白く踊るものの可能性
Sさんは最近、眼鏡を買った。
「そこまで目が悪いわけじゃないんですけど、大学の黒板が遠くて……」
後ろの席で静かに過ごしたいSさんにとって必要だった。
「お陰で、とてもよく見えます」
日常生活で困るほど悪い視力ではないが、付けたまま街中に出た。
「ちょっと感動するくらい、よく見えるんですよね」
ぼんやりとしか分からなかったものが明確な形となった。
「いままで、すごく悪い画質だったんだなぁ、って」
脳に伝わる情報の精度が上がった。
「ただ、余計なものまで見えるようになって……」
踊る人だった。
「最初は、暗くなったダンススタジオでした」
帰り道、すっかり日が落ちた町並みの、遠くの方にそれはいた。
ガラス張りの、普段であれば運動する人たちがいるはずの場所に、踊る人影がいた。
「白くて、よく見えなくて、でも、たしかに踊ってて……」
せっかく視力が良くなったというのに、そこだけぼやけた。
「都市伝説で、くねくね、っていますよね、それかとも思ったんですが」
田舎などに現れる正体不明の存在だ。
実体としてはわからず、理解すれば精神に異常を来たすものだと言われている。
だが、どれほど見ても、Sさんに変調は起きなかった。
むしろ注目するほどに、その奇妙な踊りは激しさを増した。
「へんなの、って思って、無視することにしました」
だが、次の日以降も見かけた。
「時と場所を選ばないんですよ」
マンション二階のカーテン越しに、踊っているシルエットが映った。
コンビニの中に白いものがブレイクダンスをしていた。立ち読みしている人がぶつかり、驚いていた。
大学で授業中、中庭でムーンウォークしている姿を見かけた。やはり歩行者とぶつかり、一方的に突き飛ばした。
どれも、Sさん以外は認識できなかった。
「すぐブザーを鳴らせるよう、スマホアプリを入れました」
不審「者」でこそないが、周囲から即座に注目を得る手段が必要だった。
「都市伝説のくねくねは、見たら終わりです。けどこれは、むしろ見て欲しい様子です」
それでも、ルールや法則性はあるようだった。
「見え始めたのは、この眼鏡をつけてからでした」
裸眼では見えなかった。
眼鏡を外せば姿は消えた。
「それと、踊っている場所も、ガラス越しなんです」
Sさんのつけた眼鏡と、街中にあるガラス、透明な二重の向こうにしか姿を現さなかった。
「変なもの、ではあるんですけど、離れた場所に出る変なもの、でもあるんです」
その白いものが踊る場は、どうあってもSさんに触れられない地点に限定された。
「たぶん、眼鏡を買った店が悪かったんですよね……」
正確には店名を憶えていないが、古物店で売られているのをかけたところ、ちょうど度が合っていたので購入した。
「すごく、いい眼鏡なんですけどね」
できるだけ眼鏡は外して生活しよう、そう決意した矢先だった。
「ふと、気づいたんですよ」
変わらず踊る存在は現れる。
「だんだん、その現れる地点が近づいてます」
一番最初に見かけたのはダンススタジオだ。
かなりの遠方に出現した。
次にマンション二階、それなりの距離がある。
その次はコンビニ、道を挟んだ反対側だ。
更にその次は大学構内。
出現地点は近づき続けた。
ついには、Sさんが信号待ちをしていた時、車の助手席で、白く踊る姿を見つけた。
「考えてみれば車の中も、条件に合います」
ガラスに隔たれた向こうだ。
Sさんは無視した。
「次の日も、見かけました」
それは車の中で踊っていた。
ただし今度は小型バスだった。
まだ始業前なのか、中に客は乗っていなかった。
「代わりに、その、いたんです」
一体ではなかった。
「見えただけで、十体くらい……」
バス内部がダンスホールと化していた。
Sさんには聞こえないアップテンポの曲がかかっていると思えた。
調子よく踊る内に、何体かが運転手に触れ、あるいは倒れ込んだ。
「急いで眼鏡を外しました」
運転手が眠そうにあくびをし、足に力を入れる様子がわかった。
その白いものに接触するたび、ぼんやりとする度合いが上がっているようだ。
また、感知こそできないものの、倒れたものの荷重を体に受けていた。
「朝で、通学時間でした」
周囲には子供たちがいた。
手を上げ、渡ろうとしていた。
運転手がまたあくびをした。
足に、さらに体重がかかったのが分かった。
アクセルを踏む動作だ。
「すぐに眼鏡をかけなおし、走りながらアプリのブザーを鳴らしました」
車が急発進し、直後に停止した。
それは、子供を押しのけたSさんの、すぐ目の前で止まった。
「本当に、ギリギリでした」
Sさんが鳴らした音に驚き誰もが振り返った。
倒れ込むようなSさんのすぐ前に、車のバンパーがあった。
「気づいたら、あの白く踊る集団は消えてました」
真っ青な顔をした運転手の顔だけがあった。
以後、白いそれらを見かけていない。
「けど、許しません」
次にあったらガラスを破壊してでも接近し、ぶん殴ってやるとSさんは決意している。




