電車内のスマホの可能性
その喜びは、人を傷つける可能性が高い。
電車通学をするBさんはよくスマホアプリのゲームをしている。
朝は早い電車に乗ることで人混みを避けているが、帰りの電車はそういうわけにもいかない。
満員ではないものの、それなりの人数が乗車している。
「人を、あまり見たくないんです」
軽度とはいえ、Bさんは人間嫌いだった。
「無料で出来るゲームを、よくしています」
課金せずには済むが、代わりに定期的なCM視聴を強制された。
「どちらかといえば、CMを見るのが目的です」
楽しむためではなく、視線を逸らし、他へと集中するためだった。
それでも視界に入るものはある。
「他の人の画面が、見えてしまうんです」
電車内でスマホを操作する人の数が多いためだった。
Bさんは吊り革を片手に立ち、スマホを見ている状況だった。
前に座った人が、スマホを膝上に乗せて視聴すれば、自然と視界内に入った。
「なるべく意識しないようにするんですけど……」
あまりに印象的なものがあると、つい注目した。
「目玉でした」
スマホ画面いっぱいに、眼球が表示された。
黒を背景にした、まぶたもない巨大な目玉の画像が、周囲を探った。
「明らかに、ヘンです。だけれど、座ったその人は膝上のスマホを見たまま、驚いた様子もありませんでした」
当たり前の情報が流れている無感動があった。
「声をかけようかどうか、迷ったんですが……」
隣席のスマホ画面にも、同じような血走った目玉が表示された。
慌てて周囲を見渡すと、立っている人々の画面にも同じものが見えた。
「もちろん、全員かどうかは分かりません、けど、見えたほぼすべての人の画面に、眼球は出ていました」
帰りの電車内だった。
日は早く沈み、揺れる車内を電灯が白々と照らしていた。
その中を、無数の眼球がぎょろぎょろと探り続けた。
「恐る恐る、自分のスマホ画面を確かめました」
当たり前のように、眼球が出現していた。
インパクト重視のCMだとでもいうように。
「思わず、手から落としそうになったんですけど……」
ぴたりと眼球の動きが止まり、ゆっくりと、動いた。
見える他の人のスマホ画面も、同様の方向へ向かった。
まるで、砂鉄を磁石で一斉に吸い寄せたようだった。
Bさんの視線も自然とそちらを向いた。
「その先にいたのは、学生でした」
ごく普通の男子学生に見えた。
扉に寄りかかり、あくびをしていた。
「その電車内にいるほぼ全員が、その人を見ました」
誰もがスマホ画面の眼球の動きに誘導された。
しばらくは気づかない様子だったが、学生は無数の視線に気づき、ぎょっとした。
「当然、ですよね、私だっていやです」
混乱し、窓ガラスなどで己の様子を確かめていたが、自身がおかしな格好をしているわけではないと分かると、さらに混乱した。
「彼は何もしていません、そんな仕打ちをされる理由なんてない、だから、目を逸らすべきなんです」
いつの間にか画面の目玉は消えていた。
無料アプリゲームが続きを促した。
「けど、目を離せませんでした」
見なければいけないという強迫観念があった。
もし今、目を離せば、今度は自分が周囲全員から見られるに違いない。
「私は悪いことなんてしていません、そんな被害を受ける理由がありません。だから、彼から目を離しちゃいけないんです、みんなと一緒に、彼に注目しなきゃいけない……」
時間としては数分程度だった。
だがその間、電車内は異様な緊張感に包まれた。
視線の対象となった人は、理由を問いただそうとしては口をつぐんだ。
無言の圧力に、反論を押しつぶされた。
「ようやく、やっと、未世弥駅について……」
夢から覚めたように、注目は散った。
人々は何事も無かったかのように、手元のスマホへ視線を戻した。
「その人は青ざめた顔で、でも、安心した様子でした」
未世弥はBさんが降りる駅だった。
「隣を通り過ぎながら、その人の様子が少し、その、面白くて、笑ってしまったんです」
Bさんだけではなく、老若男女の誰もがその男子学生の前を通りながら笑った。
「酷く傷ついた顔をしていました」
それでも笑うことを止められなかった。
腹底から絶え間なく、あぶくのように笑いが生じた。
改札を通るまでの間、肩を震わせ続けた。
「……悪いことをしたとは、思っているんです。あんなの、やったらいけないことだって」
だが、それでも思ってしまったのだそうだ。
「もし、次があれば、私はきっとまたやります。同じことをします」
その理由を訊いた。
悪いと自覚しつつ繰り返す理由を。
「だって、だって、楽しかったんです。みんなと一緒に同じことをするのが。あんな簡単なことで、周囲の名前も知らない人たちと親しい仲間になれたみたいな一体感があって、とても嬉しかったんです」
混乱した様子でBさんは訴えた。
「どうして、あんな面白いことを、禁止されなければならないんですか?」
電車内にて視線の対象となった学生には心当たりがあった。
市職員の立会のもと、二人で話し合いを行わせた。




