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61 恩讐の炎、復讐の牙(2)

 数十分の時間を経て、俺たち冒険者は前線キャンプにたどり着いた。重めの装備を担いできた人たちは特に息も絶え絶えであった。総じて戦う前からもう限界という情けない姿だった。


 こうも急いでいるのには理由がある。オルトロスはおそらく鼻が利くため、多くの冒険者が近づいていると分かれば逃走をはかることもありうるだろう。


 そうなればいたちごっこだ。俺も今は支給された薬品をかぶってできる限り匂いを隠しているが、消臭できるのは1時間が限界だという。だから効果が切れる前にできる限りオルトロスに近づいて準備を整えておかなければいけなかったのだ。 


 俺も肩で息をしながら、基礎体力が足りないなと自分を叱咤した。


 ふと周りを見れば、支部長が服も包帯もつけないで魔物感丸出しの格好をしているせいで冒険者たちにビビられていた。正直に言って、眼窩の位置に埋め込まれたガラスの眼球だけが、支部長を冒険者たちに人間だと判別させる唯一のものだった。


「支部長、服貸しましょうか? 中途半端に魔物の姿だとみんな困るし……アーリャに分かってもらえないかもしれませんよ」

「いらん。今朝聞いた作戦はまだ覚えているだろう。オレはもう――」



「バズーさん、あれ! あれ見てください、早く!」



 ひとりの冒険者が焦燥に満ちた声を上げる。俺も支部長も声のした方を振り返った。

 ざわり、と冒険者たちの間に動揺が走っていた。

 支部長を呼んだ声の主が指をさした先。木々の間から覗く切り立った崖の上。距離は目算で200メートルほどだろうか。

 

 ――オルトロスが、そこにいた。


 漆黒の毛並みをたなびかせて。鉄さえ容易く切り裂く鋭い爪をのぞかせて。王者の風格を漂わせながら、悠々と俺たち冒険者を見下ろしていた。まるで、ハエかウジでも見るかのような目で。


 そして何より。唾液が滴るの舌の上には、見せびらかすようにアーリャがのせられていた。彼女はぐったりと倒れていて動かない。


 どうしてここに? 作戦がバレていた? それともただの偶然か? この予想外の状況で何が最善だ? 動揺からくる疑問は、得てして人の思考力を奪うものだ。数秒間、俺も歴戦の冒険者たちも息をすることさえ忘れていた。


 

 血が回り、思考が巡り、正常な命令を脳が下すその前に、オルトロスは最初の行動に出た。


 吠えて威嚇するでもない。こちらに駆けてくるでもない。ひょいと、真上にアーリャを放り投げたのだ。無論落ちる先には大きく開いたオルトロスの顎がある。


 まるで、その目はこう口にしているようだった。

 

 ――ここまで来るなんてご苦労様、ところでこいつの命はもう頂くぞ? お前たちをおびき寄せられた以上、もう生かしておく意味も価値も消えたのだから。


 嘲笑と侮蔑のこもった、憤怒に突き動かされた顔。もし自分が子どもを助けに向かっていたら、どうせ同じことをしたのだろうとでも言いたげな、人間を見下す表情だった。


「オルトロォォォォォォォォォス!!!!!!!!」


 支部長が吼える。魔樹の身体を震わせて、文字通り枝腕を伸ばし枝足を延ばし、雪崩のような勢いで近くの冒険者すら跳ね飛ばしながらアーリャを助けんと前進するも届かない。アーリャがオルトロスの口内に落下し、顎が閉じられる方が早い。


 ああ、意趣返しにもほどがある。それはいかにも復讐にとらわれた人間のやりそうなことだ。

 救えるかもしれないという希望を夢見させて、目の前で殺してみせる。これほど心を折る見世物はあるまい。人も獣も同じこと。そう言いたいのか、お前は。


 俺は幸い支部長の前進に巻き込まれなかったものの、打つ手がなかった。《臨界》も《変身》も今この時ばかりは何の役にも立たない。


 距離が遠すぎる。アーリャを巻き込まずにオルトロスだけをひるませる技能が俺にはなかった。何か放とうにも狙いを定めている間にアーリャが呑み込まれてしまう。


 時間の流れが遅く感じる。それは取れる手段もなく、それなりの時間を過ごしてきた少女の命が失われるのをただ見ているだけしかできない時間が引き延ばされているだけの――地獄だった。


 だから。


「……神様」

「――受理した」


 だから、人はこういう時祈りを捧げるのだ。もうどうしようもない時に。それ以外に縋れるものがないと気づいたときに。知らず知らずのうちに払ってしまった、その代償はさておいて。





 ブバァ――――ンッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 






 と、あたりに耳をつんざくような爆音、もとい破裂音が響いた。野生動物らしく耳の利くオルトロスは、突然の異音に顔をしかめて身体をよじらせた。


 たったそれだけのこと。傷を受けたわけでもない。ただ唐突に響いた出所不明な音に驚いて身をすくませただけのこと。

 

 ――その隙を逃す支部長ではなかった。

 

 オルトロスの牙から逃れたアーリャは地面に激突する寸前で枝腕のクッションに受け止められ、即座に支部長の胸に抱きかかえられた。

 冷静になったオルトロスは前蹴りで支部長ごとアーリャを潰そうとするも、瞬く間に支部長の身体から生えた枝という枝が割り込んだことで攻撃の勢いはことごとく殺されていた。


 結果的に、支部長とアーリャはゴムボールみたいに跳ねてその場から離脱したのであった。オルトロスが2人を睨みつける。獲物をしとめそこなった獣の嫉妬は深いというが、どうやらオルトロスも同じらしい。


 続けてオルトロスは俺を視界におさめたようだった。褐色の鎧に全身を包んだ、異音の主たる俺を。

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