがない学校が、山から見下ろせていた。
「割といいスマホを持ってるやつがいて、そのカメラの望遠機能で確かめたんです」
四人でかたまりながら見た映像の中には、人がいた。
「俺の学校の制服でした」
誰かはわからなかった。
「たまたま知ってるやつがいた、って方が珍しいんですが」
それでも、違和感があった。
それはその一人だけではなく、その周囲に見えた生徒全員がそうだった。
「身体のバランス? それがおかしい気がした」
カメラ越しの映像だからと言うには、無視できない程度の差だった。
「やけに、腕が長かった」
後ろ姿しか見えなかったが、頭の形もどこか奇妙だと思えた。
ラグビーボールのように細長い。
「スマホのカメラって、割と補正を入れることが多いから、そのせいじゃないかって、無理に納得はしました」
だが、その場にいる全員が思った。
あれは、人間じゃない。
「……怖くなったんです」
通常、恐怖すべき対象は山だ。
日常とは異なる場所へと足を踏み出したからこそ、その先に異常と出会う。だが。
「あれ、本当に俺達が知ってる妙求市なのかな、って」
出発地点の方に、異常が生じていた。
誰ともなく、戻ろう、と言った。
一刻も早く戻らなければならないという切迫があった。
山頂を踏破するよりも、それは重要だった。
「帰り、同じような道を下って、でも、なんかそこでも違和感があった」
もうRさんはどれが正しく、どれが間違っているか分からなかった。
下山して三人と別れ、急いで家に戻った。
その途中で、ようやく引っかかりの原因に気がついた。
「俺達は、途中で山をぐるっと回るようなルートを取った」
偶山の頂上から見て南から入り、東側へと回り込んだ。
「俺達は山を背に、妙求市を見下ろした」
眼前にあるのは東方向の風景だ。
そこには無いもないはずだった。
「地図アプリで確かめてみても、絶対無いはずなんですよ」
あったとしても山々の緑の連なりしか見えない。
「じゃあ、俺が見たのって。山から見て東のあの町並みって、一体何だと思いながら帰宅して……」
おかえりなさい、と出迎えられた。
「俺、自分が狂ったのかと思った」
そこには母親がいた。
何も変化はなかった。
いつも通りの姿であり、応答だった。
「別人だ、って思った」
ここは自分の家ではないと確信した。
「何が違うのか、って言われてもわからない。ただ、とにかく、吐き気がするほど何もかもが違った」
ほんの僅か、壁にかけられた絵の配色が違った。
そのように思えた。
ほんの僅か、玄関のドアノブが低かった。
ほんの僅か、母親の目の位置がズレていた。
「俺、何も言わずに家を出ました」
呼びかけの声に応えることはできなかった。
別れたばかりの友人に連絡を取った。
誰も出なかった。
「どうすればいいのか、分からなかった」
警察が当てにならないのは、もはや常識だ。
なら、対処課に行けばいいのか。だが、それも違うと思えた。
「だって、気の所為だって言われたら、それまでだ」
否定できるだけの根拠を持たない。
また、その対処課が本物かどうかも、Rさんにはわからない。
「だから俺、また山に登ることにしたんです」
すでに日は沈み、赤くなろうとしていた。
山中に明かりの類は無かった。
「中腹のあの場所で、あの妙求市を見たから、こんなことになった。だったら、もう一度見れば、きっと戻る……」
かすかな希望でしかないが、それにすがるよりほかに無かった。
「日が沈んだ後の山って、本当に暗いんですよね」
スマホをライト代わりに使ったが、心許なかった。
「あっという間に電池は減って、ライトが消えて……」
手を前にかざしても、その指の形がわからないほどとなった。
「どこをどう登っているのか、本当に前と一緒のルートかもわからなかった」
だが、それでも登り続けた。
疲労困憊のまま、長く時間をかけて目指した。
この山の暗さより、あの自宅のほうが怖かった。
「開けた場所に出て、街の明かりが見えて、そして……」
そこで、Rさんの意識は途切れた。
「……俺、陽爻神社で見つかったんですよね?」
そのように通報を受けた。
階段前で、石段にもたれかかるように倒れていたと。
「そんなの、絶対にありえない。間違いなく俺は山を登ってた。遭難じゃなくて、迷子扱いなのは、納得できない」
その目は疑っていた。
声に出さずとも聞こえた気がした。
お前は本物か?
市職員は事情を受け止め、理解し、頷いた。
Rさんを強引に車に乗せ、その自宅へと向かった。
抵抗したが鎮圧した。
Rさんの宅のチャイムを押すと、こわばった顔の女性が出た。
Rさんには、車の中からその様子を見てもらった。
本物か偽物か、自身の目で確かめてもらうしか無い。
「!」
市職員が何かを言うよりも先に、Rさんが車から飛び出た。
驚き、次に叱ろうとする母親の前で、Rさんは崩れるように膝をついた。
「よかった、よかった、戻れた……」
嗚咽を漏らし、両目から涙をこぼし、何度もそう繰り返していた。




