透明階段の可能性 前編
一部流血表現があります
ご注意ください
そのゲームは、いままでも行われた可能性が高い。
Kさんの相談は、夢についての話だった。
「うん、夢、たぶん、夢だと思う」
ただし、どこかひっかかりを覚えるのだという。
自らの手の形を確かめながら、Kさんは続ける。
「階段を、一段一段昇ってた」
それは、透明な階段だった。
なぜ、どうして昇る必要があるか、Kさん自身にもわからなかった。
妙求市の夜の町並みの上を行き、地表は少しずつ遠くなった。
一段一段を登る動作は、やけに遅かった。
慎重に動かなければならない恐れがあった。
夢特有の、脈略も理由もない強制を自然と受け入れた。
しばらく階段を登り続け――
やがて、音が聞こた。
「シャトルランの、あの音だった」
特徴的な音階の音が、耳元で鳴った。
それに合わせる形で、階段を上がった。
「風が吹いて、ちょっと大変だった」
見れば透明な階段は、下の方からシャトルランの音階に合わせて無くなった。
「なんで登ってるんだろう、変なの、って思った」
足元は透明だ。
真下は道路であり、車が通る様子が見えた。
顔を上げれば、句丹間の高いビルがあった。
「あの一番高いやつね」
階段は、そこへと向けて伸びているように見えた。
シャトルランの音は繰り返され、Kさんは順調に階段を上がった。
「……前にも、これと同じ夢を見た」
透明な階段を登る感触、夜の風の冷たさ、滑り落ちてしまうのではないかという恐怖。
それらすべてには憶えがあった。
「前は、失敗したんだ」
だから失った。
何を失ったのかは、思い出せない。
「けど今回は、負けない」
Kさんはそう決意した。
シャトルランがそうであるように、徐々に難易度は上がった。
間隔は短くなり、階段の高さも上がった。
「すごく足を持ち上げた」
それでもまだ楽な範囲だ。
20メートルを走る時間をかけて、階段を一段登ればいい。
「一回、危ないときがあったんだ」
どうやら、音階の終わりとは別に、両足を離した瞬間にも階段は消えるらしい。
足をすべらせた際、それを認識した。
「あれは、うん、やばかった……」
咄嗟に次の階段につかまることができなければ落下した。
「けど、まだ大丈夫」
注意すればまだ平気だと思えた。
それでも、呼吸は荒くなった。
「だんだん、きつくなった」
それは体力的なものだけではなかった。
「昇った時に思い出した。違う、そうじゃない。無理やり、思い出させられた」
前の、失敗したときの記憶だった。
足を踏み外して落ちた。
支えるものが何もなく、地面に向けて落下する。
下方すべてを見晴らすことができる、本来であれば不可能な視界。
内蔵が浮き上がり、叫びは上げる端から上へと置き去りにされ、アスファルトが迫り――
身体の内側が爆発する音を聞いた。
ひどく硬いものが複数同時に割れる様を体感した。
眼球が眼窩からこぼれ落ち、左右が別のものを見た。
頭蓋骨から溢れている様子がわかった。
「……夢だなんて思えなかった、すっごくリアルだった」
足が震え、身動きが取れなくなったKさんを動かしたのは、シャトルランの音だった。
下がる音階が、つい先ほど味わった落下を想起させた。
「必死に、昇った、本当に必死だった」
そのたびに地上との距離は遠くなった。
「いつ、それが――前に落下したときの記憶が来るか、わからなかった」
登るのが怖くなった。
そもそも、どうしてこんなことをしているのか。
「けど、戻ることだって、もうできない」
見えない階段は上がる端から消えている。
昇った先にしか、見えるビルの屋上にしか、安全に足をつけれる場所はない。
既に、相当の高さにまで来ていた。
恐怖に震え、踏み出すことを繰り返した。
その横で、呼吸音が増えた。
「誰かが、一緒に昇ってた」
同じ階段ではなかった。
だが、並走するかのようにもう一本の見えない階段があった。
「誰かは、ちょっとわからなかった」
人影としか見えなかった。
ただ、シャトルランの音は、どうやら同じものを聞いていた。
上がるタイミングが一緒だった。
「少し、嬉しかったんだ」
落ちたときの記憶は、強制的に想起される。
夢の中で「落下する夢」を叩きつけられた。
「高くなったら、落ちる時間も長くなった」
その分、落下速度と威力も増した。
頭蓋骨が砕ける様子を、繰り返し体感した。
同じ恐怖を、横の並走者も感じているとわかった。
「震えてる姿が、こっちと同じだった」
怯えているのが一人ではないとわかった。
「昇って、昇った」
ビルの屋上を目指して二人で登り続けた。
時に「落下の感覚」を食らった。
「励まされた、と思う」
声は聞こえなかったが、そうしている様子があった。
だからこそKさんも、うずくまって動けなくなったその人に向け、諦めるなと叫んだ。
「がんばった」
一歩一歩、だが確実に階段を昇った。
「けど……」
方向としてたしかにビルを目指した。
そこがゴールであり、安全に降りれる場所のはずだった。
だが、階段は、その横を通った。
「走って跳んでも、届かない、それだけズレていた」
ゴールはビル屋上ではなかった。
「透明な階段は、まだまだ上に伸びていた」
果てなどないように見えた。
「ようやく、気付いた、思い出した」
横の人影を見た。
まるで並走するように、同じタイミングで昇っている人を。
「以前、失敗したのは、この人に突き飛ばされたからだった」
かなりの高さだ。
風が強かった。
少しバランスを崩しただけで、あっけなく落下する。
「このゲームの目的は、二人で屋上まで到達することじゃなかった」
どちらかが生き残れ。
どちらかを、落とせ。
それが、このゲームのクリア条件だった。




