郵便ポストの可能性
その欲望は、叶わないほうがいい可能性が高い。
「知りたいんですよ」
以前、ブロック塀の隙間から出る指についての話をしたDさんは、以前よりも痩せていた。
「ポストです、この市にあるすべての郵便ポストの場所です」
昔であればともかく、現在ではオンライン地図上で確認ができる。
更新されていないこともあるが、対処課に尋ねるよりは確実だ。
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
Dさんはどこか追い詰められた様子だった。
「公的じゃない、個人が設置したポストです」
知られていないが、郵便ポストは私設が可能だ。
いくつかの条件を満たし、設置費用と維持管理費用を支払えば、好きに作成できる。
「見たのも、きっとそれでした。でかいポストだった」
妙求市北、静かな住宅地である鵜陣保蔵の空き地でそれを見かけた。
「円筒形の、かなり古いタイプでした。けど、普通とは違うところがあったんです」
通常、ハガキや郵送物の入口は狭く作られている。
不届きな人間が手を入れ、中のもの抜き出すことができないようにしてある。
「グーにした拳が入るくらい、広かったんです」
円筒形のポストの取り出し口は通常、荷物の入る場所が中央下部に設置されている。
「普通はひさしみたいなものがあるはずですが、それもなかった。ただぽっかりと穴が開いてました」
ぽつぽつと雨が入る様子が見えた。
誰も通らない住宅地で、Dさん傘を差したまま呆然とした。
「我ながら馬鹿なことをしたと思うんですが、なら試しに、って手を入れてみたんですよ」
傘で周囲から隠すようにしながら、手を突っ込んだ。
「なにもない空間のはずなのに、手首、肘、肩付近と入れるほどに、暗闇の圧力が増した気がしました」
長く、緊張した数秒が過ぎ、やがては底に触れた。
「がっかりしたんですが、納得もしました」
こんなポストに投函するもの好きはいない。
どうぞ取ってくださいと言っているようなものだ。
大きなおもちゃも同然だと納得し、手を戻そうとしたタイミングで、指先に触れるものがあった。
「ちょうど、郵便物を取り出す扉のある位置でした」
Dさんから見て手前、自身のへそ程度の高さだった。
「扉部分なんだから凹凸があって当然なんですが、やけに出っ張っていて……」
触れたものが何かと確認する内に理解できた。
「鍵でした」
持ち手部分の出っ張りだった。
「指先に力を入れると、回転しました」
ポストに密着した状態のため、下方の確認は直接できないが期待した。
右手で鍵を開け、左手でポストの扉部分を押した。
「カチリと音がして、鍵が開いて――」
右手は、扉が内側へと動く様子を確認した。
だが左手は、なんの変化もなかった。
「きっと二重扉とか、そういうのかなと思いました。さすがにそれくらいの用心はしてるのかな、って」
そうではなかった。
「右手の、開いた扉の先から、風を感じたんです」
Dさんは雨の中、傘を差していた。
まっすぐ雨粒は落ちていた。
「体で感じているのは無風なのに、右手には生ぬるい微風がありました」
指先が、かすかに物体に触れた。
「扉の外にあったものが、風に吹かれて入った、そんな感じでした」
それが何かを確認するよりも前に、向こうから離れた。
風のせいではなかった。
「動いた、そう、動いたんですよ」
生命の動作が、そこにはあった。
「生きた何かが、ポストの中にいました」
Dさんは背筋を震わせた。
毒があるかもわからない生物が、暗闇の底にいる。
二重扉の間に挟まれていたのか、それともなければ開口部から入り込み、潜んでいたのかはわからない。
だが、ポストに右腕を食われ、その舌先で触れられたような怖気を覚えた。
すぐに手で内部を探った。
「興味があったんです」
ほんの僅かに触れただけだったが、奇妙だった。
「ポスト入口に近づけた耳からも、何かが移動する音が聞こえました」
実際に何かがいると確信した。
大きさは拳大。多数の移動するための足を持っていた。
数十秒か、数分か、Dさん自身にもわからない攻防の時間が続き、やがては捕らえた。
「その感触を、どう言えばいいのかわからない」
やわらかく、硬く、湿っているようで乾いていて、小刻みな脈動を感じるが停止している。
そのような矛盾した感触だった。
「一番近いのは、人の手です」
ただし、指の数が五本以上あった。
最低でも七本以上はあったそれと、Dさん自身の指を絡めた。
そのまま、外へと引きずり出そうとした。
手の中で酷く暴れ、甲高い声を上げた。
「ポスト内部の扉から、何かが来たのが、わかりました」
探るために近づけていた耳がそれを捕らえた。
風切り音だった。
反射的に戻した指先を飛翔物がかすめた。
ガぃん、という音が響き、ポストが揺れた。
大きく開いた開口部から、突風が吹き出した。
「弓矢とか銃弾とか、そういうのではなかったと思います」
つかみ運び出そうとしたのとは別のものが、開いた扉から突進し、Dさんを攻撃した。
「また手を入れる気には、なれませんでした」
開口部から、警戒と害意の気配が漂っていた。
あまりに危険だった。
それでも諦める気にもならなかったDさんは、ライト、防刃手袋、業務用カッターナイフなどを近くの工具店で買い込んだ。
「準備には一時間もかからなかった、それなのに、もう無かったんですよ」
ポストは跡形なく消えていた。
「だから、知りたいんですよ、あれがどこに行ったのか」
探し出し、どうするのかを聞いた。
知るためなのか、驚かされたリベンジか、あるいは身を守るための行動なのか。
Dさんはきょとんとした。
思ってもみなかった質問をされたという表情だった。
「え、そんなの……決まっているじゃないですか」
Dさんの喉が動いた。
湧き出たつばを飲み込む動作だった。
とても美味しそうだったから、と聞こえた気がした。




