事前トレーニングの可能性
その選択権があなたに無い以上、望まない結果となる可能性がある。
「いや、すんません、これが大丈夫かどうか、知りたくて……」
以前、選挙関係で異変に出会ったFさんは、申し訳なさそうにそう訊いた。
「俺、あれから色々調べてたんですけど、変なものに行き当たって」
志多畝能力開発センターという、ネット上に開設されたサイトだそうだ。
「最近よくある、24時間営業のフィットネスジムなんですけど」
時間的に不規則な生活になりがちな現代人に合わせた形態のジムだ。
大抵の場合は月額を支払うことで使用する。
「そこ、ネット上だけのジムなんですよ」
意味がわからなかった。
「いや、俺も意味不明です、普通は体鍛えるバーベルとかランニングマシンだとかあるわけじゃないですか、そういうもんを使うために金を払うわけですよね?」
ネットで予約を行い、使用できる形なのかと尋ねた。
「いいえ、なしです。物質的なのは完全になし。ただネットにサイトがあるだけです、しかも月額制じゃなくて回数制」
詐欺だ。
「俺もそう思いました。けど、誰がこんなのにひっかかるんですかね? 金をだまし取るにしてもえらく中途半端です」
初回無料で、二回目以降から支払いが発生した。
「妙に自信ありげなんですよ、こう、「お前ら疑ってるみたいだけど、一回やってみ? 話はそれからだろ? な?」って、言われた気がして」
妙に興味を引かれたのだそうだ。
「こっちの正確な住所こそ聞かれなかったんですけど、だいたいの町名は書かなきゃいけなくて、あと、いつ眠るかについて細かく聞かれるんですよ、眠りが深くなる時間とか、寝返りをどれくらい打つかとか、自分でわかるわけないのに」
それでも分かる限りを入力した。
「そこから、徐々にもっと詳しい質問されるのかなと思ったら、それで終わりでした」
契約完了、あなたの心と体を鍛えます、と表示された。
「ジムですよ、フィットネスジム。睡眠サポートじゃない」
やはり騙されたのだと思ったそうだ。
「泥棒が、間抜けな奴の寝ている時間を探すために作ったサイトじゃないかって思って、戸締まりを確認しました」
以前の経験もあり、Fさんは窓やドアに追加ロックを設置してた。
「その日、夢を見ました」
何もない自室で、Fさんは水の入ったペットボトルを持ち上げていた。
運動不足の体では数回上げるだけで精一杯だった。
スクワットをした。
正しい姿勢で行うそれは辛く、三回でヘバッた。
プランクはすぐに姿勢を崩してしまい、ランジは体がふらつき、ストレッチは全身が悲鳴を上げた。
「一瞬、暗転して、裸の俺が、鏡に映っているのが見えました」
鍛えていない、見慣れた己の姿だった。
同じことが始まった。
一連のセットを繰り返す夢を見た。
「トレーニングは苦しく、辛かったんです、でも、だんだん変わっていきました」
徐々に徐々に変化した、十セット目を越えた辺りから、苦しさの質が変わった。
「体の軸が、あんまりブレないようになった」
大きく足を踏み出すランジは体をきちんと支えた。
腕立て伏せに似た姿勢を続けるプランクでは、尻を上げる不格好にならなくなった。
「続ける時間とか回数とかは、あんまり変わらないんです、でも、たしかに変わった」
セットが終わるたびに、己の姿を鏡で見た。
特に変わることがなかった。
「気のせいかな、ってくらいの変化は、出ている気がしました」
正しい姿勢でトレーニングを行う、鍛える部位を日々で分け、柔軟をきちんとする。
それら一連の動きは、合計30セットほど繰り返された。
「そこまで行くと、たしかに成果があると、俺でもわかるんです」
わずかな違いが積み重なった。
「そこでようやく、目を覚ましました」
先程までのものが夢だったと、一瞬気づかなかった。
おおよそ三十日分の体験だった。
「悪夢なのかなんなのか、よく分からなかったんですが」
ふと気になり、鏡の前で服を脱いでみた。
「やべえ、って素で声が出ました。いや、だって、あれは、酷い……」
成果は僅かではなかった。
他人からすれば、あまり違いはない、だが、Fさん本人からすれば別人と思えるほどの格差があった。
「夢の中で何やってたかを必死に思い出して、すぐにトレーニングをしましたよ」
Fさんを突き動かしたのは恐怖だった。
鏡の前の姿こそがリアルであるという事実が恐ろしかった。
「夢の中とはいえ、俺自身がやったことだからか、怖いくらいにスムーズにできました」
Fさん自身が「正しい動作」を体感した。
「……懐かしかったんです」
持ち上がらず、ふらつき、すぐにヘバッてしまう状況。それらはFさんが「一度は経験」したものだった。
その苦しみや上手く行かない具合を知っていた。
「たぶん、あの夢で事前に知っておかなきゃ、俺はすぐに諦めた」
だが今は、どれほど耐える必要があるか分かっていた。
「それに、現実でやった方がよっぽど楽だった」
夢の中のそれは、明らかに盛られた苦痛だった。
あるいは、二度目であるからこそだったのかもしれない。
「続けることが苦じゃなかった。体が、徐々に絞られていくのがわかりました」
日々トレーニングが終わるごとに、自身の体を鏡の前で確かめた。
ベルトの穴の位置がひとつズレたときは手応えを感じた。
「けど、だんだん、薄れるんです」
たしかにリアルではあったが、それでも夢に過ぎなかった。
記憶は薄れつつあった。
「だから、その、購入しようかなって……」
無料は初回のみであり、二回目からは有料だ。
「引き返すなら、ここだと思うんですよ」
一度購入してしまえば、以降はより気軽に行える。
「これ、本当はやばいんじゃないんですかね、どうなんですかね」
Fさんが得たのは、成功体験だ。
どれほど努力すれば、どう上手く行くかを体験した。
夢で事前にそれを知ることが良いかどうか、市職員には断言できない。
「あと、トレーニング以外のも、こっそりありました」
たしかに勉学などにも応用はできそうだ。
「いえ、そうじゃなくて、ええと、言いづらいんですか、あの、俺は使ってないですよ? 初回から有料だったし……」
市職員は志多畝能力開発センターを徹底的に調査した。
もちろん、本格的に潰すために。
警察は機能しておらず、既存の法律にひっかかることも、おそらくはない。
だがこれは、恐ろしくリアリティのある夢を提供している。
こっそりあったその練習を行うことは、風営法違反に相当する。
男女選択がランダムであることは、免罪符にならない。
サイトは既に閉鎖し、運営者の特定はできなかった。




